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歴史教科書と靖国問題

2007-01-09 22:23:58 | BOOKS
川口和也 「歴史教科書と靖国問題―日本・中国・韓国古代史ノート」 批評社 2006.10.10.

日本人は単一民族だといわれます。はたしてそうでしょうか。 小山修三・国立民族学博物館教授は縄文時代を5期に分け、さらに東北から九州を9地域に分けて綿密な人口統計をとりました。 人口が多いのは東日本、少ないのは西日本という特性が認められます。 今から11,000年前の縄文早期には全国で人口はわずか2,800人(東が2,200人、西が600人)。それが4,000年前の縄文中期に人口が最大となり、全国で264,900人(東が233,600人、西が31,300人)で東西の差も最大になります。 ところが2,000年前、漢の光武帝に北九州の倭の奴の国王が金印をもらったころになると全国で77,300人と激減してしまいます。東が44,200人、西が33,100人となり、西の人口がわずかに増えています。そして、1,300年前の奈良時代の人口は約500万人と、人口爆発とも言える急激な人口増加が認められます。列島の人口は700年間に60倍以上に増加しました。渡来人の急激な増加という社会要因を認めない限り、この人口爆発を説明できません。 現代の日本人を本土人、アイヌ、沖縄人に分け、そして中国人、韓国人の、ミトコンドリアDNAを研究した宝来聰・国立遺伝学研究所助教授によると、韓国や中国にはそれぞれ主要なミトコンドリアDNAがあるのに、日本本土ではとくに主要なものがない。混血が日本人の特徴で、そして韓国人と日本人については「遺伝的距離はゼロ」だと述べています。わたしたちは縄文人よりも渡来人の遺伝子の方をより多く持っているようです。 日本に仏教が公式に伝来したのは飛鳥時代の552(欽明13)年に百済の聖明王から釈迦仏の金銅像と経論他が贈られた時だと『日本書紀』に記述されています。 仏教は全く外来のものですから、日本の仏教文化はすべて大陸と半島からの渡来人およびその子孫の手によって築かれた、外国文化そのものです。 飛鳥で最大規模の伽藍を誇ったのは、百済大寺でした。この寺院跡とみられるのが奈良県桜井市の吉備池廃寺。飛鳥時代では最高層の高さ90メートル級と推定される巨大な塔の基壇が出土し、奈良国立文化財研究所と同市教委は1998年3月、「日本書紀に九重塔と記された百済大寺の塔跡とみられる」と発表しました。 この寺は舒明天皇の命令によって建立された、国家の威信をかけた大寺院です。クダラの名称を誇らしげに持つ大寺が大和朝廷の権威の象徴だったのです。 飛鳥の住所は昔も今も高市郡飛鳥です。飛鳥のもっとも奥まった土地が檜前(ひのくま)で、渡来人が多く住んでいた場所です。『続日本紀』に、「檜前忌寸の一族をもって、大和国高市郡の郡司に任命しているそもそもの由来は、彼らの先祖の阿知使主が、軽嶋豊明宮に天下を治められた応神天皇の御代に、朝鮮から十七県の人民を率いて帰化し、天皇の詔があって、高市郡檜前村の地を賜わり居を定めたことによります。およそ高市郡内には檜前忌寸の一族と十七県の人民が全土いたるところに居住しており、他姓の者は十のうち二 二割程度しかありません‥…」とあり、飛鳥を含む高市郡の住民のほとんど全部が渡来人の末裔だったことになります。これらの人々が飛鳥の仏教文化を下支えしたことでしょう。 わたしたちが「心の故郷」としている飛鳥は渡来人の都であったのです。この『続日本紀』の記述は、当時の列島住民の過半数以上が縄文人ではなく弥生人(渡来人)であったという現代科学の指摘と符合しています。