A級戦犯合祀に対する昭和天皇の不快感を記したメモが公表され、『朝日新聞』など参拝反対派は勢いづく一方で、『産経新聞』に代表される参拝賛成派は発言の含意をなるべく限定しようとする構図は、従来の皇室に対する両派の姿勢を反転させたものといえる。天皇をはじめとする皇室を「政治利用」してはならないという言明は、それだけ彼らの一言には無視できない重みがあることを意味している。天皇の発言ひとつが政局の流れに影響を与える点で、日本は依然として「神の国」であることを再認識させる出来事である。
このことは戦後日本において天皇制が密教としての役割を担っていたことを示唆している。天皇制の密教的位相については、日米安全保障条約の成立過程における天皇外交の存在を10年ほどまえに豊下楢彦が断片的な状況証拠の積み上げによって提示したことが知られているが(『安保条約の成立――吉田外交と天皇外交』岩波書店, 1996年)、近年公開されたアメリカ側外交史料は、日本の戦後外交、とりわけアメリカとの同盟政策の重視という外交方針に対する昭和天皇の強いコミットメントを裏付けている(吉次公介「知られざる日米安保体制の“守護者”――昭和天皇と冷戦」『世界』2006年8月号)。日米合作である「戦後国体」によって免罪された昭和天皇にとって、アメリカの冷戦戦略に関わることが「戦後国体」の護持にもつながることは自明であったのだろう。
ここに象徴天皇制の下で公的な政治空間から退いたことになっている天皇がさまざまな形で戦後の政治外交に影響力を及ぼしていたことの一端が看取できるわけだが、今回の昭和天皇のメモが投げかけた波紋もその延長線上にあるとともに、こうした戦後日本を暗に規定していた密教が顕教化した一例と受け止めることもできるだろう。
このことは戦後日本において天皇制が密教としての役割を担っていたことを示唆している。天皇制の密教的位相については、日米安全保障条約の成立過程における天皇外交の存在を10年ほどまえに豊下楢彦が断片的な状況証拠の積み上げによって提示したことが知られているが(『安保条約の成立――吉田外交と天皇外交』岩波書店, 1996年)、近年公開されたアメリカ側外交史料は、日本の戦後外交、とりわけアメリカとの同盟政策の重視という外交方針に対する昭和天皇の強いコミットメントを裏付けている(吉次公介「知られざる日米安保体制の“守護者”――昭和天皇と冷戦」『世界』2006年8月号)。日米合作である「戦後国体」によって免罪された昭和天皇にとって、アメリカの冷戦戦略に関わることが「戦後国体」の護持にもつながることは自明であったのだろう。
ここに象徴天皇制の下で公的な政治空間から退いたことになっている天皇がさまざまな形で戦後の政治外交に影響力を及ぼしていたことの一端が看取できるわけだが、今回の昭和天皇のメモが投げかけた波紋もその延長線上にあるとともに、こうした戦後日本を暗に規定していた密教が顕教化した一例と受け止めることもできるだろう。
学ばせていただきながら、大変つかぬことをお尋ねします。
貴重な言説もただのモノと化してしまう情報社会において、ましてやブログという形で知識を表することは、「もったいない」ような気もするのですが、その点、どのようにお考えでしょうか。
私のような愛読者がいるので、是非とも、今後とも続けていただきたいのですが、ふとそんなことを考えました。
お時間の許す折に御教示ください。
このブログは、タイトルが示しているように、「独り言」で成り立っており、その意味で本来的にノイズとしての性格が強いと考えています。ただ書き手側がいくら「独り言」と規定したところで、双方向メディアであるブログを通じて発信されている時点ですでに「対話」の契機が内包されているのも事実だと思います。その意味でノイズと規定された言説にそれ以上の意味を見出す作業は読み手の解釈に委ねられているとともに、そうした読みのフィードバックが比較的に容易な点でブログによる知識の表現にも意味があるのではないかと思います。