智徳の轍 wisdom and mercy

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迷いの生存

2005-12-27 | ☆【経典や聖者の言葉】

 非神秘力とは、根本の真理を知らないことである。

 経験の構成とは、そのような非神秘力があることに基づいて、常に善、悪、不善不悪の行為をなし、その果報を受けていくことである。
 
 識別とは、そのような経験の構成に条件付けられて生じてくる最初の心である。

 心の要素-形状-容姿とは、そのような識別と同時に生成する迷いの存在であり、それはエゴへの執着を伴っている。

 そのような心の要素-形状-容姿において、六つの感覚要素と対象が成長してくる。

 接触とは、そのような六つの感覚要素が対象に接触して、知覚する識別が働くことである。

 そのような接触と同時に、感覚が生じる。

 渇愛とは、そのような感覚に基づいて好悪を判定する働きである。

 そのような渇愛によって、とらわれが増大する。

 生存とは、過去のさまざまなカルマの残した迷いの潜勢力であり、そのような迷いの生存への執着によって、次の果報として迷いの生存をもたらすべく、現前してくるのである。

 出生とは、そのような過去のカルマに従って、果報として、迷いの生存が発現することである。

 老いとは、迷いの生存が成熟することである。

 死とは、老いた後に、迷いの生存が崩壊することである。

 悶絶とは、死してこの世を去ろうとするときに、無意識になりながら、生きようとあがくことである。

 悲嘆とは、悶絶しながら、うめき声をあげることである。

 苦悩とは、五種の知覚能力の断末である。

 憂悩とは、自意識ともろもろの観念の断末である。

 疲労困憊とは、どんどん苦悩と憂悩が極大になっていくことである。

 このようにして、彼ら衆生の苦悩に始まり苦悩に終わる苦悩ばかりの集積、苦悩の大樹が出現するのである。

 そのように行動する個我的主体があるわけでもなく、そのような苦悩を受ける個我的主体があるわけでもないにもかかわらず。