やまなし・まちかど図鑑

山梨県内のレトロなまちかど、面白・珍らし物件を凡苦楽庵が探訪します。

シルクの里の元役場

2011年07月31日 | 中央市・昭和町


中央市の旧豊富村に古い役場の建物が残っていると言う情報を得ましたので、さっそく訪問しました。旧豊富村は養蚕が盛んだったことから、「シルクの里」と言われています。新しい役場(現在の支所)のすぐ近くの交差点に建っていました。2階の窓がアルミサッシに取り替えられていましたが、現在は使われていないようです。戦前の建築と思われます。

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昭和の大正医院

2010年02月06日 | 中央市・昭和町
去る2010年1月27日の山梨日日新聞に、
「地方病研究の功績 後世へ─昭和町が杉浦父子の医院保存地域文化発信拠点に」
という見出しの記事が掲載されました。





以下に紹介します。
 大正から昭和にかけて甲府盆地を中心にまん延した地方病(日本住血吸虫病)の研究に尽力し、地方病の権威として知られた医師杉浦健造、三郎父子の業績を後世に伝えていこうと、地元の昭和町は同町西条新田の杉浦親子の自宅や診療所を取得し、地域文化の発信拠点として保存、活用することを決めた。国の登録文化財として文化庁に申請。親子が研究を続けた院内を紹介し、2人に関する講座を開く。地方病の中間宿主の宮入貝が生息したのが水路だったことから、釜無川の氾(はん)らんの歴史などを含めて「水」をテーマにした展示を計画している。診療所部分は10月にも一般公開する予定。
 町教委生涯学習課によると、杉浦医院8代目の健造(1866〜1933年)は、地方病に日本住血吸虫病という名前が付く前から研究を始めた先駆者。地方病発症地の用水路に共通して宮入貝に似たカワニナが生息するという研究結果を発表し、医学会の地方病研究を活発にした。
 9代目三郎(1895〜1977年)は、米国の研究者も講習に訪れたという地方病の権威。動物実験を繰り返して、宮入貝を宿主とする虫卵から出た寄生虫が皮膚から侵入する感染ルートを突き止めた。父子は用水路の殺貝(さつばい)やコンクリート舗装など予防にも力を入れた。
 2人の研究拠点だった診療所は正覚寺隣にあり、敷地は約3300平方メートル。大正時代に建てられた木造2階建てで、南西にある住宅から廊下でつながっている北東の診療所には、診察台や薬棚のほか「Dr.Sugiura's Office Physician」と書かれた看板が残る。
 町は今後、大学教授や文化財審議委員など約10人で整備・保存・活用検討委員会をつくり、施設の在り方について検討。建物は補強工事をするとともに、駐車スペースも整備。庭園にある池には、地方病撲滅に伴ってえさのカワニナが減ったため姿を消したホタルが生息できるようにする。町内で集めた昔の農具、工芸品を展示するなど歴史博物館の要素を持たせ、近隣の史跡や歴史・文化遺産の情報を提供する。将来的にはボランティアスタッフを養成する考え。
 同課は「施設の活用方針は、杉浦父子の業績を伝えながら、水の歴史を伝える歴史遺産にすることと、まち歩きの拠点にすることの二つ。文化、歴史を後世に伝えるとともに、地域の活性化にもつなげたい」としている。

以上ですが、当ブログにはこれまで「昭和町」のカテゴリーがありませんでしたので、「中央市(玉穂・田富・豊富)」と一緒にして「中央市・昭和町」とします。

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