智徳の轍 wisdom and mercy

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「彼」だけが

2005-03-20 | ☆【経典や聖者の言葉】

 それがお前たちカルカッタの連中の唯一の道楽なのだ--説教をして、他人を教化しようとする! 誰一人、反省して自分が教えを受けようとする者はいない。他人を教えるというお前たちはいったい何者なのだ。
 宇宙の主でいらっしゃる「彼」が、あらゆる者にお教えになるのだ。
 この宇宙をおつくりになった「彼」だけが、太陽と月を作り、人と獣と他のすべての生き物をおつくりになった「彼」だけが、われわれをお教えになるのだ。彼らに生命を維持する方法を教え、子供たちに親を与えてその親たちに彼らを育てる愛をお授けになった「彼」だけが、われわれをお教えになるのだ。主は実に様々のことをしておいでになる--「彼」が、ご自分を拝む方法を人々にお教えにならないなどということがあろうか。もし彼らが教えを必要とするなら、そのときには「彼」が教師におなりになるだろう。「彼」はわれわれの、内なる導き手でいらっしゃる。
 仮に土の像を拝むことに何かの間違いがあるとしても、それによって神だけが呼び求められていることを「彼」がお知りにならないかね? 「彼」は拝まれているという、そのことだけでお喜びになるであろう。なぜそのことでお前が頭を痛めなければならないのか。お前は自分の叡智と信仰を求めて努力したほうがよい。

 お前は、土の像を拝むということを言っていた。たとえ神像は土でできていても、そのような種類の礼拝が必要なのである。神ご自身が礼拝の様々の形を与えてくださったのである。宇宙の主である「彼」が、叡智の様々の段階にある様々の人のために、これらすべての形を用意してくださったのである。
 母親は様々の子供の胃袋に合うように、様々の料理を作るだろう。五人の子供がいるとする。ここに一尾の魚があれば、彼女はそれで様々の料理を作る。ピラフとか、漬物とかフライとかいうように、彼らの好みと消化力に合わせて。--私の言うことがわかるか。

              (ラーマクリシュナ・パラマハンサ)

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