不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

建設現場の卵

建設現場からのエッセイ。「建設現場の子守唄」「建設現場の風来坊」に続く《建設現場の玉手箱》現場マンへ応援歌。

談合が何だって(3)

2009-05-28 08:46:41 | Weblog

          『談 合が何だって(3

  話を(Z物件)に戻して、

 そんな中でもし「談合に関係ないです」と言う顔をして最安値の7億円でP建設が乗り出せば、官はそのP建設に落札しますか?

 最安値のP建設は外すとしても、8億円のQ建設が応札した場合に、官はそこに決定するとは限らないから落札の裏面が不透明になるのである。

 建築の世界でも、安いところから二番目という金額だけでは落札せず、どうも隠れた不文律が潜んでいるようだ。

 落札の目的は最下価格を提示した業者…であるはずが、何故かそうではない。

 オークションのように公然と価格を下げる競争をして、
「ハイ、9億8千万円で決まりました」
 とTV中継でもすれば、談合がなくなるとも限らない。

 金額面から悪く考え着く事は8億円で落札し、5億円の工事が進んだ頃に、工事実績の少ないQ建設が計画倒産を最初から仕組んでいれば、以後の工事は誰が責任を持つのですか?

 談合予防に対して入札制度を改革した結果、Q建設が8億円で落札し、予定価格の20%削減が入札の適正な成果であると報道するのは構わないが、Q建設が責任のある工事として建設遂行可能なのかは判断出来ないものだ。

 11億円の応札をした業の各社から実績の少ないPQ社を見れば、必死で取ったにしろ赤字覚悟の上にしろ採算が合わないのは目に見えるし、手抜き工事に走るか途中で逃げ出すかも…と瞼の裏に浮かんで来る。

 その結果がやがて欠陥構造物となって、数年後に《官》は補強修理工事を発注する事態となり、又、現在多く目にする○○補強工事とやらになっているといえないだろうか。
                       

「談合は必要悪」
 と言うからには、談合は必要であり、行われている。
「談合をしていない」
 と言いながら、影でコソコソ動いているようだから、悪い事をたくらんでいるように誰しもが思う。
「談合はけしからん」
 と圧力をかけられて、大昔から日本の土建業界にある習慣の一つ、
「談合を止めました」
 と今の時代になって言える根拠と保証があれば、示してもらいたいものだ。
 官としては自分の県の業者に建設業登録を認可して業者のランクを決め、発注工事高によって入札指名業者まで発令する時に、数ある物件を指定ランクの中の1社のみに片寄る事なく、公平に落札させようとするのもよくわかる。

 談合組織を解体し、入札金額だけで判断するならば資金力のある会社が片っ端から安値落札を始める事も可能だし、さすれば官はどのような対策が出来るのだろうか?

 ジャングルの野生の動物は自分のテリトリーを護り、ジャングルの王者になろうとは思っていないでしょう。

 建設業社は他社を押し退けてでも大きくなりたいのは、あながち悪いとは言えないが、自分がシマウマなのかライオンなのか一度想定してみませんか。

《官》としては談合していないはずの業者を選択したのであるから、応札金額だけを見て事務的に判断したいようであるから、もう入札会場を設定する必要もなく、ネット上で入札結果発表が出来る制度で十分でしょう。

 談合が必要なのか、不要なのか、善か悪かをここで結論付けは致しません。

 何故、大昔から、談合があったのか・・・。
 何故、今になって悪いモノとして決め着けているのか・・・と。

  《続く》…コメント待ってるからね~

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

談合が何だって(2)

2009-05-22 00:37:30 | Weblog

  ☆ 談 合が何だって(2)

 業者同士で談合をして高値落札を画策しても《官》の予算以下でなければ入札が成立しないのであるならば、談合を行う意味もない。

 仮に《官》の予算が間違っていても《官》の予定価格以下に従うのならば、《官と業》の話し合いとなり、談合とは
《官》の言う金額に話し合いで相談の事」
 と定義づけましょうよ。

 だが、《官》は卑怯にも
「まだこれから先にWXYの工事発注がある」
 と計画図をちらつかせて、
「今回従わないのなら次の物件以降《入札指名から外す》」
 という態度を示して《業》の弱さをもてあそぶ。

 とにかく想定範囲の中の業者に、赤字覚悟で受注させながらも、談合はなく予定価格より下回った『正当な入札』だと発表する。
 応札をした11億円の業者達に談合があったかなかったかと調査するのは勝手だし、業者は談合をしなくても、競争相手の入札金額は想定がつくものだ。

 大手ゼネコンは利益部分を大胆に削ってでも名誉の為に受注競争をする場合があるだろうし、工事建設地域に根を張っている会社ならば職人単価を削って応札するだろう…とかで予想をしたとしても、億の単位の工事から応札をみれば数%の金額の違いしかないのである。

 《官》は大規模の工事になれば、数工区に工事を区切り発注して、分割毎に大手ゼネコンを頭にしてJV(共同企業体)を組ませているが、暗に談合があるから競争相手でも組めるグループが作られるし、反対に会社更生法申請中の会社でもJVに名を連ねる事が出来るのだ。

 ゼネコンから見ればどんなに大きな物件であろうと、1社で受注したいのは必然である。

 工区分割発注・しかもJVの条件指示が発令になり、天の声と言うのか《神の声》によって大規模事業が落札決着しているようでは《業の談合》の是非の話ではないのだ。

《神の声》とはいわずもがな《政》が官を飛び越しての関与であり、まさに、《政・官・業》の一体となった裏工作と言えるものである。

『ロワーリミット』
 これは土木工事の入札時に使っていた言葉である。
 現在、使っているかは定かでないが、消えてはいないだろうと私は思う。

 有名な話がダム建設において残っている。
 順当に見積もってみればH組が受注すると、一般的には思われていたのが、K建設に入札会場で逆転した。

 見積り金額の高い・安いの判断ではなくて《ロワーリミット》と言う発注価格の線引きラインを越えた最初の業者だったのである。

(この金額より上でなければ、出来ない筈だ)
 と線引きを決めるのは勝手だが、業が他社より1千万円でも安く受注しようと努力しても、何にもならない仕組みになっている。

 《業》に対し《官》も口が出せないところに、手を出せるのは《政》しかない。
 この《政》の力でロワーリミットを操る限り、談合よりも根深い『裏工作』を私は感じるのである。

 入札開封時に、受注させたい業者の応札金額のすぐ下を《ロワーリミット》と瞬時決めて発表すれば、誰も逆らえない。

 となれば、入札以前に業者が決まっていたという事である。
 
上手に組み上がった、
《政・官・業》の三角形であれば、談合や汚職を論ずる隙間も無いと言う事だろうか?
 
官庁工事を受注するのには《官》には逆らえず、まして《政》には返事すら困難な仕組みの中で、JV(共同企業体)という工事を発注して《業》から不満が出ないように押し切っているのも………としか私には思えない。

    (JVの話は後で述べましょう)

 話をZ物件に戻して、 

     《談合その3へ 続く》

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

談合が何だって(1)

2009-05-18 08:54:45 | Weblog
       ☆ 『談 合』 が何だってんだ(1)  

建設業界の最近のニュースと言えば、手抜き・欠陥・献金・偽装・談合等、次から次へと悪いイメージばかりが強調されて、世間を騒がせている。

 一昔前は三面記事に(犯人は労務者風の男)なんてキィワードも目にしたものだし《手抜き》という言葉は古来、土建業界からなくならない言葉で扱われてもいる。

 それらの中でも昔からある《談合》は土建業者専用の言葉として暗躍し続けていて、それによりあたかも巨額の利益を談合業者達が得たかのごとく悪者扱いであっても、現在、何故か建設業界から誰もマスコミに反論していないのが情けない。

 談合をしている情報があったとか、談合が明るみになったとか、新規入札方式により落札額が予定価格より大幅に下回ったと言う報道に対して、私の本音を言ってみよう。

 建設業界・ゼネコンが報道に対して堂々と内容を述べない(述べられない事情もある)から、皆が口ごもっているモノを私が吐き出してみるだけである。

断っておくが私は談合に対して賛成もせず、反対論者でもありません。

 官民の物件に限らず、設計図の内容を積算して発注者側にて工事予定価格が決まっているから、入札が始まるのである。 

**************
仮に《10億円のZ物件》として話をすすめてみよう。

  そもそも、予定価格は建設物価基準なるものから積算して工事総額を割り出したのであるから、10億円があたかも正当な金額と発注側《官》は認識し、建設業者《業》からその価格以下の応札でなければ当然、入札行為を繰り返しても落札は成し得ない。

各種工事毎に工事単価基準の幅なるものを官が決めているので、談合をしたとしても基準単価の範囲で民が積算し入札する以上、談合によるボロ儲けは考え難い事なのだ。

設計図から数量を拾い出した場合、入札参加の業者が同じ面積・同じ容積になりません。
 私の経験でも《官》の積算数量に対して、生コン一つにしても100㎥前後の数量の食い違いがあったり、また、塗装面積は《業》の積算数量が少ない等もよくある事でした。

 数回の入札も落札に到らず応札金額に大きな隔たりがある場合の原因として、明らかに《官》の積算ミス(小数点の間違い・積算欠落)等の場合であっても、《官》は予定価格を修正しない。
《業》が11億円程度で応札している中で、《官》はあくまでも10億円以下でなければ落札できないのが入札・落札の仕組みである。

《官》の金額に応じるには《業》の経費(純益)を含めた部分で業が自分の首を締めて、再度入札をせねばならない。
《官》の予定価格では赤字になるとしたならば、自社に決まるのを避ける為に、何度入札を行っても『安値』を提示する事はせず、他社の落札を願うものだ。

 《業》の言う価格迄に工事予算が変動するならば、《業》が集まって総工費をつり上げるために《談合》は行われるだろうが、赤字受注を強いられる場合には《官》が指定業者を決める権限がない以上、順番制か抽選かでもどこかの業者が受注しなければならない。

 無理やりの受注にも話し合いが必要で、それも《談合》と言い拒否されるならば、ゼネコン同士にては話し合いをするまでもなくシッポを丸めて帰るだけで、困るのは官側である。  

                《その2へ 続く》・・・
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

挨拶廻り(2)

2009-05-12 08:50:56 | Weblog
                  …………………………(挨拶廻り 2)……………

 昔から、こんな事をやっている連中は、どうしようもないヤツらだ…と思っているが、この《挨拶廻り》別名《地廻り》とやらもその筋では立派な任務であるのだから、建設業界の裏街道から無くなる事はないだろう、いつかは来るだろうと予想はしていた。

 今回はアタッシュケースからおもむろに、真っ白くて帯の入っているT神社の《御守り札》がテーブルの上に置かれ、
(黙って5万以上でどうだ)
 と無言の押し売りだ。
 最初の一言で、勝負が決まる。
「私は警察署の道場で子供たちの剣道の世話役をしています。だから、領収書を親しい警察官に見せて事情を話ますよ。それでもいいですね?・・・で2万円でいいですか?」
 と先制パンチを放つ。
(ウッ・・・)
 と聞こえそうな間が起きた。
もう私の膝が揺れていたのは止まり、その時点から客人に動揺が走る。
                                                 
「所長さんとは以前、お会いしましたよね?」
「多分ね」
「分かりました、手間とらせました」
 今までに会った事もないのであるが、隣に座っている相棒に対して、
(以前にも顔を出して挨拶しているから、今回は降りてもいいだろう…)
の合図が出たようだ。
 引き上げ時のタイミングとして、私が合わせた返事の意味と呼吸を読み取って、きっちり挨拶をして席を立ったのは流石であり、番付け上位のお兄さんだったのであろう。
 以後、その現場が竣工するまで《挨拶廻り》の類いはピタッと来なくなった。
 この話は警察官であり剣道の師範の耳に一応伝えたが、どこの誰とかは一切答えなかった。

 数日後、K工事部長が追い帰した話を聞いたのであろう。昔話を口にされた。
「俺が若い頃、机にドスを刺して《お札》を売りつけに来たヤツがいた。そのドスを引っこ抜いて首先に当ててやった。俺は剣道やってたからドスで脅された事に腹が立って…」
「武勇伝は色々あったンでしょう?」
「S君は今でも机にドスを隠し持っているよ、何も切れない刃だがね」

 今の時代はもう現場事務所に来てまで凶器を振り回す事はなく、懐にドスまで持ち込めば即、警察通報になるから《地廻り》稼業は脅迫スレスレの会話をする勉強をしているようだね。
 でもパンチパーマと黒一色の容貌から、優しい現場所長は何とかが縮み上がるってもンだ。

 とある現場で、私が副所長の時、
こわもてのお兄さんが来たらどうするか、誰が応対するかと「くじ引き」をした事がある。
(所長が対処出来ないものを、我々に押し付けるなよ)
 顔に現して、ムッとして言い返したのは、
「追い帰すのなら私が言うけど、お金を払うのなら所長に任すよ」

 一度でもお金を払うと、お兄さん仲間に情報が廻って足元を見透かしたような連中が、何度でも通って来るし《おいしい現場》にされるのを防がねばならないのだ。
 しかし、私が現場を廻っている間に彼達が来て交渉したらしく、必要以上に消火器やらトラロープや、いかがわしい絵入りの割引券等が事務所の倉庫に増えているのだった。
 
 現場の職人さんの中にその筋の人と関わりがあっても、不思議ではない世界でもある。
関わっているから、その現場には手を出さない場合もある…とも思える。
 逃げ廻る必要もないし、命を取られるのではないし、悠々と構えれば道は開けて来るのだが、
「《の本》を購入して頂きたく…」
 と昨今、会本部と名乗り、県外からでも迫って来るのには毅然と対処するべきであり、建設現場の魂を見せるべきである。
 建設業界、しかも建設現場に「」を持ち出す根拠すら、スジチガイと言うものだ。

 場所長の『肝』を鍛えねばなるまいが…。

                   《続く》

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

挨拶廻り(1)

2009-05-07 09:17:06 | Weblog
     …………………………(挨拶廻り 1)……………

 日常の挨拶にもいろいろあるが、一風変わった挨拶の話をしよう。
 
 現場ゲートの前の道路に黒塗りの高級(外車)が横付けに止まって、中に二人いる。
 いつもと違う空気が感じられて嫌な予感がした。

 支店役付き関係者の来現ならばガードマンに一声の挨拶があって、現場の中に堂々と入ってくる筈なのだが、路上に止めたままで誰もドアから出て来ない。
(やややっ・・・ついにオデマシかい?)
 誰あろう、怖いお兄さんが『挨拶』に来たのである。

 こちらも腹を決めて、事務所に入って来るのを受けて待つ準備をする。
 何を売りつけられるのか分からないが、2万円と数千円を財布に入れ替えて、万一の時には領収書を書かせてお引取り願おう、と気合を入れて待つのである。
 
 かつて、黒塗りの高級車が現場に来たのを見ただけで、
「所長はいない、いつ帰るか分からんと言うてくれ」
 と車が現場から姿を消すまで事務所から飛び出す所長もいた。
 逃げても後日、挨拶にやって来るのだから、いつかは話をせねばならないのに…だ。
 下請けの社長も格の違いを見せる為か、見栄なのか昔から黒塗りの高級車に乗って来る。
 しかも、日焼けして恰幅が良すぎるのであるから、その道のお方と肩を並べても、どちらが本職なのか見間違ったという事も、冗談抜きの話である。
 
「所長さんは…いらっしゃいますか?」
 この一声からは仕事の用件ではなく、ガラにもない優しい声が総てを語っている。
 協力業者の社長さんが私と初対面である場合の登場ならば、
「◎☆会社の△□ですが、福本所長さんですか?」
 と御互いの名前を口に出して、名刺交換の挨拶から話が始まるものだが今回は違う。

(自分の名前を名乗らずに、俺様を指名しやがって!)
 と、眼に力を入れてから察しの付いた態度で、
「どちら様ですか?」
「ちょっと…所長さんに…」         
「では、こちらでうかがいましょう」        
 と二人に応接ソファを指差すが膝は震えている。 
「実は、私たちは…」              
 と名刺代わりに金バッチをチラリと見せて、   
(わかってるよな)               
 と徐々に…交互にガンを飛ばして来る。

 昔から、こんな事をやっている連中は、どうしようもないヤツらだ…と思っているが、この《挨拶廻り》別名《地廻り》とやらもその筋では立派な任務であるのだから、建設業界の裏街道から無くなる事はないだろう、いつかは来るだろうと予想はしていた。


                  《続く》
     
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

VEの本音(2)

2009-05-02 10:03:12 | Weblog
         …………………………(VEの本音 2)……

 作業命令を出す上司も嫌いだが、VEをしなければ現場の業績が上がらない、つまり方向性の違うVEにて利益を出して、更に上役に出世した所長さんは一人や二人ではない。

 とある現場での会話。 
                     
「おい、お前、VEで二百万出せ」                 
 ムカッとしつつも、                       
「手を抜けって事ですか?下請けの支払いを値切れって言うのですか?」
「何でもええから、予算より金を残せるものを探し出せ」       
「では百本以上ある杭をそれぞれ1メートル短くしましょうか」    
「構造設計のW先生に頼んでみようか?」
「・・・(冗談も通じないのかよオ)・・・」

 こんな会話を現場監督さんが冗談抜きでするのである。
 耐震偽装でもなんでもあり!を発信せざるを得ないのは、背広組の注文からである。
 会社を揚げて総力で技術力を加えれば、安くて良いものが出来るという金科玉条を、VEだと名づけて、この世界に通用させようと本気で考えたのは間違ってはいない。

 それがいつしか、労務費は削られない、材料の数量は減らせないならば、何を減らすのかとすれば見えない所で質を落とす……
(ならば手抜きせよ)
って事を「VEせよ」って言い換えているだけじゃないの!

 一級建築士としての誇りがあれば、イイものを創ろうっていうポリシーがあれば、追加工事(請負者金の増額)になるけれども設計変更をしたくなるものだ。
 それを反対に考えて、例えばタイルの大きさは変えないで、違うメーカーの同等品を見て、
(少し光沢が落ちるかな?)
 と思っても素振りには出さないで、
「これで決めてもらえば○△万円差額が出て……儲かる」
 と皮算用をする。
 監督さんが悪いだけではありません。

「見積りを購買部に出したが、予算の関係で不足分は《現場でVE》してもらえよ…」
 と契約締結時に暗に言われた、と下請けの親方も泣き付く。
 工事契約をする時から設計図と違うもので決定してもらわないと、材料も仕入れられないし職人に賃金も出せなくなるから、VEと言う言葉を自分流に頻繁に用いるのだ。

 もう組織ぐるみでボタンを掛け違えていて『偽装』と言うのでは済まされない事態だ。

「VEとはコストを下げる為の代替案では決してない」
 と私がいくら唱えても、今の時代では誰も振り向いてもくれない。
 安い物を見つけた者が勝ったような顔をしているのが、無性に腹が立つのだ。
『品質を落とすと信用も落とす』
 という事に何故気がつかないのか。
 企業の経営努力に加えて、コスト縮減に協力するという役所の方針は絵に描いた餅であったのか、創る側が勝手に方針を解釈したのか私には分からない。
 だが、建設業界に「VEして儲けを出せ」と言っているようにしか私には思えない。

 VEの達成率を現場間で競わされて優劣を評価されるならば、見えないところで手を抜こうと先に話た杭の長さとか、鉄筋の本数を減らそうかとか私なら考える。
《バレたらとぼける土建業》と開き直れば、偽装建築はスーパーゼネコンから広まるであろう。

 現在のVEを本来の目的に戻せないのだろうか?
 そんな中でさえゼネコン各社がISO認定取得を競っているのは、背広組の発想から金儲けに目がくらんでいるからとしか思えない。
 単なる一物件・一つの建物として総てを処理していても、創った人達がその建物を使用するのではないから、赤字の現場だったから…ではいつまでも《いい建物》は創れませんね・・・。

                    《続く》・・・コメント待ってるからね~
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする