気になる図書館の行方 2022年04月23日 | 峡南(身延・早川・南部) 2月の新聞に掲載されていた、「旧富沢図書館」 昭和16年に富河村役場として建築され、その後富沢町役場、そして富沢図書館として利用されてきました。 老朽化のため、図書館は2021年11月に移転、その後は使われていません。 町では活用を探っているようです。
大正時代の看板建築-横山酒造店 2018年06月04日 | 峡南(身延・早川・南部) 南部町にある店舗です。 大正5年頃の建築ですが、その後昭和28年と30年に増築(3階部分と北側)されています。 2016年に登録有形文化財として登録されました。
下部温泉散策(1) 大市館(裕基屋) 2018年05月17日 | 峡南(身延・早川・南部) 武田信玄のかくし湯としても知られる下部温泉。その歴史はもっと遡ることが出来ます。中学時代の国語の教科書に、井伏鱒二の「山椒魚」が載っていましたが、その井伏がよく湯治に来ていたのが下部温泉です。この宿は、創業明治8年とのことですが、木造3階建てのこの建物は昭和初期のもののようです。 2018年5月17日追記:登録文化財への答申がされましたので、再訪問しました。
小さな製材所の事務所 2014年05月03日 | 峡南(身延・早川・南部) 国道52号線をずーと南下して、山梨の最南端南部町の楮根地区にある製材所の現役の事務所です。築50年は悠に超えているようです。 裏側は川の石垣の上に乗っかっていますが、まぁ良しとしましょう。 ←“製材所!”と一日一回クリックして頂けるとありがたいです。
下部温泉散策(4) やまめ床 2012年11月29日 | 峡南(身延・早川・南部) 井伏鱒二が下部温泉に逗留した折に、よく訪れた床屋さんです。こちらの店主が井伏の釣りの師匠だったそうで、「やまめ床」という屋号は、井伏の命名だそうです。 ←“やまめ!”と一日一回クリックして頂けるとありがたいです。
下部温泉散策(3) 木造4階建て? 2012年11月28日 | 峡南(身延・早川・南部) 下部温泉街を流れる下部川に面してへばりつくように建つ宿です。一見木造4階建てに見えますが、おそらく、3階までは鉄筋コンクリートで4階部分は木造ではないかと思います。この建物は、この宿の別館ですが、繋がっている本館の正面玄関へは、川に掛かる橋を渡って入る格好になっています。 ←“リバーサイドホテル!”と一日一回クリックして頂けるとありがたいです。
下部温泉散策(2)横顔はすっぴん 2012年11月27日 | 峡南(身延・早川・南部) こちらの旅館も木造3階建て。おそらく手前の空き地には同じような宿が建っていたのでしょう。それが取り壊されたため、横顔のすっぴんが晒されてしまったようです。 ←“すっぴん!”と一日一回クリックして頂けるとありがたいです。
身延山のお宿 2012年05月07日 | 峡南(身延・早川・南部) 身延山には参拝された信者さんや観光客のための宿坊や旅館が沢山あります。そのうちの一軒、木造3階建ての旅館です。 ←“とにかくクリック!”と一日一回クリックして頂けるとありがたいです。
身延山の看板建築 2012年05月04日 | 峡南(身延・早川・南部) 日蓮宗総本山の身延山参道には、ご他聞に漏れず、土産物屋や旅館などが立ち並んでいますが、珍しく看板建築もありました。随分力が入っています。1階部分は改修して当初のデザインとは違っていると思います。現在は蕎麦屋さんになっています。 ←“参道に賛同!”と一日一回クリックして頂けるとありがたいです。
見事な唐破風の身延山宿坊 2011年09月08日 | 峡南(身延・早川・南部) 日蓮宗総本山の身延山久遠寺の周辺には39の宿坊があるそうです。過日、中学時代の恩師と友人数名で、ある宿坊で食事をしました。この宿坊の玄関は見事な唐破風のつくりですが、このあたりの宿坊は、このようなタイプが多いようです。改めて身延山の宿坊巡りをしたいものです。 なお、こちらの料理は、身延特産の湯葉をふんだんに使ったもので、何でも「湯葉料理コンテスト」でグランプリを獲得したそうです。庭も、夢窓国師作庭と伝えられています。 ←“湯葉もいいけどみのぶまんじゅう!”と一日一回クリックして頂けるとありがたいです。
懐かしの歯科医院 2011年08月24日 | 峡南(身延・早川・南部) 先日、身延町へ行く用事がありました。下山(しもやま)は、小生が通っていた保育園があった地区です。当時は園のバスなどありませんでしたから、通常の路線バスで通園しました。そのバス停の傍らに、この歯科医院があります。久し振りの対面でした。現在は使われていないようです。 ←“シカトしないで!”と一日一回クリックして頂けるとありがたいです。
元学校? 2011年02月28日 | 峡南(身延・早川・南部) 身延町(旧中富町)の下田原(しもたんばら)地区で見かけた物件です。おそらく元小学校と思われます。隣りの空き地(元校庭?)の一角に、「共和尋常高等小学校跡」という立派な石碑がありました。 廃墟となった建物の中を覗くと、鉄工所らしき設備の残骸がありました。間仕切りもないので、元講堂だったのか、それとも仕切りを取り除いたのか、不明です。 ←“がっこういい?!”と一日一回クリックして頂けるとありがたいです。
元医院? 2011年02月24日 | 峡南(身延・早川・南部) 身延町(旧中富町)の切石地区で見かけた物件です。ピアノ教室の張り紙がありますが、勝手な想像をすると、元医院(あるいは歯科医院)ではないかと思います。 玄関廻りは、ポーチ柱は豆タイル、土間は目地が菱に引かれ、ドアの取っ手とデザインを統一しています。 ←“医院でいいん?!”と一日一回クリックして頂けるとありがたいです。
久那土(くなど)の街並み 2011年01月23日 | 峡南(身延・早川・南部) JR身延戦の久那土駅から県道沿いに小さな商店街があります。住居表示としては身延町(旧下部町)三沢ですが、駅名は久那土です。県立峡南高校の下車駅でもあり、かつてはこの町並みもご他聞にもれず、賑やかだったそうです。 まず、こちらは元床屋(美容院?)さんでしょうか。 こちらは、蔵の横は事務所として使っていたのでしょうか。 こちらの2階の窓はインターナショナルスタイル? こちらはモザイクタイルのファサードです。 タイルでボーダーを作ったこのタイプは時折見かけますね。 ←“苦など、ないっ!”と一日一回クリックして頂けるとありがたいです。
パワースポット発見!? 2011年01月20日 | 峡南(身延・早川・南部) 峡南地方の山間部を車を走らせていたら、突然、路肩に“ミニ鳥居”を発見。ガードレールと比べてみて、大きさが推測できると思います。鳥居の奥は川になっています。 不思議に思いながら、再び車を走らせると、100Mも行かないうちに、今度は“超ミニ鳥居”が。 誰が、何のために設置したのか分かりませんが、隠れたパワースポットではないでしょうか。 実はこの物件、昨年暮れに発見したのですが、12月28日のエントリー記事のような始末でした。 本日、再訪問して、今度はちゃんと保存しました。 ←“パワースポット!”と一日一回クリックして頂けるとありがたいです。