甲府のまちなかの店舗や空き店舗を会場にした、「こうふのまちの芸術祭」が9月23日から10月2日まで開催されています。友人と出掛けてみました。最初に行ったギャラリーはあいにく閉まっていて、すぐ近くの元医院の建物が開放されていましたので、覗いてみました。
この医院の外観は以前UPしてありますが、内部を見るのは初めてです。
玄関を入った所の受付ですが、今で言えばパーテーションで仕切られています。小窓から中をのぞくと、薬瓶が沢山並んでいました。
「第一診察室」という室名札の扉を入ると、今でも老医師が診察をしてくれそうな雰囲気です。
至る所に置かれている色紙大の似顔絵が、芸術家の作品です。
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この医院の外観は以前UPしてありますが、内部を見るのは初めてです。
玄関を入った所の受付ですが、今で言えばパーテーションで仕切られています。小窓から中をのぞくと、薬瓶が沢山並んでいました。
「第一診察室」という室名札の扉を入ると、今でも老医師が診察をしてくれそうな雰囲気です。
至る所に置かれている色紙大の似顔絵が、芸術家の作品です。
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藤村記念館で開催して来た、まちかどの近代建築写真展の最終日。写真展の入場者数は休館日を除いた15日間で、1,532人でした。
よっちゃばれ広場では「太白桜チャリティー青空市場」が開かれ、大勢の人で賑わいました。
この日は探訪仲間や友人に呼びかけて、昭和25年に建築された、山梨英和の元宣教師館の見学を行いました。山梨県内に現存する唯一のヴォーリズ建築です。数年前まで、寮として使われていましたが、現在は空き家になっており、友人を通じて、見学のお願いをしました。
建築当時はこんな感じです。
現在の外観は
いざ内部へ潜入
まず目に入ったのが玄関のタイル
暖炉、階段などは、ヴォーリズらしさが出ています。
半地下には洗濯室
何とメディシンキャビネットが!
現在空き家とのことで、何かに活用して頂ければよいと思いました。
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よっちゃばれ広場では「太白桜チャリティー青空市場」が開かれ、大勢の人で賑わいました。
この日は探訪仲間や友人に呼びかけて、昭和25年に建築された、山梨英和の元宣教師館の見学を行いました。山梨県内に現存する唯一のヴォーリズ建築です。数年前まで、寮として使われていましたが、現在は空き家になっており、友人を通じて、見学のお願いをしました。
建築当時はこんな感じです。
現在の外観は
いざ内部へ潜入
まず目に入ったのが玄関のタイル
暖炉、階段などは、ヴォーリズらしさが出ています。
半地下には洗濯室
何とメディシンキャビネットが!
現在空き家とのことで、何かに活用して頂ければよいと思いました。
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建て替えのため取壊される甲府市役所の庁舎の閉庁式とお別れの会があり、行って来ました。午前10時からの閉庁式には出られませんでしたが、12時まで内部を自由に見学できました。
本庁舎(1号館)は、昭和35年に内藤多仲(現・南アルプス市出身)の設計指導で日建設計工務(現・日建設計)の実施設計により建設されました。当時の鷹野啓次郎市長の「定礎の辞」の一部を引用しますと、
『即ち、斯界の権威早稲田大学教授内藤多仲博士に設計を委嘱し、総工費2億3千万円、これが財源は起債及び水源涵養林より生ずる果実及び不用地の売却等を充当し、市民の負担、一般経費への直接影響を避けて、地下1階、地上5階、塔屋2階、別棟に市議会議場を配して、延面積1万865平方米、美観と機能とを兼ね備えた近代的市庁舎を建設するはこびとなったのである。...』とあります。
小生も仕事柄、この本庁舎にはよく通いました。最近は建築確認も民間検査機関に出すようになりましたが、以前はお役所だけでしたから、5階の建築指導課にはよく足を運び、担当者と建築基準法の解釈について丁々発止のやり取りをしたものです。見納めに5階に行くと、廊下には引っ越しの準備のために段ボール箱に詰められた書類が山のように積まれていました。中に入ると、顔見知りの職員が2〜3人仕事をしていて、あいさつを交わしました。帰りがけに、よく使ったトイレに入り、最後のオシッコをしてきました(笑)。
4号館は、元々甲府市郵便局として、昭和6年に当時の逓信省技師山田守の設計で建築されたものです。仕事やその他の用件でこちらに入ることはありませんでした。円柱の頂部のデザインが時代を彷佛とさせます。
トイレの小便器も重厚です。
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去る2010年2月7日の山梨日日新聞に、県庁南別館(旧県立図書館)の解体の記事が掲載されていました。昨日、県庁へ行く用事がありましたので覗いてみましたら、跡形もなく取り壊されていました。
在りし日の姿です。
記録として新聞記事を載せておきます。
2010年02月07日(日)
庁舎シンボル 「丸石」を撤去
解体進む県庁南別館
県の防災新館建設に伴い、甲府市丸の内1丁目の県庁内で、県民情報プラザと県庁第1、2南別館の解体作業が進んでいる。6日の作業では、第1南別館のシンボルだった球状の「丸石」が撤去された。
この日は直径約85センチ、重さ約900キロの丸石をクレーンでつり上げ、建物の解体に支障がない場所へ移動。今後、県庁北別館地下で保管、将来的には県庁別館へ展示する予定。
解体予定の3棟のうち第1南別館は、1930(昭和5)年に甲州財閥を代表する実業家根津嘉一郎の寄付で完成、県立図書館として使われた。幾何学的形態を組み合わせたアール・デコ様式の流れの中で生まれたデザインが取り入れられているのが特徴で、シンボルとして入り口に丸石が置かれた。
県が同館の解体方針を公表した後、建築家や学術団体などから保存を求める声が相次ぎ、丸石や建物の窓枠、照明器具などの保存が決まった。この日の作業に立ち会った建築研究所の関係者は「これほど大きな丸石を使った戦前のアール・デコ調の建物は珍しい。大切に保存してほしい」と話していた。同館は今月中に解体される。
資料保存のため、第1南別館前から移される「丸石」=県庁
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山梨英和の講堂(グリンバンクチャペル)については、2008年4月10日にエントリーしてありますが、その時は外観しか紹介しておりませんでしたが、この度あるイベントの下見打ち合わせで内部に入る事が出来ました。英和の卒業生にとっては懐かしい空間だと思います。
昭和24年(1949)の建築ですが、2006年に耐震改修工事がされました。元々の設計は構造力学の権威である内藤多仲ということですが、内藤がどこまでデザインにタッチしたかは分りません。木造でこれだけの空間は、当時としては珍しかったと思います。
小屋組みは意外と細い印象を受けました。
階段廻りです。
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昭和24年(1949)の建築ですが、2006年に耐震改修工事がされました。元々の設計は構造力学の権威である内藤多仲ということですが、内藤がどこまでデザインにタッチしたかは分りません。木造でこれだけの空間は、当時としては珍しかったと思います。
小屋組みは意外と細い印象を受けました。
階段廻りです。
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2009年12月10日にUPした「瓦のオンパレード」の仕事をした職人さんの作品が、愛宕山の中腹にあるという情報を得て、さっそく出掛けました。坂を登りはじめてしばらくすると、すぐそれと分る建物に遭遇しました。何と表現したら良いのか、言葉が思いつきません。毎回タイトルを決めるのも苦労しているのですが、今回ほど悩んだ物件は初めてです。あの宮崎駿の世界に近いとでも言いましょうか、何とも摩訶不思議ワールドです。
全景は、一見普通の和風住宅に見えますが、レンガの煙突らしきものも見えます。
こちらは何と釜をひっくり返したようなものですが、その下に見えるのは、昔使われていた竈(かまど)の扉(?)のようなもの。
詳細はこちらですが、「火の用心」と書かれています。
こちらは電柱ですが、その足下はレンガと瓦で巻いてあります。
敷地内の舗道も瓦と石を利用して敷かれています。
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全景は、一見普通の和風住宅に見えますが、レンガの煙突らしきものも見えます。
こちらは何と釜をひっくり返したようなものですが、その下に見えるのは、昔使われていた竈(かまど)の扉(?)のようなもの。
詳細はこちらですが、「火の用心」と書かれています。
こちらは電柱ですが、その足下はレンガと瓦で巻いてあります。
敷地内の舗道も瓦と石を利用して敷かれています。
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