やまなし・まちかど図鑑

山梨県内のレトロなまちかど、面白・珍らし物件を凡苦楽庵が探訪します。

懐かしの木造校舎

2006年11月27日 | 富士川町(鰍沢・増穂)
増穂町平林地区は柚子の産地として、また富士山の撮影ポイントとしてもカメラマンに人気の地区だ。今は若い人たちは下へ降りて、高齢者が家を守っている。

この地区に唯一残る「増穂西小学校」。現在の児童数は全校で15名という。この校舎が建築されたのが昭和28年、その当時は「平林小学校」と称していた。当然児童数も多かっただろう。
下見板張りの木造校舎の定番だが、私自身の体験と重ねあわせ、懐かしい気分である。


残念ながら、2015年3月をもって閉校しました。

増穂(5)-旧舂米学校

2006年06月02日 | 富士川町(鰍沢・増穂)

増穂町のシンボル「旧舂米(つきよね)学校」(現民俗資料館)だが、藤村式と呼ばれている山梨県内に残る擬洋風建築の一つだ。明治の県令(今の知事にあたる職)藤村紫朗(ふじむらしろう)が推奨したことからその呼び名が残っている。明治9年の建築。塔の部分は“太鼓堂”と呼ばれ授業の合図に太鼓が打たれたそうだ。個人的には藤村式の中では一番好きな建物です。

ところで昨日は友人たちと遅く迄喋っていて、帰宅が日付が変わってしまいエントリーできなかった。
 

増穂(1)-萬屋醸造店(その1)

2006年05月28日 | 富士川町(鰍沢・増穂)
市川大門の対岸、鰍沢の北隣の町増穂。寛政年間(1790年)創業の老舗、春鶯囀(しゅんのうてん)の銘柄で知られる造り酒屋だ。与謝野鉄幹・晶子夫妻が投宿し名付けたと言われている。

この建物は江戸末期の建築で元々は醤油蔵として使われていた。今は洒落たカフェやギャラリーとしてリニューアルされ文化の発信もしている。

鰍沢(5)-極め付けはこちら

2006年05月11日 | 富士川町(鰍沢・増穂)


小原屋原田商店は1844年(弘化元年)の創業。当時は塩、植物油、米穀などを扱った。1881(明治14)年には県内に初めて石油を持ち込む。中央線や身延線の開通で舟運は衰え、現在はガソリン販売をしている。事務所として使っているこの蔵を始め、敷地内にはかつての塩蔵、油蔵があり、いずれも登録文化財となっている。

鰍沢(2)

2006年05月08日 | 富士川町(鰍沢・増穂)
鰍沢の街は釜無川と笛吹川が合流し富士川となる漏斗口に位置する。その昔、富士川舟運の拠点として明治の末まで約300年に亘って栄えてきた。舟運終焉後も国・県の出先機関が集中する峡南地方の中心となってきた。今も蔵づくりの家並みがあちこちに見られる。