constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

興奮と幻滅の中東民主化現象

2011年02月04日 | nazor

チュニジアのベンアリ政権崩壊に端を発した民主化は、アラブ諸国の主導的地位にあるエジプトに波及し、ムバラク体制を動揺させているとともに、ヨルダンやイエメンといった同様の境遇にある周辺諸国も体制の崩壊を回避すべく予防措置を講じている。とりわけ欧米先進諸国の観点からは、イスラエル/パレスチナ問題(に起因する国際テロリズム)、および石油エネルギー問題など地政学的にも経済的にも座視できない地域であり、その民主化のドミノ現象に心情的に共感する一方で、力の真空状態の創出と地域の不安定化に対する懸念に囚われ、素直に歓迎できない事情がある。

ここでムラバク大統領が直面している現況について、ちょうどムラバクが政権を握った約30年前、つまり1980年前後の世界で見られた(開発)独裁体制、具体的にはスペイン、イラン、韓国などの政治危機を考察した論考において、高橋進が提示した政治体系危機論の枠組みを手がかりに考えてみたい(高橋進『国際政治史の理論』岩波書店, 2008年、初出は『世界』1980年2月号)。

高橋は、ドイツの政治学者イェニッケの議論を紹介する形で、安定・不安定・尖鋭的危機・瓦解の4つの状況に政治体系を区分する。まず安定状態において体制に対する不満は個人レベルに還元されており、個人の紛争主体能力も不十分であるために、体制の動揺を誘うほどではない。しかし、ほかの集団との連帯を通じて、社会不満が個人レベルにとどまらず、社会紛争化していくと体制は不安定化する。この時点で体制側は、利害関係の調整役として不満を中和したり、不満を抱く集団を孤立化させて「治安問題」に還元させたり、あるいは紛争基盤が確立される段階に至ると、体制側が主導する改革の実施、経済的な富の配分政策の見直し、紛争主体の承認・包摂などの「予防的危機管理」を採用し、次の尖鋭的危機への昂進を防ごうとする。この「予防的危機管理」の失敗は、体制側と反体制側の直接対峙、革命前夜の状況をもたらす。体制側は、軍や支持団体の動員といった「対応的危機管理」を採る。しかし「対応的危機管理」の帰結が体制側による弾圧か、それとも体制改革になるかどうかは、この状況におかれた政治指導者のリーダーシップに左右される。そして「対応的危機管理」の失敗が政治体制の「瓦解」を意味する。

この政治的危機論に照らしてみると、エジプトの場合、これまでムスリム同砲団などの野党勢力の排除に典型的に見られるように、社会的不満を組織化する回路を事前に遮断する措置を講じることによって、政権への不満が拡がることを未然に防いできたといえるだろう。このような国内社会における紛争主体の分断統治が一定の成果を挙げてきたことは30年にわたる政権存続という事実が何よりも物語っている。しかし欧米諸国からの援助を期待せざるをえない立場にあるため、選挙の実施といった民主主義の外装を整備することによって、政権の正当性を確保している権威主義体制においては、空洞化しているとはいっても、限定的な参加の余地が残される。この機会を捉えて反対派が体制への不満を吸収し、支持を拡大させ、この動きに反対派の抑圧で応えるサイクルが形成される。高橋によれば「抑圧を行使し限定的な競争を維持しようとする体制のもつジレンマとは、不満と反逆が増大することによって、抑圧は手に負いがたい民主化への爆発を増大させ、そしてさらにきびしい抑圧が必要とされる」(55頁)。そしてこのジレンマは、先の政治危機の各段階の進展度合いにも影響を与え、とくに反対派の目標実現のために体制転換が必要だと認識されるとき、不安定から尖鋭的危機へは短期間で移行することになる。

今回のエジプトの事例を見ても、体制の動揺から流血事態に象徴的な革命前夜状況にいたる過程は加速度的である。しかも危機状況の進展において興味を引く要因として指摘されるそのトランスナショナルな位相である。ムラバク体制の安定から不安定へ、つまり不満の社会紛争化を促進したのは、国内の反対派のイニシアティヴというよりもむしろチュニジアの政権崩壊というトランスナショナルな回路を通じて、社会的不満を抱く紛争主体の覚醒および連帯が促された点に特徴を見出せる。ツィッターやフェイスブックといった情報通信技術の発展はデモンストレーション効果の加速化に寄与し、いわゆる「横からの入力」に対する体制側の対応や規制が追いつかず、それゆえに社会的不満の表出を事前に抑え込むことができなかったといえるだろう。政治体制の不安定状態に直面したムバラク大統領は、空席だった副大統領の任命などの譲歩を示すことで不満の沈静化を目指したわけである。いわば「予防的危機管理」に合致する手段を講じて、危機の収束を狙ったが、反体制運動の勢いを止めることができず、尖鋭的危機を招来してしまったのが現状だといえよう。まさに警察の動員が疑われる大統領支持派のデモ隊と反政府派の衝突は、「対応的危機管理」の一例である。

そしてこの革命前夜の雰囲気が覆う状況が体制の瓦解に帰結することを回避するうえで、政治指導者の対応が注目されると同時に、高橋によれば、大国の対応および行動も事態の行方を左右するファクターとなる(51頁)。言うまでもなくアメリカ政府の対応が注目される。中東地域における民主化は、ある意味でブッシュ・ジュニア政権が夢見た「中東民主化構想」が遅ればせながら実現しつつあるともいえるし、「自由の帝国」たるアメリカの理念が、文化的に異質な中東地域にも芽吹き始めた兆候と捉えられるかもしれない。それは民主主義の普遍的性格を示してもいる。しかし、権威主義あるいは独裁体制の崩壊は、一直線に民主主義体制へと移行するわけでないこともまた事実である。その点でポスト・ムラバクのエジプトは、同じく親米独裁政権の崩壊、そして反米政権の樹立に至ったイランの道を歩むことも十分ありうる。このシナリオはアメリカ政府にしてみれば、最悪の部類に入るものであろう。したがって外交政策の指針において親米か否かが優先的な基準である限り、換言すれば価値よりも利益が重視される限り、民主主義の理念はその文化的境界線を乗り越えることができず、政策上のレトリックでしかなくなってしまう。そしてそれは民主主義への懐疑や幻滅を招き、ひいては権威主義的・独裁的統治に対する免罪符ともなってしまう。

チュニジア発の民主化ドミノ現象は、20世紀後半に生じた民主化の第三の波を想起させる。しかし、民主化には揺り戻し現象が付きまとう。それは21世紀初頭に旧ソ連諸国で連鎖的に起こった「カラー革命」を経験したウクライナ、グルジア、キルギスタン(クルグズスタン)のその後を一瞥すれば、民主主義の「定着」がいかに困難な過程であるか明らかであろう(藤森信吉・前田弘毅・宇山智彦『「民主化革命」とは何だったのか――グルジア、ウクライナ、クルグズスタン』北海道大学スラブ研究センター, 2006年参照)。エジプトのムバラク体制の動揺に対する報道が過熱する一方で、チュニジアの動向が一般メディアでほとんど伝えられないが、むしろ決定的な転換点にあるのはエジプトではなく、チュニジアのほうかもしれない。先発事例であるチュニジアにおける体制移行の成否が、正負いずれかのデモンストレーション効果を発揮して、他国の政策判断に影響することは十分考えられるからである。

「権威主義体制の崩壊には、ほとんど常にゾクゾク興奮させるものがあるが、民主主義体制の樹立にはしばしば幻滅させられる」(サミュエル・ハンチントン『第三の波――20世紀後半の民主化』三嶺書房, 1995年: 163頁)とすれば、民主主義体制の定着はさらなる幻滅を伴う過程であろう。幻滅に彩られた民主主義の樹立・定着過程に対する「耐性」を身に着けておかなければ、早晩、民主化の揺り戻りに見舞われかねない。


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