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         智徳の轍 wisdom and mercy

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「ガナチャクラ儀軌」要約(2)

2009-03-14 | ☆【経典や聖者の言葉】

◎供物と資具の準備

 客人たちを喜ばせるために、その場に、肉、酒、米、麺、餅、固い食べ物、柔らかい食べ物、飲み物、ギー、嗜好品などを、富ある施主が準備せよ。
 また、最高のお香、塗香、花輪、灯明なども用意すべし。


◎着座

 アーチャーリヤは、輪の中央の座に、良い敷物を敷いて座る。ヨーギーは輪の右側に、ヨーギニーは輪の左側に、良い敷物を敷いて座るべし。


◎甘露の成就

 次に、アーチャーリヤは、ヴァジュラにつけたティラカで、自らの身口意の三ヵ所を、隅々まで祝福せよ。そして最高の花輪と冠と装飾品で、自らの身体を飾るべし。
 次にアーチャーリヤは、もろもろの食物の入った容器を、ア字からできたカパーラであると観想する。そして食物を五甘露であると観想し、さらにその上の空間に、フーム字からできたヴァジュラを観想すべし。
 そしてカルマの火と風によってヴァジュラが溶け、五甘露の上に降り注ぐことによって、甘露が完成すると観想すべし。
 次に、そのヴァジュラから光明が十方に放たれ、その光が、完全なる絶対なる神の叡智の甘露をひっかけて持ってくる。そして三回かきまぜることによって、カパーラの中の甘露と、その完全なる絶対なる神の叡智の甘露が一つに混ぜ合わさり、ヴァジュラの甘露になるのである。
 このときに、次のマントラも唱えるべし。

オーム サルヴァシュッダーハ サルヴァダルマーハ スワバヴァシュッドー ハム

 この次第は、ガナチャクラの最初の段階であるといわれる。



◎ホーマ

 次に、ヨーギニーたちが水を置いた場所で、ラム字から燃える炎の中に、清浄なる光明を観想すべし。
 その中央にヴァム字を観想し、そのヴァム字から八枚花弁の蓮華を観想し、その上に、自らがタントラの主神・ヴァジュラダーキニーとなる曼荼羅を観想すべし。その口は炉口であり、両手にはフーム字から生じたヴァジュラを持っていると正しく観想せよ。
 そして会集の各々が、曼荼羅の各々のタントラの主神であると観想すべし。
 ヴァジュラジャパの仕方によって、妄分別のない心で、秘密のマントラを読誦せよ。
 内のヨーガを決定するのは心の輪であるといわれる。これはガナチャクラの第二段階である。

 

尋ねてみたまえ

2009-03-14 | ☆【経典や聖者の言葉】


 努力をしてでも、心中に不満感を作り出すようにしたまえ。

 夜、自分に向かって、どのくらいの時間を神との交流に費やしたか、どのくらいを他のことに費やしたか、尋ねてみたまえ。

 神に捧げられなかった時間は、空しく費やされたのだ。浪費されたのである。


(スワミ・ブラマーナンダ)

「ガナチャクラ儀軌」要約(1)

2009-03-12 | ☆【経典や聖者の言葉】

「ガナチャクラ儀軌」要約




 狂い笑うシータヴァニヤというところで、サムンジャヤ王という方が施主となり、アーチャーリヤ・ドーンビー・ヘールカなどのヨギーの集団が、無数に集ってガナチャクラを転じた。

 吉祥なるヴァジュラダーキニーに帰依したてまつります。

 虚空の色にひとしき無垢にして広大なるヨーガによって遊戯し、四つの魔を御足に踏みつけて、世界をよく救済なさる、美しくまた畏怖すべきダーキニーであるタントラの主神に礼拝したてまつります。衆生済度のための功徳を積むために、すべてのタントラで最勝と讃嘆される大集会、方便と智慧の遊戯として要約されたその儀軌を説こう。

 

◎目的と吉日

 集会を開くことを願う者は、神秘力を培い、グルとタントラの主神に、心をこめた浄信を持て。
 そして、覚者の境地の獲得には功徳と智慧の蓄積が必要である。よって不断に功徳と智慧を培え。そのためにもこのガナチャクラは最高である。
 儀軌を行なう日は、白日および黒日の8日、14日、15日などが良いとして勧められる。


◎場所の選定

 火葬場や、一本だけ生えている木の下、園林や遊園、自分の住居、あるいは人の近寄らない家屋などにおいて、地面に牛五浄を塗った後、さまざまな花や香料を振りまけ。



◎集会のアーチャーリヤとカルマヴァジリンの選出

 そこでまず最初に、集会を開くことを願う者は、集会のアーチャーリヤとして、もろもろのタントラに精通しており、ヨーガに精進したことによって妄分別を断じ、真実を悟り、大悲とサマヤをそなえ、利己的な欲望が少ない修行者に対して、集会の導き手(アーチャーリヤ)となって下さることをお願いすべし。
 次に、サマヤをそなえ、グルを恭敬し、妄分別が少なく、仲間への憎しみがなく、浄信を持つ者に、アーチャーリヤの補佐役であるカルマヴァジリンとなって下さることをお願いせよ。






神秘力のカッコウ

2008-07-28 | ☆【経典や聖者の言葉】



 スワスティ
 吉祥のさらなる吉祥である世尊サマンタバドラ、すなわち身・口・意のヴァジラである大楽に礼拝します。

 世界の多様性はその本性において二元性を越えたものでありながらも、(個体性をもって現象する)その個体性そのものは、心がつくりあげる概念の構成から自由である。

 如実なるものを思考することさえせず、ありのままにまざまざと現われた多様な現象は、それ自身においては絶対的な善なのである。

 存在は自ずから成就しているのであるから、努力によって何かをつかみとろうとする心の病気の根を断って、あらゆるものがそのままで完成状態にある、その中に無努力のままにとどまることが私の教え。


中観による視点の教え

2008-06-02 | ☆【経典や聖者の言葉】




 心を考察し、浄化した後、個我の欠如に気づき、この重要な洞察の確信を持つとき、「我」は部分の集まりとなる。
 いまだ知られざるものを考察し、条件づけられたものと絶対なるものを識別せよ。
 経験の各形態を分析していくと、これが「これ」と呼ばれ、あれは「あれ」と呼ばれることを知る。
 
 
 いつまでも様々な形に固執して、実体を見いだそうとしても、何も見つからない。
 
 無を構成する非常に細やかな微粒子や、「これ以上分割する事のできない二元性」を、乗り越えていくとき、相互依存性の場が現われ、現象的実在と心の空想的虚構が、共に存在することを知る。
 
 
 現象的実在と空想的虚構を、共に考察すべきものとして注目し、鋭い洞察力で厳密に調べていくと、基体も根源も、何も見いだすことができない。
 
 つまり無である。
 
 現象とは、幻や夢、水に映った月、こだま、蜃気楼、二重視、陽炎のごとしである。
 幻の本質を考察していくと、現象は空であり、空は現象化する事が解る。


 これが明確な究極の存在である。
 しかし、けがれのない洞察で得られた、この認識に対する確信と幻として見る視点は、まだ、形の魅力に縛られている。
 
 概念によって取り込まれた、心地よい睡眠の中に落ち入っていくとき、概念化を離れた存在の本性は、知られることがない。
 
 
 幻に対する確信が起こり、妄想の魅惑的な形跡に集中し、それらをじっくりと思索し考察していくと、これら対象に実体は何も存在しない。
 
 その時、外的内的像の流れはとぎれることなく続くが、固執すべき心など存在しないことを知り、安らぎ、本来の自由の中に超脱する。
 このように寂静がなされる。


 この根元的超脱の状態の中で、原初の方より不生で、なにものにもさまたげられることがなく、心の流れの中に織り込まれ、主体と客体から離れている全ての事象は、一なる領域において相等しい。
 
 「ある」「ない」という断定をすることなく、表現できない意味の中に、ただ疑いの余地のない体験が横たわっている。
 
 
 超越的であり、全てに浸透している究極の存在は、あらゆる経験をも、あるがままとして、それ自らを知る霊妙なる智性、また、精神統一の無分別智によって、捉えることができる。
 禅定とは常に、空性と相互依存性の双入に他ならず、中観に熟達した指導者の確信によって、二つの道は一つとなる。
 
 
 心の対象化過程から解き放つ、この内在的無分別智を、速やかに生じさせたいならば、マントラヤーナの教えにしたがって修行せよ。
 
 中観の修行では、まず、浄化の行をした後、段階的に体験を深めていき、この究極的最頂点にたどりつくことができる。
 
 
 ある男がのどの渇きを覚えるとき、水を思考するだけでは渇きを癒すことはできず、ただ、水を飲むことによってのみ、渇きを癒すことができる。
 
 つまり、情報は経験とは異なるものである。
 単なる客観的知識である情報を求めるような、無駄な探求に時間を費やすよりは、すばやく静寂へと導く、禅定体験を深めるべきである。


分析修習の輪

2008-06-02 | ☆【経典や聖者の言葉】


 人生における過ちと不満は、自らの激しい煩悩による。
 煩悩の原因は統制されない心にあり、鋭い作意によって再び正しい状態に戻さなければならない。
 
 
 特に欲情をおこす対象を観想し、五つからなる構成体に識別せよ。
 まずは、身体より分析することからはじめよ。


 肉、血、骨、骨髄、脂肪、内蔵、四肢、感覚器官、大便、小便、寄生虫、体毛、爪など、身体の不浄なる部分を識別せよ。
 
 
 これらの部分を構成要素や感覚領域にまで分類し、類別せよ。
 次に、それらをこれ以上分割することができない微粒子にまで分解し、分析せよ。
 
 
 執着が起ころうが起こるまいが、ただ不浄なるものの集合に過ぎないものと、この身体をみよ。
 身体は汚い組織、管と汚物の塊、また、ぶくぶくした泡のごとしと念ずるべし。
 
 
 この洞察の流れが止んだとき、感覚、表象、経験の構成、識別の、それぞれの本質に対しても、細かく分解し、分析せよ。
 
 
 泡や蜃気楼、芭蕉、魔法の幻影のごとしと、対象をみるとき、それらに対する欲望は起こらないであろう。
 つまり、欲望が消え去るまで、洞察の流れを保っておくこと。
 
 
 欲望が消え去れば、その対象への考察をやめ、他の像へ次々と移り、それを試すこと。
 このようにして、誤認された知覚のすべては、実体のない構成体であると解る。
 
 
 これらの実体のない構成体に注目し、ただ瞬時に消滅するものとして、立ち起こる現象をみることが、正しい黙照といえる。
 
 
 生じたものはついには滅する。
 過去だけでなく現在と未来の世界も、必然的に消滅することに、気づくべきである。
 条件づけられた存在こそが、苦しみの原因であると知れ。
 
 
 いかなる生き物も突然に、孤独に、死ぬため、生まれてくる。
 世間のいかなる形態も、うつろいゆくことを理解したとき、存在の織りなす無常をみる。
 
 
 つまり、いかなる形態が存在しようと、黙照という心の力によって、存在の無常が感得される。
 
 
 いかなる欲望の対象が形成されようとも、稲妻の光、泡、雲のように、揺らめくものと観、その欲望が消え去るまで、この洞察の流れを保っておくこと。
 
 
 その後、この多くの部分よりなる集積に対し、苦しみの実相、あるいは、必ず次の苦しみとなるであろう快楽が、はかない刹那的状態にあることを観よ。
 人類すべての苦しみと、その基盤である心身の仕組みが、いかに大きいかを黙照せよ。
 
 
 心身は本質的な欠陥を有するが故に、複雑に絡み合う苦しみの堕落から逃れられる可能性は、針一本の隙間さえもない。
 
 
 故に、心身は苦しみの源、不浄なる道、燃え盛る激苦地獄、共食いの島であるといわれる。
 これが消え去るまで、この洞察にできる限りとどまるよう。
 
 
 苦しみを捉える最後の洞察としては、「我」をあらしめていると思うものに対しても、はかない塊として、この集積を分析し、自己を空性なるものとして捉えよ。
 
 
 滝や雨が降るように、また、空き家のように観て、それが消え去るまで、この確信の状態にとどまれ。
 
 
 この認識が薄らぐ時には、先のように段階的に試みよ。
 前の修行を忘れてしまったときには、一つの対象について様々な分析をするように。
 
 
 何度も繰り返しこの意味を考察するために、時には他者の心身構造を観、時には自身の心身構造を調べ、時にはすべての条件づけられた存在を考察せよ。
 
 
 このようにして、すべての執着は滅する。
 要するに、全ての思考を捨て去り、多、無常、苦しみ、空性の考察という、この四つの分析修習の輪を、常に転ずるべし。
 
 
 多少、分析らしきことが巧みになっても、様々な対象をハッキリと知るまでは、猛威を振るう草原の炎のごとく、絶え間ない分析修習の完成に努めること。
 
 
 あらゆる前生の間に、ゆがめられ、ハッキリとせず、散漫としたこの「我」は、白昼夢と誤解の傾向によって作られた。
 この妄想は落ちつきによって、再び元に戻されなければならない。
 
 
 散漫な気が衰え、はからいが静まり、いかなる煩悩も心の中に起こることのない時、心の静寂の中でくつろぐ。
 
 
 精神活動が再発したら、前のような分析を続けよ。
 常に対象を明確に思い起こし、曇りなく知る認識力を保ち続けよ。
 
 
 忘れやすくなり、煩悩が起こるときこそ、敵に対する剣として、分析を試みよ。
 
 
 暗闇の中に射し込む光のように、注意深い考察の修行は、有害な欲情の痕跡さえ、跡形もなく滅しさる。
 
 
 不完全性を理解し、条件づけられた存在の真相を、深く観るほどに、絶対的な安らぎと、遥か彼方まで透き通るほどの清浄さを、知ることであろう。
 
 
 自他の心身や、条件づけられた存在の、多、無常、苦しみ、空性を、絶え間なき反復を通して、認識せよ。
 
 
 労することなく、心は完全な理解力によって満たされる。
 視覚は幻であると知れば、欲望の源は静められる。
 
 
 欲望という破壊者より解き放たれ、心は静まり、晴れやかとなる。
 自己を制した清らかさに触れるとき、平和な静寂のサマディが成し遂げられる。
 
 
 サマディは鋭い洞察力を呼び起こす。
 これは三乗に共通する、道の入り口である。


 相互依存性として起こり、幻のごとくすべての事象は、本来、不生。
 本質は空。
 実体的基盤は何も存在しない。
 それは、一もしくは多などという、相対性から離れている。
 
 
 如来蔵である、相対性のない絶対的領域。
 それを悟るならば、生と死の返際を越えて、大いなる無住処煩悩破壊に到達する。


 最上なる清浄と至福は、大いなる無為と呼ばれる。
 それは大いなる我の特性であり、無上のパーラミター、奥深き核心である。
 
 
 マハーヨーガ、アヌヨーガ、アティヨーガの、タントラにおいて、先天的に備わる大楽の境地は、自然に生ずる智慧によって開かれる。
 ここにいたりて、全ての教えがきわまる。
 
 
 ブッダの具現であるグルの導きにしたがい、ゾクチェンの自然なる解脱の伝統において、大乗の顕教と密教の両方に、共通する前行として修行する。
 
 
 この妙観察なる最勝道により、条件付けの当惑から退くことができる。最初に分析の功徳によって、欲情反応はもはや起こらなくなる。
 次に、心身の空性を確信することにより、三界に対する全ての欲望は滅せられる。
 
 
 徐々に、全ての迷いの痕跡は、空性の静寂の中に消え去り、なにものをも望むことなく、「我」や「我がもの」という全ての執着から、遠く離れ去る。


 なにものにも固執することなく、慈悲を抱き、恐れることなく、法界の大空を飛ぶ鳥のごとく、人生を飛翔する仏子は、法雲地へとたどりつく。


 尊い伝統の教えでは、止観の前行である、心の分析浄化は、三乗の道において極めて重要なものである、と説かれている。
 
 
 心の分析浄化の考察を、繰り返すほどに、煩悩は小さくなり、ほんの僅かな欲望にも、気づくことができるようになる。
 
 
 徹底的考察は平静さを容易にする。
 火によって練金された黄金が、柔らかく順応性に富むように、欲望から解き放たれた心も、そのようなものとなる。

 
 ブッダ曰く、大乗の教えをまとめた詩じゅの吟唱は、八万四千の法門を悟ることに等しい。
 この教えの意味をよく反復していくと、百千万の経典も要訣は皆同じであることに気づく。
 それゆえ行者は、修行に専念することにより、奥深く広大な智慧の蔵を、労することなく手に入れ、速やかに解脱へと導かれていく。
 
 
 この論釈の善と、解放がもたらす甘露の力を持って、末法の世で苦しむ一切の生命体が、安らぎの境地に達せられますように。

完璧な確信の歌

2008-05-31 | ☆【経典や聖者の言葉】

完全なるマルパに礼拝します。

私は、究極の真理を知るヨーギーである。
まず私は、「生まれないものの源」において、確信を得る。
「非消滅の道」において、徐々に力を完成する。
今、大いなる哀れみから流れ出る
意味ある象徴と言葉によって
「ダルマの真髄」という絶対的世界から
この歌を歌う。

罪深いカルマが、濃い無明と深い迷妄を作りだし、
お前たちは、究極の真理の意味が理解できない。
よってこの「便宜的真理」を聴きなさい。

汚れの無い、いにしえのスートラの中で、
過去の全てのブッダ方は、カルマという永遠の真理によって、
全ての衆生は、自分の親族であることを、
繰り返し説いてきた。
これは、決して違うことのない永遠の真理である。
この慈悲の教えをよく聴きなさい。

私、修行によって成熟したヨーギーは、
外的障害は、単なる幻の演出、幻影の世界、
生まれることのない心の
魔法の業であることを知っている。

心の内側を観ることによって、
実体の無い、本来空である、
心の本質を知ることが出来る。
隠遁して瞑想することによって、
系統のグル達の祝福と、
偉大なるナーローパの教えを得ることができる。
サキャ神賢の内なる真実こそが、
瞑想の対象である。

我がグルの慈愛に満ちた示唆により、
タントラの深遠な密義が理解できる。
生成と完成のヨーガの修行によって、
生命力が生じ、
「小宇宙」が存在する深い理由が理解できる。
このように、外的世界の中で、
私は幻影の障害を恐れない。

宇宙全体ほども大きい、無数のヨーギー達の、
聖なる、偉大なる系統に私は属している。

自己の心のうちに、
心の原初の状態を瞑想するとき、
自分自身という考えは、
ダルマダートゥの世界の中に、融けていく。
そこでは、苦しめる者も苦しめられる者も観られない。
スートラを徹底的に研究しても、
これ以上の教えはない。

激苦地獄の因と苦悩

2008-05-31 | ☆【経典や聖者の言葉】

 グルである守護者方に祈ります。
 悪趣の恐怖を取り除いて下さい。
 
 肉と血を求めて、生き物を殺す者たちは
 八つの熱地獄で焼かれる。
 しかし、もしよい教えを覚えていることができるなら
 じきに解放される。
 
 打ち、殺す、無慈悲な強盗は
 自分のものには貪欲にしがみつきながら
 不当にも他の食物を食べ、八つの寒冷地獄に落ちる。
 しかし、法則に対して誤った見解を抱いていないならば
 解放のときが来ると言われている。
 [聖典は]また、こうも言う。
 地獄の住人が覚者の名前を思いだすなら
 直ちに解放されると。
 
 罪深い行いを絶えず繰り返すということは
 悪徳と悪業によって支配されているということだ。
 快楽への貪りに満ちた悪魔のような者たちは
 自分の親やグルでさえも殺し、
 三宝から宝を奪い、
 貴い方々を罵り、いわれなく責め、
 法則を真実ではないと決めつける。
 これらの悪をなす者たちは
 無限地獄で焼かれる。
 ああ、彼らに解放は遠い。
 息子たちよ、これは君達を確実に苦しめる。
 よって、法則に心を投じ、瞑想に自己を捧げなさい。

怒り

2008-05-31 | ☆【経典や聖者の言葉】

 邪悪心を捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。形状-容姿と心の要素とに執著せず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。
 邪悪心が起こったならば、それを捨て去れ。情欲が起こったならば、それを防げ。思慮ある人は非神秘力を捨て去れ。真理を体得することから幸せが起こる。
 邪悪心を滅ぼして安らかに臥す。邪悪心を滅ぼして悩まない。毒の根であり、甘味をそこなうものである邪悪心を滅ぼすことを、聖者らは称賛する。向煩悩滅尽多学男たちよ。それを滅ぼしたならば、悩むことがない。
 怒り猛った人は、善いことでも悪いことだと言い立てるが、後に邪悪心がおさまったときには、火に触れたように苦しむ。
 彼は、恥じることもなく、愧じることもなく、戒を守ることもなく、怒りたける。邪悪心に覆われた者には、頼りとすべきいかなるよるべもこの世に存在しない。
 ある人にとって力は力であっても、怒ったならば、その力は力ではなくなる。怒って徳行のない人には道の実践ということがない。
 この人が力のある者であっても、無力な人を堪え忍ぶならば、それを最上の忍耐と呼ぶ。弱い人に対しては、常に忍んでやらねばならぬ。
 他の人々の主である人が弱い人を忍んでやるならば、それを最上の忍耐と呼ぶ。弱い人に対しては、常に忍んでやらねばならぬ。
 力のある人が、他人から誇られても忍ぶならば、それを最上の忍耐と呼ぶ。弱い人に対しては、常に忍んでやらねばならぬ。
 他人が怒ったのを知って、それについて自ら静かにしているならば、自分をも他人をも大きな危険から守ることになる。
 他人が怒ったのを知って、それについて自ら静かにしているならば、その人は、自分と他人と両者のためになることを行なっているのである。
 自分と他人の両者のためになることを行なっている人を、「弱い奴だ」と愚人は考える。--理を省察することもなく。
 愚者は、荒々しい言葉を語りながら、「自分が勝っているのだ」と考える。しかし誇りを忍ぶ人にこそ、常に勝利があるのだ、といえよう。

 集会の中でも、また相互にも、怒って言葉を発してはならない。邪悪心に襲われた人は、自分の利益を悟らないのである。
 真実を語れ。怒るな。乏しき中からでも自ら与えよ。これら三つのことを具現したならば、神々のもとに至り得るであろう。
 心が静まり、身が整えられ、正しく生活し、正しく知って解脱している人に、どうして邪悪心があろうか? ハッキリと知っている人に、邪悪心は存在しない。
 怒った人に対して怒り返す人は、悪をなすことになるのである。怒った人々に対して怒らないならば、勝ち難き戦にも勝つことになるであろう。
 怒らないことによって怒りに打ち勝て。善いことによって悪いことに打ち勝て。分かち合うことによって物惜しみに打ち勝て。真実によって虚言に打ち勝て。
 怒ることなく、身が整えられ、正しく生活し、正しく知って解脱している人に、どうして邪悪心があろうか? ハッキリと知っている人に、邪悪心は存在しない。
 怒らぬことと不傷害とは、常に気高い人々の内に住んでいる。邪悪心は悪人の内に常に存在している。--山岳のように。
 走る車をおさえるように、ここでむらむらと起こる邪悪心をおさえる人--彼を我は<御者>と呼ぶ。そうでなければ、この人はただ手綱を手にしているだけである(<御者>と呼ぶにはふさわしくない)。


キサーゴータミー

2008-05-18 | ☆【経典や聖者の言葉】

一 バドゥムッタラという名の勝者、一切の法における究竟者であるグルは、今から十万カルパの昔に出現なさいました。
二 そのとき、私はハンサヴァティーの、ある家に生まれ、その最上の方のみもとを訪れて、帰依いたしました。
三 そして、四諦に関連した、微妙で、蜜【みつ】のような、心の寂静と安楽をもたらす、その方の法を聞いたのです。
四 あるとき、勇者、最も優れた方は、粗衣【そい】の比丘尼として、第一の位に置いて、称賛なさいました。
五 比丘尼の徳を聞いて、多くの喜びが生じて、可能な限り仏陀に帰依して、
六 その牟尼に頂礼して、その地位を願い求めました。そのとき、等覚者、グルは、その地位を得ることを喜ばれ、こうおっしゃいました。
七 「今から十万カルパの後に、オッカーカ族の生まれで、ゴータマという名の師が、この世に出現するだろう。
八 お前は法の中において、法によってつくられた後継ぎの子供であって、キサーゴータミーという名の師の弟子の尼となるだろう。」
九 そのとき、それを聞いてうれしくなって、一生涯、勝者、教え導く方に、優しい心で必需品を奉仕いたしました。
一〇 その善をなしたカルマと思願によって、人の身を捨てて、私は三十三天に行きました。
一一 この賢なるカルパにおいては、バラモンの末裔であって、大いなる名声がある、カッサパという名の、論者の中で最も優れた者が出現なさいました。
一二 そのとき、大聖の従者は、最高の城バーラーナシーのカーシ王キキーという名の者でした。
一三 私は彼の第五女であって、ダンマーという名で知られていました。そして、勝者の法を聞いて、出家を希望したのです。
一四 私達の父が許さなかったので、そのとき私達は家の中で二万年の間勤精進して、
一五 幼い娘としては梵行を行じ、幸福に暮らしていた七人の王女としては、仏陀へのおもてなしを楽しみ、喜んだのです。
一六 その七人とは、サマニー、サマナグッター、ビックニー、ビッカダーイカー、ダンマー、およびスダンマーと、第七はサンガダーイカーでした。
一七 それは今生では、ケーマー、ウッパラヴァンナーと、パターチャーラーと、クンダラー、私とダンマディンナーと、第七はヴィサーカーのことです。
一八 その善をなしたカルマと思願によって、人の身を捨てて、私は三十三天に行きました。
一九 そして今、最後の有では、私は困窮した、財産がなく、裕福ではない、商人の家に生まれ、財産がある家に嫁いだのです。
二〇 夫を除いて、残りの人は私を無産者と見ました。そして、子供を産んだときに、すべての人に親切にされました。
二一 その幼く賢い子供は、幸福の中で暮らし、あたかも自らの命のように私に愛されたとき、子供はあの世に行ったのです。
二二 憂いに悩み、言葉も哀れに、目には涙を浮かべ、泣きっ面をして、しかばねを抱いて、私は嘆きながら歩きました。
二三 そのとき、ある人によって同情されて、最上の医者のもとを訪れて、「子供が生き返る薬をお与えください」と言ったのです、友よ。
二四 「死者のない家にあるカラシの実を、そこから持ってきなさい。」
と、教え導く方便に熟達した勝者はおっしゃいました。
二五 それからサーヴァッティーに行きましたが、このような家が見つからなかったので、それではどこでカラシの実を手に入れるのだろうと思い、私は念を得たのです。
二六 しかばねを捨てて、世界のグルのみもとを訪れると、遠くに私を見て、妙なるお声でおっしゃいました。
二七 「生滅を見ることなく百年生きるよりも、一日生きて生滅を見た方がよい。
二八 それは村落の法ではなく、集落の法ではなく、また一家の法でもなく、無常であることは、天を含む一切の世界の法なのだ。」
二九 これらの詩句を聞くや否や、法眼は清められ、法を了知して、それから出家者となりました。
三〇 こうして出家し、勝者の教えに励むうち、程なくして阿羅漢の位を体得いたしました。
三一 私は神足と天耳界において自在となり、他心を知り、師の教えを順守する者となりました。
三二 宿命を知り、天眼は清浄となり、一切の漏を捨てて、清浄でけがれなき者となったのです。
三三 私は師に帰依し、仏陀の教えを実践し、重荷を捨て、有に導く煩悩をすべて取り除いたのです。
三四 その意義のために、私は在家から出家者となりました。生存の束縛を滅尽する、その意義を、私は体得いたしました。
三五 義・法・詞、また、弁における私の智慧は、最勝なる仏陀のみもとで、無垢【むく】、清浄となりました。
三六 ゴミたまりや墓場や道端から、ボロを持ってきて、正装を作って、粗衣を着ました。
三七 勝者は粗衣をまとうその徳に満足なさり、教え導く方は会衆の中で、その第一の位に置いてくださいました。
三八 私の諸々の煩悩は焼き尽くされ、有はすべて断じられ、もはやこの世に転生することはありません。
三九 実に私はよく至れる者です。我が最勝なる仏陀のみもとで、三明は体得され、仏陀の教えは実践されるのです。
四〇 四無礙解と、またこれら八解脱と、六通を現証して、仏陀の教えを実践いたします。
――このように、長老キサーゴータミー比丘尼は、これらの詩句を唱えたのである。

バッダー・クンダラケーサー

2008-05-18 | ☆【経典や聖者の言葉】

一 バドゥムッタラという名の勝者、一切の法における究竟者であるグルは、今から十万カルパの昔に出現なさいました。
二 そのとき、私はハンサヴァティーの長者の家に生まれ、その家は、様々な財宝が輝き、大いなる安楽がありました。
三 その大いなる勇者のもとを訪れて、説法を聴き、それから清らかな信を起こして、私は勝者に帰依いたしました。
四 そのとき、大悲ある方、グル、パドゥムッタラは、清浄な比丘尼を速通智者【そくつうちしゃ】の中の第一の位に置かれました。
五 それを聞いて喜び、大聖に布施を施して、おみ足に頂礼し、その状態を望んだのです。
六 大英雄は喜ばれ、このようにおっしゃいました。
「賢く善なる者よ、お前の願いはすべて成就するだろう。寂滅によって幸福があるのだ。
七 今から十万カルパの後に、オッカーカ族の生まれで、ゴータマという名の師が、この世に出現するだろう。
八 お前は彼の法の中において、法によってつくられた後継ぎの子であって、バッダー・クンダラケーサーという名の師の弟子の尼となるだろう。」
九 その善をなしたカルマと思願によって、人の身を捨てて、私は三十三天に行きました。
一〇 そこから没して、夜摩天に行き、そこから没して、兜率天に行き、それから化楽天に行き、他化自在天に行きました。
一一 どこに生まれても、そのカルマによって、いつもそこの王の皇后となったのです。
一二 そこから没して、人間界では、転輪王や小国の王の皇后となりました。
一三 天界や人間界で福徳を享受し、一切の所で幸せ者となって、多くのカルパを輪廻したのです。
一四 この賢なるカルパにおいては、バラモンの末裔であって、大いなる名声がある、カッサパという名の、論者の中で最も優れた方が出現なさいました。
一五 そのとき、大聖の従者は、最高の城バーラーナシーの人間の主、カーシ王キキーという名の者でした。
一六 私は彼の四女であって、ビッカダーイカーとして知られていました。そして、最高の勝者の法を聴いて、出家を希望したのです。
一七 私達の父が許さなかったので、そのとき私達は家で二万年の間勤精進して、
一八 幼い娘としては梵行を行じ、幸福に暮らしていた七人の王女としては、仏陀へのおもてなしを楽しみ、喜んだのです。
一九 その七人とは、サマニー、サマナグッター、ビックニー、ビッカダーイカー、ダンマー、およびスダンマーと、第七はサンガダーイカーでした。
二〇 それは今生では、ケーマー、ウッパラヴァンナーと、パターチャーラー、そしてこの私、キサーゴータミー、ダンマディンナー、第七はヴィサーカーのことです。
二一 その善をなしたカルマと思願によって、人の身を捨てて、私は三十三天に行きました。
二二 そして今、最後の有では、最高の城ラージャガハの裕福な長者の家に生まれました。私が年頃だったとき、
二三 盗賊が死刑のために引かれていくのを見て、私は心を染めました。そのため、父は千金によって彼を死刑から解き放ち、
二四 私の心を知って、私を彼に与えたのです。私は彼を安らがせたので、こよなく愛され、重宝がられました。
二五 けれども、彼は装飾品への貪りのため、華鬘【けまん】を持ち帰った私の敵となり、盗賊の住む崖まで連れていき、私を殺そうと謀りました。
二六 そのとき、私はサットゥカに向かってひれ伏して、よく合掌し、自分の命を守りながらこのように言ったのです。
二七 「この金の腕輪、たくさんの真珠・琉璃【るり】……、全部持っていってください。あなた、私を寝床の奴隷と呼んで。」
二八 「運のいいやつだ。さあ、飾り物を外すんだ。めそめそするんじゃない。持ってきた財産をよこさないと承知しないからな。」
二九 「私が覚えている限り、そして、私に物心がついて以来、あなたよりほかに愛する人を知らないというのに。」
三〇 「さあ、来い。お前を抱いてやろう。」
 そして私は、彼を右繞してこう思ったのです。「今や、再び、私はあなたに抱かれることはないでしょう」と。
三一 あらゆる場合に男が賢明であるわけではありません。たとえ女でも、賢明なために、鋭く見抜くことが度々あるのです。
三二 あらゆる場合に男が賢明であるわけではありません。たとえ女でも、賢明なために、利を考えることがあるのです。
三三 実に敏感に、急速に、素早く考察し、そのとき私は野獣のようなサットゥカに弓を十分に引き絞って殺しました。
三四 起こったことを素早く悟らない者は、あの愚鈍な慧の盗賊のように山の洞穴で殺されるのです。
三五 また、起こったことを素早く悟る者は、障害となる敵から脱するのです。あたかも、そのとき私がサットゥカから逃れたように。
三六 そのとき私は、サットゥカを山の険路に落として、白衣行者のもとに至り、出家しました。
三七 そして、毛抜きで私の髪の毛をすべて抜き、出家をさせ、常に自ら宗義を説きました。
三八 そのため、それを学び、独り座してその宗義を考察しました。すると、犬が人の手の、
三九 切断されたのをくわえてきて、私の近くに落として去っていきました。その蛆虫【うじむし】が群がっている手を見て、私は相を得たのです。
四〇 そして恐怖して立ち上がり、同法者に尋ねると、彼はこう言いました。
「釈迦の比丘が、その意味を知っている。」
と。
四一 その私は、その意味を尋ねようと、仏陀の比丘達のもとを訪ねました。すると、彼らは最高の勝者、仏陀のみもとに私を連れていきました。
四二 そのお方は私に法を説いてくださいました。蘊・処【しょ】・界は、不浄・無常・苦であると。また、それらは無我であるとグルはお示しくださったのです。
四三 その法を聴いて、私の法眼は清浄になり、ゆえに私は正法を知り、出家・具足戒【ぐそくかい】を、
四四 懇願いたしました。グルは、
「来なさい、バッダーよ。」
とおっしゃって、私はそのとき具足戒を受け、少しばかりの水を見たのです。
四五 私は足を洗うことによって生と滅とを共に知り、そのとき「諸行はそのように無常である」と思いました。
四六 そして、私の心は全く取著【しゅじゃく】がなく解脱しました。そのとき勝者は、速通智において私が第一の位であるとお告げになったのです。
四七 私は神足と天耳界において自在となり、他心を知り、師の教えを順守する者となりました。
四八 宿命を知り、天眼は清浄となり、一切の漏を捨てて、清浄でけがれなき者となったのです。
四九 私は師に帰依し、仏陀の教えを実践し、重荷を捨てて、有に導く煩悩をすべて取り除いたのです。
五〇 その意義のために、私は在家から出家者となりました。生存の束縛を滅尽する、その意義を、私は体得いたしました。
五一 義・法・詞、また、弁における私の智慧は、最勝なる仏陀によって無垢・清浄となりました。
五二 私の諸々の煩悩は焼き尽くされ、有はすべて断じられ、一切の漏は尽き果てて、もはやこの世に転生することはありません。
五三 実に私はよく至れる者です。我が最勝なる仏陀のみもとで、三明は体得され、仏陀の教えは実践されるのです。
五四 四無礙解と、またこれら八解脱と、六通を現証して、仏陀の教えを実践いたします。
――このように、バッダー・クンダラケーサー比丘尼は、これらの詩句を唱えたのである。

パターチャーラー

2008-05-17 | ☆【経典や聖者の言葉】
一 バドゥムッタラという名の勝者、一切の法における究竟者であるグルは、今から十万カルパの昔に出現なさいました。
二 そのとき、私はハンサヴァティーの長者の家に生まれ、その家は、様々な財宝が輝き、大いなる安楽がありました。
三 その大いなる勇者のもとを訪れて、説法を聴き、それから清らかな信を起こして、私は勝者に帰依いたしました。
四 そしてグルは、持律者の中の第一であり、そのように慚愧【ざんき】があり、なしたことなさなかったことにおいて、恐れることがない比丘尼を称賛なさったのです。
五 そのとき、私の心は喜び、その地位を願い求め、十力がある世界のグルを、サンガと共に招いて、
六 七日間飲食を差し上げ、また三衣を施して、おみ足に頂礼して、こう申し上げました。
七 「勇者よ、もしできるならば、私は今から八日前にあなたが称賛なさった、そのような者になりたいと思います、グルよ。」
八 そのとき、師は私におっしゃいました。
「賢く善なる者よ、恐れてはならない。未来世で、その望みは得られるだろう。
九 今から十万カルパの後に、オッカーカ族の生まれで、ゴータマという名の師が、この世に出現するだろう。
一〇 お前は彼の法の中において、法によってつくられた後継ぎの子であって、パターチャーラーという名の師の弟子の尼となるだろう。」
一一 そこで私はうれしくなって、親切な心で、生涯の勝者である世界のグルとサンガに奉仕いたしました。
一二 その善をなしたカルマと思願によって、人の身を捨てて、私は三十三天に行きました。
一三 この賢なるカルパにおいては、バラモンの末裔であって、大いなる名声がある、カッサパという名の、論者の中で最も優れた方が出現なさいました。
一四 そのとき、大聖の従者は、最高の城バーラーナシーの人間の主、カーシ王キキーという名の者でした。
一五 私は彼の三女であって、ビックニーとして知られていました。そして、最高の勝者の法を聴いて、出家を希望したのです。
一六 私達の父が許さなかったので、そのとき私達は家で二万年の間勤精進して、
一七 幼い娘としては梵行を行じ、幸福に暮らしていた七人の王女としては、仏陀へのおもてなしを楽しみ、喜んだのです。
一八 その七人とは、サマニー、サマナグッター、ビックニー、ビッカダーイカー、ダンマー、およびスダンマーと、第七はサンガダーイカーでした。
一九 それは今生では、私、ウッパラヴァンナーと、ケーマー、バッダー、キサーゴータミー、ダンマディンナーと、第七はヴィサーカーのことです。
二〇 その善をなしたカルマと思願によって、人の身を捨てて、私達は三十三天に行きました。
二一 そして今、最後の有では、私は富み栄え、多くの財産に恵まれた、優れた都、サーヴァッティーの長者の家に生まれました。
二二 年頃になったとき、私は思索にふけり、田舎の人と出会って、私は一緒に去ったのです。
二三 私は子供を一人生み、二人目は私のお腹にありました。そのとき、私は両親に会おうと決心したのです。
二四 私の夫はそれを望んでいなかったので、夫が外出したとき、最高の城サーヴァッティーに行こうとして、一人で家を出たのです。
二五 私の夫は途中で私に追い付いたのですが、そのとき、カルマから生じた激しい風が吹きました。
二六 また、私の出産のときには、大雨に襲われました。そこで、夫は木を探しに行って、毒蛇のために死んだのです。
二七 そして、孤独で哀れな産婦は鳥のすみかに行こうとして、満水の川を見て、
二八 子供を連れて一人で向こう岸に渡り、子供を置いて赤ん坊を渡らせようとして、
二九 戻ると、鷹【たか】は泣き叫ぶ赤ん坊をさらい、流れはもう一人の子供を運び去ったのです。そこで、私は憂いに襲われました。
三〇 サーヴァッティーに着くと、親戚【しんせき】の者が死に絶えたのを聞きました。そこで、憂いに苦しみ、大いなる憂いに襲われて言いました。
三一 「二人の子供は死んだ。私の夫は路上で死んだ。両親と兄弟は焼き場で焼かれた。」
三二 そして、私は一人で、青ざめてやせこけ、卑しい心で、あちこちをさまよううちに、調御丈夫にお会いしたのです。
三三 そこで、師は私におっしゃいました。
「憂えてはならない。あなた自らを求めよ。何を悲しんでいるのだ。
三四 子供達は己を守ることはなく、両親も親戚も己を守ることはなく、死神にとらわれた者を親戚は守ることはないのだ。」
三五 その牟尼のお言葉をお聞きして、預流果【よるか】に達し、出家して程なくして、阿羅漢の位を体得いたしました。
三六 私は神足と天耳界において自在となり、他心を知り、師の教えを順守する者となりました。
三七 宿命を知り、天眼は清浄となり、一切の漏を捨てて、清浄でけがれなき者となったのです。
三八 それから私は、一切見者のみもとで、一切の律と一切の広説を学び得て、如実に説法をしたのです。
三九 勝者はその徳に満足なさり、私を第一の位に置いてくださいました。持律者の中の第一は、パターチャーラーであると。
四〇 私は師に帰依し、仏陀の教えを実践し、重荷を捨て、有に導く煩悩をすべて取り除いたのです。
四一 その意義のために、私は在家から出家者となりました。生存の束縛を滅尽する、その意義を、私は体得いたしました。
四二 私の諸々の煩悩は焼き尽くされ、有はすべて断じられ、もはやこの世に転生することはないのです。
四三 実に私はよく至れる者です。我が最勝なる仏陀のみもとで、三明は体得され、仏陀の教えは実践されるのです。
四四 四無礙解と、またこれら八解脱と、六通を現証して、仏陀の教えを実践いたします。
――このように、パターチャーラー比丘尼は、これらの詩句を唱えたのである。

ウッパラヴァンナー

2008-05-11 | ☆【経典や聖者の言葉】

一 ウッパラヴァンナー比丘尼は、神通において究竟に達し、師のおみ足を頂礼して、こう申し上げた。
二 「既に生の輪廻を渡り、私は不動の道を手にしました。大いなる牟尼よ、お伝え申し上げます。
三 最高の勝者に極限の信を持つ人々。もし彼らに対し、私に罪があるならば、勝者の面前でお許しください。
四 輪廻に輪廻するうちに、もし私に過ちがあるならば、大いなる勇者よ、お伝え申し上げます。どうか、その罪をお許しください。」
五 「私の教えを順守する者よ、神通を現わせ。それによって、四衆は今日、疑惑を断ちなさい。」
六 「大いなる勇者、智慧者、光ある方よ、私はあなたの娘です。そして、多くのなし難く、極めてなし難いカルマを、私はなしたのです。
七 私の容色は青蓮華と同じように美しいので、青蓮華【ウッパラー】と名付けられました。大いなる勇者、眼ある方よ、あなたの弟子の尼は、おみ足に頂礼し奉ります。
八 ラーフラと私とは、数限りない趣において、一緒に生まれて、欲心もお互いに一致していました。
九 父母も同じ、趣もまた同じでした。最後の有に達すると、両者とも生まれを異にしました。
一〇 そして、その子はラーフラと名付けられ、娘はウッパラーといいます。見よ、勇者よ、私の神通力を師にお示ししましょう。」
一一 四つの大海を手に置いた。あたかも、小児の医師が、入手した油を手に置くように。
一二 大地を裂いて手の中に置いた。あたかも、子供や青年が、美しいムンジャ草を裂くように。
一三 鉄囲山に等しい手を頭上に広げて、しばしば様々な色の雨を降らせた。
一四 地を漆喰【しっくい】にして、穀物を砂礫【されき】にして、須弥山を槌【つち】にして壊した。あたかも、子供のように。
一五 「私はウッパラーという名の、最高の勝者である仏陀の娘です。神通において自在者となり、あなたの教えの遵奉者です。
一六 様々な変形をなして、世界のグルに見せて、姓名を明かし、眼ある方よ、おみ足に頂礼し奉ります。
一七 神足および天耳界において自在であり、他心智の自在者です、大牟尼よ。
一八 宿命を知り、天眼は清浄となり、一切の漏は尽き果てて、もはやこの世に転生することはないでしょう。
一九 義・法・詞、また、弁における私の智慧は、大聖によって、広大・清浄となりました。
二〇 昔の最高の勝者達の会合で、あなたに示した、私の奉仕は大きなものです、偉大なる牟尼よ。
二一 私の過去世の善業を思い出しください、牟尼よ。あなたのために私は功徳を積んだのです、大いなる勇者よ。
二二 あり得ない所を除いて、障害ないことを熟させながら、大いなる勇者よ、あなたのために、私の命は捧げられたのです。
二三 百億の財と私の命を施し、そして私はあなたに対して完全に献上いたします、偉大なる牟尼よ。
二四 今から十万カルパもの昔、私は龍女でした。ヴィマラーという名で、女達の中では尊敬されていました。
二五 大蛇・大龍は、勝者の教えを信じ、大いなる威光のある方、バドゥムッタラをそのお弟子さん達と共に招きました。
二六 宝石造りの仮堂、宝石造りの寝椅子、宝石の砂がちりばめられた、宝石造りの受用品や、
二七 宝の旗で飾られた道を準備し、彼は楽器を奏でながら、等覚者を迎えれば、
二八 世界のグルは、四衆を伴って、大蛇の宮殿の優れた座に座られました。
二九 高価な食べ物・飲み物、硬い食べ物・軟らかい食べ物、それぞれ最も勝ったものを、大いなる名声がある龍王は献上したのです。
三〇 その等覚者が食事し、完全に鉢を洗い終わると、大神通がある龍女は歓喜しました。
三一 花咲ける、一切を知る方、大いなる名声がある方を見て、師に対して、心は信を深め、また意はよく定まったのです。
三二 私の心を知って、最上の蓮華と名付けた大いなる勇者は、その刹那【せつな】に、神通で比丘尼を現わされました。
三三 その比丘尼は、恐れるところなく、数々の神通を現わしました。喜び感激が生じ、師にこう申し上げました。
三四 『この控え目になされた神通を見て、私には、よくわかりました。勇者よ、どうして、彼女は神通において、全く恐れるところがないのでしょうか。』
三五 『口から生じた私の実の娘だから、大神通があるのだ。そして、私の教えを順守し、また神通においては恐れるところがないのである。』
三六 仏陀の言葉を聞いて喜び、『私もまた、彼女のように、神通において恐れるところがないようになりたい』と、私は願い求めました。
三七 『私は喜び歓喜し、最上の意を得て、未来世にこのようになれますように、グルよ。』
三八 飲食で満足させて、マニ珠【しゅ】造りの寝椅子や、光り輝く仮堂や、
三九 龍達の最上の花である、アルナという名の青蓮華を、『私の容色がこのようになりますように』と、世界のグルに供養いたしました。
四〇 その善をなしたカルマと思願によって、人の身を捨てて、私は三十三天に行きました。
四一 そこから没して、私は人間界に生まれて、青蓮華で覆われた食事を、私は施したのです。
四二 また、今から九十一カルパの昔には、ヴィパッシーという名のグル、妙なる眼の方、一切の法における眼ある方が出現なさいました。
四三 そのとき、私は最高の城バーラーナシーの長者の娘となって、等覚者、世界のグルをサンガと共に招いて、
四四 青蓮華によって、教え導く方に大いなる布施をなして、それによってまた供養して、白い容色を願い求めたのです。
四五 この賢なるカルパにおいては、バラモンの末裔であって、大いなる名声がある、カッサパという名の、論者の中で最も優れた者が出現なさいました。
四六 そのとき、大聖の従者は人間の主であり、最高の城バーラーナシーのカーシ王キキーという名の者でした。
四七 私は彼の第二女であって、サマナグッターと呼ばれていました。そして、最高の勝者の法を聴いて、出家を希望したのです。
四八 私達の父が許さなかったので、そのとき私達は家の中で二万年の間勤精進して、
四九 幼い娘としては梵行を行じ、幸福に暮らしていた七人の王女としては、仏陀へのおもてなしを楽しみ、喜んだのです。
五〇 その七人とは、サマニー、サマナグッター、ビックニー、ビッカダーイカー、ダンマー、およびスダンマーと、第七はサンガダーイカーでした。
五一 それは今生では、私と、智慧あるケーマーと、パターチャーラーと、クンダラー、キサーゴータミー、ダンマディンナーと、第七はヴィサーカーのことです。
五二 その善をなしたカルマと思願によって、人の身を捨てて、私は三十三天に行きました。
五三 そこから没して、私は人間界の大家に生まれて、私は黄色の清浄で優れた正装衣を阿羅漢に施しました。
五四 そこから没して、私はアリッタプラのバラモンの家に生まれ、ティリータヴァッチャの娘である美しいウンマーダンティーとなりました。
五五 そこから没して、私は地方のあまり裕福ではない家に属して、そのとき私は稲を取っておりました。
五六 辟支仏を見て、私は五百のうるち米を炊き、蓮華で覆った五百の鉢を施して、
五七 また、それらの鉢に入れた蜜を独存者に施して、願い求めました。そこから没して、私は林の中の蓮の腹に生まれました。
五八 カーシ国王の皇后となって、尊ばれ供養され、五百余りの王子を生みました。
五九 彼らが青年に達し、水遊びをしていたとき、蓮華が落ちたのを見て、辟支グルとなったのです。
六〇 その私は、彼ら多聞である勇者をなくして憂え、そこから没して、私は仙人窟【せんにんくつ】の村民の家に生まれました。
六一 仏陀より教えを受けていない、智慧者である八人の辟支グルが、まだ自ら聞いた者の粥【かゆ】を受けることなくして行くそのときに、
六二 托鉢のために、村に行くところを見て、私の子供達を思い出し、そのとき、私の子供に対するように、愛情を持ち、牛乳を持って出ていったのです。
六三 それから彼らに信を起こし、自ら粥を施しました。それから私は没して、三十三天の歓喜園に生まれました。
六四 楽苦を享受して、諸々の有に輪廻して、大勇者よ、あなたのために、命は完全に捧げられたのです。
六五 このように、苦にも多くの種類があり、幸福にも多くの種類があり、最後の有に達すると、サーヴァッティーに生まれました。
六六 大きな財があり、安楽であって、同様に何の不足もなく、様々な宝が輝き、一切の欲を遂げる長者の家において、
六七 尊ばれ、供養され、また敬われ、同様に崇められ、容色の美しさを得て、諸々の家において、極めて尊ばれました。
六八 容色を受用することにおいて、恵まれた人々により、大変うらやましく思われ、また数百の長者の子供によって、うらやましく思われました。
六九 在家から出家者となり、まだ八カ月に至らないうちに、四諦を体得いたしました。
七〇 神通によって、四頭立ての馬車を化作し、世界の主であり、栄光ある仏陀のおみ足を頂礼いたします。」
七一 「比丘尼よ、頂きに美しく花開いた沙羅双樹【さらそうじゅ】の下に、あなたは一人立つ。あなたの他にはだれもいない。若き女【ひと】よ、あなたは誘惑者を恐れないのか。」
七二 「百千の誘惑者が、一気に押し寄せようとも、私は一毛も動かすこともなく、動揺することもない。悪魔よ、お前一人でどうしようというのだ。
七三 私は姿を消すだろう。お前の腹の中に入るだろう。お前の眉間に立つだろう。しかし、お前は立っている私を見ることはできない。
七四 心は自在となり、神足を修め、すべての結縛から解脱した私は、お前を恐れることはないのですよ、友よ。
七五 諸々の欲は剣戟【けんげき】にたとえられ、諸々の蘊【うん】は断頭台である。お前が欲楽と呼ぶもの、今それは私の楽しみではない。
七六 歓喜はあらゆる所で取り除かれ、闇の蘊は砕かれた。悪魔よ、このように知るがいい。死神よ、お前の剣は破壊されたのだ。」
七七 「勝者はその徳に満足なさり、私を第一の位に置いてくださいました。『神通ある者の中の最も優れた者である』と、会衆を前に教え導く方はおっしゃいました。
七八 私は師に帰依し、仏陀の教えを実践し、重荷を捨て、有に導く煩悩をすべて取り除いたのです。
七九 その意義のために、私は在家から出家者となりました。生存の束縛を滅尽する、その意義を、私は体得いたしました。
八〇 衣食および牀座の必需品を、瞬間にあまねく千人に捧げました。
八一 私の諸々の煩悩は焼き尽くされ、有はすべて断じられ、一切の煩悩は尽き果てて、もはやこの世に転生することはありません。
八二 実に私はよく至れる者です。我が最勝なる仏陀のみもとで、三明は体得され、仏陀の教えは実践されます。
八三 四無礙解と、またこれら八解脱と、六通を現証して、仏陀の教えを実践いたします。」
――このように、ウッパラヴァンナー比丘尼は、これらの詩句を唱えたのである。

ケーマー

2008-05-04 | ☆【経典や聖者の言葉】


一 バドゥムッタラという名の勝者、一切の法において眼ある方であるグルは、今から十万カルパの昔に出現なさいました。
二 そのとき、私はハンサヴァティーの長者の家に生まれ、その家は、様々な財宝が輝き、大いなる安楽がありました。
三 その大いなる勇者のもとを訪れて、説法を聴き、それから清らかな信を起こして、私は勝者に帰依いたしました。
四 両親に頼んで、私は教え導く方を招き、七日間お弟子さん達と共に、飲食を差し上げたのです。
五 そして、七日を過ぎると、調御丈夫【じょうごじょうぶ】は大いなる智慧ある最高の比丘尼を、その第一の位に置かれました。
六 それを聞いて喜び、再びその大聖に供養し、頂礼してその地位を願いました。
七 それから、その勝者は私におっしゃいました。
「お前の誓願が成就するように。私のサンガのためにした供養は、お前に無量の果報をもたらすだろう。
八 今から十万カルパの後に、オッカーカ族の生まれで、ゴータマという名の師が、この世に出現するだろう。
九 お前は彼の法の中において、法によってつくられた後継ぎの子であって、ケーマーという名の、その第一の位の者となるだろう。」
一〇 その善をなしたカルマと思願によって、人の身を捨てて、私は三十三天に行きました。
一一 そこから没して、夜摩天【やまてん】に行き、そこから没して、兜率天【とそつてん】に行き、それから化楽天【けらくてん】に行き、他化自在天【たけじざいてん】に行きました。
一二 どこに生まれても、そのカルマによって、いつもそこの王の皇后となったのです。
一三 そこから没して、人間界では、転輪王【てんりんおう】や小国の王の皇后となりました。
一四 天界や人間界で福徳を享受し、一切の所で幸せな者となって、多くのカルパを輪廻したのです。
一五 そして、今から九十一カルパの昔には、ヴィパッシーという名の世界のグル、妙【たえ】なる眼の方、一切の法を観る方が出現なさいました。
一六 私はその世界のグル、調御丈夫のみもとに至り、微妙なる法を聴いて、出家者となったのです。
一七 一万年の間、その賢人の教えのもとに、梵行【ぼんぎょう】を行じて、ヨーガを修め、多聞【たもん】でありました。
一八 縁起を説くことに巧みで、四諦を説くことに恐れなく、聡敏であって弁をよくし、師の教えの実践者でした。
一九 そこから没して、私は兜率天に生まれて名声を得て、そこで私は、梵行の果報によって、他の人よりも優れていました。
二〇 どこに生まれても、私には大いなるもてなしがあり、大いなる財産があり、智慧があり、麗しい容姿が備わり、よく仕付けられた従者がありました。
二一 勝者の教えのもとで修行したカルマによって、私の一切の幸福はよく得られ、意の愛するところです。
二二 たとえどこに行っても、私の夫になった人は皆、私の果報によって、私を軽んじることはなかったのです。
二三 この賢なるカルパにおいては、バラモンの末裔【まつえい】であって、大いなる名声がある、コーナーガマナという名の、論者の中で最も優れた方が出現なさいました。
二四 そのとき、私はバーラーナシーのよく栄えた家に生まれました。ダナンジャニーとスメーダーと私の三人は、
二五 千金の価値あるサンガの園をお布施として、牟尼とサンガとに施したのです。布施者である私達は、精舎にと希望して。
二六 そこから没して、私達は皆三十三天に行き、同じようにまた、人々の間では最高の名声を得たのです。
二七 この賢なるカルパにおいては、バラモンの末裔であって、大いなる名声がある、カッサパという名の、論者の中で最も優れた方が出現なさいました。
二八 そのとき、大聖の従者は、最高の城バーラーナシーの人間の主、カーシ王キキーという名の者でした。
二九 私は彼の長女であって、サマニーとして知られていました。そして、最高の勝者の法を聴いて、出家を希望したのです。
三〇 私達の父が許さなかったので、そのとき私達は家で二万年の間勤精進して、
三一 幼い娘としては梵行を行じ、幸福に暮らしていた七人の王女としては、仏陀へのおもてなしを楽しみ、喜んだのです。
三二 その七人とは、サマニー、サマナグッター、ビックニー、ビッカダーイカー、ダンマー、スダンマーと、第七はサンガダーイカーでした。
三三 それは今生では、私、ウッパラヴァンナー、パターチャーラー、クンダラー、キサーゴータミー、ダンマディンナーと、第七はヴィサーカーのことです。
三四 あるとき、その太陽のようなお方は素晴らしい法をお説きになり、私は大縁経を聴いて、それを悟り知ったのです。
三五 その善をなしたカルマと思願によって、人の身を捨てて、私は三十三天に行きました。
三六 そして今、最後の有では、最高の城サーガラのマッダ国の王女となり、魅力があり、好かれ、かわいがられたのです。
三七 私が生まれるとすぐ、その城に安穏が訪れたので、安穏【ケーマー】と名付けられましたが、それは徳によって生じたのでしょう。
三八 私が年頃になり、美しい容姿が備わり、あでやかに着飾ったとき、父は私をビンビサーラ王に嫁がせました。
三九 私は大変彼に愛され、容姿を誇って喜び、色が過ぎゆくと説くからといって、大慈ある方のみもとにお伺いしなかったのです。
四〇 そのとき、ビンビサーラ王は、私を利するように智慧を用い、竹林精舎を賛嘆する歌い手を私の所に呼びました。
四一 「仏陀のおられる楽しい竹林、それを見ないで歓喜園を見たなどと、どうして言えましょう。
四二 人の歓喜の中の歓喜といわれる竹林を見た者は、甘露あるインドラの妙なる歓喜ある、歓喜園を見たと言えます。
四三 諸天は歓喜園を捨てて、地上に降り、楽しい竹林を見て、たいそう驚き、満足するのです。
四四 王の福徳によって生じ、仏陀の福徳によって飾られる。だれが、積まれた功徳のそのすべてを説くことができましょうか。」
四五 その林の立派なことを聞いて、私の耳は喜び、その王の園を見ようと思って、王に告げました。
四六 そこで、王は熱心に、多くの従者と共に、私をその王の園に行かせました。
四七 「行くがいい、大いなる富裕者よ。眼を楽しませる林を見よ。それは常に美しく輝き、善逝【ぜんぜい】の光明によって照らされているのだ。」
四八 そして、牟尼がギリッバジャに托鉢【たくはつ】に入られたとき、ちょうど私も林を見ようとして出かけたのです。
四九 そのとき、花咲く山麓【さんろく】は、様々な蜜蜂【みつばち】が歌い、ホトトギスが歌い、孔雀【くじゃく】の群れが舞い、
五〇 静寂で清潔で、様々な経行処【きんひんしょ】で飾られ、点在する房舎と仮堂【かどう】、そして、離貪【りとん】し優れたヨーガ行者がありました。
五一 巡り歩きながら、私の眼に果報があったと思い、また、そこで若い比丘が修行しているのを見て、こう思いました。
五二 「この者は、春のように美しい肉体があり、青春のさ中に、このような美しい山麓【さんろく】で暮らしている。
五三 樹下に座り、剃髪【ていはつ】し、袈裟衣【けさい】を着け、ああ、この比丘は、感官の対象から生じる楽を捨てて、瞑想するのだ。
五四 在家として、思うままに欲楽を享受して、老後にこの清浄なる法を行じなくてはならないのではないだろうか。」
五五 勝者がいつもいらっしゃる香房【こうぼう】にご不在なのを知って、勝者のみもとに伺うと、太陽が昇るようなご様子を拝見したのです。
五六 独り楽しく座ってあおぎながら、美女と一緒なのを拝見いたしますと、このように思えるのでした。「これは、悪い牛王ではないのか」と。
五七 その娘は、金色に光り輝き、口や眼は蓮華のよう、唇はビンバの実のような紅、ジャスミンのような容姿で、眼も心も喜ばすのです。
五八 その声は鈴を振るように聞こえ、乳房は鉢の形をし、腰は出て、お尻は優れ、胸は麗しく、その装飾も素晴らしいものです。
五九 真紅の肩掛けを羽織り、青く清らかな肌着を着け、飽きることのない美しい姿で、喜びをたたえています。
六〇 それを見て、こう思いました。「ああ、なんて美しいのだろう。どのようなときにも、私がかつてこの眼で見たことがないほどだ」と。
六一 ところが、彼女はそれから老いに襲われ、容姿は衰え、容貌【ようぼう】は変わり、歯は落ち、頭は白くなり、よだれを垂らし、言葉は濁り、
六二 耳は縮まり、眼は白くなり、けがれた体液を垂らし持ち、全身と足にしわは広がり、青筋は体に広がり、
六三 腰は曲がり、杖【つえ】にすがり、肋骨【ろっこつ】は出て、やせて、震えながら倒れて、ウンウンとため息をつくのです。
六四 それにはかつてないほどの怖れがあり、身の毛がよだちました。愚者が喜ぶ不浄の色は、なんと厭【いと】わしいことなのでしょう。
六五 そのとき、大悲ある方は私の心の怖れをご覧になって、心は喜び歓喜して、次の詩句を唱えられたのです。
六六 「病んで、不浄で、腐敗した体を見よ、ケーマーよ。漏れ出て、流れ出る、愚者が喜ぶ体を見よ。
六七 不浄において集中し、よく定を得た心を修習せよ。身の寂静について念じよ。しばしば厭離せよ。
六八 それはこのようで、これはそのようでと、内も外も身における欲念を離れよ。
六九 また、無相を修習せよ。慢派生煩悩【まんはせいぼんのう】を捨てよ。それによって慢は止息し、寂静となって、行ずるだろう。
七〇 貪欲に執着する者は、流れに落ちる。あたかも、クモが自ら作った網に落ちるように。
七一 実に、これを断じて期するところがない者は、欲楽を捨てて出家するのだ。」
七二 それから調御丈夫は、私の善き心を知って、私を教え導くために、大縁をお説きくださいました。
七三 最も優れた経を聴いて、あの過去世の想を思い起こし、そこにいるうちに法の眼を清めたのです。
七四 直ちに大聖の足元に頂礼して、これまでの過ちを発露し、ザンゲするために、こう申し上げました。
七五 「師に帰依し奉ります、一切見者よ。師に帰依し奉ります、慈悲の志ある方よ。師に帰依し奉ります、既に輪廻を渡った方よ。師に帰依し奉ります、甘露を施す方よ。
七六 無智の密林に飛び込み、貪欲【どんよく】に迷わされた私は、師の正しい方便によって教え導かれ、律を喜ぶのです。
七七 このような大聖を見なかったならば、貧しい衆生は、輪廻の大海で大いなる苦悩を受けることでしょう。
七八 私がまだ、世界の帰依処であり、煩いのないお方、死の果てに行ったお方、二つとない道理を見なかったときの、その過ちを発露し、ザンゲいたします。
七九 その大いなる利益がある願いを与えるお方を、利益がないと疑って訪れず、色を喜んでいたことを発露し、ザンゲいたします。」
八〇 そのとき、大悲あるお方である勝者は、妙なる声で、「立ちなさい、ケーマーよ」と、私に甘露を注ぎながらおっしゃったのです。
八一 そして、頂礼し右繞【うにょう】の礼をして戻り、王に会って、こう申しました。
八二 「ああ、あなたはこの正しい方便をお考えくださいますか。征服者は林を見ようと思いましたが、欲の林のない牟尼を見たのです。
八三 もし王よ、あなたがお喜びくださるのなら、このような彼の教えのもとに、私は出家したいのです。牟尼のお言葉によって、私は色を厭離いたしました。」
八四 合掌しましたそのとき、その大地の主は言いました。
「許そう、賢い女【ひと】よ。出家しなさい。」
八五 そして、出家して七カ月経ったとき、私は灯火【ともしび】の生起と滅尽を見て、心は感動し、
八六 諸行を厭離し、縁起の相に熟達し、四つの暴流【ぼうる】を超えて、阿羅漢【あらはん】の位を体得いたしました。
八七 私は神足と天耳界において自在となり、他心智においても自在となりました。
八八 宿命を知り、天眼は清浄となり、一切の漏は尽き果てて、もはやこの世に転生することはありません。
八九 義・法・詞、また、弁においても、仏陀の教えのもとに、すべてが清浄な智慧が、私には生じたのです。
九〇 私は清浄において巧みであり、論事において恐れるところなく、アビダルマの真理を知り、また教えにおいては自在を得ております。
九一 それから後、トーラナヴァットゥにおいて、コーサラ王に質問されて、深遠な問いに真理に基づいて答えました。
九二 そして、その王は善逝のもとで尋ねましたが、私がそれを説いたように、仏陀も同様に説かれたのです。
九三 勝者はその徳に満足なさり、私を第一の位に置いてくださいました。比丘尼の中で大慧において最上であり、第一であると。
九四 私の諸々の煩悩は焼き尽くされ、有はすべて断じられ、一切の漏は尽き果てて、もはやこの世に転生することはありません。
九五 実に私はよく至れる者です。我が最勝なる仏陀のみもとで、三明は体得され、仏陀の教えは実践されるのです。
九六 四無礙解と、またこれら八解脱と、六通を現証して、仏陀の教えを実践いたします。
――このように、ケーマー比丘尼は、これらの詩句を唱えたのである。

ヤソーダラー

2008-04-27 | ☆【経典や聖者の言葉】

一 「五百人の比丘尼を従えて、大いなる神通があり、大いなる智慧【ちえ】がある私は、等覚者【とうがくしゃ】のみもとを訪れました。
二 等覚者に、師の輪相に頂礼して、傍らに座って、こう申し上げます。
三 私の最後の有は、齢【よわい】七十八年を転じ、光明は衰退に達しました。偉大なる牟尼【むに】にお告げいたします。
四 私の齢は完全に熟し、私の残り少ない命を捨てて赴くことでしょう。私自らの帰依処は既に作られたのです。
五 齢の最後の時である死を破壊し、大いなる勇者よ、今夜寂滅を体得しようと思うのです。
六 生・老・病・死のない、偉大なる牟尼よ。生死のない無為の城に行くことでしょう。
七 集える限りの師の会衆で、私の罪を知る者は、牟尼の面前でお許しください。
八 輪廻【りんね】に輪廻するうちに、もし私に過ちがあるならば、大いなる勇者よ、どうか、私の罪をお許しください。」
九 「私の教えを順守する者よ、神通を現わせ。そして、すべての会衆の教えに対する疑惑を断つがよい。」
一〇 「私ヤソーダラーは、勇者よ、在家の頃はあなたの第一の妃であり、シャカ族に生まれ、やがて妃に立てられたのです。
一一 あなたの在家時代には、十九万六千以上の女の中で、勇者よ、私は第一位であり、すべての主でした。
一二 年頃だったときは、美しさと礼儀作法を備え、優しい言葉を遣ったので、すべての人は私を女神のように尊んだのです。
一三 シャカ族の子の家にいた、主だった千人の女性は、歓喜園にいる神のように、苦楽は平等でした。
一四 欲界を超えて、色界に安住する者も、美しさにおいては、世界のグルを除くと、私と等しい者はありませんでした。」
一五 等覚者に礼拝して、師に神通をお見せした。多くの異なった形をなして、大神通をお見せした。
一六 その身を鉄囲山に等しくし、北の倶慮州を頭とし、二つの州を両翼とし、南の閻浮州【えんぶしゅう】を体とし、
一七 南海の葦【あし】を尾とし、様々な樹の枝を羽とし、太陽と月を眼【まなこ】とし、須弥山【しゅみせん】を髻【もとどり】とし、
一八 鉄囲山をくちばしとし、閻浮樹【えんぶじゅ】を根っこごと、あおぎながらやってきて、世界のグルに礼拝した。
一九 象の姿を、同じように馬を、山を、同じように水の生き物を、月や太陽を、須弥山や帝釈【たいしゃく】の姿を現わした。
二〇 「勇者よ、私ヤソーダラーは、おみ足に頂礼いたします。眼ある方よ、千世界を花開かせて覆いました。
二一 梵天【ぼんてん】の姿を化作【けさく】して、空性【くうしょう】の法をお説きになる勇者よ、私ヤソーダラーは、おみ足に頂礼いたします、眼ある方よ。
二二 私は神足【じんそく】と天耳界【てんにかい】において自在であり、他心智【たしんち】の自在者です、偉大なる牟尼よ。
二三 宿命【しゅくみょう】を知り、天眼【てんげん】は清浄となり、一切の漏【ろ】は尽き果てて、もはやこの世に転生することはないでしょう。
二四 義・法・詞、また、弁における私の智慧は、大いなる勇者よ、あなたのみもとで生じたのです。
二五 昔の世界の主の会合で、あなたに示した、あなたへの私の奉仕は大きなものです、偉大なる牟尼よ。
二六 私の過去世の善業を思い出されてください、牟尼よ。あなたのために私は功徳を積んだのです、大いなる勇者よ。
二七 あり得ない所を除いて、障害ないことを熟させながら、大いなる勇者よ、あなたのために、私の命は捧げられたのです。
二八 数千億回、私を妻として捧げました。あなたのためなら、私は悲しくはありません、偉大なる牟尼よ。
二九 数千億回、あなたを助けるために、私自らを捧げました。あなたのためなら、私は悲しくはありません、偉大なる牟尼よ。
三〇 数千億回、私を飲食のために捧げました。あなたのためなら、私は悲しくはありません、偉大なる牟尼よ。
三一 数千億回、命を献上いたしました。恐怖から解脱しようとして、私の命を献上いたしました。
三二 体に付ける装飾品や衣服、様々な多くの女性の所有物は、あなたのために隠したりはいたしません、偉大なる牟尼よ。
三三 財産・穀物・浄施・村・町・田圃【たんぼ】・子供も献上いたしました、偉大なる牟尼よ。
三四 象・馬・牛、また下男・下女など、大いなる勇者よ、あなたのために献上したものは限りがありません。
三五 私のために答える布施ならば、求める者に何でも布施するでしょう。最上の布施を施しながら、私は悲しみを見ることはありません。
三六 数々の輪廻の中で、様々な多くの苦を、大いなる勇者よ、あなたのために享受したことは限りがありません。
三七 安楽を得ても喜ぶことはなく、苦しみの中でも悲しむことはなく、どこにいても、あなたのために取り計らいました、偉大なる牟尼よ。
三八 等覚者が法を引き出された道程【みちのり】で、苦楽を享受して、偉大なる牟尼は悟りを得られました。
三九 世界のグルである等覚者ゴータマが、梵天とお会いになること、あなたが他の世界の主とお会いになることは、私よりも多かったのです。
四〇 私はあなたの使いとして、仏法を求めながら、あなたへの私の奉仕は大きなものでした、偉大なる牟尼よ。
四一 四アサンキャと十万カルパの昔に、大いなる勇者、世界のグル、ディーパンカラは、出現なさいました。
四二 近くの場所に如来【にょらい】を招いて、心は喜び、そのお方がいらっしゃる道を掃除いたしました。
四三 そのとき、あなたはスメーダという名のバラモンで、一切見者【いっさいけんしゃ】のいらっしゃる道を準備なさいました。
四四 そのとき、私はスミッターという名のバラモンの娘で、この集いに行きました。
四五 師に供養するために、手に八本の青蓮華【あおれんげ】を持ち、人々の中に最高の仙人を見たのです。
四六 久しく付き添って、愛【いと】しく、極めて恋しく、心引かれるのを見て、そのとき、私の生に果報があることを思ったのです。
四七 そして、努力しながら、仙人に果報があるのを見たのです。以前のカルマによって、私は等覚者に信心を起こしました。
四八 高い志がある仙人に、深く信心して、他に施すべき人を見なかったので、仙人に花を供養いたしました。
四九 『五本はあなたのものです。三本は私のものです、仙人よ。それによって、あなたの悟りの意義において、平等にシッディがありますように、仙人よ。』
五〇 仙人は花を受けられて、こちらにいらっしゃる大いなる名声ある方に歩み寄り、人々のいる前で、悟りのために、大聖【たいせい】は供養なさったのです。
五一 偉大なるディーパンカラ牟尼は、人々の中に彼を見られ、大いなる勇者は、志高き仙人に予言なさったのです。
五二 今から無量カルパの昔、偉大なるディーパンカラ牟尼は、私のカルマの正しさを予言なさったのです。
五三 『彼女は心も正しく、カルマも正しく、所作も正しく、あなたのためのカルマによって、未来世で愛する妻となるだろう。
五四 美しく、極めてかわいらしく、気持ちよく、言葉も優しくて、あなたの法において、かわいらしい後継ぎの女性になるだろう。
五五 財宝の箱をその持ち主が守るように、この者は善法を守るだろう。
五六 あなたはそれを哀れみ、究竟【きゅうきょう】を円満にするだろう。あたかも獅子【しし】のように、煩悩【ぼんのう】の檻【おり】を捨てて、悟りを体得するだろう。』
五七 今から無量カルパの昔、仏陀【ぶっだ】はそれを予言なさり、そのお言葉に歓喜しながら、私はこのような修行者となったのです。
五八 彼の善をなしたカルマに対して、そこで信心を起こし、無数の天界・人間界の生を受けて、
五九 天界・人間界において、苦楽を享受して、最後の有【う】に達すると、シャカ族の中に生まれました。
六〇 そこでは、麗しい容姿が備わり、財産があり、名声と戒を備え、すべてを具足して、諸々の家において大変敬われました。
六一 世間の法と一致する利益も、名声も、敬いも、また苦しめる心もなく、何ものにも恐れることなく暮らしていました。
六二 如来【にょらい】はこうおっしゃいました。そのとき、王の後宮で、クシャトリヤ達の城で、勇者よ、奉仕の意義をお説きになったのです。
六三 ある女は助力する者であり、またある女は苦楽を共にする者であり、またある女は論ずる者であり、またある女は同情する者なのです。
六四 五十億の仏陀【ぶっだ】、また九十億の仏陀、これらの天中天に大いなる布施を行ないました。
六五 私の奉仕は大きなものです。大王よ、私の言葉をお聞きください。百十億の仏陀、また五十億の仏陀、
六六 これらの天中天に大いなる布施を行ないました。私の奉仕は大きなものです。大王よ、私の言葉をお聞きください。
六七 二百億の仏陀、また三百億の仏陀、これらの天中天に大いなる布施を行ないました。
六八 私の奉仕は大きなものです。大王よ、私の言葉をお聞きください。四百億の仏陀、また五百億の仏陀、
六九 これらの天中天に大いなる布施を行ないました。私の奉仕は大きなものです。大王よ、私の言葉をお聞きください。
七〇 六百億の仏陀、また七百億の仏陀、これらの天中天に大いなる布施を行ないました。
七一 私の奉仕は大きなものです。大王よ、私の言葉をお聞きください。八百億の仏陀、また九百億の仏陀、
七二 これらの天中天に大いなる布施を行ないました。私の奉仕は大きなものです。大王よ、私の言葉をお聞きください。
七三 一万億の世界のグルがありました。これらの天中天に大いなる布施を行ないました。
七四 私の奉仕は大きなものです。大王よ、私の言葉をお聞きください。他に九百億の世界のグルがありました。
七五 これらの天中天に大いなる布施を行ないました。私の奉仕は大きなものです。大王よ、私の言葉をお聞きください。
七六 一万八千五百億の大聖、また八百五十億の大聖、また七千億の大聖、
七七 これらの天中天に大いなる布施を行ないました。私の奉仕は大きなものです。大王よ、私の言葉をお聞きください。
七八 貪りを捨てた八と第八番目の億の辟支仏【びゃくしぶつ】、私の奉仕は大きなものです。大王よ、私の言葉をお聞きください。
七九 諸々の煩悩を滅尽し、垢【あか】を離れた、無数の仏弟子、私の奉仕は大きなものです。大王よ、私の言葉をお聞きください。
八〇 法によって行なう、正法を行じる者にとっては、常にこのようなものなのです。法を行じる者は、この世においても、あの世においても安楽なのです。
八一 法を、善行を行じなさい。あの悪行を行じてはなりません。法を行じる者は、この世においても、あの世においても安楽なのです。
八二 輪廻において厭離【えんり】して、在家から出家者となり、千の親族と共に、所有なき者として出家したのです。
八三 家を捨てて在家から出家者となり、まだ八カ月に至らないうちに、四諦【したい】を体得いたしました。
八四 衣食および牀座【しょうざ】の必需品は、多くを独りに与えるのです。まるで海の波のように。
八五 私の諸々の煩悩は焼き尽くされ、有はすべて断じられ、もはやこの世に転生することはありません。
八六 実に私はよく至れる者です。我が最勝なる仏陀のみもとで、三明は体得され、仏陀の教えは実践されるのです。
八七 四無礙解【しむげげ】と、またこれら八解脱【はちげだつ】と、六通を現証して、仏陀の教えを実践いたします。」
――このように、長老ヤソーダラー比丘尼は、これらの詩句を唱えたのである。