constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

陰謀論との危険な関係

2007年09月11日 | knihovna
2003年のイラク攻撃をめぐる過程で現実主義の立場から反対の論陣を張ったジョン・J・ミアシャイマーとスティーヴン・M・ウォルトが2006年3月にアメリカン外交(とくに中東政策)における政策の自由度を狭め、柔軟性に欠けたものにしている規定要因としてイスラエル・ロビーの存在を指摘した論考("The Israel Lobby and U.S. Foreign Policy.")を発表し、英米圏のメディアでその主張の賛否をめぐって激しい論争が起こったことは記憶に新しい(『ロンドン・レビュー・オブ・ブックス』での論争)。またアメリカにおける論調に対して些か過敏症気味の日本でも追随するかのように、類似(便乗?)本が刊行されている(たとえば、佐藤唯行『アメリカはなぜイスラエルを偏愛するのか――超大国に力を振るうユダヤ・ロビー』ダイヤモンド社, 2006年)。

そして先ごろ、ミアシャイマーとウォルトが、自らの主張をより精緻化し、補強するとともに、論争を通して投げかけられた批判に対する反論を含める形で著した『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』(講談社, 2007年)がほぼ世界同時刊行された。当初からミアシャイマーとウォルトの議論に対して、欧米世界における一種のタブーに切り込んだこともあって、反ユダヤ主義という批判がなされている。こうした批判は欧米における反ユダヤ主義の根深さを想起させ、ホロコーストに帰着することになる反ユダヤ主義の暴力性を否定/忘却する議論や風潮に対する防波堤として機能している。しかし反ユダヤ主義という批判は、自らに都合の悪い主張を否定し、生産的な議論の可能性を封じ込めてしまうドグマ化の危険性を抱えており、自由で冷静な議論によって導かれる公論空間それ自体の縮小をもたらすことになる。その意味でミアシャイマーとウォルトの著書は、その読解に際して格別の注意を要するものである。

こうした背景を考慮した場合、日本語訳の訳者が副島隆彦であることはミアシャイマーとウォルトの意図とは異なる文脈で読まれる可能性を生み出しかねない。周知のように、副島は、人類の月面着陸を捏造だと主張した『人類の月面着陸は無かったろう論』(徳間書店、2004年)が2005年度「日本トンデモ本大賞」を受賞するなど陰謀論に魅せられる傾向がある。それゆえ翻訳者としての副島の資質がいかに優れたものであっても、彼に纏わりつく(あるいは彼自身が作り上げた)陰謀論者のイメージが、ミアシャイマーとウォルトの主張を飲み込み、ユダヤ陰謀論の磁場に引き寄せてしまう懸念がある。おそらく、このことは副島自身の問題というよりもむしろ、翻訳者の選定における問題であり、その点で講談社編集部の判断には疑問を抱かざるをえない。

・追記(10月20日)
第2巻の「訳者あとがき」を読む限り、副島の単独訳ではなく、「監訳者」としての立場にあるとみなしたほうが適切なようだ。良くも悪くもネームバリューのある副島を前面に出すことによって消費者の注意を惹きつけるという商業的配慮が大きく作用した結果だといえる。
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2 コメント

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同感です。 (タロー)
2007-09-12 17:49:35
本書は取り扱い注意の本だと思います。邦訳出版には基本的に賛成ですが、それは、この論考の背景や経緯を理解した翻訳者にすべきでした。商売として副島訳なら売れると考えたのでしょうが、彼の訳者あとがきも、非常に浅いもので、名前貸しに近いものだということが伺えます。残念であり、また危険なことだと思います。
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Unknown (bokushi2235)
2007-09-13 17:55:27
タローさん、コメントありがとうございます。世界同時刊行に固執した結果ともいえると思います。欧米世界にとって「内なる他者」ユダヤ人をめぐる問題が日本においても重要であることは理解できますが、問題の歴史的位相や受け止め方を考慮すれば、それほどあせる必要もなかったと感じます。
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