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constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

代理人たちの造反

2006年11月28日 | nazor
郵政民営化造反組の復党問題は、代議制民主主義の抱える問題点、つまり本人たる主権者の考えや認識と、その本人によって選ばれた代理人のそれとのズレを浮かび上がらせた。昨年の衆議院選挙が実質的に単一争点をめぐる国民投票型選挙であったことを考えると、造反組の復党に際して、改めて主権者に復党の是非を問うのがいちばんすっきりした決着の仕方だろう。あわせて自民党員だけの審判しか受けていない安倍政権が国民の審判を仰ぐ機会ともなりえたはずである。しかしながら当の安倍首相には選挙に託すという考えはないようで、むしろ「実績を作ってから」などと語っているところをみると、政権誕生から2ヶ月を経た現時点で、国民に示すべき実績がないことを自ら明らかにしているに等しく、自信のなさが窺われる。

また復党を求める自民党内の論理に典型的に見られた「義理」や「人情」を前面に押し出す議論は、代理人である彼ら議員を選んだ国民を念頭に置いたものではない。「義理」や「人情」といった情念に基づく論理は、造反議員に対して感情移入するだけの親近感を持つ自民党内部ではそれなりの説得力を持つとしても、それは観客(=国民)の目を無視した独善的な茶番でしかない。そうであれば、むしろ、年内の復党を急いだ要因として指摘されている「政党助成金を受けるため」というそれこそ身も蓋もない本音に正直であるほうが、当初反発を招くかもしれないが、長期的な視野に立った場合、軽傷で済んだかもしれない。つまり、すくなくとも「金」という利害の論理は、「義理」や「人情」といった情念の論理に比べて、単純である分だけ普遍性を持ち、国民には判然としない内輪の論理を優先させる理由付けよりも分かりやすいことだけでは確かである。

結局のところ、「イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民はドレイとなり、無に帰してしまう」というルソーの洞察が(『社会契約論』岩波書店, 1954年: 133頁)、21世紀の今日でも、依然として意味を失っていないことを示してくれたことが、今回の復党問題がもたらした唯一の「成果」といえるかもしれない。

忘却の効能

2006年11月24日 | nazor
「すべての個人が多くの事柄を共有し、また全員が多くのことを忘れていること」に国民の本質を見出したのはエルネスト・ルナンであるが(『国民とは何か』インスクリプト, 1997年: 48頁)、続編の製作が決定した「ALWAYS 三丁目の夕日」に象徴されるような「古き良き昭和」というイメージの想像/創造過程において、「昭和30年代」をめぐる記憶の共有と忘却が作用していることは明らかだろう。

安倍首相が『美しい国へ』(文藝春秋, 2006年)で、自らの幼少時代に重ね合わせ、また現代の荒廃した日本から失われた伝統や美徳が機能していた時代を想起させてくれると「ALWAYS 三丁目の夕日」を賞賛したり、あるいは続編に関して山崎貴監督が日本橋の上を首都高速道路が通る以前の風景を思い描いていることは、現代建築工法の粋を結集した首都高を「醜さ」の象徴とし、その撤去および地下化を推進する人々のメンタリティに強く訴えかける(日本橋の景観について、五十嵐太郎『美しい都市・醜い都市――現代景観論』中央公論新社, 2006年が異議を唱えている)。

最近の凶悪犯罪や治安の悪化を嘆く人々の主張に典型的に見られるような視野狭窄性が、昭和30年代に対する郷愁を高めてもいる。犯罪社会学の研究者の指摘を待つまでもなく、統計学的に見れば、少年の凶悪犯罪が近年になって突出的に増加しているとは言えず、むしろ声高に治安の低下を叫ぶ人々が憧れを持って言及する昭和30年代のほうが高いくらいである(たとえば、「反社会学講座(2)キレやすいのは誰だ」)。「美しい/醜い」という主観の前に、統計上の数字に見られる客観(=間主観)が屈することによって、議論の共通基盤とされるものが等閑にされ、通約不可能性の領域が拡大していく。その態度は、歴史の重要性を説くはずの保守主義あるいは現実主義のそれとは異なり、限りなくロマン主義に擦り寄ったものである。

安倍首相が思い描く「美しい日本」の原風景は、彼が槍玉に挙げるような現代の日本以上に荒みきった暗部と隣り合わせである。言い換えれば、美徳や伝統の有無と犯罪率の関係性に目を塞いだ昭和ブームは、ルナンの言葉を忠実に実践している現象だといえるだろう。

レジーム増殖

2006年11月16日 | nazor
クラスター爆弾:使用禁止条約づくり加速 NGO主導で(『毎日新聞』11月14日)

主権国家からなる社会(国際社会)から、多様な主体が参画する世界社会(あるいはグローバル・ガヴァナンス)への転換を象徴する事例として、非国家主体「対人地雷禁止キャンペーンICBL」が重要な役割を担った対人地雷禁止条約の形成過程(オタワプロセス)は、地雷のように非人道的な兵器の使用や製造を規制しようとする運動にとって、一つの雛形とみなされている。『毎日』が報じるように、クラスター爆弾の使用禁止条約策定にあたっても、オタワプロセスの経験に負うところが大きく、人道主義を基調とする「長い21世紀」の趨勢を反映する動きだといえる(たとえば、目加田説子『国境を超える市民ネットワーク――トランスナショナル・シビルソサエティ』東洋経済新報社, 2003年や、足立研幾『オタワプロセス――対人地雷禁止レジームの形成』有信堂高文社, 2004年が日本語で読める代表的な研究である)。

国際政治学的な関心から、このような動きを考えてみるならば、オタワプロセスの経験ないし教訓がほかの隣接領域において波及し、規範やレジーム形成を促すように作用する状況は、「ある特定領域における原理・規範・ルール・意思決定のセット」という定義に基づくレジーム観に対して修正を加える。つまりこれまでのレジームが「特定領域における」という文言から明らかなように限定的な閉じた系と理解され、レジーム内部の動きに焦点が定められていたとすれば、オタワプロセスの事例が示唆しているのは、ある規範やルールがほかの領域に波及していくレジーム横断的な(trans-regime)関係、そしてその動態力学を分析の射程に取り入れた視座の必要性となるだろう。

この問題意識は、レジーム論の後継者といえるグローバル・ガヴァナンス論と共通しているが、その包括性のため概念としての有用性に疑問符が付き纏うグローバル・ガヴァナンス論に辿り着く手前に、未開拓の研究資源が眠っていることに注意を向けることも含意している。つまり対人地雷にしても、クラスター爆弾にしても、軍事・安全保障という特定領域に属する点で、軍事・安全保障レジームの下位体系に位置づけられ、その分析に際しては、レジーム論の知見で十分に対応できる。他方で、特定領域に存在するレジームの重層的複合関係に関する視点や、レジーム形成のスピルオーバー効果とも形容できる現象を考察するためには、グローバル・ガヴァナンス論が問題化する既存のレジーム論の刷新が求められる。栗栖薫子の研究(「人間安全保障『規範』の形成とグローバル・ガヴァナンス――規範複合化の視点から」『国際政治』143号, 2005年) などは、こうした問題関心と重なり合うといえるし、彼女が指摘するように、このところ流行の規範サイクル論と批判的に架橋する試みもまた新たな研究領域を切り開くことに寄与すると思われる。

・追記(11月19日)
クラスター爆弾禁止条約へ国際会議 ノルウェー呼びかけ(『朝日新聞』11月18日)

オタワプロセスでカナダ政府が担った役割は、クラスター爆弾ではノルウェー政府に受け継がれる。

核兵器に癒されて

2006年10月29日 | nazor
かつて早稲田大学の講演会で核保有に言及した安倍晋三の首相就任に前後して、そのブレーンの一人と噂される中西輝政が編者となった『「日本核武装」の論点――国家存立の危機を生き抜く道』(PHP研究所, 2006年)が出版され、北朝鮮の核実験を奇貨とする中川政調会長や麻生外相による一連の「核保有(の検討)」発言が続き、日本の安全保障政策における核武装論が公に論じられる素地が生まれつつある。

アメリカの原爆投下を触媒として「核アレルギー」を慢性的に患い、やもすると核兵器に対して感傷的に反撥する世論を作り出してきたために、国家利益あるいは国家理性に沿った政策立案および遂行におけるひとつの手段としての核兵器の保有という戦略的観点が蔑ろにされてきたのではないかという認識、すなわち日本人の多くにとって核兵器が忌避されるべきものであると同時に、「あの戦争を終わらせてくれた」神聖なる「天佑」でもあったことが、戦後日本において今日まで核武装論を密教化させてきたといえる。したがって安倍首相周辺から聞こえる核武装論およびその議論・検討を主張する声は、首相が標榜する「戦後レジームからの脱却」の延長線上に位置づけられる。

核武装論を積極的に打ち出す論者に共通する認識は、日本を取り巻く国際環境を一瞥したとき、既存の核保有国であるアメリカ、中国、ロシアに加えて、新たに核実験を行い、事実上の核保有国となった北朝鮮に囲まれている地政学的な条件に基づいている。東アジア地域で偶発的であれ何らかの危機が生じたとき、核を保有する周辺諸国に比べて、日本の安全保障を確保する手段が限定されることに対する懸念から、その脆弱性を補う方策として核武装が現実味を帯びた形で認識される。

しかしながら、日本が核武装することによって得られるはずの安全を担保する抑止に信頼を寄せる論者が一方では、抑止の対象とされる北朝鮮(あるいは中国)に対するオリエンタリズム剥き出しの議論を躊躇いもなく展開していることは奇妙な点である。つまり核による抑止が機能するためには、抑止対象も自分たちと同じく「合理的」であることが前提となるにもかかわらず、メディアに流布している金正日および彼の体制は、日本に住む「われわれ」の常識が通用しない、言い換えれば「非合理的」な存在として描き出される。このようなイメージに基づいているために、北朝鮮との「交渉」や「対話」を促す動きに対して「弱腰」と非難を浴びせ、制裁を柱とする「圧力」が好んで叫ばれるわけだが、核抑止、あるいはそれに基づく核の平和が、ヘドリー・ブルが指摘するように「人間は『合理的に』行動するものだという仮定に途方もない責任を負わしている」(『国際社会論――アナーキカル・ソサイエティ』岩波書店, 2000年: 153頁)とすれば、北朝鮮を対象にした核武装論は、そもそも根底において破綻をきたしている。

「われわれ」にとって「全き他者」として北朝鮮が表象される限り、あるいはカール・シュミットに従えば(『政治的なものの概念』未来社, 1970年: 19頁)、抗争している「公敵」ではなく、単なる「私仇」に留まる限りにおいて、そこに核抑止が機能する上で必要な前提が共有される余地はない。さらに北朝鮮を「合理的」な主体、すなわち「交渉」や「対話」が可能な主体と認識するならば、偶発的な出来事による抑止の機能不全を内在的に有している核武装を選択するよりも、外交手段を十分に活用するほうがはるかにコストパフォーマンスにも優れている。

さらに核武装を選択することは、NPT体制の否定を意味し、これまでの北朝鮮の主張に正当性を与えるという結果をもたらす。核保有国と非保有国に不平等性を認める欠陥を抱えているNPT体制が根本的な改革を必要としていることは明らかだが、核の不拡散というNPT体制の掲げる大義名分、つまり理念として持っている権威を活用することもまた「抑止力」になりえる可能性を追求せず、北朝鮮と同じ土俵に上がって、無意味な軍拡競争を繰り広げることになってしまう。同じ土俵に上がるならば、北朝鮮をNPT体制という土俵に引き上げる試みが求められる。と同時に、明らかな不平等性を抱えたNPT体制の改革に取り組む姿勢も必要とされる。このことは、アメリカの核の傘からの離脱を意味し、それこそアメリカの従属国家という劣位からの「自立」につながる動きであり、核武装によってではない「戦後レジームからの脱却」のあり方ともなりえるだろう。

それゆえ安倍首相周辺から聞こえてくる核武装論は、日本を取り巻く地政学的状況を考慮していながら、その論理展開においてきわめて「国内向け」の色彩が強い。アメリカによって「去勢」されてしまったファルスを取り戻すことに「戦後レジームからの脱却」を重ね合わせ、それに執着することは、独り善がりの「癒し」行為の一種であり、結局のところ安全保障のジレンマを解消するどころか、固定化してしまうような「愚策」でしかない。

猿と女とサイボーグによる外交

2006年10月07日 | nazor
ある理念や価値に基づいた外交について、ハンス・モーゲンソーやジョージ・ケナンといった現実主義者が常に懸念を表明してきたが、彼らが模範とした19世紀ヨーロッパで展開された古典外交の成立する素地が取り払われ、価値や理念を掲げる「新外交」が国家の行動準則として一般化している現代世界において、自由、民主主義、法の支配に基づく外交、「価値観外交」を表明した安倍首相の判断は時代の要請に沿ったものであるといえるだろう。

しかしながら、価値観や理念を前面に押し出す外交、すなわち「価値観外交」は、それが過剰になるとき、外交という行為そのものを無意味化してしまう。それは、ブッシュ政権のイラク政策において典型的に現出したように、正しいと自らが信じる理念や価値自体を相対化してみる視点がなくしたとき、「価値観外交」は、他者の存在を不可視化し、自国の理念を押し付ける偽善的な色彩を帯び始める。その意味で、村田晃嗣が論じるように、「価値観外交」はその扱いにおいてかなりの慎慮が求められる高度な国政術(statecraft)でもある(「正論:諸刃の剣としての『価値観外交』」『産経新聞』9月25日)。

「価値観外交」に懐疑的な現実主義者が念頭に置くのは、「じっさい国際社会について考えるとき、まずなによりも重要な事実は、そこにいくつもの常識がある」点である(高坂正堯『国際政治――恐怖と希望』中央公論社, 1966年: 19頁、強調原文)。国内領域における中央政府に類するような権威が存在しない国際領域では、理念や価値に基づく正義よりも、まず秩序の維持が優先される。言い換えれば、「価値観外交」は秩序破壊的であり、それこそ17世紀の30年戦争の惨禍から学んだ教訓、つまり単一の常識/正義ではなく、複数の常識/正義の並存を是認する主権国家体系の存在理由を覆してしまう可能性を孕んでいる。

複数の常識あるいは正義という事実を前にしたとき、互いの常識や正義を実現することだけでは、国家間の関係は「戦争状態」から一歩も抜け出せない状態が続く。したがって戦争状態、つまり複数の常識/正義の並存状態を解消するために、単一の常識/正義、あるいは世界政府や世界連邦といった平和構想が提起されてきた。しかし、現実の歴史は、英国学派の論者が主張するように、完全な戦争状態でもなく、また世界政府を樹立することもなく、複数の常識/正義の並存状況下での規則や制度を整えていったのである。こうした制度のひとつが、対立する国家間の利害を調整し、均衡させる術として発達した外交であり、それゆえ外交には国家間で交わされる対話の過程としての側面がある。

外交を執り行う主体であるところの主権国家がいかなる基準に沿って対外政策の方針を定めるのかという点に関して、国家とは「力の体系であり、利益の体系であり、価値の体系である」という高坂正堯の言葉を手がかりにするならば(『国際政治』: 19頁)、力と利益と価値を相互均衡的に混交させる形で、対外政策を作り上げることが求められる。別言すれば、この3つの要素のいずれかが突出したり、欠けた場合、つまり力に全面的に依存したり、利益追求に終始したり、自国の価値を他国に強要するような場合、その外交は対話でなく、独話となってしまう。力と利益と価値の均衡が重要であることは、近年のアメリカ外交を考えてみても明らかだろう。世界の半分を占める圧倒的な軍事力を有し、また市場経済や民主主義という崇高な理念を掲げながらも、世界各地で反米的機運を払拭できない理由の一端は、力と価値が突出する一方で、冷徹な計算を要する利益の側面が軽視されている点にあるともいえる。

さらに「力・利益・価値」の観点を敷衍すれば、現実主義者たちが描写する、3要素の絶妙なバランスの上に成立する(古典)外交の世界が、近代的人間(男性)に基づくものである意味で、現実主義とは「男の国際政治」を体現するものであることが見えてくる。それは、ダナ・ハラウェイの著書『猿と女とサイボーグ――自然の再発明』(青土社, 2000年)が示唆するように、力に頼る外交は、猿/動物の行動論理と変わらず、利益だけを追求する姿勢は、人間的な感情に欠けたサイボーグ/機械のような冷たさを感じさせ、そして過剰に価値を振りかざすことは情緒不安定という女の特質を想起させる。したがって、(古典)外交を行うために求められる資質を備えているのは「男=人間」であるというジェンダー秩序が確立される。

外交のジェンダー的位相を考慮したとき、「外交における『男らしさ』は美徳なのか――アメリカで沸き起こるブッシュ礼賛と懐疑」と題する記事で古森義久が取り上げているハービー・マンスフィールドの著書『男らしさ』をめぐる論争は、男の領分として外交を位置づけ、その権威を再主張する動きとみることができる。しかし、論争自体が「戦う男/平和な女」という旧態依然のジェンダー秩序に基づく構図から抜け出していないことや、回帰すべき(古典)外交という理想が成り立たない歴史的趨勢に対して鈍感であることは、古森のバイアスのかかった整理に起因する可能性があるとしても、ブッシュ政権に「男らしさ」を見出す過ちを犯すことになる。シンシア・ウェーバーが指摘するように、ポスト・ファルス時代にある現代世界では、マンスフィールドが掲げる「男らしさ」の特徴は、ファルスを取り戻すための力への傾斜をもたらす(Faking It: U.S. Hegemony in a "Post-Phallic" Era, University of Minnesota Press, 1999)。ブッシュ政権、あるいは安倍政権が「毅然」というマッチョな態度をアピールしようとすればするほど、その「男らしさ」は、現実主義者たちが描く(古典)外交を担う指導者像からかけ離れたものになる。

ファルスあるいは力への執着がポスト・ファルス時代の外交の特質であるとすれば、そこで想定される「男らしさ」は、「人間」ではなく、「動物=オス」に特有の野蛮さを肯定するものであり、さらにその野蛮さを隠すために、価値観を声高に主張することで、本来忌避すべき「女らしさ」を内面化してしまうパラドクスに陥る。力と価値観(情念)からなる「男らしい」外交は、近代的産物である国家、そして外交の基準となる国家利益や国家理性とは原理的にそぐわない粗野な観念だといえるだろう。

ポーズとしての言論の自由

2006年09月14日 | nazor
社説:閲覧制限 図書館の過剰反応ではないか(『毎日新聞』)
【主張】図書館閲覧制限 言論封じにつながる恐れ(『産経新聞』)

少年犯罪の実名・写真報道の「老舗」である『週刊新潮』に続いて、指名手配中の容疑者の自殺という結果を受けて『読売新聞』が実名報道に切り替えたことで、少年法と「閲覧の自由」のジレンマに対する解答として閲覧制限の措置に踏み切った図書館が相次いだことは、否応なく有川浩『図書館戦争』の世界を想起させる。未読ではあるが、続編の『図書館内乱』では、今回のような閲覧制限をめぐるエピソードも盛り込まれているらしい。

「言論の自由」を説くことが重要であることに異論を挟む余地はないが、日本国際問題研究所に対する古森義久の「公開質問状」に起因するソフトな「言論封じ」に場を提供した『産経新聞』がいくら懸念を表明したところで、白々しく聞こえてしまう。「言論の自由」とは絶対的に擁護すべきものではなく、自らの利害関係に照らして、ときに反故にすることができる程度のものであり、自由の擁護よりも権力に阿ることのほうが優先度が高いと暗に認めているようなものである。

便利な「反日」

2006年09月08日 | nazor
日中関係の論文、「反日」批判で閲覧停止 国際問題研(『朝日新聞』)

今から半月以上前の8月14日付『産経新聞』に掲載された古森義久の「公開質問状」と、閲覧停止という措置で機敏に対応した日本国際問題研究所の姿勢に関して、海の向こうで「思想統制だ」、「言論の自由が危ない」といった声(たとえば、"The Rise of Japan's Thought Police", Washington Post, 27 August, 2006)が出始めたことを受けた『朝日新聞』の報道。『産経』から目の敵にされている『朝日』のイデオロギーからすれば、遅きに逸した感がある。あるいは取るに足らない問題だと思って放置していたら、アメリカでちょっとした話題になっているので記事にしてみたというところだろうか。言い換えれば、『朝日』自身が公論空間をめぐる権力作用に鈍感になっていることを裏書しているともいえる。

古森の主張自体は、「反日」という物差しでしか物事を語れない点でそう取り立てて注目すべきところもない。ひとつ穿った見方をすれば、靖国参拝を「カルト」と表現されたことに痛く御立腹の様子なのは、世間的には「カルト」認定の統一協会と関係の深い『ワシントン・タイムズ』などの記事に常日頃お世話になっていることに起因する脊髄反射とみなすこともできるだろう。

持続する「神の国」

2006年07月22日 | nazor
A級戦犯合祀に対する昭和天皇の不快感を記したメモが公表され、『朝日新聞』など参拝反対派は勢いづく一方で、『産経新聞』に代表される参拝賛成派は発言の含意をなるべく限定しようとする構図は、従来の皇室に対する両派の姿勢を反転させたものといえる。天皇をはじめとする皇室を「政治利用」してはならないという言明は、それだけ彼らの一言には無視できない重みがあることを意味している。天皇の発言ひとつが政局の流れに影響を与える点で、日本は依然として「神の国」であることを再認識させる出来事である。

このことは戦後日本において天皇制が密教としての役割を担っていたことを示唆している。天皇制の密教的位相については、日米安全保障条約の成立過程における天皇外交の存在を10年ほどまえに豊下楢彦が断片的な状況証拠の積み上げによって提示したことが知られているが(『安保条約の成立――吉田外交と天皇外交』岩波書店, 1996年)、近年公開されたアメリカ側外交史料は、日本の戦後外交、とりわけアメリカとの同盟政策の重視という外交方針に対する昭和天皇の強いコミットメントを裏付けている(吉次公介「知られざる日米安保体制の“守護者”――昭和天皇と冷戦」『世界』2006年8月号)。日米合作である「戦後国体」によって免罪された昭和天皇にとって、アメリカの冷戦戦略に関わることが「戦後国体」の護持にもつながることは自明であったのだろう。

ここに象徴天皇制の下で公的な政治空間から退いたことになっている天皇がさまざまな形で戦後の政治外交に影響力を及ぼしていたことの一端が看取できるわけだが、今回の昭和天皇のメモが投げかけた波紋もその延長線上にあるとともに、こうした戦後日本を暗に規定していた密教が顕教化した一例と受け止めることもできるだろう。

夢見る「チーム日本」

2006年07月14日 | nazor
自分の主張を100%実現することが外交だと根本から勘違いしている印象が強い北朝鮮ミサイル問題をめぐる(自称)「保守」派の論調。日本存亡という危機意識に酔いしれている憂国論者からすれば、国民が一体となって事に当たらなくてはならない状況において、「和」を乱すような動きはどうしても許せないらしい。

そのようなメンタリティを「的確かつ正直に」吐露してくれたのが今日の産経抄である。いつから「チーム日本」などという名称が市民権を得たのか、産経新聞の自己満足の極みとしか言いようがないが、「チーム日本」の結束を高めてみたところで、外交交渉にはつねに「相手」が存在することを忘れてしまうようでは、「チーム日本」の結束が意味するのは所詮「内輪」の論理としてのみ機能するだけだろう。

博多で開催された世界政治学会に出席した北岡伸一に対する苦言にしても、産経新聞は本気で学者先生一人が国連次席大使となったぐらいで国連における日本の地位が改善するとでも考えていたのだろうか。なぜ彼が大使ではなく次席大使に任命されたのかを考えればいまさら「お飾りではないか」と憤る姿勢は喜劇的ですらある。

ついでにいわゆる「ミュンヘンの教訓」を持ち出して、国際社会の「悪者」に弱みを見せてはならないという歴史の教訓をしっかり汲み取るべきだと忠告しているが、安易な歴史の利用こそが咎められるべきだろうことは、つい先ごろ、渡邊啓貴が「日本が直面するリアリズム喪失の危機」(『中央公論』2006年7月号)で指摘したはずで、また「歴史の教訓」を持ち出すのであれば、希望的観測に基づく政策決定が第一次大戦を招いた事実と比較考量しなくては「教訓」にはなりえない。どうも産経新聞にとって歴史とはたかだか第二次大戦の開始である1939年以降を意味するようだ。

グローバル・ガヴァナンス(論)の憂鬱

2006年07月11日 | nazor
グローバリゼーションとともに、「長い21世紀」の世界を表象するジャーゴンとして広く流通しているのがグローバル・ガヴァナンスである。急速に進展するグローバリゼーションによって引き起こされる諸矛盾を是正・管理し、より好ましい秩序のあり方としての役割を期待されているグローバル・ガヴァナンス(論)は、グローバリゼーションと表裏一体の関係にある。その意味でグローバル・ガヴァナンス(論)はすぐれて現代的な概念であるといえる。しかしグローバリゼーションが現代のあらゆる現象を指し示す言葉になっているのと同じく、グローバル・ガヴァナンスも概念としての有用性を確立しているとは言い難い。換言すれば、グローバル・ガヴァナンス(論)は、その名称の浸透度に比して、理論的内容はきわめて貧しく、「単にグローバル化時代の国際秩序といった程度の意味として使われる」のが現状である(大芝亮「グローバル・ガバナンスと国連――グローバル・コンパクトの場合」『国際問題』534号, 2004年: 15頁)。

しばしば国際関係論では、アメリカの知的流行から10年遅れで新しい概念が日本で流通するといわれるが、グローバル・ガヴァナンス(論)に関してもそのような傾向が見られる。しかしその多くは1996年に大芝亮と山田敦が整理したグローバル・ガヴァナンス概念の分類を言い換えたものであり(「グローバル・ガバナンスの理論的展開」『国際問題』438号, 1996年)、「ヨコをタテにした」輸入代理店的な紹介論文の域を出ていない。大芝と山田の整理によれば、グローバル・ガヴァナンス(論)が規範的アプローチと分析的アプローチに大別される。すなわちグローバル・ガヴァンスという言葉を人口に膾炙させる契機になった、1995年刊行の「グローバル・ガヴァナンス委員会」報告書『地球リーダーシップ――新しい世界秩序をめざして』(日本放送出版協会, 1995年)が規範的アプローチの代表と挙げられる一方で、世界政府が存在しない状況にある国際社会においていかに統治を確立するかという視点を提起したジェームズ・ローズノーの議論や、レジーム論から発展的に登場し、リベラリズムの系譜に連なるオラン・ヤングのガヴァナンス論を分析的アプローチとする構図である。

いわばグローバル・ガヴァナンス(論)をめぐる論争軸を整理しただけで満足し、たとえばレジームや制度といった既存の概念ではなく、ガヴァナンスという新しい概念を用いることによって明らかにされるのは何であるかの探求が不十分なままである。たしかに環境や人権といった個別分野における事例研究もいくつか見られ、実証的な研究の蓄積が進んでいる。しかしそれらの研究の多くがあえて「ガヴァナンス」に注目する必要性があるとは思われず、とりわけレジーム論の道具立てを洗練させることによって分析上の課題は解決されるのではないだろうか。たとえば大芝と山田が今後の課題として提起した3つの問題点(大芝・山田: 11-14頁)、すなわち重層的システムを構成する諸枠組みの目的や機能を分類し、それらの相互関係を明らかにすること、ガヴァナンスに参加する主体の利益が適切に擁護されているかという規範的位相、そしてグローバル・ガヴァナンスと主権国家体系の関係を正面から取り上げ、有効な分析概念としてグローバル・ガヴァナンスを精緻化する作業はほとんど手付かずなままである。

大芝・山田論文以降、日本において本格的な研究書といえるのが渡辺昭夫・土山實男編『グローバル・ガヴァナンス――政府なき秩序の模索』(東京大学出版会, 2001年)である。その序章で編者の渡辺と土山は、グローバル・ガヴァナンスの論点として、主体、政府との違い、領域性、レジーム論との関連の4つを指摘している。これら4点において秩序やレジームといった既存の概念ではなく、ガヴァナンスを使う意義が明らかにされている。しかしながら、編者たちの整理にもかかわらず、後に続く論考においてガヴァナンスの定義や理解は統一されているとはいえない。たとえばジョン・アイケンベリーの議論では、「大国における基本的な規則、原則、そして制度を含む政治秩序を律する取り決め」と、ほとんど秩序と同義に見えるグローバル・ガヴァナンスの定義を示しながら、さらにそれを「国家間相互の関係と継続する相互の交流に関する相互の期待を明確にする国家間の取り決め」と限定するとき(「制度、覇権、グローバル・ガヴァナンス」渡辺・土山編『グローバル・ガヴァナンス』: 73-74頁)、そこにガヴァナンスを積極的に用いる意味はほとんど存在しない。

河野勝が指摘するように、「政府なきガヴァナンス」の可能性を探る試みは国際関係論の基本的な課題であり、したがって「今日『グローバル・ガヴァナンス論』とあらためて命名することで、それがこれまでの国際関係論と本質的に異なる問題に特化する知的営為であるかのような印象」を与えてしまう危険性がある(河野勝「ガヴァナンス概念再考」河野編『制度からガヴァナンスへ――社会科学における知の交差』東京大学出版会, 2006年: 5-6頁)。つまり秩序やレジームといった既存の類似概念との相違点を十分に明らかにしないまま、言葉の新奇性に惑わされてグローバル・ガヴァナンス(論)が消費される状況は学術的な観点から好ましいとはいえないだろう。それこそ今日のグローバル・ガヴァナンス(論)をめぐる知的状況は、ちょうど1970年代から1980年代にかけての国際レジーム(論)のそれを想起させる。そしてスーザン・ストレンジがレジーム(論)に対して行った5つの批判("Cave! Hic Dragones: A Critique of Regime Analysis," in Stephen D. Krasner ed., International Regimes, Cornell University Press, 1983)、とくに時代の趨勢を反映した一種の流行現象にすぎないという第1の批判は、そのまま現在のグローバル・ガヴァナンス(論)にも当てはまる。別の言い方をすれば、すくなくとも分析概念としては、洗練度の高いレジーム(論)によっても、グローバル・ガヴァナス(論)が対象とする問題の大部分が十分に探求でき、あえて新しい言葉を用いる積極的意義は乏しい。

この点を敷衍するならば、しばしばレジームとガヴァナンスの違いとして指摘される参加主体の多様性や争点領域の複数性は、レジーム(論)の欠点というよりも、むしろステレオタイプ化したレジーム理解を前提にした議論である。レジームの定義として至る所で引用されるクラズナーの定義を字義通り解釈すれば("Structural Causes and Regime Consequences: Regimes as Intervening Variables," in Krasner ed., ibid.)、レジームが国家に限定されるとは必ずしも言い切れない。たしかにストレンジが批判するように多くのレジーム(論)が国家中心的な傾向を示しているが、それはレジームそれ自体に内在する問題ではなく、レジームを分析概念として用いる研究者のパースペクティブの問題に属するといえる。つまり山本吉宣が論じるように、レジームに参画する主体、そしてレジームによって影響を蒙る客体の双方において、国家のみを対象とするのはきわめて狭いレジーム観といえる(「国際レジーム論――政府なき統治を求めて」『国際法外交雑誌』95巻1号, 1996年)。ほとんど分析概念としての意味を果たしていないガヴァナンスを使うメリットと比して、曲がりなりにも多くの事例研究で用いられてきたレジームを精緻化させるメリットのほうがその前途は明るい。

また今日のグローバル・ガヴァナンス(論)に関して無視しえない問題として指摘すべきなのは、グローバル・ガヴァナンスのイデオロギー/規範的位相である。あらゆる概念や用語がそうであるように、ガヴァナンスも本質的な論争性を孕む概念であるとすれば、それを用いる者の世界観や信条が投影されることは当然だろう。この点は、御巫由美子が論じるところのガヴァナンス(論)の価値中立性、あるいは強者の論理としてガヴァナンスが作用する可能性をめぐる問題と関係している(「『ガヴァナンス』についての一考察」河野編『制度からガヴァナンスへ』: 215-218頁)。御巫が引用しているように、「理論は常に誰かのため、何かの目的のために存在している」(ロバート・W・コックス「社会勢力、国家、世界秩序――国際関係論を超えて」坂本義和編『世界政治の構造変動(2)国家』岩波書店, 1995年: 215頁、強調原文)点を考慮に入れた場合、グローバル・ガヴァナンス(論)は単なる学術概念以上の意味合いを持ち、日々の実践を通じてその内実が形成されていく行為遂行的な側面があることに注意を払う必要がある。

その意味で、グローバル・ガヴァナンス(論)の代表的研究として必ず言及されるジェームズ・ローズノーが「秩序プラス意図」とガヴァナンスを定義していることは示唆的である("Governance, Order and Change in World Politics," in Rosenau and Ernst-Otto Czempiel eds., Governance without Government: Order and Change in World Politics, Cambridge University Press, 1992.)。すなわち自生的に形成されるような秩序ではなく、参画主体の「意図」が媒介する点にガヴァナンスの特質があるとすれば、グローバル・ガヴァナンスを論じるとき、参画主体がどのような世界観を抱いているのかを分析の射程に組み込むことが求められる。この点に関して、ローズノーのガヴァナンス(論)に対する最も早く、かつ根源的な批判を加えたリチャード・アシュリーの議論("Imposing International Purpose: Notes on a Problematic of Governance," in Ernst-Otto Czempiel and James N. Rosenau eds., Global Changes and Theoretical Challenges: Approaches to World Politics for the 1990's, Lexington Books, 1989.)が今日のグローバル・ガヴァナンス(論)において脚注においても言及されずに、ほとんど忘れ去られてしまっていることは、ガヴァナンスの孕む問題点を裏書しているだろう。ガヴァナンスを個人の意図や主観性とは関係なく、一定のパターン化された相互作用をもたらす「ガヴァナンスI」と、合目的的に進展し、人間の意志が介在する周期的パターンとしての「ガヴァナンスII」に区別して論じるローズノーに対して、アシュリーは、ローズノーのガヴァナンス(論)が暗黙裡に所与のものとしている構造や間主観的な関係、それらの形成に果たす知の役割を組み入れた「ガヴァナンスIII」を提示する。

一般にグローバル・ガヴァナンス(論)が地球的問題群に対するひとつの回答として位置づけられるのに対して、アシュリーの「ガヴァナンスIII」はそれ自体を「問題」と把握するものであり、論文タイトルが物語るように、何らかの国際的な目的を課す(imposing international purpose)機能がガヴァナンスに備わっていることに注意を促す。たしかにアシュリーの論文自体が省みられることはほとんどないが、彼の提起した問題意識は受け継がれている。たとえばグローバル・ガヴァナンス(論)の自由主義的性格に焦点を当てたマイケル・ディロンとジュリアン・リードの研究などは、新自由主義的グローバリゼーションの行き過ぎに対する歯止め役とみなされることが多いグローバル・ガヴァナンス(論)の共犯性を明らかにしている("Global Liberal Governance: Biopolitics, Security and War," Millennium, vol. 30, no. 1, 2001)。こうしたイデオロギー/規範的位相を視野に入れてはじめて、今日の地球的問題群に対処する意味でのグローバル・ガヴァナンス(論)の有効性が主張できる。一部の先進国の「利益により作られたシステムなりルールなりを持続させ、再生産させることを是認する無意識の合意により形成されている」(御巫, 前掲論文: 218頁)事実に気づかないまま、関係主体の多様性や対象領域の包括性を喧伝するだけのグローバル・ガヴァナンス(論)は学術的に無意味な概念に留まり、それこそ一過性の「流行現象」と後年記憶されるだけだろう。

「戦間期」の再来

2006年06月20日 | nazor
「グローバリゼーション」という時代認識は現代世界の特徴を表象する言葉として広く受容されているが、時代認識に関する田中明彦の分類によれば、直接的な捉え方になる(『ワード・ポリティクス――グローバリゼーションの中の日本外交』筑摩書房, 2000年: 1章)。それに対してもちろん間接的な捉え方が対置され、それには相違型と相似型がある。相違型とは「ポスト~」に典型的に見られる時代認識であり、他方で田中が提唱している「新しい中世」は相似型に当たる。

「相似型の時代認識」は類推の一種であり、過去の歴史に素材を求めることができるため、説得力に富み、表層的な「新奇さ」に目を奪われがちな現在中心主義を抑制する作用を果たす。それでは冷戦終焉後の世界の特質を掴む「相似型の時代認識」として「新しい中世」以外にどのようなものが考えられるだろうか。時代認識を規定する要素のひとつに大戦争があるとすれば、第三次世界大戦であった冷戦の終焉はまさしく「戦後」という歴史空間を切り開いた。「戦後」を将来勃発する大戦争に至る過程、つまり「戦前」の起点とみるならば、現代を「戦間期」と把握することにそれなりの意義があるといえる。

たとえば単なる数字上の偶然の一致に過ぎないが、第1に「戦間期」の始点として、第一次大戦が終結しヴェルサイユ講和が結ばれた1919年と、東欧諸国の共産党体制が相次いで崩壊し、実質的に東西冷戦構造が解体した1989年。第2に「戦間期」の転換点、つまり安定から混乱へ、あるいは平和から戦争へと移行する契機について言えば、戦争の「世界性」を考慮すれば、満州事変の起きた1931年こそが「戦後」の終わり、そして「戦前」の始まりを告げた時期だったといえる。この点を現在に類推してみれば、2001年の同時多発テロは「冷戦後」という時代認識を葬り去り、世界は「戦前」に入った、あるいはすでに「戦中」にまで突き進んでいることを示す事件だった。

換言すれば、冷戦終焉のユーフォリアが支配し、地政学よりも地経学の重要性が喧伝され、また人権や環境分野で国際レジームが相次いで形成・整備された1990年代が、バリー・ブザンの言葉を借りて「アナーキーの成熟」が見られた時代と把握するならば、2001年の同時多発テロとその対抗行動である「対テロ戦争」に象徴される「世界内戦」状態にあるのが2000年代の世界である。E・H・カーによる「前半の10年に夢みられた期待が、後半10年のわびしい諦めへ変転し、現実に向けてはさして考慮をはらうこともしなかったユートピアから、そのような思考の要素をすべて厳しく排除するリアリティへ急降下していった」(『危機の20年』岩波書店, 1996年: 406頁)という描写は、第一次大戦と第二次大戦に挟まされた1920-30年代を念頭に置いたものでありつつも、1989-91年を基点とした「長い21世紀」の基調を的確に捉えていると見ることができる。

それゆえ「戦間期」的な要素を「長い21世紀」に看取し、姜尚中と吉見俊哉が次のような問いを発しているのは単なる思考実験以上の意味を持っている。「戦間期の『危機の20年』と冷戦崩壊後の『危機の10数年』を冷戦期の『黄金時代』とは異なる世界秩序の変容として捉えることで、20世紀という時代の始まりと終わり、その基底にある歴史の現在を見通すことができるのではないか」(『グローバル化の遠近法――新しい公共空間を求めて』岩波書店, 2001年: 3頁)。現代世界を理解するうえで「相似型の時代認識」が一定の有効性を持ちうるとすれば、そしてそこから何らかの現代的な含意を汲み取ろうとすれば、「戦間期」の国際政治は、ヨーロッパ中世以上に多くの示唆を与えてくれるのではないだろうか。

たしかにカーが提示したユートピアからリアリティへという「戦間期」の捉え方は複雑な事象を過度に単純化したきらいがある。カーがユートピアと一括りにした思潮が実際どのようなものであったのか、それらの思潮がカーが言うほど一体性を有しておらず、安易にユートピアとみなすには無理があることは、近年の研究において明らかにされている(たとえば、デーヴィッド・ロング、ピーター・ウィルソン編『危機の20年と思想家たち――戦間期理想主義の再評価』ミネルヴァ書房, 2002年や、遠藤誠治「『危機の20年』 から国際秩序の再建へ――E・H・カーの国際政治理論の再検討」『思想』945号, 2003年を参照)。この点は、「戦間期」の理想主義に対する批判として台頭し、その後支配的地位を占めてきた現実主義国際政治学のアイデンティティーとも密接に関わっており、世界史上の「戦間期」と国際政治学の学説史(disciplinary history)における「戦間期」の位置づけの双方が自明のものではなくなっていることを意味している。

たとえば、現代世界を特徴付ける趨勢のひとつであるグローバリゼーションをめぐる論争構図に関連付ければ、貿易などの経済指標をとってみると、今日の(経済的)グローバリゼーションの内実は、ようやく「戦間期」の水準に戻っただけに過ぎないといういわゆるグローバリゼーション懐疑派の主張は、グローバリゼーション推進派に内在する近視眼的な見方を修正する役割を果たしているが、それでは懐疑派が依拠する「戦間期」の世界とはいかなるものだったかを議論の遡上にのせることによってより掘り下げた論争空間が切り開かれることだろう。

あるいは国際刑事裁判所設立に見られるような倫理/規範面のグローバリゼーションによって国際社会に「法の支配」が確立されつつある一方で、「法の支配」が及ばない「法外」な空間(アメリカ/アフリカ)が現出している状況は「戦間期」という時代名称を呼び覚ます可能性を持っている(土佐弘之「アナーキカル・ガバナンス――倫理の跛行的グローバリゼーション」『現代思想』33巻13号, 2005年)。「『法の支配』とは、すなわち特定の現状のままの正当化のことにほかならず、政治的権力ないし経済的利益が、この法のなかで安定しているすべての人びとが、こうした現状の保持に関心を寄せるものであることは、いうまでもない」(『政治的なものの概念』未来社, 1970年: 83頁)というカール・シュミットや、「絶対的普遍的な原理とされるものが、およそ原理というものではなくて、特定の時期における国家利益についての特定の解釈にもとづく国策を無意識に反映したものであった」(『危機の20年』: 166頁)というE・H・カーの指摘を待つまでもなく、「法の支配」が統治の手段として機能し、他者を規律・管理する非対称的な関係を固定化する危険性、言い換えれば「力の支配」へと取って代わる契機が常に存在している「法の支配」の確立を安易に称揚する言説に自覚的である必要がある。

このように「相似型の時代認識」として「戦間期」に注目することによって、「新奇さ」に目を奪われることなく、現代世界の特徴を理解し、さらに半ば常識となっている(近い)過去を再検討に付すことが可能となる。

横領されたホッブズ

2006年06月12日 | nazor
「国際関係はアナーキーである」という言明は、国際政治(学)の大前提であり、それを支える根拠として言及されるのがホッブズの「自然状態=戦争状態」という認識である。そして弱肉強食の空間としての国際関係において最優先されるのが安全保障の確保であり、その手段として軍備増強や同盟締結などが提示される。こうして権力政治が支配する国際関係をホッブズが描写した自然状態と重ね合わせることは半ば所与の前提となっている。ここから現実主義者としてのホッブズ像が浮かび上がってくる。

しかし17世紀半ばのイングランド内戦という時代状況を背景として論じられた『リヴァイアサン』の論理構造と、国際政治学一般で消費されているホッブズ・イメージを分けて考える必要があるだろう。しばしば指摘されているように、ホッブズが共通権力としてのリヴァイアサンの創設を構想したのは「国内社会」においてであり、今日で言うところの「国際関係」を念頭に置いたものではない。したがって個人間の自然状態からコモンウェルスの設立へという過程を、国際関係に類推適用するうえで一種の論理的飛躍が介在する。

たしかに現実主義の伝統にホッブズを含める議論は広く受け入れられているが、E・H・カー、ハンス・モーゲンソー、ヘドリー・ブルなどの「現実主義者」の多くは、ホッブズ的な自然状態とそこから共通権力創設に至る過程を切り離している点に留意しておく必要がある。すなわち現実主義者はホッブズの議論に全面的に賛同しているわけではなく、自然/戦争状態という前半部分を強調し、共通権力の創設による自然状態の超克がきわめて困難である点を主張しているのであり、共通権力創設までを含めてホッブズの議論を受容する者は「現実主義者」ではなく世界連邦や世界政府の設立を目標に置く「理想主義者」であり、むしろ現実主義者にとっては批判の対象であった。

この背景には、国際領域と国内領域を明確に区別する空間分節の論理が作用している。国際と国内をまったく異なる原理が支配する空間とみなす現実主義者にとって、地球大のリヴァイアサンを創設しようとする発想は「国内類推」の典型例として退けられる。つまり個人間の関係と国家間の関係は質的に異なるものであり、類推が容易に適用できない。この点についてホッブズ自身も自覚しており、またスピノザの言葉を引く形でブルが論じているように、強者であっても睡眠などによって脆弱性を抱えている個人間の関係はある程度平等的である一方で、眠る必要性を感じない国家間においては、個人間ほど安全の確保が逼迫していないし、また圧倒的な力の非対称性のため、平等状態には程遠く、したがって平等から戦争状態へというホッブズの前提自体が成立しない(『国際社会論』岩波書店, 2000年: 59頁)。

現実主義者によれば、国家間関係において共通権力を創設しようとする考えは国際と国内の分節という存在論的前提を考慮に入れていない点でまさしく「理想主義的」とみなされる。ちょうどカーが徹底的に批判した19世紀の利益調和説との共通点が国際領域において共通権力の設立を構想する発想に看取でき、それは先に述べた「国内類推」として国際秩序構想を展開するに当たって重大な論点となっている(『危機の20年』岩波書店, 1996年: 4章参照)。「国内類推」を批判して登場してきた現実主義にとって、共通権力の創設といったホッブズの論理の後半部分は国際領域では検討するに値しないものとなる。また国内と国際の分節を設定することによって、自然状態の克服という発想自体が「進歩」よりもむしろ「停滞」や「循環」を特徴とする国際領域の本質にはそぐわないものとみなされ、国内社会で見られた自然法の獲得を通じた共通権力創設の契機は、国際領域では先験的に欠如している。

このようにホッブズを取捨選択的に援用してきた国際政治(学)で、ホッブズとホッブズ・イメージはほとんど別物と言っていいほどまでに乖離している。あるいは17世紀人であるホッブズ、そして『リヴァイアサン』から国際政治(学)が何らかの含意を直接的に引き出すことはきわめて困難であるといえる。『リヴァイアサン』をいくら精読したところで、「国際関係」についてホッブズは何も語ってくれないだろう。英国学派がホッブズではなくグロチウスに注目する理由もこの辺にあり、ホッブズの自然状態から類推して国際関係を考える発想には限界が内在している。むしろホッブズ的状況が現代的意義を持ちうるのは破綻国家や紛争国家の再建過程の方であり、平和構築論の領域でホッブズの知見が意味を持ってくる。したがってホッブズを国際政治(学)の文脈で考察する作業は別の方向性で進められるべきものだと言える。

現実主義の伝統に名を連ねるホッブズを国際政治(学)の文脈で取り上げ、意味のある含意をそこから引き出すための道筋としておそらく以下の2つが考えられる。第1に「ホッブズが何を語っていたのか」ではなく、「ホッブズはどのように読まれたのか」と問いを立てる道筋である。この問題関心で重要なのは、ホッブズ・イメージがどのような過程を経て形成され、受容されていったのかという点である。現代の国際政治を考えるに当たって、依然としてホッブズ・イメージが強力な影響を及ぼしていることはロバート・ケーガンなどネオコンの世界観や議論の展開からも明らかである(『ネオコンの論理』光文社, 2003年)。ここから、たとえばネオコンの祖とされ、ホッブズ研究でも知られるレオ・シュトラウスを媒介として、ホッブズ・イメージの系譜を辿ることができる。

また現実主義の国際政治(学)を打ち立てたモーゲンソーに関しても、彼が国際政治を権力闘争とみなした背景にアメリカ亡命以前のワイマール・ドイツ時代における思想形成に注目する議論がある。とりわけこの点で興味深いのが、カール・シュミットとモーゲンソーの思想的つながりである(たとえば、篠田英朗「国際関係論における国家主権概念の再検討――両大戦間期の法の支配の思潮と政治的現実主義の登場」『思想』945号, 2003年: 95-98頁を参照)。いうまでもなくシュミットには『リヴァイアサン――近代国家の生成と挫折』(福村出版, 1972年)と題した著書があり、モーゲンソーの提示した国際政治観に反映されているホッブズ像はシュミット風のアレンジが施されていると理解できる。こうして大陸ヨーロッパ思想に受け継がれたホッブズ=シュミット=モーゲンソ-という系譜も浮かび上がってくる。あるいはシュミットとシュトラウスの交流を念頭に置けば、「戦間期」ドイツは、ホッブズ・イメージを考える上で興味深い知的資源であるといえる。

第2の道筋として考えられるのが、ホッブズと同時代を生きた思想家ジェームズ・ハリントンの思想と対比させるものである。近年「国際関係思想」の分野で注目を集めている共和主義の代表的思想家であるハリントンは、絶対王政を事後的に正当化したホッブズとは対極に位置すると考えられている。17世紀イングランドの内戦を経験した二人が対照的な思想の源流に位置づけられる点は「国際関係思想」的に興味深い。さらにいえば、マキャヴェリにおいて同居していた現実主義と共和主義が17世紀に入ると分化していった過程を追うことで明らかになってくる面もありうることだろう。

国際政治(学)は20世紀に入って成立した「新しい学問」であり、その多くがほかの学問分野からの借り物で形成されている。学問としての正当性を主張するため、過去の思想家たちの著作に「国際政治(学)」的な兆候を探ることが求められてきた。しかし多くの場合、恣意的な援用に終始し、政治思想史や哲学(史)からみれば、まったく異なる議論が展開されている状況が一般化している。ここで論じてきたように、ホッブズや『リヴァイアサン』を単独で取り出し、国際政治(学)に対する含意を導き出そうとすることは生産的だとはいえず、国際政治(学)の作法に則った形でホッブズを戦略的に援用することが求められる。

21世紀の「白い道」

2006年05月17日 | nazor
グローバル化が進展する世界にあって、境界線をめぐる政治が世界各地で政策的および公論的関心を引いている。韓国との竹島/独島問題は伝統的な境界をめぐる争いの発現とみなされるならば、今週に入って、ブッシュ大統領がメキシコ国境沿いに州兵を配備する対策を決定したことや(「米国:不法移民対策、国境地帯に州兵6000人-ブッシュ大統領」『毎日新聞』5月16日)、外国人の指紋採取などを義務付けた改正入管法が国会で成立したことなどは、新しい国境の機能強化と理解できる(「改正入管法成立、来日外国人から指紋採取・顔写真撮影」『読売新聞』)。

境界をめぐる政治が重要な意味を持つ一因には、境界が固定的なものではなく、流動的なものであり、常に引きなおされ続けなくてはならないからであろう。その意味で、カール・ポパーが指摘するように、「国家には自然の境界はない。国家の境界は変化し、現状という原則の適用によってしか定義できない。またすべての現状は恣意的に選ばれた日付に言及しなければならないのだから、ある国家の境界の決定は純粋に規約的な(conventional)ものである」(『開かれた社会とその敵(1)プラトンの呪文』未来社, 1980年: 324頁)。

いわゆる「国境なき世界」における境界の意味は、両義的である。一方で、武力による国境変更が事実上不可能になったことで、地理的/物理的境界はより強化されている。それは、国際的な人の移動をめぐる規範や制度が、旅券・査証制度の標準化に見られるように、受容されていることからも明らかだろう。資本や商品の越境移動とは異なり、人の移動に対する管理あるいは監視は整備され、移動主体の国籍と市民権を等値する観念が一般化する。アメリカのUS-VISITに倣ったJAPAN-VISITと呼ばれる前述の日本の入管法改定作業もIC旅券/指紋登録に見られるように、人の移動に対する国家の管理能力が依然として大きいことを物語っている。

他方で、地理的/物理的境界を死守しようとする動きは、機能的境界の融解を生み出している。従来警察あるいは治安活動である国境警備に軍を投入する「国境の軍事化」に典型的に見られるように、国境による国内と国際の区別とコロラリーの関係にあった警察と軍の役割分担はすでに意味を成さなくなっている。国際の観点から軍の警察化、国内の観点からは警察活動の軍事化が進むことで、軍と警察の機能的な違いは限りなく解消されている(藤原帰一「軍と警察――冷戦後世界秩序における国内治安と対外安全保障の収斂」山口厚・中谷和弘編『融ける境 超える法(2)安全保障と国際犯罪』東京大学出版会, 2005年)。軍や警察のように公的暴力を担う主体間の境界が揺らいでいるだけではなく、暴力行使を民間が担うようになっている点も見逃すことができない現象である。メキシコ国境沿いに展開しているのは、何も国境警備隊や警察、あるいは州兵だけでない。境界の揺らぎを敏感に嗅ぎ取っている「ミニッツマン」と呼ばれる民兵/自警組織の存在は、公と私あるいは国家と社会の境界を問い直す(「民兵警備 緊迫の国境」『AERA』2005年7月25日号)。従来の国家安全保障の規範に則れば、安全の確保は一義的に政府(国家)の仕事である。しかしネオリベラリズムに規定された思考や行為が規範化されるにしたがって、暴力の所有/行使は国家に独占的に配分されるものではなくなった。

このような境界の両義的な意味は、これまでとは異なる国境管理の在り方を要請する。それは、国境の内側の安全や一体性を確保しながら、越境活動による経済的利益を増大させる国境管理である(小井土彰宏「NAFTA圏と国民国家のバウンダリー――経済統合の中での境界の再編成」梶田孝道・小倉充夫編『国際社会(3)国民国家はどう変わるか』東京大学出版会, 2002年)。まさしくネオリベラルな経済倫理に基づいて、越境する者たちを「望ましい者」と「望ましくない者」とに峻別する。ネオリベラリズムのスローガンでもある小さな政府の観点から、単純労働に従事する不法越境者たちを社会保障によって包摂することは忌避され、彼らに対するセーフティーネットの構築よりも摘発・排除が優先される。そして国境検問とは超法規的国家暴力が可視化するワイルドゾーンであり(テッサ・モーリス=スズキ『自由を耐え忍ぶ』岩波書店, 2004年: 5章)、越境者には境界の存在が否応なく聳え立つ。さらに、越境者の選別は国境地点だけで完結するのではない。監視/生体技術を全面的に採用した国境管理政策の地平は国家の内部空間全域に広がっていく。その意味で新しい国境管理の政治は監視社会と表裏一体の関係にあるといえるだろう(監視社会については、たとえばディヴィッド・ライアン『9・11以後の監視――「監視社会」と「自由」』明石書店, 2004年を参照)。

と同時に、ナショナルなアイデンティティの境界を再確認する動きも、現在の境界をめぐる政治に看取できる。先述した民兵/自警組織による国境警備の動きは、下からの国政術(statecraft from below)と捉えられる動きであり、そこには本来の国政術を担うエリートたちとは微妙に異なる脅威認識が見られる。ヒスパニック系の人口が増えるに連れて、自分たちの存在が周辺化されるという危機感は国境の最前線にいる人々を動かし、彼らのアイデンティティに対する関心を呼び覚ます。そしてこうしたアイデンティティ危機を克服する過程で、不法越境者たちが贖罪として位置づけられる。日ごろは「寛容」を口にしながらも、そこにはレイシズム/ナショナリズムの契機が見え隠れする。オーストラリアの事例を考察したガッサン・ハージによれば、移民に対する不満としてしばしば耳にする「彼らの数が多すぎる」といった概念は、「特定の領域空間を想定していないかぎり無意味である。というのは、その空間なしには『数が多すぎる』といった判断を下すことができないからである」(『ホワイト・ネイション――ネオ・ナショナリズム批判』平凡社, 2003年: 76-78頁)。そして一見「寛容」を示す態度も非対称的な権力関係によって支えられている。再びハージの言葉を借りれば、「『移民がもっと入ってきても私はかまわない』とか『道ばたでアラビア語を話している人々がいても私はかなわない』といった発言は、次のような幻想を生きている人々だけが言える。・・・人々が道ばたでアラビア語を話してよいかどうか、あるいはもっと多くの移民が入ってきてよいかどうかは、自分の決定次第だと感じる幻想である。・・・支配される立場にある人々は、寛容なのではない。かれらはただ耐え忍んでるだけである」(172頁)。

脱領域化の過程における再領域化の動きは、国境を取り巻く風景を一変させている(土佐弘之「グローバリゼーションと人の移動――国境の風景はどう変わりつつあるのか」『法律時報』77巻1号, 2005年)。その風景は、越境する人の国籍やアイデンティティによってカメレオンのように変化する。幾重にも張り巡らされた鉄条網や壁という物理的障壁の隣には、ICチップが埋め込まれた旅券によってその権利を保障されたビジネスエリートのためのゲートがある。グローバル化時代にあって、かつての植民地時代を想起させる圧倒的なまでの階層性が残っている。

徐京植の目に映った「白い道」は荒廃するどころか、しっかりと整備され、掃き清められている。「北アフリカや中南米に発してイベリア半島につながる無数の白い道(中略)はスペインで一本に収束し、長大な城壁のようなピレネーを迂回して、ヨーロッパの中枢、華やかなパリへと延びている。かつて植民地だった国々から、空腹をかかえ疲れた顔の人々がその道を這い登ってくる。だがその道を通じてあらゆる富を運び込んだ者たちは、人間たちだけはなんとしても通すまいと、油断なく関所を設け、這い登ってくる人々をせっせと払い落としているのだ。同じ白い道は、中南米諸国とアメリカ合衆国、朝鮮半島をはじめとするアジア諸国と日本の間を結んでいる」(『私の西洋美術巡礼』みすず書房, 1991年: 145-146頁)。

公≠愛=共

2006年05月16日 | nazor
今国会の終盤戦の「目玉」である教育基本法改正が審議入り。与党案についで民主党の対案も出て一応議論の土台が出来上がった。どちらの案も競い合うかのように国を愛することに「情熱」を注いでいる。すくなくとも、社共の「斜陽左翼」を除けば、国民の代理人によって構成される国会の場では「国を愛すること」は当然であり、それ自体を問題化する姿勢はマイノリティのようだ。いわば現在の教育基本法改正の審議は、「国を愛すること」の意味ではなく、どれくらい愛するべきかという程度をめぐるものといえるだろう。

しかしいわゆる「愛国心」をめぐる議論の構図を傍目から眺めるとき興味深いのは、昨年の中国の反日デモを批判し、その根源を中国の愛国主義教育に求めていた人々が愛国心の導入に積極的なことであろう。「敵(=中国)」に対抗しようとするあまり、気がつけば行動や思想が似通ってくるミイラ取りの論理を忠実になぞってしまっている彼らにはたして中国を批判する正当性があるのだろうか。結局のところ「どっちもどっち」であり、自らの主張を絶対的基準から正当化することはできないことになる。国境の内側で進む動きが国境の外側にほとんど影響を与えることはないだろうという、「堅い殻」に覆われた国家観を抱いているため、言い換えれば国内の事象は国内で貫徹することを素朴に信じているため、それが外側にいる「他者」にどのように認識・理解されるかという点まで考えが及んでいない典型的な思考パターンが看取できる。

いまやナショナリズム研究の「古典」となった『想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行[増補版]』(NTT出版, 1997年)で、ベネディクト・アンダーソンは、愛国心について1章分を割いて論じている。彼によれば、「国民(nation)は愛を、それもしばしば心からの自己犠牲的な愛を呼び起こす」(232頁)。その一方で、愛国心を考察する章のタイトル「愛国心と人種主義」が示唆するように、他者に配慮の行き届いた愛国心が成立する可能性は少なく、その暴力的位相をその射程に含めて考える必要がある。

また愛国心論争の争点のひとつになっている愛する対象である「国」とは何を意味するのかについて、もし「国」に「公」の意味を含ませるとすれば、愛するという行為と「公」という対象の関係がそもそもありえるのだろうかと問う必要があるだろう。公共性をめぐる議論の出発点として常に参照されるハンナ・アーレントによれば、「愛は、それが公に曝される瞬間に殺され、あるいは消えてしまう。・・・愛はそれに固有の無世界性のゆえに、世界変革とか世界の救済のような政治目的に用いられるとき、ただ偽りとなり、堕落するだけである」(『人間の条件』筑摩書房, 1994年, 77頁)。アーレントの議論は、愛国心という文言が国家の恣意的な判断に委ねられることに対する警戒感と重なり合う視座であり、「公」という審級を措定することが、時の政権や指導者の私的利害に基づく行動を覆い隠す役割を果たすことを示している。政治家たちが「愛」という言辞に訴えかける状況は政治的に正常ではないと見るべきだろう。彼らが率先して語る「愛」は、自然に涵養してくるものではない。言い方を変えれば自動詞の「愛する」ではなく使役の意味が強い「愛させる」が彼らの意図する「愛の行為準則」だろう。

とりわけ「公」が「官」すなわち「国家」とつながりやすい日本においては、アーレントの視点を考慮に入れることは重要だろう。かといって「愛」が「私」の領分であり、いわゆる「公」の領分では何の意味も持たないからといって、ただ反対の姿勢を唱えているだけでは一種の敗北主義に等しい。おそらく求められるのは「愛の行為」の意味内容を吟味し、またその対象を日本的な意味での「公」ではない「公的なるもの」へと転換する戦略だろう。こうした論争地図を勘案したとき、アントニオ・ネグリ&マイケル・ハートが「公」とは別に提示する概念である<共>(the common)に一定の可能性を見出すことができるかもしれない(『マルチチュード――<帝国>時代の戦争と民主主義』日本放送出版協会, 2005年)。<共>を生み出す政治的行動に見出される「愛」は、今日の通俗的な意味での「愛国心」が想定する「愛」とは異なる。それは、「国家を持たない者たちの愛国/愛郷主義」(上巻103頁)であり、閉鎖的な共同体内部でのみ意味を持ちうる愛国心よりも広い射程をもつ。水島一憲の言葉を借りれば、「あくまでも多数多様性を基盤に構成される」愛の概念は、同質化/画一化を志向するナショナリズムとは相容れないものである(「愛が<共>であらんことを――マルチチュードのプロジェクトのために」『現代思想』33巻12号, 2005年, 99頁)。

たしかに<共>の生産を目的とした政治的な「愛」という視座は興味深い。しかし審議入りした教育基本法改正案をめぐる議論が表層的なレベルで終始し、単純な二項対立の構図で語られることのない、深みのあるものになることは、現状から見るかぎりにおいて、そう期待できるものではない。思弁的議論が煙たがられる現在の国会や公論では、それは当然かもしれないが、これだけ注目を集め、賛否両論状態にある「愛国心」をめぐる議論が実りあるものになる方途としてネグりとハートの議論を取り上げてみる価値はあるだろう。

同盟の本懐

2006年05月02日 | nazor
在日米軍再編計画の最終報告が日米両政府の間で決定したことを受けて、今後の焦点は「政府間(=国際的)合意」をどのように「国内の合意」に転換するかに移る。その過程で日本政府は2種類の説得を試みなくてはならない。すなわち名護市や岩国市など特定の自治体に対する説得と、移転費用負担の根拠に関して国民的な同意を得る作業である。

単に「アメリカ政府との約束だから」と強調するだけでは、アメリカに対する懐疑主義を取り除くことは難しい。一部の親米派を別にすれば、「追従」あるいは「押し付け」と捉えられて、釈然としない雰囲気が残ることだろう。言い換えれば、今回の在日米軍再編に対する国内合意を取り付ける上で、「純国産」あるいは「二国間」の論理に依拠する限り、合意という一体性が得られる可能性は低い。

したがって、どうしても他の理由を持ち出すことで、最終報告の「正当性」を提示しようとすることになる。今日の『読売新聞』に寄せた村田晃嗣の最終報告に関するコメントなどはこうした論理の典型だろう。村田は、日本を取り巻く不安定な環境、とりわけ北朝鮮や中国の「脅威」に言及することで、今回の再編の「有用性」を指摘する。これは、対外的脅威を措定することによって国内的一体性を醸成する常套手段であるが、この論理はすぐれて「国内向け」の色彩が強い。

そもそも同盟を組む第一の理由は、対外的脅威に対する保障やその抑止にあるが、同盟によって対外的脅威それ自体が解消するわけではない。その意味で同盟は一時的な保障措置に過ぎず、より安全な環境を求めるならば、同盟とは異なる政策手段を確保しておく必要がある。しかし手段であるはずの同盟の存続が目的化している日本政府の現状認識からすれば、対外的脅威の解消という本来の目的はなるべく注意を逸らしておきたい争点であり、むしろ存在論的に不可欠なものとして対外的脅威が位置づけられる。コンストラクティヴィズムの議論を持ち出すまでもなく、北朝鮮の核武装や中国の軍拡の実情、そしてそれらがどの程度の「脅威」を構成しているのかという認識は間主観性に左右される偶発性の高いものである。そうであれば、国民に対して同盟の再編を受け入れさせる「国内事情」のために、対外的脅威の存在に言及することは、脅威の実質化をもたらす行為遂行的作用を孕まざるをえなくなる。

「国内事情」あるいは「同盟内事情」を優先させて、対外的環境の悪化を招く現象は、いわゆる「安全保障のジレンマ」と呼ばれ、国際政治学において「一般常識」であるが、どうも「現実主義」を標榜し、それを日米同盟の維持と等置する傾向の強い日本の識者たちは、同盟の再編が、同盟の対象国にとってどのような影響を与えるのかという同盟の対外的位相を十分考慮に入れていない。日米同盟を公共財と呼ぶような「知的詐欺」が彼らによって唱えられる理由もここにある。いま求められるのは同盟の意味を根本から考える態度であり、同盟の位置づけが変化する現在はまさに格好の機会となるはずである。しかし同盟の存在を所与とみなす限りにおいて、今後こうした同盟の変容が訪れようとも「既視感」に溢れた政治過程が繰り返されるだけだろう。