津守 滋 「後藤田正晴の遺訓」 ランダムハウス講談社 2007.02.21.
後藤田は、米国の「覇権主義的」行動に極めて批判的である。特にイラクに対する武力攻撃などについて、かなり激しい意見を述べてきた。日米安保協力との関係では、このような覇権主義的戦略に日本が巻き込まれ、引きずられることを極度に恐れた。日米安保条約の運用ぶりをめぐって後藤田は、日本は米国の「半保護国」であるという表現をしばしば使ってきた。 イラク・イラン戦争の最中の86年、海上保安庁か海上自衛隊の掃海艇の派遣を、職を賭して阻止した話は有名である。「イランとイラクが交戦状態のときに、日本の船が機雷を除去した場合、その機雷を敷設した側は、日本は敵方に加担したとみなすであろう。この結果日本は戦争の当事者にされてしまう。そんな危ないことは出来ないし、憲法の規定上も認められない」。 90年代に入って後藤田が、特に「米国の戦略に巻き込まれる」危険があるとして問題視してきたのは、「日米新ガイドライン」と「周辺事態法」である。さらに自衛隊法附則の拡大ないし類推解釈のいくつかのケースについても、「きちっとした立法措置を講じないショートカットは、許せない」として問題視してきた。また集団的自衛権の行使については、「あきまへん。こんなのやったら、アメリカに地球の裏まで連れて行かれる」と一蹴している。 後藤田は、専守防衛という基本原則の後ろ盾である日本国憲法のおかげで、戦後今日に至るまで数十年間、日本の自衛隊が一人の外国人も殺さず、また一人の自衛隊員も殺されていない事実を特に重視する。 後藤田は、国際協力の手段としても、自衛隊を海外に出すことには極めて消極的だ。いったん自衛隊を海外に送れば、なし崩し的に、現在政府が否定している武力行使に行き着くのではないかと、危惧していた。「軍事的貢献をしないと国際社会で日本がもたないということにはならない。食糧の問題、人口の問題、疾病の問題、公害の問題……人類そのものの幸せを守るために各国が協力して取り組まなければならない課題は、今日の地球上にいくらでもある」。
後藤田は、米国の「覇権主義的」行動に極めて批判的である。特にイラクに対する武力攻撃などについて、かなり激しい意見を述べてきた。日米安保協力との関係では、このような覇権主義的戦略に日本が巻き込まれ、引きずられることを極度に恐れた。日米安保条約の運用ぶりをめぐって後藤田は、日本は米国の「半保護国」であるという表現をしばしば使ってきた。 イラク・イラン戦争の最中の86年、海上保安庁か海上自衛隊の掃海艇の派遣を、職を賭して阻止した話は有名である。「イランとイラクが交戦状態のときに、日本の船が機雷を除去した場合、その機雷を敷設した側は、日本は敵方に加担したとみなすであろう。この結果日本は戦争の当事者にされてしまう。そんな危ないことは出来ないし、憲法の規定上も認められない」。 90年代に入って後藤田が、特に「米国の戦略に巻き込まれる」危険があるとして問題視してきたのは、「日米新ガイドライン」と「周辺事態法」である。さらに自衛隊法附則の拡大ないし類推解釈のいくつかのケースについても、「きちっとした立法措置を講じないショートカットは、許せない」として問題視してきた。また集団的自衛権の行使については、「あきまへん。こんなのやったら、アメリカに地球の裏まで連れて行かれる」と一蹴している。 後藤田は、専守防衛という基本原則の後ろ盾である日本国憲法のおかげで、戦後今日に至るまで数十年間、日本の自衛隊が一人の外国人も殺さず、また一人の自衛隊員も殺されていない事実を特に重視する。 後藤田は、国際協力の手段としても、自衛隊を海外に出すことには極めて消極的だ。いったん自衛隊を海外に送れば、なし崩し的に、現在政府が否定している武力行使に行き着くのではないかと、危惧していた。「軍事的貢献をしないと国際社会で日本がもたないということにはならない。食糧の問題、人口の問題、疾病の問題、公害の問題……人類そのものの幸せを守るために各国が協力して取り組まなければならない課題は、今日の地球上にいくらでもある」。