【質問】
たとえ彼らが種々の犠牲祭によって、施しを求められたら喜んで応じても、出生と老いとを渡れなかったとすると、それならそれで、愛欲神や人々の世界において、だれが出生と老いとを渡るのですか。
【回答】
世界において、あらゆる種類のものを推定し、世界のどこにおいても、心が乱れたことがあることはなく、安穏で、熱情がなく、錯乱がなく、思い焦がれのない者は、出生と老いを渡った。
【解説】
ここで問題なのは、いかに出生と老いを渡る、つまり、生死を超越する真理の教えが到来することが珍しいかを、真理勝者サキャ神賢が説いていらっしゃることである。
というのは、ここで登場する外道のバーヴァリの弟子たちは、大変有名な弟子たちであり、そして、多くの弟子たちを有している。しかし、彼らですら本質的に解脱の道、あるいは悟りの道を理解することはできない。彼らは、犠牲祭によってそこへ到達できると考えている。しかし、もともと法則が正しくないのだから、当然到達できないのである。
先程アジタ青年男子に説かれたように、(「三つの要素の打破と進展」参照)、いっさいの煩悩を捨断し、そして善の記憶修習をなし、サマディを修習する者こそ解脱へと至れるのだということが、この質問において明白になったはずである。