建設現場の卵

建設現場からのエッセイ。「建設現場の子守唄」「建設現場の風来坊」に続く《建設現場の玉手箱》現場マンへ応援歌。

設計図(2)

2019-01-09 10:05:36 | 建設現場

………………(設計図が何だってんだ)2 …………  

2への本題に入る前に、設計図について忌憚なく言いたい放題を続けよう。

設計図とはお粗末なものだと職人さん達が一番感じているものだ。
建設現場経験が豊富な所長さんや腕に自信のある職人(親方)さんから

「何じゃこれ?何でこうなってるの?」

と半分見下された発言に
設計者はデザインとかアクセントとかを
錦の旗のごとく振りかざして、現場で
神の声らしき発言をされる。

設計図がどうのこうのと言うても、地面から湧き出たモノじゃあなく、建築士
というしかも一級建築士という看板から発信されて建物を創る(築く)図面
でなければならないものだ。

ところで 原発の地下水処理に凍土壁を設計し350億円以上の国費投入で
止水成果が10%しかないのは設計ミスか施工ミスか。

(直径2センチほどの底穴でも大タンクの水は空になるし、その穴が凍土壁面に
あれば外部地下水は流水中の最高高さで水平になるまで逆流してくる→10%成果
があるという意味が不明、100%だから止水と云うのだ)

総工費に対して設計料5%、凍土壁工事の欠陥(止水大量漏れ)に対しても
止水完成迄の施工責任もとらずゼネコンは7~10%の施工純益が懐に入っていて、
ここでも『想定外』を持ち出して設計の責任に・・・すりかえ………。

まあこの重大な物件でさえ作る(止水)という目的でも設計図と言われている
から、設計図としての重みが消えていく・・・

話を 設計図が何だってんだ その2 へ進めよう。

   ………その1より つづき………

設計図は意匠・構造・設備(電気・衛生)と大まかに分けてある。
意匠図とは一般の人達が見てもある程度は理解出来る平面(間取り)立面図・
断面図・展開図・仕上表などであり、新車のカタログのようなものである。

完成した状態を想定するには意匠図を優先とするのだが、構造上の柱とか壁
や梁が意匠図で消えている場合があっても設計図である。

例えば、ロビーの中央に柱が1本あれば、邪魔になるのは分かるが、この柱
が意匠図で消えていたり、構造図では四角柱がデザイン上で円形の柱になって
いたり、
少し動いた位置に柱が書いてあったり……もしたものだ。

「ここは図面修正前の図面です」
と言い訳をしながらも設計者として図面に印鑑を押して
設計図として施工者側に手渡されたモノである。

柱の場合は早く食い違いに気がつくが、壁の場合は判断が難しいのだ。
平面詳細図といっても30分の1(大概は50分の1)の設計図から判断する
のであるから、設計者の意図はなかなか伝わって来ない。

壁の厚さが200mmか180mmかを50分の1の図面で判断するのは許せるに
してもコンクリートなのか軽量鉄骨間仕切りなのかはどっちつかずの図面で
ある。

「コンクリートの壁では邪魔になるから軽量鉄骨で間仕切にしよう」
なんて、工事最中に必ず変更発生しても平気なのは今に始まった事ではない。

設計事務所から設計図の変更最終版として頂いても、意匠図と構造図の食い
違いがある度に協議し、検討しながら創ろうと言うものでも設計図だろうか。

私のこだわる創るに対して、工作の作るスタンスであるのが設計図である。

食い違い部分の検討結果の返事が来るまでに日数がかかるような図面でも、
確認申請許可が下りている図面なのであり、何とも情けない設計図である。

世間では一級建築士事務所の会社で描いた図面の価値観は相当に高いもので
あると思い込んでいる以上、設計図があるのに更に《施工図》が必要とは考え
られない事だし、施工図の言葉さえ知識にはない。

建築の世界の一級建築士さんを見る目は、素晴らしい技術者として尊敬して
(あが)められていて、我が家を建てる時に、
「一級建築士さんに設計してもらった」
と鼻高々で設計図面を片手に自慢されているものだ。

木造住宅にまで一級建築士の図面が出回っているが、木造住宅の設計図面は
二級建築士のほうが使い勝手のよい間取り空間が設計できるようだ。

木造住宅専門の設計図と高層(高級)マンションの設計図を比較しても意味が
ないように、建築物により設計図の価値観が変わってくる。

例えば美術館のようなデザインの出来る人に、住宅の玄関をデザインさせる
よりも、入居者が身近に知りたいのは下駄箱と玄関ドアのほうである。

見せる(魅力)設計図なのか住む(生活)設計図なのかを基準にして、設計
図の良し悪しを評価する事になるのである。

一級であれ二級建築士であれ、設計図の使命・役割は同じである。

江戸時代に棟梁が頭の中で描き、いつしか板切れに墨で書き、やがて紙に詳
を描くようになって以来(現在はCADで作図して)設計図として発展しつつ
あった良き伝統がこの先
数年でついえる気がしてなりません。

《設計の先生様》あるいは《神の声》として、設計図が間違っていようとも
施工業者は言われるがままに………

    何だってんだ その3につづく

 

コメント
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