建設現場の卵

建設現場からのエッセイ。「建設現場の子守唄」「建設現場の風来坊」に続く《建設現場の玉手箱》現場マンへ応援歌。

魚釣り(2)

2017-11-27 14:12:02 | 建設現場

…………………………魚  釣 2…………

 話を戻して、
 魚屋で売られている魚も、人間に食べられるために海で泳いでいたのかも
知れない。
だが、私が釣った魚や釣り上げたが捨てた魚は、・・・
********    ******   ******

だが、私が釣った魚や釣り上げたが捨てた魚はまだまだ生きる事が出来たハズ
である。

私の生きるが為の手段として釣り上げたのなら、魚の持つ運命だったのだろう
思う事も出来るが、私の趣味で釣られた魚には運命ではなくて
「事故」なのだろ
とも思う。

それは私の現場で、仮囲いの中で毎日働いている人が、天からの一本の糸
釣ら
れたのと同じ「事故」として怪我をし、あるいは命を落とす事と同じ事
では
ないのか……と。

運命を握っている者、司(つかさど)る者がいるならば否、いるハズだ……と。

ならば、魚の運命を握っていたのは私であり、人間界の運命である。
魚の命を奪った私に対して、天は私をどう裁くのか…と。

天によって子供が世に生まれる前に二度も召され、母をも召されそうになり、
万一、現場の職人さんを事故に遇わせでもすれば、私が償えるものは何一つ
持っていないのだ…と。

そう考えている内に母の願いを聞けない間は、子供は授からないだろう…と
思えた。

魚釣りは仕事の付き合い上、すぐに止める訳には行かなかった。
船釣りの場合には糸は垂らしていても、餌に引っ掛かって来ても
知らない振りだ。

ハナから引き上げるつもりは無くて、船畳の上で酔っ払っては寝ていて、
釣りを
している仲間からは嘲(あざ)けられても、魚を釣り上げる事は
しなくなった。

調子悪いね、所長!またエサ、食われてるよ」
(食い逃げ魚さん、よかったね)

つぶやきながら、エサを取られるようにくっ付けて、食い逃げ魚に
協力していた。

「釣竿一本で一国を釣った《太公望》を見習えってもんだ。
    魚の一匹二匹で
騒ぐな!」

魚釣りの話になるとよく《太公望》の名前が出て来ますが、老人で白い髭を
はやした釣の名人のように思っている人が意外と多いものである。
------    -----     ----   -----
念の為、《太公望》さんは、魚釣りの名人ではなくて、斉の国
起した人である。

紀元前11世紀、商王の暴政に対してたった一人で商王朝を倒しに
起ちあがり、
倒したとも言える天からの化身のような人物である。

三年間、釣竿を使わずに糸を垂らして、鉤針(かぎばり)は真っ直ぐで、
川に沈めず、
魚が飛び上がるのを待っていたから一匹もつれず、
周の国王がその話を聞いて
飛びついた・・・のである。

周の国召の国を釣ったのごとく中国大陸を操ったのは、中国を統一した
秦の
始皇帝より九百年も前の話であり、魚釣りの話は伝説かもしれないが、
中国の歴史は面白いものだ。
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不調続きを見かねて魚釣りに誘われるのもだんだんと疎遠になっていった。

魚釣りをしなくなったからではないが、現場での《運》が強くなって来た事は、
思い上がりと雖(いえど)も自分でも気がつき、驚いている。
全責任を負うべき所長として現場を10年以上も経験したが、
労災事故報告書
紙切れ1枚たりとも書かずに、現場勤めが終わった。

事故寸前・危機一髪の状態も経験しなかったのは、偶然にしては
不思議である。

また、どうしても雨が降ったら困る日に、用件が終わるまで
雨が待っていてくれた
ような日もあり、天運に抱かれ始めている
と感謝した事も数回あった。

仮囲いの中で所長として現場を見渡す変わりに、雲に乗った仙人の気分
見れば、
危険という餌を付けて釣り糸を垂らしさえすれば、誰かが食いつくのは簡単に想像出来る。

だから、釣り糸を垂らさないように安全監理をすればよいのであって、
ならば、
釣り糸さえ持たねばよいとの気分になり、魚釣りの道具も
いつしか処分してしまった。

人に「魚釣りを止めろ」とは一切言っていませんし、思ってもいません。

大勢の職人さんを集めて仕事をさせる中で、トップに起つ人の徳が薄い
よりも、
篤い方が良いのに決まっているのだから、徳が増やせないならば
減さない努力は
出来る筈だ。

私はただ、魚釣りに対して母の言葉から《天命》を考えただけである。

魚釣りと現場の因縁は一切関係ありませんし、あくまで私の偏見ですから、
魚釣りの好きな人がこの稿を読まれた時は、サラッと読み捨てて
くださるよう
お願いします。

現場での火災事故原因を撤去するため、二十年来の喫煙を私が勝手に
やめた
ように、この魚釣りも勝手にやめた個人の『つぶやき』としての
話である。

 次は現場一斉清掃の話をしよう。

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魚釣り (1)

2017-11-13 15:29:13 | 建設現場

 瀬戸内海を眺めながら育ち、広島湾に浮かぶ牡蠣(かき)(いかだ)の周りで遊んでいたのであるから、魚釣りで遊んだ事も多いし、楽しさも知って育った私である。

しかし、魚釣りに対してフトした事から考え方が変わった。

妻が二度続けて流産した。
我が家にはもう子供が授からないと希望の灯が消えかかっていた
時に、
還暦を
過ぎた母が、自分の命と願いをかけて四国88箇所参りに詣でてくれた。

その途中、お寺で母が倒れたとの連絡が来て、駆け着けたら、
「悟美、親の命も子供の命も繋がっとるンよ。新しい命を授か
うと願かけてお参りしとる親の裏で、(息子が)殺生しとって
願が叶うワケないわ、今日、バチが当たったンよ……」

これには、一言も言い返せなかった。

命、それも母、このかけがえのないものを、また無くしてしまう
のかと寺で
涙した。

魚も親子で生まれとるンよ。娯楽で殺生をする人間に、親子の縁を
引き裂かれ
て、小さい魚は捨てられて、大きい魚は食べられて
しまうのを、魚は知って
おるンよ」
「・・・・・」
「釣りをやめンさいたア言わンけえ、少しは考えンさい…」

広島弁でそれだけ言うと…寝息に変わった。 
(釣を止めるけえ、母を逝かせないで…) 
本堂で幾度も手を合わせて、仏に祈るだけだった。   

 母の命は取りとめられ母は初孫も抱けたが、私の心には重荷が
ずっしりと
沈んだままだった。

(魚を釣ってピチピチ跳ねていたのを見て喜んでいたのは、
魚にとって見れば、
もがき苦しんでいた姿であり
『水をくれー』
と断末魔の声を発しないから魚の
見殺しが平気だったのか…)

 自分の趣味の為に、魚であっても命を奪っているのであるなら
ば、自分の徳は
そんなにあるモノじゃあないから、
運が途絶えるのは時間の問題だろう。

釣られた魚が馬鹿で釣った人間様が賢いという道理も自分勝手
である。

 奴隷を人間と思わなかった時代の昔の国王が、狩猟や奴隷狩り
で遊興に耽って
いたなごりの、生き物を殺す道楽の一つに
《魚釣り》
が現在も趣味・娯楽として
残っている…と思え始めた。

それを胸に預けたまま、安全大会で
《命の重さ》を話す事がある。

 朝食によく出てくる「ハム・エッグ」があるが、このどちらが
人間に対して
命を張って貢献しているかを考えてみた事がありますか?

卵は鶏が一日一個産み落としたものであるが、鶏は生きている。

ハムは豚が一命を落とした事によって、人間が食べる事が出来るのである。

 豚は食べられる為に生まれて来て、育てられているのかも知れ
ない。
安全活動を必死で行うのは、豚のように一命を賭すればこそ、
ハムになるものだ
等と倫理・宗教上の観点からの話ではなくて、
職人さん達へ
『命の尊さ』
を話て
いるのも、この魚釣りが起因かも知れない。

話を戻して、

魚屋で売られている魚も、人間に食べられるために海で泳いで
いたのかも
知れない。

だが、私が釣った魚や釣り上げたが捨てた魚は、・・・

        魚 釣り(2)へ続く

 

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