constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

夢見る「チーム日本」

2006年07月14日 | nazor
自分の主張を100%実現することが外交だと根本から勘違いしている印象が強い北朝鮮ミサイル問題をめぐる(自称)「保守」派の論調。日本存亡という危機意識に酔いしれている憂国論者からすれば、国民が一体となって事に当たらなくてはならない状況において、「和」を乱すような動きはどうしても許せないらしい。

そのようなメンタリティを「的確かつ正直に」吐露してくれたのが今日の産経抄である。いつから「チーム日本」などという名称が市民権を得たのか、産経新聞の自己満足の極みとしか言いようがないが、「チーム日本」の結束を高めてみたところで、外交交渉にはつねに「相手」が存在することを忘れてしまうようでは、「チーム日本」の結束が意味するのは所詮「内輪」の論理としてのみ機能するだけだろう。

博多で開催された世界政治学会に出席した北岡伸一に対する苦言にしても、産経新聞は本気で学者先生一人が国連次席大使となったぐらいで国連における日本の地位が改善するとでも考えていたのだろうか。なぜ彼が大使ではなく次席大使に任命されたのかを考えればいまさら「お飾りではないか」と憤る姿勢は喜劇的ですらある。

ついでにいわゆる「ミュンヘンの教訓」を持ち出して、国際社会の「悪者」に弱みを見せてはならないという歴史の教訓をしっかり汲み取るべきだと忠告しているが、安易な歴史の利用こそが咎められるべきだろうことは、つい先ごろ、渡邊啓貴が「日本が直面するリアリズム喪失の危機」(『中央公論』2006年7月号)で指摘したはずで、また「歴史の教訓」を持ち出すのであれば、希望的観測に基づく政策決定が第一次大戦を招いた事実と比較考量しなくては「教訓」にはなりえない。どうも産経新聞にとって歴史とはたかだか第二次大戦の開始である1939年以降を意味するようだ。
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