智徳の轍 wisdom and mercy

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十の能力

2005-04-05 | ☆【経典や聖者の言葉】

 私はすでに十の能力を具足し、何のおそるるところもなく、牛王として衆生の中で獅子吼し、法則の車輪を回して、衆生を済度するのである。
 かくのごとく、私によって法則はよく説かれ、明らかに開顕され、あますところなく説示されたのである。
 かくのごとく、私によってよく説かれ、明らかに開顕され、余すところなく説示された法則は、良家の子にとって、信によって出家し、精進して行ずるに値する。
 たとえその身の皮膚や筋肉や骨はしぼみ、血や肉は枯渇しても、なおその気力の存在する限りは、人間の力量、気力、努力を掻き立てて行ずるに値するものである。
 それはなぜであろうか。かわいそうに、怠惰なる者は、依然として苦しみに住し、悪不善のことに没入し、その失う利は、はなはだ大きい。それに反して、精進なる者は、幸いなるかな、よく楽に住し、悪不善のことを離れ、その得るところの利は、はなはだ大きいのである。
 劣ったものによって最高のものは得られない。最高のものによって最高のものは得られるのである。汝らの師は、汝らの面前において、この聖なる修行を最高のものと言っている。では、まだ得ていないものを得、達していないものに達し、証していないものを証するがために、精進するがよい。
 そのように、この我らの出家はむなしからず、実り多く、報いは少なくないものである。だから、たとえそれによって、我らが与えられるもの、衣服・飲食・臥具・薬品等の資具は卑しいものであろうとも、それらは、まことは、我らにとって大利あり、大果あるものであろう。
 汝らはまさにこのように学ぶがよい。
 もしも自分のためになると認めるならば、それは精進に値するものである。
 もしも他人のためになると認めるならば、それは精進に値するものである。
 もしも自他のためになると認めるならば、それは精進に値するものなのである。


(相応部経典)


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