智徳の轍 wisdom and mercy

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◇七集 第六 無回答品

2005-02-15 | ☆【経典や聖者の言葉】

五十九 七人の妻
一 あるとき、覚者はサーヴァッティーのジェータ林にあるアナータピンディカの園にとどまっておられた。そのとき、覚者は早朝、内衣【ないい】を着け、衣鉢【いはつ】を持って、アナータピンディカ長者の家に赴かれた。赴くと、設けられた座にお座りになった。
 さてそのとき、アナータピンディカ長者の家では、高く大きな人々の声があった。そして、アナータピンディカ長者は、覚者がいらっしゃる所を訪れた。訪れると、覚者を礼拝して、傍らに座った。傍らに座ったアナータピンディカ長者に、覚者はこうお告げになった。
「長者よ、あなたの家で、漁師が魚を獲るかのような、高く大きな人々の声があるのは、一体どうしてであろうか。」
「尊師よ、これは、大変裕福な家から来た嫁のスジャーターです。けれども、彼女は姑【しゅうとめ】の世話をせず、舅【しゅうと】の世話をせず、主人の世話をしません。そればかりではなく、覚者を尊敬せず、尊重せず、敬重せず、崇拝しないのです。」
二 そこで、覚者は嫁のスジャーターを呼ばれた。
「来なさい、スジャーターよ。」
「かしこまりました、尊師よ。」
と、嫁のスジャーターは覚者にお応えし、覚者がいらっしゃる所を訪れた。訪れると、覚者を礼拝して、傍らに座った。傍らに座った嫁のスジャーターに、覚者はこうお告げになった。
「スジャーターよ、男にとって七人の妻がある。それでは、この七人とは何であろうか。すなわちそれは、殺人者に等しい者、盗賊に等しい者、支配者に等しい者、母に等しい者、姉妹に等しい者、友人に等しい者、奴隷に等しい者である。
 スジャーターよ、これらが男にとっての七人の妻なのだ。あなたはこの中のどれであろうか。」
「尊師よ、覚者によって要約して説かれた、この教えの詳しい意味が、私には理解できません。尊師よ、どうか覚者によって要約して説かれた、この教えの詳しい意味が私に理解できるように、覚者は私に法をお説きください。」
「スジャーターよ、それならば聴いて、よく作意【さい】しなさい。私は説こう。」
「かしこまりました、尊師よ。」
と、嫁のスジャーターは覚者にお応え申し上げた。そこで、覚者は次のようにお説きになった。

  けがれた心によって、恩恵も慈悲もなく、
  他人と結び付いて夫を軽蔑【けいべつ】し、
  金で買われて、夫の殺害を企てる。
  男にとって、このような妻は、
  「殺人者である妻」といわれる。

  工芸、商売、農業に従事して、
  主人が妻のために得た財産を、
  わずかでも彼から奪いたいとする。
  男にとって、このような妻は、
  「盗賊である妻」といわれる。

  仕事を嫌い、怠惰で、大飯を食らい、
  乱暴で、粗暴で、口汚く罵り、
  勤勉な夫を尻に敷いて暮らす。
  男にとって、このような妻は、
  「支配者である妻」といわれる。

  いつも恩恵と慈悲があり、
  母が子供にするように、夫を保護し、
  さらに彼が蓄えた財産を守る。
  男にとって、このような妻は、
  「母である妻」といわれる。

  妹が姉にするように、
  自分の主人を尊重し、
  慚愧【ざんき】があって、亭主に従順である。
  男にとって、このような妻は、
  「姉妹である妻」といわれる。

  友人が久しぶりに訪れた友人にするように、
  またここに、夫に会っては喜ぶ。
  生まれが良く、持戒者で、貞淑な妻。
  男にとって、このような妻は、
  「友人である妻」といわれる。

  鞭【むち】打たれ脅かされても、怒らず、穏やかで、
  けがれた心なく、夫に耐え、
  くじけることなく、亭主に従順である。
  男にとって、このような妻は、
  「奴隷である妻」といわれる。

  そしてここに、「殺人者」といわれ、
  「盗賊、また支配者」といわれ、
  破戒者で、乱暴で、敬意を払わない妻は、
  その身が壊れて、地獄へ赴く。

  そしてここに、「母、姉妹、友人」と、
  また、「奴隷である妻」といわれ、
  戒を集中継続し、長い間自制する妻は、
  その身が壊れて、善趣【ぜんしゅ】へ赴く。

「スジャーターよ、これらが男にとっての七人の妻なのだ。あなたはこの中のどれであろうか。」
「尊師よ、今日以降、覚者は私のことを、主人にとって奴隷に等しい妻と思われてください。」

【解説】
 この経は、既にサキャ神賢がスジャーターの特性を理解しているわけで、もともと富豪の娘であるとか、それからアナータピンディカ長者のところに嫁いできているといったカルマを見極められ、法に縁があるということを知っていらっしゃった。だから、ズバッと要点を説法なさって、その法によって帰依させたという、素晴らしい経典だと思う。
 サキャ神賢が例として挙げている七人の妻については、もう説明のしようもない。信徒の皆さんには、できるだけ「母である妻」、「姉妹である妻」、「友人である妻」、「奴隷である妻」に徹していただきたい。そして、ここでのポイントは、特に後半部分である。「殺人者」「盗賊」「支配者」という前半の三つが悪業であることはすぐにわかると思うが、後半の四つのポイントを一つ一つ説明してみたい。
 第一番目の「母である妻」、これは四無量心【しむりょうしん】の慈悲が背景になっている。ここでの功徳のポイントは慈悲であると言えよう。二番目の「姉妹である妻」、これは要するに慚愧、それからここでの功徳は謙虚さである。謙虚さに優れている妻を、「妹のような妻」であるというふうに表現しているわけである。次は、親和の功徳である。最後四番目はマハー・ムドラーで、まさに忍辱【にんにく】の修行を表わしていると思う。
 ここでスジャーターが、スパッと第四番目の妻を表明したところがすごい。
 もちろん、ここで注意しなければならないのは、現代的な女性の目から見ると、一見男尊女卑と映るかもしれないが、そうではない。
 つまり、これは妻について説いているからこうなるのであって、夫について説くときは、同じことが言えるわけである。例えば、妻が支配者なる妻であったとしても、それに対して親和な態度をもって、心から接するとか。あるいは、すべて耐えるとか。つまり、「奴隷なる夫」「父親のような夫」「お兄さんのような夫」「弟のような夫」、あるいは「友人のような夫」というふうに、同じことが言えるのだということである。だから、そこのところは偏見で見てはならない。

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