智徳の轍 wisdom and mercy

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◎疑念や質問の無意味さ

2005-12-08 | ☆【経典や聖者の言葉】
【質問】
 種々のどのようにと問うことから、わたしを救済してください。

【回答】
 世間において、どのようにと問う者のだれをも、わたしは救済に臨ませることはないだろう。そして、最上の法則を認識することによって、そのように、あなたはこの氾濫を渡ることができるだろう。

【解説】
 修行の実践に対する疑念・質問、これは無意味である。真理の実践は、その実践段階の完全なるすべての理解、そして修行というプロセスをとるわけではない。なぜならば法則において高度な法則になると、無智に覆われている魂は、その法則の概要を理解することができないからである。
 したがって、まず自分の今の智慧のレベルにおいて、対象であるグル、あるいは真理勝者をしっかりととらえ、そして、その法則のある部分が納得できた段階で、そのすべてを理解しようとせず法則の実践を行なう、――これこそが救済される側の立場であるということをサキャ神賢は説いていらっしゃるのである。つまり、疑念を持った者は救済されないということなのである。
 もちろん、すべてを理解でき、実践できるならば、もっと素晴らしいことであるのは言うまでもない。

◎喜悦・居所・識別からの解放

2005-12-08 | ☆【経典や聖者の言葉】
【質問】
 そのときどのように、揺るぎない者たちは、氾濫、出生と老い、そして、不運な出来事と悲嘆を切り抜けられるのでしょうか。

【回答】
 上に、下に、横に、そして真ん中でも、あなたが正智することは何でも、これらにおいて喜悦と居所と識別を払いのけ、生存においてとどまらないようにしなさい。このように時を過ごし、記憶修習し、怠惰でなく実行している向煩悩滅尽多学男は、種々の愛着で結びついているものと、出生と老いと不運な出来事と悲嘆を捨て、まさにこの世で知り得た者は、苦しみを捨断するだろう。

【解説】
 この質問に対して、サキャ神賢は喜悦・居所・識別という三つのポイントを挙げて、それにとらわれないことこそが、それらから解放される道だと説いていらっしゃるのである。ではなぜか。
 まず、喜悦は対象に対する愛取を招く結果となる。
 次に、居所であるが、これは“場所”と言い換えることができる。この場所も同じように、その場所の記憶修習をしすぎると、必ずその場所へ流転する可能性を招く結果となる。
 そして、識別は一つのものからの離愛著とともに、他方への帰着を意味するのである。
 したがって、喜悦、居所、そして識別からの解放、これがすべての要素からの解放の源であることは言うまでもない。

◎苦しみが生じる因

2005-12-08 | ☆【経典や聖者の言葉】


【質問】
 世界において、多くのいろいろな形態のこれらの苦しみは、何でもかんでも、どこから起こったのでしょうか。

【回答】
 世界において、多くのいろいろな形態のこれらの苦しみは、何でもかんでも、愛取を発端とした結果として生じる。偽りなく、知り得ていず、愛取をなす者は怠け、何度も苦しみに堕ちる。全くこの理由ゆえに、わかっている者は愛取をなさず、苦しみへの生の根源を観察するのである。

【解説】
 これは、苦しみが何を因として生じるのかという質問である。それに対して、真理勝者サキャ神賢は、「すべては愛取、つまり、愛のとらわれ、対象の認識の欠落、偏見によって苦しみが生起するのだ」と説いていらっしゃる。したがって、偏見を完全に取り払うならば、つまり、すべての現象をリアリティー、ありのままに見つめるとするならば、その苦しみから解放されるということを説いていらっしゃるのである。