智徳の轍 wisdom and mercy

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私は覚者に対して浄信があるのです

2005-03-15 | ☆【経典や聖者の言葉】

一二 ここで、覚者はラージャガハのギッジャクータ山にとどまり、向煩悩滅尽多学男達に対して、この数々の法話をなさったのだ。
「戒とはこうである。サマディとはこうである。智慧とはこうである。戒に熟達させられたサマディには、大いなる果報と大いなる功徳がある。サマディに熟達させられた智慧には、大いなる果報と大いなる功徳がある。智慧に熟達させられた心は、諸々の漏【ろ】から完全に離解脱【りげだつ】する。すなわちそれは、愛欲漏【あいよくろ】・生存漏【せいぞんろ】・謬見漏【びゅうけんろ】・非神秘力漏【ひしんぴりょくろ】からである」と。
一三 さて、覚者はラージャガハに心ゆくまでとどまられた後、長老アーナンダにこうお告げになった。
「さあ、アーナンダよ、アンバラッティカーの園を訪れよう。」
「かしこまりました、尊師よ。」
と、長老アーナンダは覚者にお応え申し上げた。そして、覚者は大きな向煩悩滅尽多学男出家教団と共に、アンバラッティカーの園に入られた。
一四 そこで、覚者はアンバラッティカーの園の中にある国王休憩所にとどまられたのである。
 またここで、覚者はアンバラッティカーの園の中にある国王休憩所にとどまり、向煩悩滅尽多学男達に対して、この数々の法話をなさったのだ。
「戒とはこうである。サマディとはこうである。智慧とはこうである。戒に熟達させられたサマディには、大いなる果報と大いなる功徳がある。サマディに熟達させられた智慧には、大いなる果報と大いなる功徳がある。智慧に熟達させられた心は、諸々の漏から完全に離解脱する。すなわちそれは、愛欲漏・生存漏・謬見漏・非神秘力漏からである」と。
一五 さて、覚者はアンバラッティカーの園に心ゆくまでとどまられた後、長老アーナンダにこうお告げになった。
「さあ、アーナンダよ、ナーランダーを訪れよう。」
「かしこまりました、尊師よ。」
と、長老アーナンダは覚者にお応え申し上げた。そして、覚者は大きな向煩悩滅尽多学男出家教団と共に、ナーランダーに入られた。そこで、覚者はナーランダーのパーヴァーリカのマンゴー林にとどまられたのである。
一六 そのとき、長老サーリプッタは、覚者がいらっしゃる所を訪れた。訪れると、覚者を礼拝して傍らに座った。傍らに座って、長老サーリプッタは覚者にこう申し上げた。
「尊師よ、他の出家修行者や祭司のうち、正覚において、覚者よりもさらに証智【しょうち】した者は、過去に語られたこともなく、未来に存在するようなこともなく、現在知られることもありません。このように、私は覚者に対して浄信【じょうしん】があるのです。」
「サーリプッタよ、お前は高慢で尊大な言葉を語り、確信を持って獅子吼【ししく】をなした。すなわち、
『尊師よ、他の出家修行者や祭司のうち、正覚において、覚者よりもさらに証智した者は、過去に語られたこともなく、未来に存在するようなこともなく、現在知られることもありません。このように、私は覚者に対して浄信があるのです』と。
 サーリプッタよ、一体お前は、過去世で供養値魂・最上正覚者であった、すべての覚者方のお心を、自らの心によって把握して、『かの覚者方にはこのような戒があった。かの覚者方にはこのような法があった。かの覚者方にはこのような智慧があった。かの覚者方にはこのような生涯があった。かの覚者方にはこのような離解脱があった』と知ったのであろうか。」
「そうではありません、尊師よ。」
「また、サーリプッタよ、一体お前は、未来世で供養値魂・最上正覚者であるような、すべての覚者方のお心を、自らの心によって把握して、
『かの覚者方にはこのような戒があるだろう。かの覚者方にはこのような法があるだろう。かの覚者方にはこのような智慧があるだろう。かの覚者方にはこのような生涯があるだろう。かの覚者方にはこのような離解脱があるだろう』と知ったのであろうか。」
「そうではありません、尊師よ。」
「また、サーリプッタよ、一体お前は、現在、供養値魂・最上正覚者である私の心を、自らの心によって把握して、
『覚者にはこのような戒がある。覚者にはこのような法がある。覚者にはこのような智慧がある。覚者にはこのような生涯がある。覚者にはこのような離解脱がある』と知ったのであろうか。」
「そうではありません、尊師よ。」
「サーリプッタよ、つまり、過去・未来・現在の供養値魂・最上正覚者方に対して、お前には他心通【たしんつう】がない。サーリプッタよ、それならばどうして、お前は高慢で尊大な言葉を語り、確信を持って獅子吼をなしたのであろうか。すなわち、
『尊師よ、他の出家修行者や祭司のうち、正覚において、覚者よりもさらに証智した者は、過去に語られたこともなく、未来に存在するようなこともなく、現在知られることもありません。このように、私は覚者に対して浄信があるのです』と。」

【解説】
 ここで、とっくに亡くなったはずのサーリプッタがこの場にいるじゃないかという問題が出てくる。一般の人はおかしいと考えるであろう。しかし、これは簡単なことである。どちらの見解も正しいのだ。なぜならば、サーリプッタが変化身【へんげしん】で登場することだってできるからである。
 また、少し修行の知識のある方は、これはサキャ神賢がアストラルで会ったのだとか、あるいはサーリプッタがこちらに降りてきたのだとか考えるかもしれないが、それについてはどちらとも正しいとは言えない。
 例えば、アーナンダでもステージ的には天界が見えるステージだったのである。サキャ神賢が逝【い】かれるときにも、アーナンダは天界のヴィジョンをずーっと見続けている。そして、神の太鼓が破裂したのは何々だと、震動が起きたのは何々だと言っているのである。アーナンダのステージでもそのレベルだったということは、その当時の解脱がいかに高いレベルであったかということを表わしている。
 つまり、結論から言うと、サキャ神賢とサーリプッタは、どこでも絶えず会えるわけである。このステージの人にとって、空間は関係ないのだ。ここで会ったとも言えるし、アストラルで会ったとも言えるのである。

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