静岡市葵区北の麻機地区に源を発し、葵区、駿河区を通って清水区市街地を貫流し、清水港に注ぐ巴川に架かる橋を紹介しています。
本日の橋の紹介は十一番目の橋。「稚児橋」(カッパ橋)
旧東海道江尻宿から続く道を入江追分方面につなげています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/6a/cbcd7e80c3a5b8b5dc1dd6186bd2958b.jpg)
下流から見た「稚児橋」
ワタクシ
の家から一番近い橋であります。(歩いて2~3分)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/dc/1a4f1f8cf12ae3f17097aef886253422.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/6d/f851dd4528362ae153b425c5d02523d3.jpg)
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橋の隅々に河童の像があります。
2001年の竣工です。完全に作り直しました。
こんな小さな橋でも完成には数年かかりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/99/e87c537a3227060bf1bb0013183024e5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/05/d7873aba14db4e0c14c876a57f6c4e31.jpg)
稚児橋(カッパ橋)の由来
「慶長12年(西暦1807年)徳川家康の命により、
東海道五十三次沿いの巴川に橋が架けられ、
江尻の宿にちなんで江尻橋と命名されることなり、渡り初めの日とはなった。
さて儀式に先駆けて、かねて選ばれていた老夫婦がまさに橋に足をかけようとした瞬間、
川の中から一人の童子が現れたとみるや、するすると橋脚を登り忽然と入江方面へ消え去った。
渡り初めに集まっていた人たちは、余りに突然のことであっけに取られたが、
このことから橋名を江尻橋から童子変じて稚児橋と名付けたといわれている。
なおその不思議な童子は巴川に住む河童だったとも語り継がれている。
清水の名物、いちろんさんのでっころぼう人形の中に河童がいるのは、この伝説による」
因みに、この「いちろんさんのでっころぼう人形」を継承しているのは同級生である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/9a/93ff08bda1f45b972cb60f120ee39992.jpg)
ワタクシ
が幼かりし頃この辺りで鮒釣りをしたり、川遊びをしたものでした。
当然川岸は土手でした。時々子どもが落ちていました。
その当時「カッパ橋」とは言っていなかったような記憶があります。
本日はこれまで![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/panda_2.gif)
本日の橋の紹介は十一番目の橋。「稚児橋」(カッパ橋)
旧東海道江尻宿から続く道を入江追分方面につなげています。
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下流から見た「稚児橋」
ワタクシ
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橋の隅々に河童の像があります。
2001年の竣工です。完全に作り直しました。
こんな小さな橋でも完成には数年かかりました。
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稚児橋(カッパ橋)の由来
「慶長12年(西暦1807年)徳川家康の命により、
東海道五十三次沿いの巴川に橋が架けられ、
江尻の宿にちなんで江尻橋と命名されることなり、渡り初めの日とはなった。
さて儀式に先駆けて、かねて選ばれていた老夫婦がまさに橋に足をかけようとした瞬間、
川の中から一人の童子が現れたとみるや、するすると橋脚を登り忽然と入江方面へ消え去った。
渡り初めに集まっていた人たちは、余りに突然のことであっけに取られたが、
このことから橋名を江尻橋から童子変じて稚児橋と名付けたといわれている。
なおその不思議な童子は巴川に住む河童だったとも語り継がれている。
清水の名物、いちろんさんのでっころぼう人形の中に河童がいるのは、この伝説による」
因みに、この「いちろんさんのでっころぼう人形」を継承しているのは同級生である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/9a/93ff08bda1f45b972cb60f120ee39992.jpg)
ワタクシ
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当然川岸は土手でした。時々子どもが落ちていました。
その当時「カッパ橋」とは言っていなかったような記憶があります。
本日はこれまで
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