今まで何人の友人や親族が亡くなったかを数え、彼らの死んだ様子を考え、その死体が焼き場に持っていかれ、ついには骨だけになってしまったことを考えます。そして自分も同様のことを免れ得ないのだということを考えて、死刑執行人の手に引き渡された人が持つような恐怖の状態に自分を持っていきます。心を散漫にして逃げてはいけません、この世に完全に興味がなくなったとき、完全にこの状態に心を没入させて瞑想します。これが五番目の準備修行、死と無常の瞑想です。
【解説】これらの瞑想はあなたの気を滅入らせるのが目的ではありません。もし瞑想の結果、悲観的になって苦しみ、「自分は死ぬ。そしてそれをどうすることもできない」と考えるなら、この瞑想は苦しみの原因となるだけです。死の瞑想の目的は、あなたに法の実践をさせ、カルマの法則を考えるようにし、未来の転生を左右するためには何をなしたらいいかを教えることにあるのです。戦いの場に入っていく勇者を鼓舞するように、あなたを鼓舞することが目的なのです。ミラレーパが言っています。「わたしは死を恐れて山に入った。しかし自らの心のダルマカーヤの本質を知った今、もう死が来ても怖くはない」と。