constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

小国の冷戦ゲーム

2011年06月21日 | nazor
冷戦が、従来の国際関係(論)が想定するような、ほぼパワーが均等な国家間同士が切り結ぶ水平的な関係(=アナーキー)ではなく、核兵器の有無に象徴されるパワー格差にもとづいたハイラーキーの意味合いを多分に有していることを考えると、冷戦時代の国家間関係の基調は、グローバル次元での米ソ関係、アジア地域における米中関係を除けば、非対称的な関係と把握することに異論は少ないだろう。しかも、その関係において、一般に想定されるような支配・従属関係に収まらない、とくに小国が大国の行動を束縛したり、対立関係を利用することで自国の存在意義を確保するような戦略が機能する、幅広い政治選択が存在していた。とりわけ、一方で植民地からの独立を成し遂げた新興国家の基盤を確立する過程と冷戦のグローバルな拡大が同時並行的に進展したことは、独立当初に見られる国情の流動性が大国による内政への介入を誘い、新たな支配・従属関係の確立をもたらす。他方で、複数の介入主体の「援助競争」を通じて、国家建設に必要な資源を確保したり、地政学的状況を踏まえた「存在価値」をアピールすることで、自立性を担保する、強かな戦略を発揮するだけの余地を独立国の政府指導者に与えることにもなった。

このような非対称的な国際関係に特徴的な従属と自立の関係は、冷戦の進展度合いによって、2つのパターンに大別できるだろう。第1のパターンは、従属から自立へという通時的な展開である。このパターンは、第二次大戦から冷戦へと向かう「戦間期」に、大国の占領などの直接関与が建国や政治体制の樹立に際して大きな役割を果たした国家の場合に見られる。そしてこれらの国家は冷戦の前線を形成することになるため、関与の度合いは強い。したがって大国の関与が国家の深奥部にまで及び、自立性を発揮することはほぼ不可能に近く、いわゆる「傀儡国家」として国際政治の舞台に登場せざるを得ない状況に置かれている。しかし従属状態は不変ではなく、大国の政策変更や取り巻く国際環境の変動によって、徐々に自立性を追求する空間が開かれていく。ときに「弱者の恐喝」を行使することで、大国の政策選択に影響を与えることも可能となる(ベルリンの壁建設をめぐるソ連・東独関係が典型的である)。さらにいえば、北朝鮮やアルバニアのように、鎖国という形で冷戦から退却することで国家の自立を達成する帰結がありえる。

第2のパターンは、冷戦構造がある程度確立した段階で独立を達成した場合に見られる。このとき従属と自立の関係は共時的なもので、小国の主体性は、第1のパターンよりも大きいといえる。つまり、一方の陣営との同盟を結ぶか、もしくは冷戦の局外に立つか(非同盟中立路線)が、実際はともかく理念的にいえば、独立国の政治指導者の眼前に政策上の選択肢として提示されている。核の共滅を回避することで米ソ両国の利害が一致した1960年代半ば以降、米ソの利害が直接絡み合うヨーロッパにおける冷戦構造が固定化されたことで、冷戦の主戦場が第三世界地域に移動し、これら地域に大国が関与する状況が生まれた。と同時に、新興独立国の指導者も、この地域とは無縁に等しい冷戦の論理を戦略として用いることによって、援助の獲得競争に参入していく。しかしながら大国の関与を利用することは高度な政治的・外交的な手腕が求められる。ときに大国の関与が政権内部における党派対立と共振することによって、政策選択の自由度は、自立どころか、従属下の安定よりも悲惨な内戦状態をもたらすことになる。しかも強い利害関係を持たないがゆえに、換言すれば、冷戦の外在性ゆえに、内戦への関与は、グローバル次元の冷戦の終焉によって、その意味を喪失してしまい、その残務整理は、いわゆる「新しい戦争」として定式化されることを通じて執行されることになった。
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