constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

危ない子どもたち

2006年07月20日 | knihovna
P・W・シンガー『子ども兵の戦争』(日本放送出版協会, 2006年)

民間軍事会社(PMCs/PMFs)に関する本格的な学術書である『戦争請負会社』(日本放送出版協会, 2004年)で脚光を浴びたシンガーの新刊書。前著を踏襲した装丁から、二匹目のドジョウを狙う出版社側の意図が窺える。また類似点は装丁だけではない。戦争における子どもの位置づけを歴史的に辿りながら、各種データを示しつつ多くの紛争地域で子どもが兵士として徴用されている現状を概観する。このような現状把握を背景にして、なぜ子ども兵という問題が生じてきたのかを探り、最後に「それではどうすればいいのか」という政策的含意の検討が示される議論の構成においても『戦争請負会社』と同じ流れになっている。社会科学の研究手続きに沿った「現状把握→分析→政策提案」という流れが類書の多くに見られがちな事実を列挙する記述とは一線を画した説得力を与えている。

しかしながらその説得力の根拠が「翻訳」を通じて喪失されているのではないかと疑わせる点もある。民間軍事会社にしても子ども兵にしてもその実態を把握するには大きな困難がある。そのため、情報源を明らかにすることは記述の精度と著者の主張の説得性を担保する。しかし多くの読者を獲得するという商業上の理由から前著『戦争請負会社』の場合、著者との了解に基づくとはいえ、注と文献リストが捨象される「配慮」によって、民間軍事会社というテーマの斬新性を補強する学術的な基盤が損なわれることになった。こうした「配慮」が『子ども兵の戦争』についても作用しているように思われる。原書を確認していないのではっきりしたことは言えないが、邦訳において一切の注釈表示はない。訳者による但し書きもないことを考えると、もともと原書にもなかったと判断することもできるが、たとえば化学兵器の使用禁止に関する規範に言及した箇所は、リチャード・プライスの研究(The Chemical Weapons Taboo, Cornell University Press, 1997)に基づいていることが明らかであるように、引用表記があってもおかしくない箇所が散見される。

戦闘員と非戦闘員の区別、なかでも未成年者の保護という規範が侵食されている行為が蔓延っている原因として、シンガーがグローバリゼーションの進展、軽小火器の拡散、戦争形態の変化の3点を指摘している。なかでも子ども兵が重宝される要因のひとつに挙げられている軽小火器の代表格がカラシニコフ(AK47)銃である(カラシニコフについては、松本仁一『カラシニコフ』朝日新聞社, 2004年および『カラシニコフII』朝日新聞社, 2006年を参照)。軽小火器の問題は、北朝鮮やイランの核開発問題に典型的な大量破壊兵器と比べて注目度が低いにもかかわらず、その重大性は無視できないほど大きい。しかし、国際社会における取り組みを見ると、先ごろ開催された国連「小型武器行動計画」再検討会議が最終文書を採択できなかったことからも明らかなように(「国連:小型武器会議、合意できず閉幕・米ライフル協の圧力影響」『毎日新聞』7月9日)、新たな規範形成には程遠い状況である。規範サイクル論に当てはめて考えれば(Martha Finnemore and Kathryn Sikkink, "International Norm Dynamics and Political Change", International Organization, vol. 52, no. 4, 1998)、ある規範が普及し、受容される過程において重要な条件のひとつに、関連する争点に強い影響力を持つ主体の積極的参画がある。小型武器問題についていえば、最大の銃大国であるアメリカ政府および世論がそれにあたるわけだが、肝心のアメリカ国内において、小型武器問題の本質が正確に伝わっておらず、反対に憲法修正第2条の自己武装権の死守を掲げる全米ライフル協会の無用な介入を招き、論点が摩り替わってしまった(「全米ライフル協会:銃規制と誤宣伝、国連に抗議殺到」『毎日新聞』6月24日)。

小型武器の違法取引を規制する規範の整備が停滞する一方で、子どもを兵士として利用する規範は戦場において一定の基盤を持ち始めている。シンガーが第8章「子どもを兵士にさせない」で指摘するように、冷戦後の国際関係論で流行している構成主義が重視する規範は、多くの場合、善い行為を促す準則と捉えられる傾向が強い。しかしこうした規範と倫理を結びつける議論に対して、シンガーは、規範と倫理を切り離し「戦争における社会的行為の暗い面」に注目すべきだと指摘する。子ども兵は、政府軍あるいは反乱軍を問わず、世界の紛争地域で共通に見出される現象である事実は、子ども兵をめぐって2つの規範が競合していることを意味している。先述した規範サイクル論によれば、ある規範が定着するためには、旗振り役となる「規範起業家」の運動が広がり、一定の賛同を得る受容(カスケード)段階に達することが必要であり、この壁を突き破ることができれば、規範の普及は一気に加速化する。数々の国際法上の協定に見られるように、子ども兵を禁止する規範は受容段階を越えて、内面化/制度化の段階に入っている。しかし「道徳規範と、実際の行動やそうした規範の施行とを混同してはいけない」(204頁)とシンガーが注意を促すように、子ども兵禁止規範は十分に定着しているとはいえない。むしろより巧妙な形で子どもの徴用・訓練が行われている。また子ども兵の戦術的有用性に目をつけた大人たちが「規範起業家」の役割を担い、子ども兵の利用を促進する正反対の規範の拡大に一役買っている。こうして少なくとも紛争地域において、子ども兵利用規範は、受容段階に突入しようとしており、禁止規範の正当性に疑問を投げかけるだけの力を持ち始めている。

子ども兵を利用する規範の浸透が示唆するのはある種の軍事化が進展していることである。シンシア・エンローによると、軍事化とは「何かが徐々に、制度としての軍隊や軍事主義的基準にコントロールされたり、依存したり、そこからその価値を引き出したりするようになっていくプロセス」である(「軍事化とジェンダー――女性の分断を超えて」『思想』947号, 2003年: 8頁、強調原文)。従来「聖域」であった子どもが戦場に駆り出されることによって、最も感受性が豊かな時期を軍事を最優先とする環境で過ごすことになる。たとえば、子どもを兵士に育て上げる際に重要な動機付けとして、威圧・報酬・規範が挙げられている(第5章)。その中でも威圧による訓育が大部分を占めることは、人間関係を築き上げる際に、暴力に頼る人間を作り上げてしまう。幼少期からほとんどこうした行動規範に慣れ親しむことで、兵士としての有能さが培われるかもしれない。しかし、戦争が終結した後の社会復帰の段階において軍事化された行動規範しか経験したことのない元子ども兵はまったく異なる世界に直面することになる。軍事的思考や行動規範が染み付いた状態から抜け出すことは容易ではなく、また多くの地域において社会復帰を支援する環境制度が十分ではないことを考えたとき、子ども兵とはポスト紛争社会の抱える問題が凝縮した形で可視化した問題だといえる。
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