建設現場の卵

建設現場からのエッセイ。「建設現場の子守唄」「建設現場の風来坊」に続く《建設現場の玉手箱》現場マンへ応援歌。

安全大会(1)

2009-07-31 08:32:31 | Weblog

              …………(安全大会(1)・熱中症)…………

 7月1日から全国安全週間が始まり、ゼネコン1週間の安全行事日程を製作して、全部の現場に安全点検を勧告しパトロールも実施する。

 この期間に『安全大会』の講演依頼も多くて出かけているが、最近の大会では建設現場に直結せず「安全」にも関係ない話で、マンネリ化からの脱却を試みるかのような大会もある。

 大会の内容はトップ挨拶に始まって、過去一年間の安全実績の報告・優良協力業者の表彰・安全部署からの報告と真新しい安全書類の配布等で2時間に渡って職員と協力業者の代表が神妙に話を聞いているものの、毎日動き廻っている親方は座っているのが苦痛である。

 配布される資料を説明している事も多いが、半日現場を空けて参加しているにしては、安全大会に参加しても得るものが見えて来ない。

 一応の安全連絡・報告が終わって、何がしかの講演を聴いて安全大会が終わる。

 建設現場に関係ない講師によって安全大会の会場で講演を聞く場合もあるが、主催者が安全活動を本気で立ち向かっているとは思えず、安全監理の底の浅さが見える……場合もある。

 とある真夏の安全大会の話をしよう。

 労基署の所長さんが来賓として出席されていて、挨拶があった中で、
「……昨年は所轄管内で死亡事故が2件発生しました……。これからは暑い日が続きますから、皆さん熱中症に気をつけて作業を・・・」

 決まり文句で話をされて、万事普通に議事が進んでいたが、私の講演はいきなり、
「アンタ達!熱中症に気をつけて仕事せよの命令を出して、職人が死亡したら、業務上過失致死で逮捕される事を、現場監督は覚えておきなさい!」
と瞼の閉じかかっていた現場マンを一発で目を覚まさせてやった。

「事故になる事を知っていながら、開口部にネットを張るのを忘れて事故になれば《未必の故意》に問われますよ。
それと同じで熱中症の予知が出来て熱中症対策を本気で言うのならば、
真夏の暑い盛りには休憩時間にスポーツドリンクを配りなさい。
 
30人の職人さんへ20で六百本、まとめて買えば一本百円として6万円で大切な職人さんの命が守れるのですよ。
 
安全ネットもドリンクも手を打つ事をこまねいたら、結果は同じです。
 予算にないから事
故にもならないと、誰が保証出来るのですか!」

 一気に喋っていると怒りが湧いて来る。

 安全認識と言うよりも《誰の為の安全なのか》と聞いている人の琴線に響く話をしたい気持が強くなって、私が熱くなって来た。

 本音を遠慮なくズバリと言うのは簡単であるが、講演料を頂きながら、安全担当者が気まずい思いをしないように心がけていても、他人事のように話をされる人の後から講演する時には何時も平常心がブッ飛んで行く。

 「安全衛生規則の上からも保護帽は必需品であるが、熱中症を予知していながら保護帽を被らせて、

   《安全大会(2)へ 続く》

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教え方(3)

2009-07-27 08:53:58 | Weblog
                …………………………(教え方 3)………………  
「福本さんの現場なら続いていたと思います」
とK君から会社を辞める相談を受けた時に聞いたが、手を差し伸べるには力不足だった。

(俺も皆も、耐えているのだから、この現場限りのヒトで次ぎの現場は違う上司だから)
との、かすかな救いの光も届かず、彼はもうこの業界から去って行ってしまった。
 若者に現場の夢を教えたい私には、耐え難いショックを受けたものだった。

 若手を育てるのは上司の努めであるが、教える方法によって枯れもするのである。

 設計監理者に提出する文書、工事報告書、協力業者への指示書等の記入にしても、何をどのように書くのかを教えないで、すぐに書けと言うのは上司の驕りである。
 一から十まで教えろと誰も言わないし、見て覚えるのが嫌だと言っているのでもない。
 必要な事だけ教えればいいのであるが、教える方も十分理解していないのが問題だ。
教えるという言葉は私には向いてなく、私は《応援する》というスタンスである。

 私はJV現場所長の時には、特に先方からの出向技術者に対して、自分の会社の部下と同じように分け隔てなく、本気で応援する為には、本心から怒り、叱る。
 意思の疎通には遠慮は無用で、私が強く打てば、鐘の響きが遠くまで伝わるように、相手に届き、私にリアクションを示してくれるのだ。
 
 本気で叱るほど相手には真意が伝わるもので、相手も本気で私にモノが言えるようになる。
《しのぎを削る》までは行かないが、腹の探り合いが消えればJV出向の気分も消えるだろう。

 私の雷が落ちる迄の最初の間は、ここの現場の仕事には関係ない話から、
「この前のJV現場の人でね……」
ほとんどが誰でもするような失敗談を、少しオーバーに話す。
そのうち思い当たる事もあるのだろうか、
「私の時は・・・」
となれば、肩に背負っている自分の会社の看板が軽くなった証である。
「ここでも繰り返してアンタ失敗するよ、きっと」
『失敗するな』と言うよりも、相手に響く言葉である。

 失敗がなければ万万歳であるが、失敗を覚悟しておくのも所長の腹の一つである。
私自身も似たり寄ったりの、同じ失敗の繰り返しをして来ている。
 
今度こそは…、次ぎの現場は、この現場こそは!と意気込むほど、ミスをするものだ。
 それが若手現場マンの成長の糧なのだから、
「若手に失敗をしないように望むのは間違っている」
と言うのを自論としている。

私の現場の若手職員に失敗を認めたり求めているように思われるが、失敗しそうな状況になる前日には、私の失敗談をワザと囁いて失敗を防ぐ方法を考えさせている。

彼達が一端の現場所長になる為には失敗も経験であり学習である、そう私は応援してい
る。

   《続く》…コメント待ってるからね~
   《建設現場の玉手箱》 名古屋丸善:自費出版コーナーにて発売中。
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教え方(2)

2009-07-20 09:06:05 | Weblog
…………………………(教え方 2)………………  
言葉や図面で表しても、職人さんにはこちらの意思が通じない場合は多々ある。

「職人なら、変な図面だ…そのぐらいは分かるだろう!」
と自分の指示の疎漏を認めようとはしない。
「これは変更ですか?」
 親方から見れば一旦作ってあるものが、今になって違うと言われても簡単に、
「作り直します」
とは言えない。
 変更による追加工事という訳ではなく、
「指示がなくても職人なら納まるように作って来い、納まらないのは見れば分るだろう」
と見下した言い方で親方に言うのが深川所長の口癖であった。

 しかし、《このように創って来い》というのが施工図であり、承認印のある図面を親方
に渡しているにも拘わらずに、
「職人ならわかるだろう!」
の一言に、とうとう私がプッツンしてしまった。

 一体どうすれば良いのかと説明を聞いているのに、返事になっていない。
 説明する内容は所長から見れば幼稚な話かも知れないが、私も職人もその幼稚な内容さ
え理解出来ないのだから、見るのではなくて教えてもらって、聞く事が最優先である。
 
 深川所長さんが若かりし頃は、
「先輩達のやっている事を、側で盗み見て覚えたものだ」
と親方と一緒になって、昔話(自慢話)を酒を飲みながら繰り返して聞かされていたと言う。
 しかし、昔の時代は昔の事であり、今はこの間違いらしきモノを如何にするのかの指示
が先決なのであるのに、説明下手なのか修正の詳細が全く伝わって来ない。

「どうすればいいのですか?」
親方も所長の指示を待っている。
「お前らで考えろ…」
(それではコタエになっていない!)

 万事この口調であるから、若手職員が育たないし、職場を去って行く。
「根性ないなあ、あいつは…」
の人物評価が上司に伝わるだけだから、若手には気の毒である。

「福本さんの現場なら続いていたと思います」
とK君から会社を辞める相談を受けた時に聞いたが、手を差し伸べるには力不足だった。

  《教え方(3)へ 続く》
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教え方(1)

2009-07-14 08:47:06 | Weblog
      …………………………(教え方 1)………………     

「何だこれは?すぐ直せ!」 
「どうすればいいのですか?」
「見て分からんのか!(ボケッ)」

 新入社員の頃よりも少し現場経験を積んだ頃から、所長になるまでよく聞いた会話である。
 自分なりに工夫したのに頭ごなしに叱られる。

 もう教えてもらえると言う雰囲気ではなくて、説明すらしてもらえないまま上司を見る。
 自分の能力のなさを知る機会ではあるが、職人さんに作業指示をする立場になっても、監督業務を総て把握出来る実力がないので、現場が変わる度に上司から言われたものである。
 
 建設現場の内面は新技術・新工法・新材料があふれている時代でもあったが、設計図に
書かれていても現物を見てないまま現場監督をしている事も多いのである。
 今でも、工事事務所には新製品のカタログやサンプルの一部が棚の上に所狭しと並んで
いて、扱い方も理解しないまま、自分流に解釈して工事を進めるのが大半である。

 自分流に解釈して操れるという近代的なものに『パソコン』がある。

 今の若者はパソコンを利用して手際よく、段取りをとるのが素早い。
 若者にしても私でさえも、パソコンは教えてもらうよりも、自分で触れながら習得した
もので、先輩からの指図はなかったのである。
 しかし、パソコン嫌いの先輩達はパソコンを理解しようとも触れてみようともしない。
 理由は一つである。
 教えてもらうまでもない簡単な操作を、教えられる時に恐怖を感じているのである。

「見ればわかるだろう」
と見下していた言葉がパソコンの前から出てくれば、先輩の威厳は消滅する事になる。
 だからと言って、一から人に教えてもらう教育を受けるのは、先輩には耐え難いもので
あり、こっそり一人で学習するテキストがバカ売れするのも、そこが狙い目である。

 相手の身になって上手に教えられなかった人は、若者からクリック・ドラッグの言葉さ
え教えてもらっても上の空であり、パソコンアレルギーから脱せられないのである。

 又、三角関数等の数学で公式すら分解したくなる理工系の人間と、公式をそのまま暗記
し、外れるとお手上げの文化系の違いが、パソコンの操作でも如実に現われるから面白い。
 操作手順に書かれてなくても、何とか出来るのではないかとガチャガチャ動かして、裏
ワザの発見をするのは大抵、理工科系の人であり、現場で使う新製品のカタログを見も、
今までとそんなには違わないだろうと決めて無視するでもなく、自分流に納得しているようである。

 営業マンの施工内容のカタログを鵜呑みに信用している訳ではないが、中でも深川所長
さんの現場の場合はプッツンになった。

「図面(設計図)を見れば分かるだろ!」             
「設計図のとおりのはず…ですが……」              
「この新製品では納まりが悪いから今、変更中だ!」        
「では、何を見るのですか?」                  
「悪いところを見て、直しながら仕事をさせろ、見れば分かるだろ?」
「(全たく…ワカルかよ!)」

 確かにカタログ用のモデル現場と、今工事中の現場とは同じ状態ではないから、カタロ
グの通りに仕上がらない不自然さが当然発生する。
 だから見るポイントが違えば仕事の手順も違うのに、所長と同じ目で見ろと言ったって
無理な話である。

 それに深川所長は今しがた設計担当者と1時間ほどその件で打ち合わせをしていて、結
論が出たのか出ないのか私に説明もしないまま、
「新製品の不備が分からないのか!」
と言い、自分の能力を誇る顔である。

「設計図と違う内容に、私が勝手に変更した」
と思い込んで、二週間前に火が着くほど叱られていたこともあり、
「設計図の通りで何が悪いンだ、今ごろになって変更ならば……」
(アンタ勝手にやりなよ!…)
と気分は冷めてしまった。

 言葉や図面で表しても、職人さんにはこちらの意思が通じない場合は多々ある。

        《教え方 2へ 続く》
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有資格者(2)

2009-07-07 08:41:13 | Weblog
……………………………(有資格者 2)…………

 協力業者の内部事情も分かるが、ゼネコンは見過ごせないモノがある。

「有資格者がいないグループは採用しない」
と厳しい文面だが、一斉に徹底通達しておかなければ、いつまでたっても改善されない。
 この無資格作業がどれだけ悪い作業なのか、身に沁みてないから、見逃しているのだ。

無資格作業について『車の免許』を例にして話をしてみよう。
 自分の息子が18になって車の免許を取りたいと言ったら、
「そうか、現場に行く道中で運転練習しよう」
と自分の車を提供しますか?
「車を動かしてごらん……横で見ているから」      
それで前後に少し車を動かせるようになったのならば、
「職長を見ながらマネしてごらん」
と仮免許もない状態で建設現場に息子を送り出し、運転(作業)させるのと同じ事である。

 資格(免許)がないけれども見よう見まねでも作業(運転)出来るようになったとの判
断から、現場に送り込まれたのでは、品質も安全も危なっかしくて見ていられない。
 車の仮免許が受かったのを聞いてもまだ、
「あっちの現場まで道具を届けに行ってくれ」 
とも言えず、トラックの鍵を渡せないのに、現場には無資格でも送り出すのは何故ですか?

「お父さん、今日、免許証取ったので、明日彼女とドライブするから車貸してよ」
「そうかい、おめでとう」
と新米の息子の運転に対して「免許があるなら」と安心して、早速、鍵を渡せますか? 
 仮免許では鍵は渡せなかったし、正式な免許を取ったにしても、次の日に車を貸す勇気
がないのは親として心配して当然であり、免許があっても不安を抱える人でありながら、
資格の無い職人さんを毎日現場に送り出す事に不安を持たないのでしょうか?
 
 無資格の人が万一事故をしたら、事故に巻き込まれたとしても、無免許運転とか無資格
作業者扱いで処理されて、送り出した人に責任が出るのですよ。
 その時に、その資格のないまま作業を黙認していた現場の所長さんは、事故が起きた場
合にどれだけの責任ミスを追及され、法で罰され裁かれるのか、考えていますか?
《統括安全衛生責任者》とは、どれだけの命の重さを背負っているのか、考えていますか?

 無資格と知りながらの話の中には…。
 作業主任者の他にもう一つ、特別教育の講習が必要な『玉掛け作業』について、無資格
者作業を黙認している現場が多いのも気になるものだ。

 レッカー車で荷物を吊り揚げる時にはロープで縛る《玉掛け作業》というものがある。
 ワイヤーロープが切れたとか、吊り荷のバランスが悪くて吊り揚げる途中で荷が崩れ、
落下したとか、事故が大災害になる可能性が高いにも拘わらず、無資格者作業の黙認があ
る。

 レッカー作業の多い職種の世話役さんは大抵資格を具えているが、一週間に一度だけレ
ッカーを使うような業者さん達には、玉掛けの保有資格者がほとんどいない。

 自分達の資材の荷揚げを資格を持っている人にお願いしても悪くはないが、三度目のお
願いをする頃には無資格者で荷揚げをするようになってしまう。
 慣れも確かにあるが、荷物はだんだんと高い所へ吊り揚げるのだから、万一の場合は相
当大きな被害になるのに、作業主任者もいないまま、無資格者が玉掛けをする場合もある。

 時にはゼネコンの社員が玉掛け作業をしているのを見るが、指導する立場の現場マンと
しては作業が出来ても、これも講習を終了していなければ当然、無資格作業である。
 ゼネコン社員が玉掛けをしたら吊荷は落下しない、とは誰も断言出来ないものであるの
だ。

 資格があると事故が無いのならば、いくらでも資格者を増やせばいいのである。

 実際には資格者が居ても事故が起きているのであるから、資格のない人の黙認作業を見
逃せば、事故を呼び込む行動をしているのと同じで、安全点検を幾ら増やしても事故が起きる。
 法で決められている事は矛盾点もあるが、法を遵守していながら万一事故が起きたとしても、法を遵守していたという信念は貫き通したいものである。

 建設業に事故は多く、安全規則の法も多いなかで、作業前の段階の資格取得・免許取得
は安全作業の基盤である、ともう一度認識して頂きたいものです。

     《続く》・・・コメント待ってるからね~

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有資格者(1)

2009-07-02 08:21:41 | Weblog



……………………………(有資格者 1)…………

 毎月安全パトロールが現場にやってくる。
 現場内を巡察すると同時に《有資格者》の確認も行われる。
 職人さんとして工事現場の門をくぐって来るが、例えば大工道具を持っているからとい
ってその人に資格があるとは限らない。

 ここでいう資格とは建設現場での作業主任者として技能講習修了者の話である。

現場の場内看板にも作業主任者の名前は掲示する決まりになっている。
おおまかに言えば、地山掘削・土留・型枠支保工組立・足場組立・鉄骨組立・有機溶剤・酸欠・木造組立・建物解体・・・などあり、土木部門には橋架設・ずい道掘削・砕石・掘削などを含めて技能講習を終了したという有資格者の下で作業を行う事が必要なのである。
 また特別教育を受講しなければならない軽作業もあるし、免許証を必要とし高度な技術
を要求される作業も当然ある。

 現場所長は協力業者から提出された作業員名簿の中から、資格者を把握しておく必要があるが、資格者のいない協力会社もままあるものだ。

 資格者が少ない会社と工事契約を結ぶのも問題であるが、社長のみが有資格者であって名簿上の現場作業員として兼務になっている場合は、安全監理に複雑度が増すのである。
 又、有資格者が数名いる協力会社でも、稼動している現場の数ほど資格者がいなければ、掛け持ちの現場となり、複数の現場で名簿上のみ在籍というミエミエの場合すらある。

「それを承知で現場作業をさせる訳には行かない」
と労務安全部は正論で迫る。
「有資格者がいなくても、職人さんは仕事が出来る」
と現実論を蒸し返す。
 この議論は安全パトロールで指摘事項によく出るが、職人さんが激減している中で、更に、
「有資格者を確保しなさい」
と言う方も、言われる方も実際、面白くない。

 大きな現場で3工区に分けて工事を進めていた時は、
「1工区に一人は必要です。北面と南面は同時に見られないから、それぞれに一人必要で
す」
「ここに有資格者が2人いる為に、他の現場はやりくりに困っているのを承知で、まだ資
格者を引っ張って来いと言われるのですか?」
「そうです、労基署が巡察に来られたら…」
「労基署の為に、汗水流してンじゃあねえ!」
(法で定められているのは知っているが、頭数は今更、どうにもならない)
またもや、書類チェック事項に×マークが記入されてしまった(慣れてるが…)。

 建設業界に有資格者が極端に少ない訳ではないし、職人さんの能力がないから講習を受けないのでもなく、社長が資格者を育てようとしないからでもない。
 社長さんは、若い職人さん達に仕事を教え、腕を上げて稼げる職人に育てるのが会社の信用になり、儲けてくれるようにと、家族同然の信頼関係があり育成している。

 しかし、一人前になって資格を持つと、職人さんは独立したくなって親方から離れて行くのが時代の流れでもあるのだ。
(やっとここまで育てたのに…)
(俺は…この腕で勝負してみたい!)
 親方の苦労も分かるし、独立したい職人の気持ちも分かる。
 私にはどちらの味方も出来ないし、応援も出来ないし、助言する権限もない。

 協力業者の内部事情も分かるが、ゼネコンは見過ごせないモノがある。

          《有資格者 2へ 続く》

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