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建設現場の卵

建設現場からのエッセイ。「建設現場の子守唄」「建設現場の風来坊」に続く《建設現場の玉手箱》現場マンへ応援歌。

八月六日には

2021-08-03 07:05:53 | 建設現場 安全

…………………………(八月六日には)…………

 

 熱中症に注意しながらの暑い8月は、常識外の狂った行動に陥り易いのかも知れない。

8月の記憶を辿ってみても、楽しい思い出が浮かんで来ない。
私が広島人である以上、8月と言えば8月6日の『原爆の日』を忘れる事は出来ないし、
戦争と平和・原爆投下の事実について語る日でもある。 

 そう思う様になったのは転勤により故郷の広島から離れた時に、日本で原爆が忘れ去
られるような時代になっていている事に気付き……ここで《戦争・平和・原爆》を少し
語ってみよう。

名古屋に来て30年このかた、朝礼の挨拶で、
「今日は何の日ですか?」
と問いかけて、
「今日は《原爆記念日と来る途中ラジオで言ってました……」
は予測していた答えなのだが、殆んどの人は、
「そういえば広島が6日で長崎はいつでしたっけ?」

 平和であることが当然の如くであり、遠い所で戦争をしているのは外国の話であり、
まして
《原爆が何を意味しているのか》
なんて思いもしない世代になっているのが心苦しいものである。

 ラジオ体操を終えたら、全員その場に座ってもらう事にしている。

「ちょうど今頃8時15分、広島上空で原爆が落とされピカッと閃光している時間です。
 ちょっと黙祷に付き合ってください…」

「・・・・・」
黙祷終了して、

「一発の原子爆弾の大きさはどの位だと思いますか?」
「・・・・・・・」

アメリカは6㎏の原子爆弾砂漠で実験した時―――
深さ2m直径350mのクレーターを残し、800m離れている高さ18mの鉄塔を倒し、
9㎞離れた人をなぎ倒し、60㎞離れた処でも爆発音が聞こえ、300㎞離れた場所
でも閃光が見えた―――
    等の実験結果報告がある。

実験をしてその破壊力を知った上で、更に大きい爆弾を作って日本に落としたのだ。
日本は戦闘能力が殆んど残っていない時期であり、一方、アメリカ政府は原子爆弾の
開発に何億ドルも研究費をかけて極秘で造っていたモノだから、戦争が終わるまでに、
振り上げたこぶしの落とし処を急いでいたのも事実である。

落とすのにはそれなりの口実が必用であり《戦争終結》させる為との大義名分もあるが、
その時はもう日本国は『ポツダム宣言』を受け入れて無条件降伏をする事にしていたのだ。

トルーマン大統領が最終決断したと言う原爆投下の是非がその当時にも論ぜられて
いるが、原爆投下後、戦争勝利国の言い分を覆すほどの意見は、敗戦国から出しようがな
くて、
「やむを得なかった」
を認めさせられているけれども、もう国際ルールで世界に通用する判断を委ねる時期で
あろう。

(昭和50年10月31日  昭和天皇のお言葉

      「この、原子爆弾が、投下されたことに対しては、遺憾には思ってますが、
        こういう、戦争中であることですから、広島市民に対しては、気の毒で
   あるが、やむを得ないことと、わたくしは思ってます。」

には、戦争の無念さ・平和を望むお気持ちを、精一杯述べられたものと思われます。

原爆は「落とした」のか「落とされた」のか、「落ちた」のか―――

広島に投下された爆弾とは、
           『ウラニウムを50㎏未満の搭載爆弾で、1㎏のウランが核反応した爆弾』
            たった1㎏の核分裂でどの位の破壊力があったのかと言う話をするのは、
            原爆で亡くなられた人と被爆体験者さんに対して真実を語れる内容に
           ほど遠いので、ここでは話を素通りさせます。

広島では原爆の事を『ピカドン』と言います。
ピカッと光った瞬間、閃光で目の前が真っ暗になって、ドーンの大音響とともに家は
吹き飛ばされ押しつぶされて、6千度の放射線熱で家屋は発火し、放射能と被爆火傷
を浴びて・・・

私が小学生の頃銭湯に行けば、ほとんどの大人の人の背と言わず肩や脚にまで、隠し
きれないケロイドがあり、眼をそむける事も出来ず、原爆の恐怖を無言で教えられた
ものだった。

当時35万人の市民のうち9万人が即死、年末時には死者16万人以上に達して(平成
21年には26万3千人を超えて)今でも原爆症(放射能後遺症)で入院されていて
不自由な生活をされている方もおられるのです。

『広島原爆慰霊碑』の石碑には
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰り返しませぬから」
と刻まれて、静かに世界に平和を発信し、死没者名簿が納棺されています。

この《過ちは繰返しませぬ》という過ちとは、何を訴えているのでしょうか―――

「戦争慰霊碑」とは呼ばれていません、『原爆慰霊碑』として鎮座されています。

もちろん、日本人が日本人に謝っている事でも有りますが、過ちだと心に残している
以上、これから先、どう償えば犠牲者の御霊を安らぐ事が出来るのか・・・

原爆を落した責任の所在を明らかにして《二度と再びこの過ちは犯さぬ》と宣言出来た
としても、原爆犠牲者の胸にはどのような言葉を並べても慰めが届く事もあるまい・・・

平和式典で原爆犠牲者の霊前に於いて、広島市長を始め来賓の方々が平和宣言をされて
いらっしゃいますが、小学生の《子供代表・平和の誓い》には毎年、心を打たれる話で
ある。

広島平和式典 子供代表「平和への誓い」(平成25年8月6日)には―――

            「今でも、逃げていくときに見た光景をはっきり覚えている」
            当時3歳だった祖母の言葉に驚き、恐くなりました。

            「行ってきます」と出かけた家族、
            「ただいま」と当たり前に帰ってくることを信じていた。
              でも帰ってこなかった。

            それを聞いたとき、涙が出て、震えが止まりませんでした。
            68年前の今日、わたしたちのまち広島は、原子爆弾によって
    破壊されました。
            体に傷を負うだけでなく、心までも深く傷つけ、消えることなく、
           多くの人々を苦しめています。

           今、わたしたちはその広島に生きています。原爆を生きぬき、
   命のバトンをつないで。命とともに、つなぎたいものがあります。

   だから、あの日から目をそむけません。
   もっと、知りたいのです。被爆の事実を、被爆者の思いを。

    もっと、伝えたいのです。世界の人々に、未来に。

             平和とは安心して生活できること。
             平和とは、一人一人が輝いていること。
             平和とは、みんなが幸せを感じること。

    平和は、わたしたちの自らがつくりだすものです。そのために、
    友達や家族など、身近にいる人に感謝の気持ちを伝えます。

    多くの人と話し合う中で、いろいろな考えがあることを学びます。
    スポーツや音楽など、自分の得意なことを通して
    世界の人々と交流します。

    方法は違っていてもいいのです。
    大切なのは、わたしたち一人一人の行動なのです。
    さあ、一緒に平和をつくりましょう。

    大切なバトンをつなぐために

            《子供代表 小学校6年 竹内駿治・中森柚子》――

*****************   ******************
祖母から原爆の話を聞いて、平和に感謝する心が育って行く。
この子供達の世代に平和に感謝できる心を引き継ぎ、守って頂ける様にせねばならない。
八月という暑い季節を迎えると、どうしても平和の有難さに感謝する機会だと私は思っ
ている。

核がありメルトダウンした《福島第一の原発で、核の恐ろしさが伝わっているが、
放射能を制御出来ない限り《核を『平和利用』している》とは広島人には到底認められ
ない話である。

原発は核の平和利用だからと国は言うが、広島の地に原発建設の話さえ無かったのは
広島人が
『核』そのものを《全世界が持たない願い》として、
犠牲者から今も学んでいるからだろう。

原発稼働によるプルトニウムの発生…5㎏もあれば広島の原爆の数倍の爆弾が簡単に
作れ……汚染燃料処理の未開発…テロが日本で発生しない……
これでも『平和利用』だろうか―――

************    ***********          ************     ************ 

そして2021年夏の話―――

 この平和という奥深い言葉を今までのオリンピック開催に便乗して、バッハ氏を
『ノーベル平和賞』にと推薦している団体があるというニュースが飛び込んで来た。

開催のプレゼンにおいても『福島原発事故復旧』の名目上でも、福島視察がIOCバッハ
会長の開催地視察行動の第一歩のところを、広島原爆ドームを訪問という裏工作を国も
日本オリンピック協会も拒絶しなかった。(バッハ氏の言いなりに屈した
「広島から呼ばれている」
と協会の橋本会長が理由を説明しているが、日本はコロナ緊急事態宣言下で不要不急の
外出が自粛されているのに、オリンピック関係者を引き連れて開催の一週間前に特例
行動が許され広島を訪問した。

原爆ドーム・平和公園周辺には市民は近寄れない規制を敷いた中で、平和が語れるのか
とTVニュースを見ていたが、バッハ氏を歓迎する姿はヤラセ(事前取り決め)であり
広島の地・原爆ドーム・原爆資料館を視察されても核についてどころか、核廃絶につい
ては一切しゃべらず被爆者との会話もされず、平和の言葉は写し出されませんでした。

これでもオリンピックが《平和の祭典》とか言う様では、原爆で亡くなられた方々に
広島人は平和について顔向けできず、失望より『怒り』しか沸かなかったと………

積年の『ヒロシマからの平和』を踏みにじり、原爆の投下時刻に重なる大会に黙祷すら
拒否表明して、ノーベル平和賞をバッハ氏が首に掛ける姿を世界はどのように受け止め
るのだろうか………

 今回は建設現場の話から脱線しましたが、八月六日は冥福を祈り静かに過ごしたい
ものです。


熱中症対策の七月

2021-07-05 06:53:11 | 建設現場 安全

       ………………………(熱中症対策の七月)…………  

七月一日から一週間、『全国安全週間』が毎年行われる。
厚生労働省の協賛のトップに建設業労働災害防止協会があり、建設業界では災害ゼロを
目指すスローガンを掲げて、昭和の初期(3年)から安全衛生に取り組む一週間となっ
ている。

それに先立つ事の一か月前が準備期間として定められていて、一年間の安全監理をまとめた
り、これからの一年間の安全テーマを決めて協力業者と一緒に研修会を催す事になっている。

その中の行事に《安全大会》が組み込まれていて、プログラムの中で講師の『講演』が
大会を盛り上げる役目であり、私の出番が来る。

今年も半年経過し暑い時期を目前にして、年末までの半年を災害ゼロで乗り切ろうという
節目としてこの安全大会が催されるので、現場も無事故・無災害を改めて誓う場でもある。

「安全大会」そのものについては《建設現場の子守唄》《――風来坊》《――玉手箱》で、
かなり厳しいコメントを載せていますので、安全は誰の為のモノなのか…を思い出して下さ
いませ。

さて、最近の安全大会で必ず話題に挙がるのが『熱中症』である。
檀上で話をされた人々の最後には、
「これから暑い時期になりますので熱中症に気を付けましょう
が別にイヤでは無いのだが、挨拶用の言葉になっているだけだから、気に入らない。

気を付けているだけで防げるのならば、建設業界に熱中症や《労災》は発生しない。
水分を十分補給し、気分が悪くなったら涼しい所で休息して、体を冷やす時は……等の話
を耳に入れ、ポスターを目にすれば《気を付けられる》とでも思っているのでしょうね。

最近、建設現場から熱中症で病院へ運ばれる人が年々増加しているのだから、もっと有効 
な熱中症対策があってしかるべき話が聞こえて来ないのが、現状であるみたいだ。

「車の運転には注意して安全運転しましょう」
と車の免許更新時に言われるのだが、死亡事故は発生するし、少なくもならない。
掛け声をかけている側から、どこまで本気なのか熱意が伝わって来ません。

私の住む愛知県は交通事故の死亡者数が10年以上も連続全国一であり、安全運転に対し
ての《掛け声》は確かに多いのだが、事故が減った年でも死亡者数は今もって全国一位の座
である。

交通安全に掛け声をかけて運転席にはショックアブソーバーも装着されているし、死亡事故
の責任は運転手側に原因があるとでも言いたげな《車は安全だ》と言う様な宣伝もある。

これは熱中症対策を呼びかけていても、救急車で搬送される人が年々増えていて、注意喚起
のポスター枚数を増やすだけの《呼びかけ》と似た様なモノであろう。

「安全に注意しなさい、スピードは控えめに」
の決まり文句に対して、
「温度が高くなったら、涼しい所で作業しなさい、水分補給をこまめにしなさい」

と、まるで選挙カーからの叫び声のようで、炎天下で保護帽を被り、命綱を腰に巻き、
重装備で働く人の為を思っている呼びかけでは決してない。

屋上で作業していて頭上には太陽しか無いような場合に、クールビズではないけれども
保護帽を脱いで麦わら帽子でも与えて、日射病も熱中症も気に掛ける事なく
《軽装備》
で作業した方がよほど安全作業になると思えるのだが、誰も麦わら帽子を準備しようと
しないで、
「熱中症に気を付けよう…(暑いのは我慢しよう……)」の繰り返しであり、
《我慢をさせながらの安全監理》
だから熱中症にさせているのだ。

朝礼も安全大会でも、労基署署長さんの訓話からも、
暑くて大変だけど、職人さんだから何とかするだろう

と他人事の問題として、エアコンの効いた部屋から現場を眺めて、熱中症対策会議が終わる
のだ。

墜落防止を呼びかけていても、墜落死亡事故が発生するのは、落ちる空間があって墜落防止
のネットが張ってないからであり、ポスターや言葉で事故は防げはしない。

熱中症に注意させながら、涼しい所で体温を冷やしたくても、職人さんの休憩所にクーラー
が 設置されてない小さな現場が大半であり、対策の手立てを差し伸べない限り、熱中症に
(かか)る人は増える一方である。

熱中症の『自己防衛』をいかにするか―――私の安全大会時の《熱中症対策》を公開しよう。

◎講演を聞いている元気のいい職人さん達に、
「『熱中症になるかも知れない』と心配な方は手を挙げて下さい」
と訊(たず)ねると、聞き漏(も)らした訳ではないが、手を挙げる人はマレである。

(俺たち、炎天下で仕事しているから、そんなヤワじゃあ職人は勤まらん)
と健康なのか強靭な体力を自慢してなのか、熱中症で倒れるとは思ってもいない。
 だから熱中症の予防についての話を誰がしても、馬耳東風って事なのだ。

  「じゃあ、人間の体について話をするね」から対策話が始まる―――

    人間の体温は一般に36℃です。
    子供が風を引いて、熱が出てぐったりしている時が大体39℃だったでしょ?

    大人でもたった3度体温が上がっただけで、仕事を休もうか……と思うよね。

    体温計の目盛を見ましたか?
    体温計は42℃までしか目盛が無くて、それを越えると人間の細胞が
    止まるって事です。

    つまり、ぐったり状態の人の体温が、それからたった3℃上がると心肺
    停止状態になるのです。(逆に8℃下がって28℃が底限界)

    36℃から3℃ほど上がるまでの状態を覚えている人はあまりいなくて、
    けだるくなって体温を測って初めて熱が出ているのを納得する人のほうが
    多いと聞いています。

    風邪を引けば極寒の冬でさえ体温が上がる(熱が出る)のだから、真夏
    に太陽に照らされながら仕事をしていれば体温はどうなるのでしょうか?

    冬、寒い時には手足を動かして、体全体を温める行動を取りますが、夏場
    でも体を動かせて仕事をしていれば、同じように体内から熱は発散して
    いるのですよ。

    炎天下、直射日光をモロに受けての作業をしていて、
    体温が36℃のままでしょうか?

    健康の為サウナ風呂に入り汗を出している時、
    体温が36℃のままでしょうか?―――


サウナ風呂の室内は90℃前後であっても、発汗作用によって体温は調節されるから熱中症の
ように体温を蓄える事は殆んど無い。
炎天下で作業している人は日射病になる可能性はあるが、汗を大量に出せば、のどの渇き
により水分を絶えず摂取補給となって、体の温度は上がらず熱中症にはなり難い。

しかし、現場で室内作業をしている場合には、熱中症に罹(かか)る確率が高いのです。

それは、外気温33℃でも工事中の室内にエアコンはなく、埃飛散防止に窓は閉めてある中
での作業でもあり、風通しの悪いのは慣れているから、
「今日は特に暑いなあ……もう少し頑張って早目に帰宅しよう」

と休憩時間を省略して、キリの良いところまで無理矢理仕事を進めるものだ。

汗をかいて肌着にベトついていても、水分補給があまりなされず、作業を強行する場合
が多い。

発汗作用の機能が発揮されていないまま、水分補給が不足してくれば、体を動かした熱量
が体内に蓄積され始めて、熱中症の症状が徐々に現われて来る。

我が家に帰ってエアコンが効いていればいいのだが、クールビズが家庭でも実行されて
室温はさほど低くないので、体温はなかなか下がらない。

夕食前後から体調不調を感じて救急車の世話になる……こういう話が夜中に入って来るのだ。

ではどこで手を打っていれば《熱中症が防げる》のかがポイントである。

「汗をかくのと水分補給のバランスを理解して下さい」
        と私の講義は第二段階に入る―――

   人間の体重の60%が水分です。
           例えば60㎏の人の場合は36㎏つまり36㍑が水です。

   その中から水分を2%失うと喉が渇いた(カラカラ)と感じる状態に
          なります。
   2%と言えば720㏄ですから、水分損失量はカップラーメン2個分以下
   の量なのです。

   10%=3.6㍑失うと脱水状況で、12%=4.3㍑(バケツ半分)失うと死亡
          なのです。

   ちなみに寝ている時の発汗量が200㏄と言われていますので、水分の
   補給は大切な事なのです。

    サッカーの試合中、僅(わず)かなブレイクタイム時に選手がこぞって
         スポーツ飲料をガブ飲みしているのを見れば、マラソン競技でも走り
           ながら必ず水分補給をしているのを見れば発汗の量は相当あり、水分
           補給が大切であり、運動エネルギーの源になってい るのがよく分る
           と思います―――


話を熱中症に戻して―――

『炎天下で作業する人より現場では室内作業に従事する人こそ
《熱中症に罹(かか)り易い》
という事に気が付いた頃を見計らって、

「やっぱり熱中症になるカモ知れないな……と思われた方は手を挙げて下さい」

ザワザワと音がして、

(多分大丈夫だろうけども…絶対ならないとも言えないから……) 

と先程の健康自慢を取り消して、ゆっくり手が上がる……数秒後には半数近くも・・・

手を挙げた人は私の注意事項が琴線に触れて、熱中症対策を素直に理解した顔になって、
夏場を乗り切る自信が出来たのが伝わって来る。

自社に戻り、自分達のグループや仕事仲間にリーダーとして
《熱中症対策の話》
の中で人間の体について数値を示してくれる筈であり、7月・8月の厳しい暑さの中でも、元気に頑張って頂ければ、私の役目は終りである。

   『ご安全に・・・』

*****************  ***************

               次月のエピソードは「八月六日」を話てみよう。

 

 


六月の雨は

2021-06-10 20:18:28 | 建設現場

     ………………………(六月の雨は)…………

現場にとって空からの贈り物である雪は季節柄仕方ないにしても、雨は天敵である。
「土方(どかた)殺すにゃ刃物は要らぬ、雨の三日も降ればよい」
とまあ土建業の泣き所は年間を通じて、昔からあったものだ。


土方という言葉が「土工さん」と言い廻しが変わっても、建設業が屋外作業であり、
土木工事も建築工事も自然界から恩恵を受けながらの仕事には変わりがない。

この天気を味方にすれば工事も順調に進むのだが、現場には《雨男》も沢山いる。

なかでも困るのは現場のトップが雨男であると、ゲンを担ぐ訳ではなくても大切な日に
限って雨を呼び込んでくれるから、てんやわんやの工程になり、竣工前の1か月ともなれば
突貫工事へとお決まりのコースになってしまうのだ。

また、現場で第一回目のコンクリート打設の日に雨が降りでもしたら、基礎・土間・1階
そして最上階までの各階でコンクリート打設当日が降雨にハマるものである。

建物を創っている途中、つまり屋上(屋根面)の防水工事が完了しない内は、台風が直撃し
ても、梅雨でなくても又、ちょっとした雨降りでも雨の量に関係なく、雨には防御の手立て
が無いまま室内は濡れるに任せている様だ。

工程の遅れを天候に左右されるのも否めないが、
「雨がよう降ったので……」
と言い訳には耳を貸さず、
「雨はあんたの現場だけに降ったものではないよ!」
と私はやり返す。

雨が一度も降らないで工事が終わるなんて有り得ないし、日本には梅雨というものまでも
ある。

雨が降るのを見ていても時間は経過するのだし、作業をストップし順延させるから工程が
どんどん遅れてしまうのは《雨に対しての対策》が出来ていない現場だからである。

職人さんの出面(=でずら 出勤人数)、今日の作業内容、現場の安全等々を見ているだけの
監督ならば、雨も又、しかりである。

今の時代に、何の前触れもなく雨が降る筈もない。

天気予報士さんからの情報もあるし、ニュースでもネットでも正確な予報がキャッチ出来る
のだから、天気により工事の流れを止めないような手立ては事前に出来るのだ。

つまり、一週間の工程を把握しているならば、何故、降雨対策まで配慮しないのか……
である。

「雨だから仕方ない……」
は所長として、決して言ってはならない言葉である。

《建設現場の子守唄》にも書いているけど、雨が降る日に行うべく仕事をまとめておいたり、
雨が降っていてもコンクリートを打つ私であるが、あきれた話もあったなあ。

岐阜県のある所での話―――

「あんた達、雨が降ってもゴルフするでしょなぜ現場を休ませるの!!」

打ち継ぎ杭には自動溶接があるので、溶接中及び溶接施工直後に水が掛かるのは論外である。
火花と煙を停めないように連続溶接している真っ赤な鉄に、水が一滴でも触れると『ヤキ』
が入った状態になるのだから、溶接の部分の鉄を叩けば簡単に粉々になり、使い物にならな
い杭となってしまうのだ。

それでも、雨中作業を役人監督から命ぜられて―――

雨降りで重機が稼働しなくても杭打重機の一日の使用料金(10数万円)は発生するのだから、
雨が降っても作業をしたいのは、やまやまである所を耐えているのに、大変なイヤミを言う
役人だったなあ。

水の中でも溶接出来るならば、雨が掛かっても溶接に影響が出ないと言えるのだが、鉄を
切る場合のガス溶断でさえ5㍉の水が有れば不可能である。
(007の話ならば有り得るだろうが…)

工事開始早々の杭打ちの頃は、役人監督者の《神の声》に従わざるを得ない時期でもある。

(何考えてんだ!?)
流石の私も言い返すには時期尚早であり、
(今日だけは黙って顔をたててヤルけど、次からは・・・)
とニガ虫を噛んで、顔をひきつらせて、

「地中に深く埋って見えないし、イイとしますか?

皮肉を言ったのも面倒だったが、私も意地になって《作業強行》させてしまった。

建物を支えるべく杭の数本が……になってしまっているが、まあ大地震が来るまでは建物が
傾かないでいて欲しいと…後味の悪い建物を唯一残してしまった話も雨によるものだった―――


工事中、雨が降って仕事をストップせざるを得ない状態を回避しようと誰しも考える。
つまり、屋上の防水工事が完成するまでは建物内部は雨に対して濡れるがままであり、
建物をすっぽり覆(おお)えば何とかなる筈だから……と一応考えてみる。

雪ならばシートを掛けて一時しのぎが出来るだろうが、融けるまでに雪の処分をする必要
があるし、雪融け水で表面を濡らしては元も子もないので、あまり効果は期待出来ない。

自然界から恩恵を受けながら仕事をしている土建業は、やはり自然には逆らわない方が良
いのだろう。

かと言って、先程来のように指を咥(くわえ)たままではいられないのが、現場所長のつらい
ところである。

自然界を味方にして『天運』に抱かれべく、には―――《徳を積むしかあるまい。

六月の暦に近づくと、梅雨対策を念頭にして工程を協議する。

掘削中ならば地面を掘って水が湧き出た所に、更に空から雨が降って来て、溜まった水を
汲んでは排出する事(通称・水替え)に時間と労力を費やし、長靴の底に泥を着けての仕事
が続く。

「雨によって溜まった水を排出するのは誰の仕事だ?

とよく、職人さんともめる。

監督員は長靴を履いているが、職人さんは昔ながらの地下足袋(じかたび)が多い。

最近は運動靴も多いけれど、足元に水があっては作業能率が格段に悪い。
雨が降ると雨水の処理(水替)まで手配が増えるのだが、梅雨時期では降雨と水替えが交互
になってしまい、水中ポンプは廻っているけど馬力不足で水は汲み揚げていない状態が良く
起きる。

曇天を眺め、足元を濡らし、最終的に雨水は何処に処理(放流)するのかとの話も6月の
工程会議では真剣に取り組む事柄である。

六月の言葉から『梅雨』を連想するものだが、私の現場ではダメージが少なかった…と
思う。

それは、6月に降る雨により工程の流れを寸断され、一週間毎の打合せからでさえ、
まともに先が読めなくなる様な状態をクリアしていたからだと思う。

同じ雨が降るにしても、工事進捗の状態では《雨中ものともせず》で突っ走る事が多い
のであるが、雨カッパを着ても作業が出来る「鉄筋を組立てる時」が六月に多かった
のも、運があったと思う。

雨降りを嫌っているばかりでは決してなく、雨降りを望む事もある。

それは、建物を解体する時だ。
解体中は埃の舞い上がりを防ぐ為に散水を行うが、2~3か所同時にホースで撒く水より
もはるかに有効なのが雨であり、雨を当て込んで一気に解体を集中させたものである。

雨の降る日は近隣さんも窓を閉めていらっしゃるから、重機のエンジン音も排気ガスも
解体中の恐竜の泣き声もどきの騒音も、幾らか和らいで伝わっているだろう……と独り
よがりであった。

六月に降る細かい雨が数日続くと、技術屋のプライドを砕く話が飛び込んでも来る。

外壁からの雨漏り―――《漏水(ろうすい)である。

コンクリートの乾燥・収縮によるヘアクラック(小さなヒビ)、髪の毛以下のヒビから雨が
浸み込んで来るのだ。

外壁がタイル貼りならば雨水は殆んどタイルの表面で流れ落ちるから、ヒビがあっても室内
にまで雨水が侵入する事は殆んどない。

しかし、梅雨時になっての雨によっては《雨漏れ発生》のクレーム対応が出て来るのだ。

《建設現場の風来坊》でも天上落下事件として、雨漏れ騒動を書いているが
(実際は空調の排水)
予期せぬ所からの水漏れ騒動も、雨降りの後から湧き出るものだ。

雨降り後の美しい『虹』なんて何年も眺めていない……と
今年も又、曇り空を見上げている。

          ………(熱中症対策の七月)………へと続く

 


黄金週間中に

2021-05-04 17:15:08 | 建設現場

………………………(黄金週間中に)…………

 五月晴れ。

世間は黄金週間・大型連休にレジャー情報が満載であるこの頃、この青空に
満喫する余裕もなく、他人事として過ごして来ていて何年になるのだろう……

黄金週間で浮かれていても結構だが、休暇として扱うので、職人さんは日曜・
祭日の数によって5月度の給金(手取り給料)が、極端に減るのは困りものだ。

祭日に加えて雨降り休みも多いのがこの月でもある。

職人さんの出面(でずら=出勤=日当)が一日2万円として、祭日を休んでい
れば普段より10万円も少ない給金を月末に受け取って6月を乗り切るのだから、
家計を預かる奥様は大変な事だ。

正直、この時期は現場監督ながら《サラリーマン監督》でよかったなあ……と
一息入れる時期でもあった。

こう言う裏事情があるにも拘らず、
「有給休暇 取得推進月間」
と言うポスターを現場の休憩所に掲げているのだから、所長としては複雑な
心境である。

四月も半ばが過ぎると、黄金週間期間中に何日現場をシャットダウンさせるかと、
協力業者のオーナーさんと話をせねばならない。一方的に、
「ここは三日間連休するからね」
と言うのも間違ってはいないが、顔色を窺(うかが)いながら、 

「ダメ?休みたくないですか?」 
「現場で決めれば従うまでですが……」
(仕方ない……か)の文字が顔に浮かんで来るのが分るモノだ。

そんな黄金週間の中で、楽しい一日を過ごした話をしよう。

「皆さん、休みの日に子供と何して遊んでるの?」

連休期間中に旅行をする職人さんはあまりいなくて、手近な所で何とか過ごして
いるようで、家族から、

「どこかへ連れてって―――」
とせがまれて、
「一日くらいは家庭サービスをしなくては、父親として恰好がつかないから困っ
とる……」
と聞こえて来た。


「じゃあ現場に連れておいでヨ、お父さんの働いているところを見学して、現場
《焼き肉大会》でもやろうか?」

「息子は《現場が見たい》といつも言うてるし、嫁はんも連れて来れるんやし……
やろうよ所長!」

現場は完全休業日にしており、警備会社に祭日警備を依頼していたその費用で、
「肉と野菜は買えるでしょう?ビールは事務所の冷蔵庫から持って来ればエエし
……」

「嫁はんに料理準備させようか、所長」
「それでは家庭サービスとは言えないんじゃあ?ないの?(笑)」
そこの現場は今年になってからも二度ほど焼き肉大会を開催していたので、話は
即決だった。

問題は家族づれだから総勢何人になるのかが、現場の休憩時間の話題のネタで
ある。

車の運転がある人はいつもビールを我慢していたのが、今度は《奥さん運転手》
が居るのだから肉もビールも半端じゃあないゼ……と私の財布を心配してくれ
ている。

「喰う為に働いているんじゃあない、よく働いてくれているから腹一杯喰って
くれればよ~し」

と見栄というか歌舞(かぶ)いていて、私も一緒に楽しんでいるが、チームワーク
が良い故でもあろう。

10時半に集合して『工事現場 家族見学会』をして、仲間内で楽しむ焼き肉大会
は11時30分から始める事になった。

毎日お弁当を配達してくれている仕出し屋さんへ、お昼ご飯用におにぎり
150個を御願いして、届けてもらう話も出来た。

さて当日、天気は晴れ―――。

いつもは資材を運ぶ通路にマイカーが並べるようにし、朝礼広場に机と椅子を
並べている。

10時頃には職人さん達の家族も来場し、普段汚れた(失礼)作業服姿の笑顔
が見慣れているので、家族を連れてハニカム顔から、

「あんた誰?」
と何度も言いそうになったのも、冗談ではないような挨拶から始まった。

それにしても若い職人さんがしっかりした家庭を持って、奥さんがそろって美人
であるのには改めて感心させられる。

確かに勉強好きではなくて、自分の生き方を自分なりに考えたと言えば恰好が
イイのだが、茶髪にしたりバイクを乗り回し、青春時代を半歩踏み外して親を
心配させながらも、自立する道を選んだきっかけが、当時の彼女であり、
今の奥さんが居ればこそ……の話であろう。

奥さんと子供達を工事現場用のエレベーターに載せて、廃墟のようなコンクリート
の柱と壁を見ながら屋上へと進む。

エレベーターと言うよりも全体の姿は金網のカゴに手摺が有るだけで、歯車が動
いているのも丸見えで、5m程上がって行くと雑談は消えて機械のモーター音が、
「大丈夫…大丈夫、お父さん…いつも…載せて…いるから…」
とでも言うような声に聞こえて来る。

一番上で止まったところは5階の型枠と鉄筋の組み立て中である。
見学通路(作業通路)を指定しているけれど、
「お父さんと一緒ならどこへ行ってもいいよ、材料に触ってもいいよ」
と興味津々の子供達に声を掛けると、ブカブカの保護帽に手を当てて笑顔を見せ
てくれた。

広場にはお弁当屋さんのおにぎりも届いて、鉄板の横の机に肉は言うに及ばず、
野菜類・ソバ・イカ・エビ・ウインナ等が山になって出番を待っている。

焼き肉パーティが始まった―――

焼き肉を家族のお皿に載せている時の話題には、普段聞いて居るドラゴンズと
仕事上の会話は全く聞こえず、焼き肉の取り合いに負けたくない父親の姿が発揮
されている。

「オイ、これうまいから喰ってみな、ジュースはあるか?」
「トンちゃんってコリコリしておいしいのね」

「肉も飲み物もなくなり次第打ち上げだからね。喰った人が勝ちだからね」
「所長、残ったらオレ持って帰っていいですか?」
「残りものは焦げた野菜と肉だけど、それを持って帰るの?」 
一同、大笑いである。 

パーティ開始から少し遅れて来たグループもあって、からかってみた、

「あれっ?手ぶら!?みんな自分で肉を持って来て焼いているのに……」
驚くどころか私のジョークも聞き流して、鉄板に肉を載せ始めている。

まあ喰い物一つによって性格も人格も浮き出てくるものだ。

子供達に言った、
「おにぎり一個から《戦争になった》話を知っている?」
(知りません……今は食べるのに夢中なの……)

大人の方を見廻したけど、視線をそらされてしまった。

「それはね、『さるかに合戦』なの」
おにぎりと柿の種から合戦に発展―――のおとぎ話を人間に当てはめれば、
まんざら有り得ない話ではなかろうし、食糧危機が訪れると……

しかし、机の上の食材はどんどん減って行き、雑談とお腹は相当膨らんだよう
である。

「ここの現場になってから、パパが元気に仕事に出かけて行くのが、よ~く分り
ましたわ」
と奥さん達の嬉しそうな声も聞こえて来て、ここが
《汗まみれの工事現場》
だと言う事を忘れて、幸せな気分にもなっている。

黄金週間を家族旅行等で楽しむ世界にはほど遠くて、仕事場で半日を過ごした
皆の心に、チョッピリと幸せなひとときを過ごせたこの日を、つらい時には想い
出してくれたらイイな……

(この家族の大黒柱にケガをさせては申し訳ない事になる)
と家族の笑顔・安全の大切さを《心の芯まで》沁み届かせて頂いた
『黄金週間の一日』
であった。

   《六月の雨は》 につづく・・・


閑古鳥の鳴く四月

2021-04-05 14:19:16 | 建設現場

………………………(閑古鳥の四月)…………

 年度変わりの節目に合わせて建物の竣工引き渡しをせねばならず、深夜まで
時間外労働の連続だった三月から暦を一枚めくっただけで、スローモーション、
まるで時間が止まっているように見えるのが、建設現場の宿命とでも言える
《閑古鳥の鳴く四月》である。

一年の内でお盆前の8月・師走の12月・そして竣工日と重なった年度末の3月は
特に阿修羅(あしゅら)の如く働く月として覚悟は出来ている。

そこを乗り越えた時の四月には現場の作業はひとかけらも残ってなく、虚脱状態
に陥るものだ。

造船所にて進水式で船が出て行くのを見送っている人も似た様な気分だと思え
るものの、造船所から人は離れる事はないが、建設現場は竣工させた我々がその
場を去って行くのであるから、次の赴任地が決まる迄は魂は飛んで行き、頭は
空白になってしまうものだ。

四月という響きが心地よい中で、知らずしらずに幾日かが過ぎようとしている。

桜の花も散り、時の流れが平凡になったが、こういう平凡な時をどのように
過ごすかによって次の現場が何であれ、動じる事の無い《男の器》を磨いておく
時でもある。

次の現場がまだ決まっていないから『対策のしようがない』とは言わせない。

設計図を開いてからの動きは誰でも出来るが、仕事が手元に無い期間には建設
業全体を見渡せる絶好の機会なのだ。

若者の夢・業界の未来・不況打破・・・現場稼働中は目の前の出来事に忙殺されて
とても考えるゆとりが無かった《建設業の舵とり》を今、前を向いて考える時間
を天から与えられたのである。

花形産業であると信じて建設業界に飛び込んで来た我々の世代から、最近の世
の中を見れば不安を消せないモノである。

「不況のせいで仕事が廻って来ない」

と上司の言葉を聞かされれば、安全監理あるいは安心作業から遠のいてしまう
のが分る。

不況風を受けるのは今に始まった事ではないし、私自身も不況の風にあおられて
リストラの経験を踏まえて言うならば、閑古鳥が鳴いている時が前向きに考える
タイミングであろう。

  そこで思うには―――

建設業を志した人達はホワイトカラー族に対して、頭脳よりも技術の分野で人生
を切り拓く道を信じ、信念に基づいて《モノ創りに生き甲斐》を感じているの
である。

赴任先が海外になろうとも、建設現場がある限り自分の技術で
《モノを創り出す》
という仕事に誇りを持っているからです。

私は現場が竣工する度に次の現場が何処になるのか、単身赴任や海外勤務を覚悟
する期間があった為か、リストラを宣告された瞬間に、どうしても会社に残りたい
とは思いませんでした。

リストラ宣告の場面は《建設現場の玉手箱》―青天の霹靂―にも書きましたね。

――― 建設現場を任されている以上は会社組織の一部分であっても
《歯車の軸》
であり、現場の仮囲いの中が《自分の居場所》であり役割だから、軸さえしっかり
していればどこででもかみ合う歯車を創って現場を動かせる―――と思えた時に
次の道も見えて来たものです。

受注が激減しているのは現実でしょうが、
「この不景気時代に再就職先がない……」
と不安になる人と比べる迄もなく、建設作業が人の手で創る限りは一時的に人の
流れが変化するものの、この業界に終点はなくて未来が有る世界なのです。

平成のこの時代、各種の製造業が発展し、便利なモノが多く出来て生活が楽に
なりました。

しかし、生活上での「便利なものは必ずしも必要品ではなく
「贅沢品」の言葉に置き換えれば、
我慢することも出来るモノに対して、建設業の世界は便利さよりも、
『必要不可欠』
なモノを創っているのです。

建設というモノ創りの現場は多くの仲間と共に支え合って完成するものであり、
その上職人さんの技術も必要な世界であるのは誰しも知っている。

そこを振り返ってみれば職人さんは高齢化し、若手職人不足のみならず若手現場
マンも極端に不足しているのを実感しながら、どのような手を打っているのか、
打つのか…と考える時である。

建設現場の中で、目前の工程監理に没頭し続けている間は、

「世間に眼を向けても仕方ない」

と考えようともしないで過ごしていたのだったなら、尚更、建設業界を考える時
なのです。

若者の悩み・相談に答えが言える準備をするのにも、十分な時間をつぎ込めるで
しょう。

『古池や (かわず) 飛び込む 水の音』
我々は時代に乗って、建設業界に音を立てて飛び込んだのであるが、

「古池や その後飛び込む(かわず)無し」
と蛙君たちが古池に近づかないのを、時代の勢にしてはいけません。

建築という伝統をこの先も守って行く為にも、熟慮断行するのに最適なのは、
閑古鳥が鳴き舞い降りると言う四月の建設現場です。

建設業を他産業にならって、人手不足とか不況の勢(せい)にしたくはないものだ。

建設工事の受注営業が不振なのは背広組の責任範囲ではないにしても、工事物件
が減り現場技術者を解雇するのでは、まるで生コン車を売り払って生コン工場を
増築するように思えます。

 数年前から現場に若手がいないのが建設業の重要問題だと言われながら、人手
不足から突貫工事・長時間労働を余儀なくされても現場マンは頑張っています。

バブル以前には土休・祭日の言葉は他人事のように思い、風雨降雪に立ち向かい
働き廻っていたのが異常な環境だとも思わず、遊ぶお金はあっても遊ぶ時間が無
かったものだった。

最近の若手現場マンにとっての日曜日は、

「とにかく休む」

の方針を打ち出して人生に《ゆとりを持てるご時世の到来と思えば如何で
しょうか。

 一途に竣工に向かって走るのも現場マンの生き甲斐ではあるものの、閑古鳥が
鳴いている今ならば今までの忙しさで遠ざけていた
《感性に触れる機会》
とか標準仕様書を『完全読破』出来る等、
天から与えられた時間なのだと私には思えるのです。

施工物件が多くて走りに走った時代から抜け出せない人ほど不況打破に苦慮され
ていて、建設業界を心配されているようです。 

 与えられたモノ創りを手順良くこなす能力は経験で培(つちか)ったものですが、工事計
画書のようにこれから先の建設業をいかに創り、若者に夢を描かせるのか……を
真剣に考える時になっている。

 不況風には終りがありますがモノ創りの世界にいて必要なモノを創り続けて来
た我々には夢があり信頼もあり、そこには無限の可能性があるのですから・・・


**************************************************

     久々に 
      じっくり仕様書
         めくる 日々
            不況風にも 憂(うれい)なし

      *******************************************************

                     ―――5月のエピソードへと続く


突貫の3月末

2021-03-05 13:31:12 | 建設現場

            …………………………(突貫の三月末)…………

3月。いわゆるところの年度末

年度末竣工がどれだけ建設業界にプレッシャーを与えるのか・・・
官庁工事としてはその年度内に竣工させて、書類上に於いても予算を使い切り、精算を
済ませたいのが分らなくもないが、どれだけ理不尽な事であろうとも、お役人様は
年度末で幕を降ろす事を当然だと思っていらっしゃる。

年度内に予算を使い切る必要も無い筈だし、予算が残れば次年度に繰り越すのは一般社会
では当然なものを、役所の都合で帳尻を合わせるだけの《雑工事》を毎年発注している。

土木なら道路舗装等は予算残額相当の長さまで施工して、続きは来年の3月に延長工事
とし、迷惑するのは通行人であり、舗装業者も小さい現場を同時に受注となり、
(わずらわわ)しいだけである。

建築なら学校等で4月からの新学期が始まる事態に備えるのは、工事をする側からみ
ても不満はないのであるが、4月から開校したいのならば、工事の発注をもっと繰り上
げれば、年度末に突貫のしわ寄せが起きないものである。

そんな世間の常識を知っていても《我、関せず》と年度末を過ごせるのも官庁勤め人
だからこその話だ。

官庁発注工事と言うものは、大概は5月末迄に新年度の予算枠が決まって、入札にせよ
談合にしても、新年度の工事業者が決定後、契約手続き等に時間がかかり、実際に工事
着手が6~7月中旬となっても、年度末には《必ず竣工させる》という方針は
ズラせない。

そういう条件を提示した上での入札・応札であり、請負った以上は契約工期の厳守
である。

当初から無理な工期であっても、受注競争を勝ち抜く為に官庁のいいなりで物事を
決めているのであれば、発注の半分は竣工日時を3月15日に設定してもらいたい
ものだ。

3月後半になって1日の仕事が昼夜兼行と騒ぐ前の、たった2週間の違いで職人さん
の流れに大幅な変化があり、年度末に繰り返していた職人不足が緩和されるのは明らか
である。

とあるマンション工事の時―――、
契約書では竣工日が31日になっていたのであるが、工程表には堂々と、
「3月10日竣工。15日入居者検査。20日入居開始」
を明確にして、協力業者にも周知させた事がある。

「所長、サバ読んでいるンでしょ?」

と疑いたいところであろうが、コンクリート打設予定日さえ腹の探り合いをしない私の
性格を見抜いているから、逆に、

「所長、他が3月末に大騒動になる前に、職人をこっちで先に終わらせるから
大丈夫
だよ

「そのつもりだけど、こっちが遅れたら後の現場を大迷惑させる事になるンよ」
「大丈夫、次が控えているから、もっと手早く段取りを付けられるハズだよ」

「雨は《関係なし》でどんどん進めるから、工程表より進んでいると思って準備してよ」

「ハイ、もう所長の『こだわる処』はしっかり押さえていますから……」

長年、私の腰のあたりからヒモで繋がっているような職長さん達が《大丈夫》と
後押ししてくれるのも有難いし、何とかなりそうな雰囲気から《見通し良好》に変わって
来るのが分る。

民間の工事では設計事務所との連携さえ良ければ、官庁工事のような教科書通りの
作業に束縛されず、技術屋として『しのぎを削る』真剣勝負で竣工まで導けるものだ。

当然、作業手順は厳守し、品質の責任は負わねばならず、指をくわえている事なく
汗と智慧を出し続ければ、工程問題は解決するものだ。

例えば『養生期間 一週間』と標準仕様書に記載されている場合に、晴れていても曇り
の日でも七日間が過ぎるのを待つ理由はない。

冬の晴れた日でも夏の晴れた日でも、必ず一週間を経過するまで、

「次の作業を待たせろ
と言う役人の考えに、黙って従う技術者になって欲しくはない。

「先生(監理者)が言う事には逆らうな!
とゲンコツを飛ばす監督さんでは、

「突貫工事だから根性で乗り切れ!!」
って言いながら、最後になって『工期延長願い』を毎度申請するのが、目に見える。

強度、場合によっては乾燥状況を計測して判断すれば1カ月で3日分の日程を前倒し
出来るし、それを数回繰り返しながら上の階へ次の職種へと工事を進めれば、工程短縮
は簡単に出来る。

それでも事前準備が間に合わず空白の1日が発生する場合もあるので、工程が何時も
進んでいるとは限らず、もどかしさを感じる場合もたまにはあったものだ。

そのしわ寄せを、どうしても後ろに譲れないのが年度末、3月31日という期日なので
ある。

31日に工事をしているようでは論外であるが、31日は手直し検査も終わっていて、
午後からは建物の引き渡しを行って『工事竣工』となるのである。

「お前ら31日の次は32日だからな!」
「では3月33日までかかります」
「竣工式が35日だから、それまでに何とかしろ!」

(そんな昭和時代の3月が…二度や三度ではなかったなあ……)と思い出している。

平成になっても、と言うよりいつの時代でも―――

3月に入ると他の現場と仕上げ職が重なって、職人さんの引き抜きが激しくなり、
現場監理どころではなくなり、当日の職人さんの頭数に気を取られて一日が始まる。

安全も品質も構っていられず、俗に《ケツに火が点いた》状態を幾度も経験している
この業界でありながら、何故、改善しようと思わないのだろうか……慣習・仕方が無い
から―――か。

年度末竣工をズラす事により、かなり《品質のいい建物》が出来上がる事に気が付いて
いても、工期を前倒しする勇気が無いだけである。

勇気が無いと言うよりも竣工前のバタバタ騒ぎを常に引き起こしている監督さんには、
期限の呪縛から解放の糸口さえも見つけれないのも、止むを得ないだろう。

かりに4月末日が契約工期であっても、その契約期日前には年度末に似た様なドタバタ
騒ぎは繰り返されているだろうし、まして工期を前倒ししてみようと言う発想は覚束
(おぼつか)ないものであろう。

教科書通りにやれば出来上がる官庁工事でさえ火の車に陥る人が、民間工事なら自分
流にやれると言うものの、設計事務所さんと『しのぎを削る』工事の監理が全う出来る
筈もない。

現場四監理の一つ、工程監理をただ《眺めていた結末》が3月に現われる話でした。 

  4月のエピソード『閑古鳥の鳴く4月』へ続く・・・

 


二月の雪は

2021-02-04 14:57:37 | 建設現場

            ………………………(二月の雪は) 
建設現場にとって雨は天敵だが、雪もまた好きにはなれない空からの贈り物である。

広島という比較的暖かい所で育った私が、雪で困惑する姿を寒冷地の人達が見れば
笑うだろうけれども、真冬の寒さ対策は得意にはなれなかったものだ。

豪雪地帯の現場に乗り込むのならば、仮設工事の項目に除雪の欄があって予算も計
上されているだろうが、中途半端な山間部の工事では除雪対策費はまるで無かった。

「おい福本、雪が降っても8時の朝礼は行うぞ!明日遅れるなよ!!」 
と所長から言われた現場があった。

「渋滞になるだろうし、職人さんも8時には間に合わないのでは?」
「俺は電車で来る。誰も来て居なくても俺たちが遅れて現場に入る訳にはいかん

(何の為に来るンだよ……、それで何のイイ事があるの……?)
「職長にもそう伝えろ!」

万事高飛車と云うか上から目線で、自分の権限に酔うのか麻痺しているのか知らないが、
傍目から見れば何とも嘆かわしい話である。

万事この調子だから、職人さんとの横の連絡網が張り巡る術もなく、
「俺の言うた通りに動くヤツがおらん!」
と愚痴って、協力業者の《貢献度評価》蘭への記入点数がいつも低い。
逆に協力業者から所長に対しての評価(好感度)が低いのも同じ心境だろう。

当日の朝、雪のせいで朝礼に間に合わない業者のオーナーに、
「お前のところはどうなってンだ!、今日は来ないのか、雪ぐらいで休むのか!!

電話機を独り占めして、いかにも仕事をしている様な口調に陶酔されて、空恐ろしい
雰囲気の現場事務所になってしまった。

「雪が積もったら仕事が出来るように《朝一番》皆で雪掻きしようぜ」
と私なら全員で《何とかしよう》と呼びかけるところだが、

ここは現場の雰囲気が悪いので、
(雪下ろしが済んだ頃に来ようかな……)
と誰もが考えていたようだ。

私の現場の場合―――真冬・岐阜県。

     積雪時には朝礼時間を遅らせて、皆で雪掻きをして汗をかいても文句は
     出なかったし、
      「所長、熱い缶コーヒー飲もうよ」
     と誘われる度、私のポケットマネーはいつも自販機に吸い取られたもの
     だった。

ここの現場に話を戻して―――

一般道路は積雪渋滞の中で、イライラ運転しながら現場に到着し、重たい雰囲気のままで
朝礼広場に行き、雪の上でラジオ体操をした後に、誰が雪を処分するのか戦々恐々としている。

「朝礼が済めばすぐに作業が出来るから、朝礼に遅れるな!」
と言われてあるのならば朝礼に間に合わせる事に納得は出来るが、入場門から休憩所迄の
指定通路が除雪さえされておらず、職長さん自ら除雪しようとの気概はサラサラ無い。

「遅いじゃないか!みんな朝礼に間に合うように来てるぞ!!」
とやっとたどり着いた職人さん達に向かって、所長さんは朝から罵声の連続である。

(やっぱり来るンじゃあなかった…遅刻の罰で《雪掻きをしろ》と言われるし、もう帰ろう……)
職人さんとのホットな気持ちが無い上に雪が舞う寒さも加わり、私の心は凍ってしまった。

『雪解けムード』
って言葉はここでは春になっても、否、夏迄待ってもやって来ないと険悪感が渦巻く現場になっている元凶は……と確信したのも二月の雪を見てからだった―――な。

 私の現場の《雪掻きの話》に戻せば―――

 屋上の防水工事が最初の工程表では二月になっていた。
「二月は雪で何ともならんよ」
と地元の職人さんから悲鳴が聞こえた。

「ならば正月明けから着手出来るように、前倒し工程に変更だ」
の号令をかけたのは、雪のせいで防水工事が3月施工になったら年度末竣工はおぼつかない
し、手をこまねいている訳には行かないからである。

10月下旬からは休む事なく走りに走った工事となったし、年末も30日まで全員で突っ走った。

チームワークよくまた天候にも恵まれて、雪の降り始める前に屋上の防水工事が施工可能
状態までになって、ひと安心もつかの間に『初雪予報』が飛び込んで来た。

「所長、どうします?」
「ここまで来て屋上を雪で積もらせる事はさせん!」

となれば屋上全体にブルーシートを敷いて、
「この上に10㎝ほど積もって頂こう」
《雪の女王》にお願いするしかあるまい。

ここから数㎞先にはスキー場が多くて、雪を待っている人達が多い中を、
我々現場関係者
が自分達の都合で雪を恨むのは筋違いだと思えば、
降雪対策もさほど苦にはならないもの
だった。

5.5m×3.6mのブルーシートを50枚用意して、20㎝程度は重ねて敷くようにし、
風で飛ば
されないように土嚢袋に砂を入れたものを150個用意した。

屋上の防水工事に直接関係が無い人や、室内で作業している職人さん達も総出で、これらの
材料を屋上へ運び、シートを拡げ、3m角程度に砂袋の重りを並べたのだが、

「一斉清掃で埃を被るよりは楽しいよ、所長」
との会話も出て来て、屋上の積雪対策は万全となった。

雪は遠慮なしに降って来るようになったが雪晴れの日も続くのだから、
その間をぬっての防水工事は予定の1週間遅れで完了出来たのも
《チームワークの御蔭》である。

ブルーシートをめくると多少水に濡れた跡があり、これはプロパンガスボンベ付のバーナー
(あぶ)って乾かす事にした。
(横断歩道の白線を引く時に、乾燥させているのを参考にした)

このバーナーを上に向けて鉄板を敷き、降雪と除雪対策に参加してくれた人達との
焼き肉パーティが度々出来たのも雪の余禄・雪の女王様からの贈り物としたもの
だった。

(除雪予算枠から肉屋と酒屋に支払った金額は、皆の胃袋に回収されてメデタシメデタシだよね)

ひとひらの雪に趣を感じる余裕もない心では、建物よりも『館』としての芸術品を創るには資質が無いのがハッキリと分るし、天上界に挑まずとも雪との愉しみ方はあるものなのだ。

雪国で働いていらっしゃる方々からこの
  『二月の雪は』
を読んで、なんとお粗末な現場だと思われるでしょうが
  《雪だるま》
をグループ毎に作って、
      『現場の出入り口に飾る』
と言う遊び心が、未だに卒業出来ない私を笑って……許して下さいませ。

                 ―――『二月の雪は』 終

 

 

 


大事な1月(2)

2021-01-22 09:44:36 | Weblog

………………………(大事な1月)  (2)………

私の駆け出しの頃は―――

重役さん達は紋付袴の方もいらっしゃったし,会社の名前の入った揃いの法被(はっぴ)で
式に参列され、一人ずつ神棚に進み出て拍手を二つ打って一例し、

『今年もよろしく…安全につつがなく……』

の声が聞こえて来るような『初出式』が厳に執り行なわれるのを見て、背筋に力が入って
来たのを覚えている―――

法被姿と言えばトンネルの貫通式等で、TVに映っていて微笑ましく見える事が多い。

しかし、建築工事では上棟式等にて、作業服姿の職人さん達が見守り、汗が煌めく瞬間の
《めでたい式》の時にヘルメットをかぶった《背広族の白手袋姿》は、服を着たまま水泳
しているような場違いでは……《竣工式でどうぞ…》と思うのは、私の偏見でしょうかね?
今日の初出式では法被姿も紋付袴もいらっしゃらなかった。

一月という一ケ月間は現場にとっては精神的圧迫が強い月である。

「無事故の歳末明るい正月」

のポスターも15日まで掲示板の中央に貼られているし、その間で事故が発生すれば

《今年第1号の事故現場》

と汚名が全支店に通達されて、事故報告書のトップ面を一年間受け持つ現場になってしま
うのだ。

今年初めての安全大会・安全協議会を開催する内容によって、この一年間更に竣工迄の安全
への気構えが職人さん末端まで伝わってもらうべく配慮も一月ならではの事である。

一月の中旬、熱田神宮での安全祈願祭に参列すべく玉砂利道を進みながら、
「新しい年になってもう10か所以上のゼネコンへ《安全祈願祭》に出ています」
と、どこからともなく聞こえて来ます。

協力業者の社長さんは各ゼネコンの「新年安全祈願祭」には必ず出席されて、安全も営業も
しっかりアピールされているのが一月でもある。

私と並んで歩いている社長さん達とは初出式の時に言葉を交わしていたけれど『年始廻り』
の一コマであったから、今年初めて《改まっての話》が出来た雰囲気でもあり、

『お互いに、また、この一年、イイ年でもあるように……』
と念じながら社殿に詣でるのだった。 

一月―――。

この年初めに『3月末竣工現場』の詳細工程を何度作成したものか……

   年度替わりから校舎は必要だ → 入学式典が4月1日。
   店舗開店営業日が4月1日 → もうチラシ印刷が出来上がる頃・・・
   会社創立記念日が・・・ → 新社屋記念パーティ招待状発送済・・・
このような事態は工事着工時から納得の上である。

十二月末までの工程管理が順調であろうとも、年度末竣工にむけて手戻り工事が発生しな
いのか、段取り手配の忘れや打合わせミス(思い違い)があれば残り三ケ月のなかでクリア
せねばならないのだ。

だから、私の書いた総合工程表の通りに『進まない』のか《進めてない》のかを見極めて、
若手現場マンの現場監理能力の《判定基準》の総決算としている。

私の月間工程表通りに進めようとしても、私でさえどうにもする事の出来ない苦しい工程表
だったのが唯一、お正月に作成した《E市の現場》の時であった。

それというのも―――
二月から三月にかけて降雪の連続であるという天気予報が出されて以来、工事完了日を竣工日
の二週間前に設定する私の従来からの方針に、見通しが立たなくなってしまった。

雨ならば対処の方法が分っているが、降雪となると除雪日も当然であるが、積雪が1㎝で
あっても足元の墨が見えないのだから、型枠も鉄筋も組み立てられないし、まして
コンクリート打設は完全に除雪後が条件である。

それよりもどうにもならないのは、名古屋から通常一時間半で走って来られる高速道路が、
雪で通行止めになり一般国道が大渋滞になって、職人さんの車が遅れて出勤したとしても、
一日に何時間ほど現場作業が出来るのか計算が成り立たないのである。

雪の積った朝は水道管が凍って、午前中はセメントが練れないとか、仮設水洗トイレも凍
結解除迄使えず等、貴重な時間が食われてしまうので、更に作業予定内容が少なくなって
しまう。

3月末日まで平日の稼働数が70日あるので、雪の影響を考えなければ何とかなる工程表が
書けるにしても、ここの現場は全く自分の思い通りにならない《もどかしさ》を痛感
させられたのも
《大事な一月》だった。―――

年の初めを祝う時、
『この一年間の現場監理をどうやって遣り繰りしようか……』
と神棚に頭を下げたらもう前を向いて『建設現場の一本道』を進むしかあるまい。

『今年もご安全に・・・』



大事な1月

2021-01-12 14:05:52 | 建設現場

         ………………………(大事な1月)  (1)………


元旦。年の始まり。

お正月気分もお酒も抜けていないような中で、初出式を迎える。
年末に一区切り就けるところまで頑張ったので年末年始の特別休暇中は現場の事を頭の
中から一旦消去させたままで、今もまだ再開するには回転不足である。

年中無休の『働き蜂』さんにとってみれば、現場を閉じて数日間も自宅で過ごせたのだ
から、『仕事始めの日』が来れば、

(ゴロ寝の休みも終わってしまったんだ)
と惜別な心で疼くものだ。

お盆と正月ぐらいが建設業(特に建設現場)のまとまった休日として《確実に休める》
は今も昔も変わりないだろう。

現場の工程が順調であったとしても、たとえ三日間でも所長の権限で現場を止めて完全一斉
休暇を実施する事は考えられないし、想定外の万一の事態が無きにしも非ずの世界である。

今正月休みを頂いて安閑として居られるが、次に連休が出来るのは・・・黄金週間まで無理
だろう。

しかし、黄金週間は暦に休日マークが付いていて《有給休暇消化推進月間》のポスターが
あるものの、現場は交替出勤して、日曜日だけを休みにした事が度々あったのも思い出す。

世間では祝日の前後に有給休暇を加えて、大型連休はレジャーや旅行に出かける企画が満載
なのだが、現場マンにとっては高嶺の花・他人事として聞き流しているのも哀れである。

しかし、私は連休に関係せず、竣工の一区切りが着けば、短期旅行を計画して海外へ逃亡
(日本に居たら呼び出される)していたものだ。

足を着けていない大陸はオーストラリア大陸と南極大陸の二つで、簡単に行けそうな
ハワイもまだ残してあるのだ。

(さてさて今度はどこに狙いを付けて、旅行会社のパンフレットをチェックしようか……)
と今、考え始めているのだが―――

しっかり前を見れば《初出式》のパーティ会場である。

仕事始めに先だって檀上にある『鏡開き用の樽酒』を眼が追えば喉も喜んでいそうだ。
「…昨年と比べて―――今年は景気が…今年の完成工事目標は…安全に・・・」

スピーカーから支店長の声が聞こえて来るが、卓上のオードブルのどれから手をつけよう
かとウロウロ歩いて品定めも楽しいものだ。その間でも、

「あけましておめでとうございます。所長、本年もよろしく」
と協力業者のオーナーさん達から耳元で年賀の挨拶を受けて、小声で交わす。

「こちらこそよろしくね」
遠くの檀上では型通りの挨拶が行われているが、会場内は少しづつざわめき始めている。

おめでたい席なのだが、
「今年の事故は○件以下にして、安全に仕事が出来る環境を……」
と酒樽を目の前にしながらも雰囲気の壊れるスピーチがどうしてもある。

『今年の目標はゼロです』
と流石に言えないが毎年事故がどこかで起きるのも現実である。

神棚に祈るにせよ、お神酒で乾杯するにしても、新年で第一回目だから、頭を下げるのも
時間をかけて、今年一年分を代表するかの如く神妙な面持ちになっている。

周囲を見渡せば、女性社員の晴れ着姿が正月気分を醸し出してくれている。
玄関先には縁起ものの門松が威風堂々と飾ってあり、一礼して通り過ぎるだけで、
「今年もさあやるぞ―――」
とアドレナリンを掻き立て、歩く歩幅も大きくなって行く。

私の駆け出しの頃は―――

                   ――― その2へ続く

 


工程管理について(3)

2020-11-13 09:27:35 | 建設現場

  ――― 工 程 に つ い て 考えると (3)――――――

今から追いかけると断言しても頭数は揃わない。

たとえ頭数が増えても現場で作業するスペースが出来ていなくて、狭い場所
に職人をひしめかせても、仕事にはなるまい。
更に遅れる事になる。

工期の半ばにこの状態ならば、残り日数の100日ではもっと条件は厳しく
なり、取り戻す事の労力は並大抵のモノではない。

1ヵ月で3日ずつ遅れていたら、5ヵ月目にはこの様な計算になるのだ。

この論理には非常に無理がある。工事は最初から最後迄一定の人員でもなく
工事量も一定ではないし、労務費が20%以上では採算割れである。

15日の遅れを月間25日の仕事の中で取り戻すには昼夜働いたとしても、追い
つくのには無理が有る事を認識して欲しい、と云う算数式と思って頂きい。

工事量も職種も職人も最初は少なくて、仕上げ工事の後半になると職人の数
も出来高も急速にアップするのが普通の工程の流れではある。

それなのに、途中で遅れていて工事終盤になって遅れを取り戻すとなっら、
いつも以上に出来高も人数も急に激増した分、テンヤワンヤになるのは目に
見えている。

工事量に対しての絶対に必要な人数はあるから、平均的に話をしただけであ
る。
工程が遅れていれば相当な人数を確保し、注ぎ込み出来る手配能力が必要と
言う事なのである。
(手配が今迄にも出来ていれば遅れていない筈だが・・・)

竣工1ヵ月前、突貫工事に突入して《精度》だ《品質》だ《安全管理》だと
ゴタクを言う暇も無いとなるのでは『工程管理』は何をしてたのかと言える
のではなかろうか。

 ではどこでつまずいたのかを、どの時点で遅れを生じたかを自分なりの判
断が甘くて
《まだ予定通り大丈夫》
とタカをくくっていたから、アワを食うのだ。

性格的におおらかなタイプだと―――、
〈何とかなるさ、今迄も『工期延長願』を出した事はないし、何とかケツは合ってる
と本人が思っているだけで、周囲の人達がかなり振り廻されている事を認識
して欲しい。(私の所からも応援部隊の出動があったンだよ―――って事)

工程管理に於いて最初に遅れ、最大に遅れる原因ソノモノは
『施工図』である。

施工図・躯体図が書けていないなら、当然その工事も出来ないが、基本とな
る施工図が無い事には協力業者が自分の関係する部分を準備する事さえも出
来ないのである。

施工図の意義については、
《建設現場の子守唄》丸善出版の〈施工図が何だってんだ〉
の所をもう一度読んで頂きたい。
(連絡くだされば私から『ー子守唄』無料送付します。FAX052-303-7098)

施工図が遅れる事自体の原因が、重要なのである。

施工図が遅れるのは施工図が書けないからなのである。書く時間が無いのも
言えるが書いてある図面をチェックする判断も欠如しているのである。

承認してイイものか悪いものか、果してこの通りに工場で製作して持って来
たら、現場で取り付けられるのか―――の自信が無いから、せかされる迄、
図面は棚の上で埃を被っているままの現場が多い様である。

また、施工図を残業して手で書いていると云う考えも古い。
何故、CADで書かないのか、コンピュータを駆使しないのか。

一つの図面(躯体図)一枚のフロッピーからどれだけの図面が動かせるか。
1階から各階に通しての柱・壁の位置、部屋の詳細図、電気設備の配線配管
図、天井割付け図、天井インサート図、造作図、金物図………。
(下請けの施工図も活用可能)

それが2階~最上階へと応用出来るのがCADの良い所だと気付く事であ
る。

 建築現場で施工図を早く協力業者に渡せる現場は、工程の遅れは絶対に少
ない。

遅れないと云う事は捗(はかど)っていると云う事であり、協力業者として
は早くモノが作れると他の現場の仕事も受注出来るのだから売上が増え分、
忙しいが絶対に儲かる。
〈忙しい〉の考え方を改めて欲しい。

 どんどん仕事をこなして行けての《忙しい》ならば、誰が文句を言おうぞ
だ。
工期が迫って来て日程の無い所で短期間に仕事をする事になり、他の現場と
仕事の時期が重なるから〈忙しい〉のである。

現場マンが工程をしっかり管理して協力業者さんをグイグイ引っ張って
行けば、現場も最後には突貫工事にならなくて済むし、
協力業者さん達も儲かるのである。

総作業日数の5%を短縮した工程を着工時に作り・守れば(管理すれば)
最後にドタバタとなる事はない。
儲けも少なからず出て来る事にもなる。こんなウマイ話はないよね。

協力業者は長年の経験から所長さんを見て、自分の所が参入する時期を調整
している。

「エラそうな事言ったって、いつも総合工程表から遅れていて『とにかく
ケツ(最後)は間に合わせろ!』
と言い、大突貫になるじゃァないよ・・」
と、言わなくても、顔に書いてある様な素振りを見たくはないものだね。

工程管理はただ単に進んでいる・遅れているの判断で終るモノではない。

管理と名付く以上、判断を行ない指示を出す根拠も必要である。

日程通りに進まないママ、天気のせいとか職人の数が少ないとか、
今日も予定人数が来なかったと言い訳を始める前に
〈明日から倍の人数が来ても構わない〉と云う段取を先に考えて、
一気に協力業者に折衝する下準備も『管理』なのである。

 遅れを取り戻すには〈それ迄の工程管理〉を反省しなおす勇気もいる。

現場(所長)の判断の甘さが全体の流れを悪くしていると、事は最悪であ
る。

工程管理は工程表の追跡だけではなくて、遅れていれば回復する手段に用い
て、遅れている事の重大さに気が付いて頂ければ、私の偏見も救われると
思っている。

 ―――ケツに火が着く前に、サァ頑張ろう―――――
                          (完了)