竹林の愚人  WAREHOUSE

Doblogで綴っていたものを納めています。

華僑烈々

2007-01-31 20:28:19 | BOOKS
樋泉克夫 「華僑烈々 大中華圏を動かす覇者たち」 新潮社 2006.12.15. 

1992年、「改革・開放の総設計師」と呼ばれていた小平は、党や政府の首脳に対し「恐れることはなにもない。とっとと鼠を捕まえる猫になれ」とバッハをかける。いわゆる「南巡講話」だ。「金儲けは正しい」「貧しいことは社会主義ではない」との号砲に勢いを得て、中国は全土を挙げ躊躇することなく市場経済の道を驀進し始めた。毛沢東によって封殺されてきた漢民族の商人気質に火が点けられた瞬間だった。国を挙げて金儲けに突進した。 この時以降、東南アジアの華人資本に加え、香港や台湾の資本が中国市場に怒濤の勢いで流れこみ、中国経済の成長は軌道に乗ったのだ。これら華人企業家、香港や台湾の企業家なくして中国経済の発展は考えられなかった。 ASEANの華人企業家と香港、台湾、マカオ、そして大陸中国の企業家との間に、共通する企業文化がある。一言でいえば、「拝金主義」、つまり「カネをムチャクチャ儲けてどこが悪い」ということになる。民族の体内にすり込まれた《商業の民》としての遺伝子が、200年や300年程度の短時間では変わることも、消えることもない。ASEAN、香港、マカオ、台湾の企業家であろうが、かつて毛沢東思想を金科玉条としたはずの共産党政権を戴く大陸中国の企業家であろうが、ルーツを同じくする彼らの体質から滲みでてくる経営手法の根源は、やはり漢民族の歴史にこそ求められるべきだろう。 一般に、華人企業家に共通する特徴は、最初に起業した時の業種にかかわりなく、経営規模や業種を拡大する過程で必ず不動産開発に手を染めている。安価で手に入れておいた土地が高騰するや、それを原資に事業拡大を目指す。やがて多くの業種の企業を傘下に置く企業集団に成長したとしても、中核を支える大きな柱は不動産開発部門なのだ。 台湾、ASEANにしても事情は同じだ。要するに「地産致富(地産ハ富二致ル)」とは伝統的な中華企業文化、あるいは商法なのだ。そして、「地産致富」こそ、中華系企業家に共通するDNAだと言っても過言ではない。現代中国の企業家たちもまた伝統的商法に先祖返りし始めた。


蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ

2007-01-30 19:30:22 | BOOKS
河井寛次郎 「蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ」 講談社文芸文庫 2006.01.10.

人間の縁なんて不思議なものだということを、つくづく感じたのが、柳との交友だ。当時、二十幾歳の私が東京高島屋ではじめて展観をやった。そして300円もの値段をつけた青磁の壷など幾つもうれた。細川侯や岩崎小彌太さんなども買われた。ところが柳が、この展観を見て雑誌「工芸」にこっぴどく批評した。私はハラが立って「工芸」で負けずにやり返した。そのうち柳が東京神田で李朝の展覧会を開いた。私も知らぬ顔で行ってみると、李朝の陶器の素晴らしさに私は参った。帰りの電車を乗越したほど感激した。柳も私が来たことを知っていて、わざと素知らぬ顔をしていたそうだ。そのころ、支那の無名陶に心をうばわれていた。柳も同じであったらしい。私が李朝のものを見て、ふらふらになった理由も、そこにある。そのころ柳は千葉県の我孫子町にいた。リーチもいた。濱田は私より一足さきに柳やリーチと交友していた。そして濱田がリーチに陶器を教えた。その濱田がリーチを私の窯へもつれてきた。私がリーチを知った最初である。そして東京震災があり、濱田が私の家へころがりこみ、しばらく私と一緒に仕事をした。柳も震災にあって京都へ疎開をした。そうこうしているうちに濱田が是非柳の家へ行ってみようと誘うものだから、引きずられるようにして吉田山の柳の家を訪れた。ところが私が部屋へ入ったトタン、そこに飾ってあった木喰上人の素晴らしい彫刻(地蔵) が目に入って、私は再び参った。ふらふらになるほどに参った。その喜びようを見て、柳も非常にうれしがり、ここで2人の気持ちが一ぺんに氷解融和した。柳・濱田・私の3人が木喰上人の木像について火の出るような議論をしました。方々へ木喰上人の木彫を探しに歩き回る。そして雪の降る日、丹波の古寺の羅漢堂を探しあてて木喰上人の仏体を7、8体も見つけ出したときの感激ったらなかった。等身大の重い仏体を縁側へ抱え出し、それをながめながら柳夫人手づくりのサンドウィッチを食べた。そのコンビーフのうまかったことが今も忘れられない。みんなが感激して、雪の降るのにこうこつとして何時間も羅漢堂にいるもんだから、何もしらぬ和尚は目を丸くしていた。


宇宙飛行士は早く老ける?

2007-01-29 22:06:25 | BOOKS
ジョーン・ヴァーニカス 「宇宙飛行士は早く老ける?」 朝日新聞社 2006.09.25. 

宇宙飛行士たちは若く、体力もあり、厳しい訓練に耐えた、選び抜かれた人たちである。にもかかわらず、ミッションが終わって宇宙から戻ったときにはなぜか、彼らの身体に急に歳をとったのと同じようなさまざまな変化が現われます。視力が低下してものがぼんやりと見えたり、身体の姿勢をうまく保つことができなくなったり、歩くときには赤ちゃんのようなよちよち歩きになってしまいます。 老化の問題について考えると、老化による多くの症状は、年齢そのものとは関係がないと確信するようになりました。現代の生活習慣に身体を慣らしてしまった人は、重力の恩恵を避けて生活しているようなものです。重力を理解し、重力を利用する方法を身につけることが、よりよく老いる秘訣なのです。 筋肉の衰えと骨量の喪失は加齢との関係で、再び若い頃の状態に戻すことは不可能。また、高齢者のエクササイズは怪我をしやすくて危険だとされていました。老年医学の専門家であるタフツ大学のマリア・フィアクローン・シンらは1994年に、歳をとって筋肉が衰えても、元に戻すことができる、という研究成果を発表しました。90代の高齢者が、12週間ウエイトトレーニングを行なった結果、筋力と持久力が増加したのです。重力と寿命がどうかかわっているのかは、いまのところはっきりしていません。まず、過重力下では体重が増して代謝も亢進するので、寿命は短くなると考えられます。実際、ミバエを過重力下で飼育した実験では、早死にする傾向が認められています。2Gの過重力下でラットを飼育すると、筋肉や骨は丈夫になるのですが、寿命は10%程度短くなっています。一方、重力のほとんどない宇宙で何カ月も生活をすると、代謝率が下がり、体温が低下します。骨は弱くなり、筋肉は脂肪化する傾向にあります。宇宙飛行士の消費エネルギー量は時間が経つにつれて地上の60%くらいまで減少していきます。これは単純に重力に逆らうためのエネルギーが必要なくなるからだと考えられます。宇宙で身体が突然老け込んでしまったようになるのは、無重力への適応の姿なのでしょう。地上に戻ってきた宇宙飛行士たちが、必ず元に戻ることもまた、大きな意味をもつのです。人類が火星に恒久的に住むことになったら、何代か世代を重ねたのち、寿命が延びることが証明されるかもしれません。

武侠映画の快楽

2007-01-27 22:09:32 | BOOKS
岡崎由美・浦川 留 「武侠映画の快楽」 三修社 2006.10.10. 

白髪三千丈のお国柄、武侠映画の剣戟が荒唐無稽に見えることは確かで、極めつけは武芸者が宙を飛ぶ。一跳びで数十mは軽く滑空している。宋代に科挙が完全に官僚選抜制度として定着し、文人官僚による統治形態が確立すると、武は民間人による郷土防衛部隊や、権門貴顕が私的に無頼の集団を傭兵とすることもあり、民間化した武芸は、武装化した民衆の反乱とも深く結びついている。日本では武芸は、「武士道」というメンタリティを支える手段として統治階級と結びついて磨かれ、中国では武芸は「侠」という在野のメンタリティと結びついて多様化した。 空飛ぶ武芸者の伝聞、伝承、物語は山ほどある。「嘘なんだろう」と言われるとそれまでだが、武芸が現実の統治階級のステイタスとして囲い込まれた日本と、無名の在野の遊民、無頼、侠の中でこそ存在感を発揮した中国とでは、リアリティの制約が相当に違う。 唐代には神仙や妖怪、幽霊の美女や動植物の精霊が登場する話が数多く作られている。その中に、『聶隠娘』(じょういんじょう)という空飛ぶ侠女の話がある。秘密のトレーニングセンターで特訓され、体内に武器を装着した空飛ぶ美少女改造戦士。こんな物語が誕生していた。この時代、超絶の武芸を身につけた侠客刺客の話は少なからずあり、その武芸描写の特徴は、空を踏んで飛鳥のように跳ぶことである。「軽功」という言葉もなく、映画もワイヤーワークもない唐代の昔から、人間業とは思えない滑空が、侠客の身体技のイメージとして定着していた。 中国の剣術のイメージは、宋代以降急速に道教化を進め、道士が耳から剣を取り出し、その剣に乗って空中を飛行するとか、剣がリモートコントロールでひとりでに飛んで行き、妖怪の首を切り落とすといった剣術描写が盛んになる。そうなると、剣術の使い手も神仙術を収めた「剣仙」が登場し、剣術はますます幻想的になる。 現世の生きたままの肉体が精神修業と薬によって神仙に変じるという発想は、究極の身体改造である。仙人になることも空を飛ぶことも、現実とまったく別の世界の話ではなく、むしろ現実と地続きの発想、現実に手を加えた改変・発展の結果である、という発想であろう。そう考えれば、人間がたかだか20mや30m跳躍することが、なんであろうか。 このような発想に基づく中華武術の描写に対して、宮本武蔵や柳生十兵衛、塚原卜伝など実在の剣豪剣客を題材にする日本の時代劇の視点から、「肉体のリアリズム」を云々してもかみ合わない。中国の武術描写は、伝統的に現実の肉体の限界を超越しょうとしている。むしろ、新派武侠小説はあれでもさすがに神仙術は排除し、なんとか気功の理屈をこじつけて、武芸者をあくまで生身の肉体を供えた人間として描いているのだ。


世界から貧しさをなくす30の方法

2007-01-26 19:56:39 | BOOKS
田中 優 編 「世界から貧しさをなくす30の方法」 合同出版 2006.12.25.

国連人口基金「世界人口白書」(1994年版)には、「途上国では急速な人口増加と貧困が、先進国では資源の大量消費とゴミの増加が、環境を圧迫する主因となっている」と書かれています。途上国では「生産は算術級数的にしか増加しないが、人口は幾何級数的に増加する」ので、生産が追いつかなくなって貧困者が増えるのだと考えられています。必要なのは、「避妊法」と「教育」。つまり「途上国の人たちは教育を受けていないために避妊を知らず、セックスを楽しんだ結果として人口増加を引き起こしている」といっているのと変わりません。 一方で増加した人口に対処するためには、食べ物などの生産物や清潔な水を届けなければなりません。だれが? そう、先進国が。「世界人口白書」(1996年版)では「とくに、世界の中でもっとも貧しい国、女性差別がもっとも深刻な国、人口圧力がもっともきびしい国においては、外国の支援なしに国内の努力だけに頼っていては、的確な対処ができない」と書かれています。「貧しい人に釣ってきた魚を与えるよりも、魚の釣り方を教えてあげなさい、そうすれば彼らは私たちがいなくなったあとも自分たちで生きていくことができるだろう」といういい方があります。それにしたがって、生産用具が提供されたのです。開発インフラとよばれる道路や発電所、ダムなどです。人口問題を解決するために、先進国からの開発支援が必要だと考えられたのです。 そもそも世界の中で人口が増えているのは途上国の「土地なし都市住民」とよばれるスラムの人たちです。その人たちの4割が地方で食べられなくなって集まってきています。世界銀行が発表した「非自発的移住に関するレポート」によると、世界銀行の進めるダムや農園などの開発による立ち退き者を、過去10年間で200万人と推定しています。「しかしこの数はその国自身の開発によって追い立てられる人の数の3%でしかない」そうで、自身の開発を含めると、6667万人がたった10年間に追い立てられたことになります。しかも追い立てられた人びとは、十分な補償も代替地も与えられていないと書かれています。世界銀行創立から60年に、じつに4億人もの人たちが十分な補償も代替地もなく、土地を追い立てられたことになります。 都市スラムにたどり着いても、多くのスラム住民たちは、観光客にみやげ物を売ったり、靴磨きや信号待ちの車の窓を拭いたりして、チップを得て生活するようになります。かせぎ手を増やすことで収入が増えますので、都市スラムで生活を安定させていくには、子どもを増やさなければならないのです。彼らの貧困を解決する策は、スラムの住人が地方に戻り、農業なりで生計を立てられるようにしていくことです。いや、それ以上に重要なのは、今地方で生活している人たちを、開発で追い立てないことです。 地方の農家が生活できなくなる最大の原因は、生産物の値崩れです。「援助」や「経済のグローバリゼーション」によって、世界中から異常に安い商品が送られてきます。自給率の高い国からの不要な生産物が安い価格で輸出され、それが農家が1年かけて作った作物と市場でぶつかるのです。 人口問題の原因を作り出した「立ち退きの開発」を進めた人たちは、「今なお人口問題を解決するために開発を」といっています。その被害に遭った人たちは、まるで彼らが悪いかのように、「教育を受けていないから」といわれるのです。

エジソン 理系の想像力

2007-01-25 21:23:23 | BOOKS
名和小太郎 「エジソン 理系の想像力」 みすず書房 2006.09.08. 

エジソンは技術に関するニュースやライバルの動向などの情報の収集に熱心でした。そして、当時は珍しかった大学出から腕のたつ職人まで、一芸一能に秀でた有能なスタッフを集め、設備を使いこなして、エジソンは発明を量産しました。エジソンの特許の数は1,093件にのぼります。電信、蓄音機、白熱灯、映画、鉱山、電気自動車とつぎつぎに新しい分野に手をだしました。 まずアイデアがあると、それをとりあえず特許に仕立て、権利を確保しておく。様子見をして、だれかがこの特許に注目して動き始めると、ちょっと待て、自分は特許をもっているといって相手を抑えこんでいく。つまり、他人の行動をみて市場開発の是非を決定していたようなのです。白熱灯でも、映画でもそんなフシがあります。 エジソンは円筒型蓄音機の改良に励み、音質を高め、録音時間を増やしました。商品の売れ筋としてみれば、ユーザーの好みは円盤型の音楽レコード。ライバルのヴィクター社とコロンビア社のとったコンテンツ優先路線にありました。しかし、エジソンは口述機重視の独自路線を崩すことはなく、量産に向かない円筒型に執着して失敗しました。アーキテクチャーというものはユーザーの嗜好にも合致しなければなりません。技術オタクだったので、ユーザーの好みにまで眼が及ばなかったのです。レコードや映画においてみられたコンテンツ軽視の態度がこれをはっきりと示しています。 エジソンが「米国式原理」と「互換性」という言葉を語ったのは31歳のときでした。にもかかわらず、かれはフォノグラフについては、それを実現することはありませんでした。自動化鉱山も、電気自動車もモノにはなりませんでした。 はっきりしていることは、エジソンが研究のシステム化を図ったという点です。20世紀における制御理論の大家、ノーバート・ウィーナーは 「エジソンの最大の発明は、科学的ではなく経済的な発明であった。それは産業としての科学研究所というものの発明であった」といっています。


死刑制度の歴史

2007-01-24 20:51:16 | BOOKS
ジャン・カルバス 「死刑制度の歴史」 文庫クセジュ 2006.12.10. 

国際連合に参加する半数以上の109国が事実上死刑を廃止している。ヨーロッパ諸国は、ユーゴスラビア連邦(セルビア)とボスニアを除いて、すべて死刑を廃止した。残りの国々の86国は法律上死刑を存続しているが、その適用の仕方には大きな違いがある。2000年には、4つの国だけで死刑執行数の88%を占める。中国、サウジアラビア、アメリカ合衆国、そしてイランである。死刑の執行件数は28カ国で1,457件あるが、うち1,000件以上は中国で行なわれている。1999年は1,263人。2001年には「厳打」といわれる犯罪撲滅キャンペーンの4月11日~20日のあいだに342件の死刑が執行された。1996年では、死刑執行数は4,367件に及んでいる。一方、アメリカ合衆国は、2000年には執行数85件、2001年半期で34件であった。 カブール、リヤド、テヘラン、バルトゥームなどでは公開処刑が問題となっている。中国では受刑者の家族は死刑執行に用いられた銃弾の費用を国に返済しなければならない。 ここ数年、死刑をめぐる議論は高まっている。アメリカの世論の圧倒的多数は死刑賛成で、指導者層の多くは国民感情に反することはできないと信じている。こうした「死の崇拝者」精神はヨーロッパ人には理解しがたいものがある。 アメリカでは「汝殺すなかれ」の古典的な解釈に従って、聖書が死刑を認めているとする。「人の血を流す者は、人によって血を流される」という同害報復の法理は民衆の心の「原理」としてありつづけ、西部開拓者たちはこの原則を適用することをためらわなかった。これが有名な「私刑法」である。庶民階級に深く根を下ろした武器の携帯は個人の基本的自由、みずからの安全保障をなすという確信も憲法修正第2条によって承認されており、今なお刑事陪審員たちが持っている正当防衛の観念を説明してくれる。学説理論でも「死刑は犯罪を予防するだけでなく、犯人の行為にふさわしい応答、均衡の回復でもある」と本質的に応報的なものと見なされる。 古代以来、死刑をめぐる論争の言葉遣いがほとんど変わっていない。死刑の2つのおもな正当化理由は、一方でその応報的ないし贖罪的性格(人を殺した者は死ななければならない)と、その有用性(罪人は死ぬことで二度と危害を加えることができなくなり、公的処刑が犯罪予備軍にとって抑止的に働く)である。一方、死刑廃止論者は誤判の危険性を持ち出す。死刑は取り返しがつかない性質から、すべての誤判は修復不可能となる。 アメリカ合衆国の場合、陪審員たちは不充分な証拠で満足することが多すぎる。この何年の間にも、幾度も無実の人間が電気椅子に送られた。疑わしきはつねに被告人の利益にというすばらしい規則は、被告人が唯一取り返しのつかない刑、つまり死刑を受けるときには絶対的な規則でなくてはならない。死刑執行の記録を持つ中国は、処刑された遺体や堕胎された胎児から取られた臓器密売が猛威を振るっている国でもある。「汝殺すなかれ」、個人または集団の正当防衛の場合は除かれるとしても、野蛮にかわる選択肢はこれ以外ない。


VANストーリーズ

2007-01-23 19:51:58 | BOOKS
宇田川 悟 「VANストーリーズ-石津謙介とアイビーの時代」 集英社新書 2006.12.19.

1951年(昭和26年)、石津謙介はレナウンを円満退社し、退職金代わりに北炭屋町(今のアメリカ村)の社宅を貰い受けて石津商店を創業した。敗戦から6年の商品飢餓状態。そこに朝鮮戦争の特需景気で成金が台頭した時代に薄利多売ではなく、高価でもデザインの優れた高品質な服作りをめざした。そして、1955年(昭和30年)、石津謙介は満を持して東京に、株式会社ヴァンヂヤケットを設立する。一面焦土と廃墟の岡山から出奔して大阪経由ではや10年。大阪に製造部門を残し、活躍の舞台を東京に移した。日本人の生活レベルはめざましく向上したが「衣」に関しては遅れていた。とりわけ男性のオシャレ意識は低く、オシャレしようにもモデルとなる洋服がなかった。1959年、石津はアイビー・リーグの視察に渡米。これがVANにとって大きなターニング・ポイントになった。帰国した彼は、鋭い直感を発揮して、それまでの裕福なシニア向けの高級紳士服メーカーから、若者をターゲットにマスプロダクト・メーカーへと大胆な転換を決断する。アイビー・ファッションの現場を仔細に研究した石津はこのアイテムを日本の若者相手に仕立て直し、製造・販売すれば彼らの支持を得られるのではないかと確信した。当時、VANのPR誌的存在になっていた「メンズクラブ」で、アメリカの学生のあいだでアイビーが流行していると喧伝し、徐々にアイビーという言葉が日本のオシャレ人間に浸透していく。 親子代々着古したスーツやパッチのあたったジャケットを譲り受け、必要以上に華美や奢侈に走らず、良き伝統に敬意を払うアイビー・リーグの学生。このアイビー・スタイルが、石津に旧制高校のバンカラ・スタイルを髣髴させ、アメリカのワスプ型エリートが着ているカジュアルなアイビーを、日本の若者は粋で洗練された日常服として受け入れるだろうと考えた。彼の先見と洞察はものの見事に的中し、日本の若者たちはVANの魔力に魅了・呪縛され、ボタンダウンとコットン・パンツにまつわる数多くの物語を紡いだアイビー・ルックは、社会的現象となった。 アイビーは、日本の若者に定着し、そこからアイビー・ルック、アイビー・スーツ、アイビー・ストラップ、アイビー・スラックスなど、アイビー関連のネーミンングはすべてVAN主導によって定義された。イラストッレーター穂積和夫が描いた永遠の「アイビー坊や」がVANのポスターに登場し、人気キャラクターに成長する。 石津謙介67歳の1978年(昭和53年)4月6日にVANは倒産した。年商450億を超えた75年のピークを最後に大幅赤字へと坂を転げ落ちての倒産だ。負債総額は当時で500億円。戦後、アパレル業界最大の大型倒産だった。

喪男【モダン】の哲学史

2007-01-22 21:39:22 | BOOKS
本田 透 「喪男【モダン】の哲学史」 講談社 2006.12.25. 

ナチ党の正式名称は「国家社会主義ドイツ労働者党」。党首は悪役として有名なアドルフ・ヒトラーです。当時のドイツは、第一次世界大戦に敗北してとうてい払いきれない天文学的な金額の賠償金を戦勝国から請求され、経済発展が遅れ、インフレが起きて経済が破綻し、「国民総負け組」状態だったのです。ナチスドイツ=国家主義というイメージがありますが、実は社会主義的な政党でもあったのです。当時のドイツは失業者が街に溢れるという悲惨な状態で、いまの日本なら「負け組」「下流」とバカにされる人々が大勢いました。そういう人たちがナチ党に世直しを期待したのです。 ヒトラーの思想は謎めいていて支離滅裂な部分も多いが、一言で言うと「ゲルマン萌え」です。ゲルマン民族は偉い、ゲルマン民族が築いたドイツ帝国は偉大だ、俺もその一員だからやっぱり偉い、という三段論法です。この「ゲルマン萌え」に、大勢の喪男、特に若者が協調したのです。建築オタクだったヒトラーは、フォルクスワーゲンの大量生産計画やアウトバーンの建設、ベルリンオリンピック開催など、次々と画期的な経済政策を打ち出して失業者問題を強引に解決しました。このへんで引退しておけばノーベル平和賞でも貰えたかもしれませんが、その後、「世界征服の野望」を実現しようと第二次世界大戦を始め、また、極端な反ユダヤ主義から激しくユダヤ人苛めを行いました。 ニーチェは喪男の「自立」について「喪男は1人ぼっちではダンゴムシだが、ダンゴムシでも自分自身の人生を生ききるならばいいじゃないか」と考えたのに対して、ヒトラーは「喪男は1人ではダンゴムシだが、100人集まればカブトムシの如き強者だ」と考えたのです。 自民族に誇りを持つことは結構ですが、さすがにゲルマン民族至上主義とか第三帝国とか千年王国とかは行き過ぎです。一つの価値体系をピラミッドの頂点に置くという発想は、必ずその下層に別の価値体系を置いて差別するという構造に行き着きます。ヒトラーの場合は、ゲルマン民族が一番「上」で、ユダヤ人が一番「下」。国家についてもドイツ第三帝国が一番「上」で、「下」にはいろいろな国が置かれ、征服してもいいのだということになります。 我々は二つの精神のうち、善の心=「萌え」だけを三次元に適用し、悪の心=「鬼畜」は二次元に留めておかなければならないのです。ところがヒトラーは政治家に転身した頃から「俺」と「世界」の区別がつかなくなってどんどんダークサイドに落ちていったのです。実は「スポーツマンは美しい」「イケメンは正義だ」「キモい奴は悪人だ」という現代日本やアメリカに蔓延する外見主義・ルックス主義は、元を正せばナチスドイツの思想です。健全な肉体と健全な精神の持ち主つまりイケメンだけが生き延びるべきであってキモメンや病人は断種して絶滅させるべきだという思想です。 そういうイケメン至上主義を世界に流布するべく企画されたのがベルリンオリンピックと、オリンピック記録映画『民族の祭典』『美の祭典』です。これができばえの良い芸術映画となっています。ナチスはデザインとかイベントとか凄く、宣伝省を仕切るゲッベルスがメディアオタクだったので、ナチスはメディアによる洗脳・宣伝に長けていました。広告代理店の方法論の基礎はだいたいゲッベルスが考えたものです。大衆に対する広告宣伝の威力を最大限に利用したのです。彼にとっての広告宣伝とは大衆に刷りこむための魔術でした。「口ではなんとでも言える」「言葉ではなんとでも書ける」とはよく言われますが、「映像ならなんでもかんでも映し出せる」という真理は意外に気づかれていません。戦後の日本を覆いつくした「恋愛資本主義」という価値の体系もまた、メディアによって作られたものです。メディアの構造は、本当は二次元(フィクション)にすぎないものを、三次元(現実)に見せかけて大衆を洗脳・誘導するという仕組みです。 現代のメディアには大きく2種類あります。まず完全にフィクションだと銘打たれている劇映画・アニメ・マンガなど、これは純二次元です。次に、現実だと銘打たれている新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどのニュースやドキュメント、ノンフィクション。両者は一見異なるものに見えますが、実はいずれも「メディア」という名の仮想現実です。 ナチスドイツは、このようなメディアの力を「国家萌え」「民族萌え」の共有化に利用したのです。ナチスは滅亡しましたが、メディアによって情報を広範囲に伝播し、一つの「価値体系」、つまり「三次元」世界を作り上げるというシステムは、その後全世界に波及しました。 それにしても酷い話で、ナチ党幹部たちは自分も喪男のくせに仲間の喪男たちを裏切って「俺たちはモテだ」と言い出し、人種改良だの断種だのという途方もない誇大妄想にまで突っ走りました。いずれにせよ「ルックス至上主義」「スポーツマン至上主義」「広告至上主義」「メディア至上主義」、現代社会に蔓延しているこれらの価値観は、すべてナチスが発明し、発展させたものです。そして、これらの価値観がメディアによってあたかも現実であるかのように広められてきたわけです。

YouTube革命

2007-01-21 05:31:53 | BOOKS
神田敏晶 YouTube革命 テレビ業界を震撼させる「動画共有」ビジネスのゆくえ ソフトバンク新書 2005.12.26. 

ハードディスクが大容量化したおかげで、一生かかっても見切れないほどのコンテンツが蓄積されるようになり、保存された映像の価値はますます失われてしまう。 これから大事になるのは、いかにたくさん録画できるかではなく、見たい番組をどうやって探し出せるようにするかだ。 世界中で1日35,000本(1本約5分)のビデオが投稿され、1日400万回再生されているユーチューブでは、動画ファイルをアップロードする時に「タグ」と呼ばれるデータを書き込むことができる。これは、ファイルの中身を識別するための標識となり、たとえば飼い猫の映像だったら「猫」「ペット」「タマ」など、映像に関連したキーワードを設定しておくと、視聴者はそれを元に作品を検索できる。 現在、映画やテレビで放送されるコンテンツにはもちろんタグなど付けられていない。今後、テレビとネットが融合していく中で、タグにヒモ付けされていない映像は検索できず、誰にも存在を気付いてもらえなくなる。免許制度に守られ肥大化した放送事業者たちは、このことにまだ気付いていない。 2006年10月2日、テレビ局など日本の著作権関係事業者・権利者団体はユーチューブに対し、アップロードされた非合法的コンテンツについて、集中的に削除要請を行い、これにより約3万件のファイルが削除された。 アダルト業界がユーチューブをプロモーション媒体として利用して「既得権の略奪者」を「同志」に変えたように、日本のテレビ業界はテレビと接点を持つメディアと相互運用性のある関係を構築すべきだった。 普通、テレビで放送されると、瞬間的には視聴者はたくさんいるけれど、よほどインパクトのある内容でないかぎり、3日もすると忘れ去られてしまう。しかし、ネットのあちら側にアーカイブが残されていれば、50年後も100年後も、番組は視聴される可能性がある。テレビで一度放送されるだけで終わる番組よりも、ネットで再配信されるほうがコンテンツの価値は高まる傾向にあるということを知ってほしい。 世界中の新聞社にニュースを配信している英ロイター・グループは、業績回復のためにネットやソフトウエアの新技術を自社のサービスや商品に反映させている。 4年前(2002年)から始めているニュース閲覧サイト事業は広告を付けて無料公開しているが、テキストはもちろん、静止画、動画ニュースが豊富で人気を集め、月間の閲覧者は1300万人以上、年間の広告収入が5000万ドルに拡大している。無料モデルに最初は心配もあったそうだが、サイト開設から半年で収入が拡大し、本業にもプラスになっているという。ロイターはIT企業との提携も早く、グーグル経由での利用者も多いという。メディアの中でも柔軟な発想ができるところが生き残るのはまちがいないといえそうだ。