竹林の愚人  WAREHOUSE

Doblogで綴っていたものを納めています。

蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ

2007-01-30 19:30:22 | BOOKS
河井寛次郎 「蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ」 講談社文芸文庫 2006.01.10.

人間の縁なんて不思議なものだということを、つくづく感じたのが、柳との交友だ。当時、二十幾歳の私が東京高島屋ではじめて展観をやった。そして300円もの値段をつけた青磁の壷など幾つもうれた。細川侯や岩崎小彌太さんなども買われた。ところが柳が、この展観を見て雑誌「工芸」にこっぴどく批評した。私はハラが立って「工芸」で負けずにやり返した。そのうち柳が東京神田で李朝の展覧会を開いた。私も知らぬ顔で行ってみると、李朝の陶器の素晴らしさに私は参った。帰りの電車を乗越したほど感激した。柳も私が来たことを知っていて、わざと素知らぬ顔をしていたそうだ。そのころ、支那の無名陶に心をうばわれていた。柳も同じであったらしい。私が李朝のものを見て、ふらふらになった理由も、そこにある。そのころ柳は千葉県の我孫子町にいた。リーチもいた。濱田は私より一足さきに柳やリーチと交友していた。そして濱田がリーチに陶器を教えた。その濱田がリーチを私の窯へもつれてきた。私がリーチを知った最初である。そして東京震災があり、濱田が私の家へころがりこみ、しばらく私と一緒に仕事をした。柳も震災にあって京都へ疎開をした。そうこうしているうちに濱田が是非柳の家へ行ってみようと誘うものだから、引きずられるようにして吉田山の柳の家を訪れた。ところが私が部屋へ入ったトタン、そこに飾ってあった木喰上人の素晴らしい彫刻(地蔵) が目に入って、私は再び参った。ふらふらになるほどに参った。その喜びようを見て、柳も非常にうれしがり、ここで2人の気持ちが一ぺんに氷解融和した。柳・濱田・私の3人が木喰上人の木像について火の出るような議論をしました。方々へ木喰上人の木彫を探しに歩き回る。そして雪の降る日、丹波の古寺の羅漢堂を探しあてて木喰上人の仏体を7、8体も見つけ出したときの感激ったらなかった。等身大の重い仏体を縁側へ抱え出し、それをながめながら柳夫人手づくりのサンドウィッチを食べた。そのコンビーフのうまかったことが今も忘れられない。みんなが感激して、雪の降るのにこうこつとして何時間も羅漢堂にいるもんだから、何もしらぬ和尚は目を丸くしていた。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。