昨日、亡くなったママ友にお別れをしてきました。
彼女は、初秋に発覚し、胃がんだったとのことでした。
1年もたずに亡くなってしまいました。
わかった時点でかなり進行されていたのだろう、と思います。
2月、3月ちょうど学校の役員で会う機会が何回かあり、
その時の元気さ、笑顔の様子からは、そのような切羽詰まった状況であるとは
全く思い至りませんでした。
自分の状況を知りつつも、
あのように笑顔で、辛さを全く表にださず、時に冗談をいい、
仕事をきちんとこなす、
そんなこと自分にできるのだろうか・・・。
今更ながら、彼女の素晴らしさを感じずにはいられません。
小学校の娘さんに、
「お母さん、身体辛かったのだろうけれど、役員の仕事きちんとして、すごいお母さんだと思う」
と伝えたところ、
「そういうことは、ちゃんとやっておきたい、って言っていたから」と娘さん。
そうなんだよね。
ありがとう。あなたに丁寧に生きることを教えていただきました。
元気な母親集団の中に入って、一緒におしゃべりをする、
私なら、ひがんでしまいそう。
素晴らしい姿でした。
そして、私は神に感謝。
彼女と同時期に私もがんになり、
でも、私は手術で摘出することができた。
こうして元気にすごさせてもらっている。
がんだけれども、私は幸せ。
先日、大学病院で1年検診の予約を取る際に、
初対面の内科医師に、「でもよかったですね~。みつかって」と言われたことを思い出しました。
その時は、「え!ステージⅢですよ・・」って感じでしたが、
「1年検診の予約で来ました!」と言える状況に、本当に感謝です。
丁寧に生きるということは、未熟なため煩悩も多く難しいところですが、
無理はせず、でもできることを一つ一つこなしていく・・・
そして、季節の移り変わりに感謝しながら過ごしていきたい、です。
ママ友さん、辛い治療、よく頑張りました。
悲しいけれども、あなたの笑顔を思い出すと、元気に過ごそう★と思えます。
空から、ご家族を見守っていてくださいね!
にほんブログ村
彼女は、初秋に発覚し、胃がんだったとのことでした。
1年もたずに亡くなってしまいました。
わかった時点でかなり進行されていたのだろう、と思います。
2月、3月ちょうど学校の役員で会う機会が何回かあり、
その時の元気さ、笑顔の様子からは、そのような切羽詰まった状況であるとは
全く思い至りませんでした。
自分の状況を知りつつも、
あのように笑顔で、辛さを全く表にださず、時に冗談をいい、
仕事をきちんとこなす、
そんなこと自分にできるのだろうか・・・。
今更ながら、彼女の素晴らしさを感じずにはいられません。
小学校の娘さんに、
「お母さん、身体辛かったのだろうけれど、役員の仕事きちんとして、すごいお母さんだと思う」
と伝えたところ、
「そういうことは、ちゃんとやっておきたい、って言っていたから」と娘さん。
そうなんだよね。
ありがとう。あなたに丁寧に生きることを教えていただきました。
元気な母親集団の中に入って、一緒におしゃべりをする、
私なら、ひがんでしまいそう。
素晴らしい姿でした。
そして、私は神に感謝。
彼女と同時期に私もがんになり、
でも、私は手術で摘出することができた。
こうして元気にすごさせてもらっている。
がんだけれども、私は幸せ。
先日、大学病院で1年検診の予約を取る際に、
初対面の内科医師に、「でもよかったですね~。みつかって」と言われたことを思い出しました。
その時は、「え!ステージⅢですよ・・」って感じでしたが、
「1年検診の予約で来ました!」と言える状況に、本当に感謝です。
丁寧に生きるということは、未熟なため煩悩も多く難しいところですが、
無理はせず、でもできることを一つ一つこなしていく・・・
そして、季節の移り変わりに感謝しながら過ごしていきたい、です。
ママ友さん、辛い治療、よく頑張りました。
悲しいけれども、あなたの笑顔を思い出すと、元気に過ごそう★と思えます。
空から、ご家族を見守っていてくださいね!
にほんブログ村
なっちいさんは、きっと優しい人ですね。
私が落ち込んでいる時、いつもコメントをして
くださいます。
本当にありがとう!
なっちいさんは、保育士さんだったんですね。
それから、なっちいさんの主治医は、次にUFTを勧められるんですね。我が主治医はそんな話をしてくれないので、不安になります。
よろしければ、UFTを勧められた理由教えてください(#^.^#)。
頑張ってくださいね!
今から7年くらい前かな、わたしが公立保育園にいたとき、がんで亡くなった先輩保育士さんがいました。4月の年度始めから7月くらいまで同じクラスにいたのですが、明るくて元気のいい素敵なひとでした。後で知ったことですがその年は乳ガンの術後5年目だったそうで、8月ころより具合が悪くなり仕事もできなくなり、翌年の2月に亡くなりました。
亡くなるちょっと前、ダンナさんが園をたずねて来られ、「妻に頼まれたんです。もう、自分は使えないから、みなさんで使ってくれと‥。」と、先生お手製のペープサートやら、パネルシアターなどをお持ちになりました。わたしもいくつかいただいたんですが、1年くらいは使えなかった‥。先生のことを思い出してしまうと涙があふれてしまって。
がんだけど、わたしも幸せ、そう思わなくては。来月からUFTを始めます。治療ができて、治る見込みがあるということですもんね。
長くなりましたが、ミケさん元気だしてくださいね。