建設現場の卵

建設現場からのエッセイ。「建設現場の子守唄」「建設現場の風来坊」に続く《建設現場の玉手箱》現場マンへ応援歌。

談合が何だってんだ(2-3)(再UP)

2018-01-25 10:45:25 | 建設現場

大手ゼネコンが談合責任を取ったかの報道だが、
その順番も談合に含まれてるとしか………
前回の尻切れトンボを続けてみよう。
談合の善悪・あるなしは念頭に入れずに読んでね。

*****************  **************

談合が何だってんだ(2)
(2019.5月UPより)

 業者同士で談合をして高値落札を画策しても《官》の予算以下でなければ入札が成立しないのであるならば、談合を行う意味もない。

 仮に《官》の予算が間違っていても《官》の予定価格以下に従うのならば、《官と業》の話し合いとなり、談合とは
《官》の言う金額に話し合いで相談の事」
 と定義づけましょうよ。

 だが、《官》は卑怯にも
「まだこれから先にWXYの工事発注がある」
 と計画図をちらつかせて、
「今回従わないのなら次の物件以降《入札指名から外す》」
 という態度を示して《業》の弱さをもてあそぶ。

 とにかく想定範囲の中の業者に、赤字覚悟で受注させながらも、談合はなく予定価格より下回った『正当な入札』だと発表する。

 応札をした11億円の業者達に談合があったかなかったかと調査するのは勝手だし、業者は談合をしなくても、競争相手の入札金額は想定がつくものだ。


 大手ゼネコンは利益部分を大胆に削ってでも名誉の為に受注競争をする場合があるだろうし、工事建設地域に根を張っている会社ならば職人単価を削って応札するだろう…とかで予想をしたとしても、億の単位の工事から応札をみれば数%の金額の違いしかないのである。

 《官》は大規模の工事になれば、数工区に工事を区切り発注して、分割毎に大手ゼネコンを頭にしてJV(共同企業体)を組ませているが、暗に談合があるから競争相手でも組めるグループが作られるし、反対に会社更生法申請中の会社でもJVに名を連ねる事が出来るのだ。

 ゼネコンから見ればどんなに大きな物件であろうと、1社で受注したいのは必然である。

 工区分割発注・しかもJVの条件指示が発令になり、天の声と言うのか《神の声》によって大規模事業が落札決着しているようでは《業の談合》の是非の話ではないのだ。

《神の声》とはいわずもがな《政》が官を飛び越しての関与であり、まさに、《政・官・業》の一体となった裏工作と言えるものである。

『ロワーリミット』
 これは土木工事の入札時に使っていた言葉である。
 現在、使っているかは定かでないが、消えてはいないだろうと私は思う。

 有名な話がダム建設において残っている。
 順当に見積もってみればH組が受注すると、一般的には思われていたのが、K建設に入札会場で逆転した。

 見積り金額の高い・安いの判断ではなくて《ロワーリミット》と言う発注価格の線引きラインを越えた最初の業者だったのである。

この金額より上でなければ、出来ない筈だ)
 と線引きを決めるのは勝手だが、業が他社より1千万円でも安く受注しようと努力しても、何にもならない仕組みになっている。

 《業》に対し《官》も口が出せないところに、手を出せるのは《政》しかない。
 この《政》の力でロワーリミットを操る限り、談合よりも根深い『裏工作』を私は感じるのである。

 入札開封時に、受注させたい業者の応札金額のすぐ下を《ロワーリミット》と瞬時決めて発表すれば、誰も逆らえない。

 となれば、入札以前に業者が決まっていたという事である。
 上手に組み上がった、
《政・官・業》の三角形であれば、談合や汚職を論ずる隙間も無いと言う事だろうか?

 官庁工事を受注するのには《官》には逆らえず、まして《政》には返事すら困難な仕組みの中で、JV(共同企業体)という工事を発注して《業》から不満が出ないように押し切っているのも………としか私には思えない。
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談合が何だってんだ(2)
2009.5.28

  話を(Z物件)に戻して―――、

そんな中でもし「談合に関係ないです」と言う顔をして最安値の7億円でP建設が乗り出せば、官はそのP建設に落札しますか?

 最安値のP建設は外すとしても、8億円のQ建設が応札した場合に、官はそこに決定するとは限らないから落札の裏面が不透明になるのである。

 建築の世界でも、安いところから二番目という金額だけでは落札せず、どうも隠れた不文律が潜んでいるようだ。

 落札の目的は最下価格を提示した業者…であるはずが、何故かそうではない。

 オークションのように公然と価格を下げる競争をして、
「ハイ、9億8千万円で決まりました」
 とTV中継でもすれば、談合がなくなるとも限らない。

 金額面から悪く考え着く事は8億円で落札し、5億円の工事が進んだ頃に、工事実績の少ないQ建設が計画倒産を最初から仕組んでいれば、以後の工事は誰が責任を持つのですか?

 談合予防に対して入札制度を改革した結果、Q建設が8億円で落札し、予定価格の20%削減が入札の適正な成果であると報道するのは構わないが、Q建設が責任のある工事として建設遂行可能なのかは判断出来ないものだ。

 11億円の応札をした業の各社から実績の少ないPQ社を見れば、必死で取ったにしろ赤字覚悟の上にしろ採算が合わないのは目に見えるし、手抜き工事に走るか途中で逃げ出すかも…と瞼の裏に浮かんで来る。

 その結果がやがて欠陥構造物となって、数年後に《官》は補強修理工事を発注する事態となり、又、現在多く目にする◎◎補強工事とやらになっているといえないだろうか。

おだんご(談合)とお魚さん(工事)のどちらも美味しいのに
無くするなんてイヤだわサ。

                              

「談合は、必要悪」
 と言うからには、談合は必要であり、行われている。
談合をーしていない」
 と言いながら、影でコソコソ動いているようだから、悪い事をたくらんでいるように誰しもが思う。
談合はーけしからん」
 と圧力をかけられて大昔から日本の土建業界にある習慣の一つ、

談合をー止めました」
 と今の時代になって言える根拠と保証があれば、示してもらいたいものだ。

 官としては自分の県の業者に建設業登録を認可して業者のランクを決め、発注工事高によって入札指名業者まで発令する時に、数ある物件を指定ランクの中の1社のみに片寄る事なく、公平に落札させようとするのもよくわかる。

 談合組織を解体し、入札金額だけで判断するならば資金力のある会社が片っ端から安値落札を始める事も可能だし、さすれば官はどのような対策が出来るのだろうか?

ジャングルの野生の動物は自分のテリトリーを護り、ジャングルの王者になろうとは思っていないでしょう。

 建設業社は他社を押し退けてでも大きくなりたいのは、あながち悪いとは言えないが、自分がシマウマなのかライオンなのか一度想定してみませんか。

《官》としては談合していないはずの業者を選択したのであるから、応札金額だけを見て事務的に判断したいようであるから、もう入札会場を設定する必要もなく、ネット上で入札結果発表が出来る制度で十分でしょう。

 談合が必要なのか、不要なのか、善か悪かをここで結論付けは致しません。

 何故、大昔から、談合があったのか・・・。
 何故、今になって悪いモノとして決め着けているのか・・・と。

  

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談合が何だってんだ(再UP)

2018-01-12 09:20:07 | 建設現場

設計図について話す予定だったが、
談合の言葉が最近多すぎる(リニア・舗装・下水道………)ので
昔(約10年前)のブログの1項を再登場させてみた。
業界側もいろいろ手を尽くしているが、まあ談合が終止符を打つこと
はなかろう………と思える話です。
    *****************  
(2009年投稿より)
☆ 『談 合』 が何だってんだ(1)  

建設業界の最近のニュースと言えば、手抜き・欠陥・献金・偽装・談合等、次から次へと悪いイメージばかりが強調されて、世間を騒がせている。

 一昔前は三面記事に(犯人は労務者風の男)なんてキィワードも目にしたものだし《手抜き》という言葉は古来、土建業界からなくならない言葉で扱われてもいる。

 それらの中でも昔からある《談合》は土建業者専用の言葉として暗躍し続けていて、それによりあたかも巨額の利益を談合業者達が得たかのごとく悪者扱いであっても、現在、何故か建設業界から誰もマスコミに反論していないのが情けない。

 談合をしている情報があったとか、談合が明るみになったとか、新規入札方式により落札額が予定価格より大幅に下回ったと言う報道に対して、私の本音を言ってみよう。

 建設業界・ゼネコンが報道に対して堂々と内容を述べない(述べられない事情もある)から、皆が口ごもっているモノを私が吐き出してみるだけである。

断っておくが私は談合に対して賛成もせず、反対論者でもありません。

 官民の物件に限らず、設計図の内容を積算して発注者側にて工事予定価格が決まっているから、入札が始まるのである。 

**************
仮に《10億円のZ物件》として話をすすめてみよう。

  そもそも、予定価格は建設物価基準なるものから積算して工事総額を割り出したのであるから、10億円があたかも正当な金額と発注側《官》は認識し、建設業者《業》からその価格以下の応札でなければ当然、入札行為を繰り返しても落札は成し得ない。

各種工事毎に工事単価基準の幅なるものを官が決めているので、談合をしたとしても基準単価の範囲で民が積算し入札する以上、談合によるボロ儲けは考え難い事なのだ。

設計図から数量を拾い出した場合、入札参加の業者が同じ面積・同じ容積になりません。
 私の経験でも《官》の積算数量に対して、生コン一つにしても100㎥前後の数量の食い違いがあったり、また、塗装面積は《業》の積算数量が少ない等もよくある事でした。

 数回の入札も落札に到らず応札金額に大きな隔たりがある場合の原因として、明らかに《官》の積算ミス(小数点の間違い・積算欠落)等の場合であっても、《官》は予定価格を修正しない。
《業》が11億円程度で応札している中で、《官》はあくまでも10億円以下でなければ落札できないのが入札・落札の仕組みである。

《官》の金額に応じるには《業》の経費(純益)を含めた部分で業が自分の首を締めて、再度入札をせねばならない。
《官》の予定価格では赤字になるとしたならば、自社に決まるのを避ける為に、何度入札を行っても『安値』を提示する事はせず、他社の落札を願うものだ。

 《業》の言う価格迄に工事予算が変動するならば、《業》が集まって総工費をつり上げるために《談合》は行われるだろうが、赤字受注を強いられる場合には《官》が指定業者を決める権限がない以上、順番制か抽選かでもどこかの業者が受注しなければならない。

 無理やりの受注にも話し合いが必要で、それも《談合》と言い拒否されるならば、ゼネコン同士にては話し合いをするまでもなくシッポを丸めて帰るだけで、困るのは官側である。  

                《その2へ 続く》・・・

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一斉清掃

2018-01-09 10:35:43 | 建設現場

…………………………(一斉清掃) 2 …………
昨今では『一斉清掃』は現場で決まり事になったものの、その心
意気が引き継がれて
いなくて、言われた範囲の、やりたくもない掃除を
するから、毎週掃除しても
成果が上がらないのだ。

中にはその時間はまだ近隣の食堂で昼飯とか食後のコーヒー
タイムの延長で、現場の
掃除時間が終わった頃に戻ってくる
《お馬鹿さんチーム》がある。

私はお馬鹿さんチームを見過ごさない。
何年も掃除を皆でしていれば、誰がどこで掃除をしないかくらい
「お見通しでござんす」だ。

掃除をしなかったンだから掃除して集まったゴミの処理はアンタ持ちだよ」
と山積みのゴミパレット処理代金を、当月の工事費請求金額から相殺させて
頂いている。

ゴミパレットのゴミ処分代金は1箱3~5万円だった時代から、私としては
毎月のゴミ
処理代金の予算が少なくても、お馬鹿さんチームのお陰?で
何とか凌(しの)いで来ていた。

*************  ***********
そう言えば、この一斉清掃が思うように出来なかった現場もあった………。

中学校の増築現場でいつものように音楽を流して、

(さあ掃除だ)
と腰を上げたと同時に、
「いま中間テスト期間中ですから、静かにしていただけませんか?」
と仮囲いの横の職員室からの電話だった。 

「済みません。ごめんなさい」 

一斉清掃中止のアナウンスはやめて、音楽もすぐ止めた。

(あれっ?もう終わり?)
いつもは終わるのが今か今かと思っている人に限って、心配をしてくれる。

「今日は一斉清掃の時間が16時30分からです」
と朝礼の時に伝えるのをコロッと私は忘れていたのだ。

この現場の掃除時には仮囲いを越えて面白い物が舞い込んで来ていた。

紙飛行機を「一緒に捨てて…」と飛ばして来る。
それも採点済みの答案用紙である。

「点数が軽いから、よく飛ぶね」
と言ってやったら、窓から飛ばす生徒がいなくなった。

とあるマンションの現場の時は、
「所長さん、お願いですから一度に埃を出さないで、洗濯ものが大変です」
お隣の奥様が事務所までお願いに来られた。

埃飛散防止にネットを張っていてもメッシュシートだから、完全
遮断になり難い。

20分間ほど集中して一斉清掃をすれば、我々のまつげも鼻も埃が積もり息苦しいから、送風機で風を送るが、吹き出た強い風は
その細かな埃を吹き飛ばしメッシュシート貼を
通り抜けて、
お隣さんの庭先に舞い落ちていたのだ。

それも1ヶ月程度も、お隣へ迷惑かけているとも気がつかず…
大変失礼したものだった。

その現場はお隣さんが接近していたので、一斉清掃は中止して、
毎日自分の周囲を掃除して帰るようにしよう」
と皆で決めたけれど、キレイな状態での週末には程遠いものだった。

無理矢理の掃除も昨今はどこの現場でも決まり事にしているが、
マンネリ化されていて、
昔のようにキレイになる喜びに感動して
いない。

毎日場内を片付け掃除の女人夫さんがを掃除しているが、ゴミを出す人の量に
追い付かない。

ゴミは誰かが処分してくれると思い切っている輩がいまだにいる。

キレイに片付いた場所で、イイ仕事をしたい気持ちがなければ、
腕は上達しないものだ。

掃除の仕方からでさえ、職人さんの腕の優劣を私は査定しているのである。
   *************
次は『設計図が何だ』と本音を言うと………の話をしよう。

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