渇仰はバラ色の暁のようなものだ。暁の後に太陽が現われる。渇仰の後に、神のヴィジョンが続くのだ。
神は、次の三つの魅力の集まった力で、彼に引かれる信者にお姿を現される--世俗の人にとっての財産の魅力、母親にとってのわが子の魅力、および貞淑な妻にとっての夫の魅力である。もし人がこれら三つの魅力の結合した力で神に惹かれるなら、それによって彼を悟ることができるのだ。
ようは、まさに母親がわが子を愛するように、貞淑な妻が夫を愛するように、世俗の男が富を愛するように神を愛することである。これら三つの愛の力、これら三つの魅力を合わせて一つにし、それを全部神に向けよ。そうすればお前は、間違いなく彼を見るだろう。
渇仰の心で神に祈ることが必要である。子猫は、「ミュー、ミュー」となきながら母親を呼ぶことしか知らない。どこでも母親がおいてくれたところに満足して、そこにじっとしている。そして母猫は子猫を、あるときは台所に、あるときは床に、あるときは寝台の上におく。辛いことがあると、子猫は「ミュー、ミュー」となくだけだ。それが子猫の知っていることの全部なのだ。しかしこの泣き声を聞くやいなや、母猫はどこにいても子猫のところにとんでくる。
(ラーマクリシュナ)