やまなし・まちかど図鑑

山梨県内のレトロなまちかど、面白・珍らし物件を凡苦楽庵が探訪します。

江戸時代からの医薬業-重要文化財・高室家住宅

2024年08月27日 | 甲府市
高室氏は、甲斐源氏一族で小笠原氏を名乗っており、巨摩郡曲輪田(現:南アルプス市)に居を構えていました。享禄4年(1531)、武田信虎の命によって現在の高室町の地を与えられ、高室姓に改姓したと伝えられています。江戸時代初期には、明(中国)の帰化医師から医術を学び、以後、医業と製薬業を家業とし、享保9年(1724)に甲府藩が廃藩し、天領となったのちには甲府勤番の医師を務めた家柄です。その屋敷である高室家住宅は、約5,000平方メートルにおよぶ広大な敷地に、主屋を中心として、離れ、文庫倉(ぶんこぐら)、新蔵、前蔵、籾蔵(もみぐら)、味噌(みそ)蔵、長屋門、弁財天堂などの諸建物が機能的に配置され、周囲は水路や土塀、土塁がめぐっています。

主屋は天明8年(1788)の建築で、入母屋造の茅葺(かやぶ)き、棟の中央に煙出(けむりだし)を設け、正面の中央西寄りには明治3年に玄関が増築されました。広い土間とたくさんの部屋がある大型住居(18.4×9.1m)で、薬の調合所、薬戸棚、薬種原料の保管場所とした屋根裏状の2階部屋など、近世における医薬の施設を現在に伝える希少な例です。
江戸時代を中心として明治時代まで整えられた屋敷構えには、接客や祭祀(さいし)など、往時の暮らしと密接に関連する建物群と、東に隣接して薬草園が広がっており、中世までさかのぼると推定される屋敷割の姿を良好に残しています。
(甲府市ウェブサイトより)


主屋全景


調合所


離れの火灯窓

祝!重要文化財指定-旧富岡家住宅

2022年10月23日 | 甲府市
先般、文化庁から重要文化財の指定が明らかになった、「富岡家住宅」を見に行ってきました。
残念ながら雨戸が閉じられていて、ベランダの細工など見ることはできませんでした。

参考までにNHK NEWS WEBから引用します。
明治初期に西洋建築に似せて建てられた国内の住宅のうち最も古い部類とされる甲府市の「富岡家住宅」が新たに国の重要文化財に指定されることになりました。

新たに重要文化財に指定されることになったのは、甲府市にある「富岡家住宅」の主屋と書院の2棟です。

「富岡家住宅」は、県の参事として、勧業政策を推進した富岡敬明の住宅として明治8年頃に当時の大工が西洋の建築に似せて建てた擬洋風建築です。
木造2階建てで、当時の日本家屋では珍しくベランダが2階部分に設けられ、飾りを施した白塗りのまるい柱も立てられています。

文化庁の文化審議会によりますと文明開化で流行した同様の住宅としては、国内で最も古い部類とされ、歴史的に極めて価値が高いということです。

また、書院は、明治26年頃に主屋に増築されたもので、和室でありながら天井が高さ3メートルあり、独創的な書院造りが特徴です。

富岡家住宅が正式に指定されると県内にある建造物の重要文化財は54件目となります。









平瀬浄水場再訪

2019年07月11日 | 甲府市
甲府市民の命の源、平瀬浄水場を見学しました。この構内に、旧事務所で現在は上下水道の資料館・水交庵(昭和10年築)となっている建物や、ろ過池整水井(大正2年)があり(いずれも登録文化財)、秋の写真展のために撮り直すのが目的でした。事務所には暖炉がありましたが洒落ていますね。
なお、建築物ではありませんが、登録文化財になっている、取水口や隧道の上下口も案内していただきました。


資料館・水交庵


中には暖炉も


ろ過整水井


旧取水口門部(大正2年)


第2隧道上口(大正2年)


旧片山隧道上口(大正2年)


旧片山隧道下口(大正2年)

曳家された水晶庫

2019年04月05日 | 甲府市
山梨大学では、大村智博士の2015年ノーベル医学・生理学賞の受賞を機に設立した「山梨大学大村智記念基金」への寄附金を活用し、2018年5月『大村智記念学術館』を創設しました。
以前、その場所にあった水晶庫は、曳家され、大村智記念学術館に併設する形になりました。
そして、山梨大学が所蔵する世界に類のないほど貴重で見事な水晶類の数々を展示しています。
この水晶庫は、山梨師範学校当時の1920年(大正9年)に薬種商であり鉱物の収集・鑑定に携わっていた百瀬康吉氏から、学術的にも工芸品としても大変貴重な水晶及び水晶加工品の寄贈を受け、これらを保存・展示するために、1927年(昭和2年)に鉄筋コンクリート造りで建設されたものです。
水晶庫では、山梨大学で所蔵する約170点の水晶類の中から特に学術的価値の高い水晶や水晶加工品数十点を展示しています。なお、その他の水晶類は現在、山梨ジュエリーミュージアム(山梨県防災新館やまなしプラザ内)に展示されています。
曳家前と現在の様子です。



旧堀田家住宅(堀田古城園)オープン!

2019年04月05日 | 甲府市
武田神社前に甲府市が整備していた、武田氏館跡歴史館「信玄ミュージアム」と旧堀田家住宅(堀田古城園)が完成し、その開館式があったので、参加してきました。
旧堀田家住宅については、工事現場見学会の時にこのプログでもUPしました。
こちらです




手洗い


離れの茶室は〟武田菱をモチーフにした“ひし形”平面

2020年7月18日追記:登録文化財に答申されました。

旧堀田家住宅(堀田古城園)の保存修復工事現場見学会

2018年08月11日 | 甲府市
甲府市の歴史文化財課の案内で、武田神社南に残る、旧堀田家住宅(堀田古城園)保存修復工事現場見学会に参加しました。

旧堀田家住宅(堀田古城園)の遍歴は、
昭和7年竣工
昭和8年 割烹料亭開業
第二次世界大戦後、GHQの将校宿舎として貸し出し
昭和21年 旅館業開業
昭和46年 旅館業閉業、その後は住宅として使用
平成10年前後空き家となる
平成26年主屋建物の保存を条件に甲府市に寄付
となっています。
昭和初期の近代和風建築です。工事は漆喰の中塗りが終わった段階でした。


右の飛び出ている部分は、中二階になっていて当時は離れ座敷として、特別な使われ方をされていたようです。


二間続きの座敷


広縁のガラス戸には、一部に「結霜ガラス」が使われています。


廊下の突き当たりにある、タイル製の流し


長屋門はショップとカフェとして利用されるそうです。


離れの茶室は、平面が矩形でなく菱形をしていて、「武田菱」をモチーフにしているとの事です。

アーケードの下の素顔

2012年09月24日 | 甲府市


甲府駅南口から南へ伸びる「平和通り」。この平和通りの東側は歩道部分をアーケードに覆われていて、建物の全容は分かりません。おまけに1階部分は時々に改修されていますので、往年の姿を見る事は困難です。そんな中、一部2階部分が、原形を保っている例が僅かですが見られます。

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幸い住む家

2012年08月25日 | 甲府市
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友人のF君からの情報提供物件です。
元は何だったのでしようか? 1階右側の開口部が出入り口だったと思われます。


現在は、窓はアルミサッシに取り替えられ、奥に平屋の住宅が継ぎ足されています。
(甲府市幸町)