竹林の愚人  WAREHOUSE

Doblogで綴っていたものを納めています。

ウソ!

2006-12-29 09:39:42 | BOOKS
谷島一嘉 「ウソ!」 アーティストハウス 2006.01.23. 

精神分裂症患者の妄想は、ほかの人には聞こえない(幻聴)、見えない(幻視)、嗅げない(幻嗅)という意味ではウソの仲間かもしれない。しかし彼らには実際に聞こえているし、見えている。私が習った精神医学はドイツ学派である。こうした分裂病の本体を、思考の障害、自我とそれ以外の認識の障害、と捉えた。そこには経験に裏打ちされた病気の本質を見抜こうとする哲学があった。今の日本の精神医学の主流は、フロイトを受け継いだアメリカ精神医学に変わってしまい、私には現象だけを捉えて、症状の数で診断しているように思える。どうもウソくさい。雅子妃が適応障害といわれて以来、週刊誌の見出しにも適応障害という言葉が踊っている。ストレスが原因で、職場などに適応できずに具合が悪くなって、適応に時間がかかる症例ということらしい。ドイツ医学風に言う、うつ病、うつ状態、不安神経症、軽い恐怖症などをみな一緒くたにしてしまった言葉である。つまり、うつとノイローゼを一緒にして、ストレスが原因となって起こった、社会生活に適応できない状態を総称したものらしい。いかにもアメリカ医学らしいストレス重視の暖昧模糊とした名前だと思った。 確かに過度のストレスは、過労や病気などの種々の障害を引き起こすが、いい面も悪い面も持っているのに悪いほうを強調して、すぐにストレス、ストレス、と騒ぐのはいたずらに恐怖感を煽るだけのものである。「宇宙精神医学」という学問の分野がある。要するに、長期間宇宙で共同生活をする宇宙飛行士の適性と組み合わせを見てグループ分けをする。宇宙で頭がおかしくなって もすぐに地球に戻るわけにはいかないので、グループ内での相性というのがとても重要になってくる。 宇宙飛行士になる人は全員が、「人より抜きん出たい」という意思を持っているという研究結果がNASAから出されている。そういう人の集団でリーダーとなるのは大変なストレスだ。うまくいくのは軍隊のような階級制度。階級があると下が服従する。人間同士の生活ではそのうちに必ず憎しみの感情が起こる。その憎しみを向ける相手がリーダーの場合が一番うまくいく。上に向かって憎しみが発散され、規律が保たれる。大勢の集団が長期間生活すると、必ずいじめが起こる。一番弱い人をいじめる。 宇宙船は狭いし、ケンカしたから外で一杯飲んでくるなんてこともできない。宇宙空間での人間関係について、自分自身の精神のケアについて、どうアドバイスするか、宇宙精神医学の重要なテーマだ。

萌える!経済白書

2006-12-27 23:21:05 | BOOKS
河合良介 「萌える!経済白書」 宝島社 2006.01.01. 

萌え市場が盛り上がっている背景に、わが国の人口構造上の特性に起因する巨大な「萌えマグマ」の存在がある。 わが国の人口を生年ごとに区切ってみると、戦後生まれの団塊世代と、その子世代に当たる団塊ジュニアの2つの大きな塊がある。これら両世代の最も大きな相違はその結婚観で、団塊ジュニア世代の結婚率は著しく低下している。 団塊世代の結婚適齢期にあった75年時点で、25~29歳男性の未婚率は48.3%。20歳代後半の男性には独身が2人のうち1人もいなかった。他方、00年時点における25~29歳男性の未婚率は69.3%。10人中7人が独身だ。 各時点における30歳代の姿はもっと極端である。75年時点における30~34歳、35~39歳の未婚率はそれぞれ14.3%、6.1%。これに対して00年時点では42.9%、25.7%と一気に跳ね上がる。 未婚者は絶対数としても増加している。とりわけ、結婚・出産という世帯形成期にあたる25~39歳では、00年と75年を比べると未婚男性の数は実に286万人増加した。その年代の人口総数では団塊世代の方が大きいにもかかわらずだ。 20歳代後半から30歳代の男性の世帯属性が、これだけのボリュームで変化したわけである。消費市場に対する影響は小さくない。家族単位で消費する必需品が減少するかたわらで、個人の裁量で消費できる曙好品は増加する。 晩婚化・非婚化の進展に伴い、年々膨張を続けている未婚男性の塊-これこそが「萌えマグマ」の正体である。 25年ほど前に『機動戦士ガンダム』をリアルタイムで見てしまった世代以降は、アニメキャラからある種の“洗礼”を幼少期に受けたことで、萌えを理解する素養を潜在的に有している。そこに晩婚化・非婚化が重なって、団塊世代であれば恋人や妻や子供に注いでいたであろう愛とそれに伴う消費支出を、萌え市場における商品・サービスに注いでいる。 少子化という経済縮小圧力の反対側で、負け犬女たちが内外の有名ブランド品を買い漁り、萌えに走るオタク男も巨大な市場を形成し、せっせと消費にいそしんでいる。


五〇歳から貝原益軒になる 心と体のことわざ養生術

2006-12-26 21:58:36 | BOOKS
山崎光夫 「五〇歳から貝原益軒になる」 講談社 2006.11.25.

貝原益軒の人生(寛永7年~正徳4年、1630~1714)をたどってみると、決して順風満帆の人生ではなかった。とくに青年時代、藩主からかなり悲惨な仕打ちを受け、不遇な時代を送っている。この体験から、益軒はどんな状況に置かれても、揺るぎない心があれば生き抜ける。また、その揺るぎない心を持つには体の健康も大事であると気づいた。心身一体の考えである。益軒の著作は、生涯、98部247巻におよぶが、50歳を過ぎてからの刊行がほとんどである。庶民の平均寿命が40歳におよばない時代。驚異的としかいいようがない。益軒自身、『養生訓』のなかで書いている。「五十にいたらずして死するを夭(わかじに)と云う」 旅行好きで、日本列島をよく歩いた。参勤交代に随行して、あるいは藩命で、また、趣味として、歩き続けた。九州・福岡から、江戸へ12回、京都へ24回、長崎へは5回出かけている。諸藩を歴遊し、その見開を記録した独特の紀行書を数多く残している。好奇心を元にしたウォーキングが益軒の健康と長命に寄与したといえる。夫婦連れ立って旅行している。夫婦円満だった。著述と旅行を楽しみ、80歳を超えても10冊以上の本を出版している。驚くべき“晩年力”である。 ところで、現在の日本は人口減少社会を迎えている。大きな理由に少子化現象がある。死亡する者より生まれる子どもの数が少ないのである。このまま少子化がすすむと、1億2000万の人口が次第に目減りして、2050年には1億59万人になるという試算も出ている。人口減による影響で、年金、医療、教育など、国家的な問題をどう切り抜けるか。人口減は国力を弱めるともいわれている。 この国家的な災いをどう切り抜けるか。しかし、「人間万事塞翁が馬」的に考えると、この災いは「福」をはらんでいる。「少子化でいいではないか。少子国家こそ理想だ」という発想がある。この日本を少数精鋭の頭脳列島にするのである。 益軒の生きた江戸時代の前期(1700年前後)の人口は約3,000万人だったといわれる。この人口は幕末までほぼ変わらず推移した。鎖国体制下、食糧は自給自足だった。外国と貿易なしでも日本は国として成立していたのである。 人口が激増するのは明治維新後だった。明治新体制の下、自由社会の到来で、生産性はあがり、貿易も盛んになり、物は豊富になった。また幕藩体制下の人口抑制策の必要性もなくなった。こうした背景の下、人口は増え続けた。「日本の人口が1億人を超えると対外に武力進出をはかる」といわれたものである。 自給自足の思想が基本にあったので、人口増に対応するため新天地に食糧を確保しなければならない。また、兵力碓保のために、産めよ増やせよの時代が続いた。ある意味で、“多子国家”が戦争を可能にし、争いを強いたともいえる。 このたび日本が少子国家を迎え、少なくとも食糧確保のための対外進出は必要ない。益軒の生きた江戸時代なみに平和を維持するにはむしろ好都合といえるかもしれない。


小沢昭一的新宿末廣亭十夜

2006-12-25 22:27:07 | BOOKS
小沢昭一 「小沢昭一的新宿末廣亭十夜」 講談社 2006.07.01.

昭和の二大名人、文楽・志ん生、大好きでした。文楽師匠の方は、国立小劇場で「大仏餅」というお話をしていて、登場人物の名前が出てこなくなっちゃった。あの方は完璧主義の方ですから、ご本人、そりゃご気分も悪いでしょう、「勉強しなおしてまいります」と言って、話を途中でやめて平伏すると楽屋に引っ込んだ。以後、二度と高座に立たれることはなかった。 志ん生さんもやっぱり、名前が出てこなかったことがありましたよ。その時、「えー、えー?えー、その人は……名前はどうでもいい人」。志ん生さんはそんな具合に、のびのびと。ご本人も「あたしゃ、なんでも出たとこ勝負ね」なんておっしゃってましたが。 まあ、完璧な文楽師匠。そして、出たとこ勝負の志ん生師匠。いずれあやめかかきつばた、ということなんでございましょうが。日本テレビというところで、志ん生さんと対談なさいませんかっていうんで、お家のほうで、いいお話をいっぱい伺ったんでございます。入っていきましたら、大きい炬燵に師匠はあたってまして、「おじゃまいたします」と声をかけたんです。そしたら、読んでたご本を炬燵の中に隠すんですよ。見たいですね。志ん生師匠が何を読んでるのか。師匠がちょいと立ち上がって、台所の方へ行く間に、わたくしね、申し訳ないんですけど、炬燵に首突っこんで、本の表紙を見て驚きました。橘家円喬という方の速記本。あの三遊亭円朝よりも話の腕は上だったなんて伺う名人でございました。その、円喬さんの落語の速記本を読んでいた。ご病気で、周りからは再起不能っていわれてたんですよ。それを、そういう時でも勉強を続けているんです。ですから、「あたしゃ、でたとこ勝負で」てなこと言ってますけど、ちゃんとご勉強を。勉強した上での、出たとこ勝負。それは強いですわな。そんなことでわたくし、感動したことがありました。「師匠、あれですか、やっぱり御酒が一番お好きなんですか」なんて聞いたんですよ。そうしたらひと言。「ウーン、ビールは、ビールは小便になって出ちまうけれども、酒は、うんこになる」。すごい奥の深いことをおっしゃる方でございますね。これが一番わたくしの心に、強く強く残っている名言なんでございます。 本当にすばらしい方でございましたが、その時帰りに「この、今日いろいろ伺ったテレビは、いつ放映されるんですか」とテレビ局の方に聞いたんですよ。そしたら、「まだわかりません」と。「まだわかりませんて、どういうことですか?」と、その局の人をつついたの。そうしましたらば、小さい声で、「これは、師匠の追悼番組の……」。「エーッ」びっくりしましたな。テレビ局はこわいですね。そういう準備をするんだ。私の場合は追悼番組をやるわけがない。安心して死ねるんでございます。


ももんがあ対見越入道

2006-12-24 00:03:31 | BOOKS
アダム・カバット 「ももんがあ対見越入道 江戸の化物たち」 講談社 2006.11.10. 

草双紙のなかでは、化物が必ず生臭い風を吹かせるとよくいわれる。多くの化物が平気で人間を食べることを考えると、「生臭い」というイメージがつきまとってしまいがちである。しかし、肉ばかりでなく魚さえも食べない珍しい化物もいる。豆腐小僧という。 豆腐小僧は豆腐を載せた盆を大事に持ちながら、町中をあてもなく歩く。大きな笠を被った小さな体にはあどけなさや可愛らしさが感じられる。初期の草双紙では、豆腐小僧の絵はまだないが、黄表紙の時代になると頻繁に姿を見せてくれる。豆腐小僧には人間を脅かしたり、悪さをするような話が見あたらない。軟弱な化物として、ほかの化物たちのいじめの対象にもなっている。あるいは、大事にしている豆腐をつい落としてしまう話がたびたびある。豆腐小僧の弱気なところが、彼の魅力でもある。癒し系のお化けキャラクターの代表的存在だともいえよう。 草双紙のなかで、豆腐小僧が頻繁に登場しているのは、江戸の豆腐屋の人気を反映している。江戸時代の豆腐は安いうえに、栄養満点の食べ物。江戸の町だけで、豆腐屋が何百軒もあり、町を歩く豆腐売りの姿は、どこでも見られただろう。 化物世界が不景気になったせいで、さまざまな化物たちが仕事を捜している。合巻『化物世帯気質』(1820)では、「豆腐小僧は豆腐屋へ懇意なるにより、豆腐を買出し、競り売りを始め、一心不乱に稼ぎしは、奇特なることなり」とある。 江戸と京坂の豆腐売りの天秤を担いでいるところは同じだが、前の桶の上に真っ白な箱が載せてあるのは江戸のスタイルであり、屋号が書いてある箱は京坂のスタイルである。江戸の草双紙が生み出した豆腐小僧は、江戸スタイルの売り方を身につけ、真っ白な箱をもちいている。 気になるのは、どの豆腐にもついている紅葉のマークだ。この特殊な豆腐は「紅葉豆腐」といい、実際、江戸時代に作られていたらしい。豆腐を固めるための「製箱」の底の板の跡形が紅葉に似ていて、「紅葉」(こうよう)は「買様」(かうよう)の洒落であり、「豆腐を買うように」という商売上のメッセージである。紅葉のマークはビジュアルによる酒落なのである。商品としてのお化けキャラクターには、誰でもすぐ認知できるトレードマークが必要となる。豆腐小僧の「紅葉豆腐」はしっかりとその役割を果たしているのだ。


箱の家 エコハウスをめざして

2006-12-23 13:40:02 | BOOKS
難波和彦 「箱の家 エコハウスをめざして」 NTT出版 2006.11.28. 

私の師である池辺陽(1920-1979)の「住宅ナンバーシリーズ」の中心テーマは住宅部品の工業生産化だった。「箱の家シリーズ」のテーマも基本的に同じである。ただし池辺の時代と現代では工業生産化の様相が大きく異なっている。池辺は工業化の効果が最も大きい台所や浴室などの設備部品に注目したが、現在ではそれらのほとんどが工業製品化されている。空調設備や床暖房設備も、さらに構造材、下地材、仕上材など住宅部品もほとんどが工業製品化されている。高度経済成長時代においては、新しい住宅部品の開発が新しい住宅デザインに直結し、住宅の工業生産化が生活の近代化・高度化に結びついていた。住宅のつくり方と生活の質がしっかりと結びついていたのである。しかし現在では、住宅のデザインは工業製品をいかに組み合わせるかという作業に変容し、モノとしての住宅の性能の向上が、そのまま生活の豊かさをもたらすとはいえなくなった。ハウスメーカーがつくる住宅性能は過剰なレベルにまで高度化しているが、それが豊かな生活を生み出すとは、もはや誰も信じていない。要するに、いかにつくるか(HOW)という問題と、何をつくるか(WHAT)という問題が分離したのである。したがって現代の住宅デザインの課題は、両者を結びつけることにあるといってよい。「箱の家」において、現代の住宅における何(WHAT)とは、いうまでもなく「サステイナブルな住宅」である。その中でもっとも重要な条件は「一室空間住居」と「エコロジカルな住宅」である。どちらも住宅のつくり方を含めたライフスタイルの提案である。このコンセプトにもとづいて住宅のデザインを続けてきて、ぶつかった最大の問題は、個々の住宅を差異化していくことの難しさである。「箱の家シリーズ」では、コストパフォーマンスを追求した結果、構造や構法のシステムが標準化されている。それだけでなく平面計画や空間構成までも標準化されている。「一室空間住居」がライフスタイルの提案である以上それは当然のことである。それを個々の住宅の条件に適用すると、同じようなデザインを反復することになる。家族構成、敷地条件。予算が異なれば、当然デザインも異なる。しかし「箱の家」のクライアントには共通性が多いので、最終的なデザインは似てしまう場合が多くなる。もうひとつ重要な問題は個室の考え方である。「箱の家」のライフスタイルのコンセプトは「一室空間住居」である。そこには空間的なプライバシーはない。住宅を構成する単位を個室だと考える最近の支配的な潮流と対立しているように見える。個室を重視する考え方の背景には、かつて家族や地域社会といった共同体が解体し、個人を単位とする緩やかな共同体へと再編成されるという社会像がある。しかし社会の単位としての個人を、そのまま個室に結びつけるのは短絡的ではないか。個人の自立と個室の確保とは直接的には結びつかない。むしろ個室を必要としないことが真の意味での個人の自立だと思う。幼い子供たちに「一室空間住居」がふさわしいのはそのためである。これに対して個室を必要とするのは、体力が衰えた老人たちである。「箱の家版・個室群住居」を加えたのは、老人達の共同住居となることを想定したからである。「箱の家版・個室群住居」の個室は、共有空間に対して緩やかに開いている。それが完全に閉じてしまわないような人間関係を保つことが、サステイナブルな社会の条件ではないだろうか。

落語的笑いのすすめ

2006-12-23 06:53:01 | BOOKS
桂 文珍 「落語的笑いのすすめ」 新潮文庫 2006.03.01. 

阪神淡路大震災の時、外国から、たくさんの協力の申し出があったけれど、それを断ってしまった。アメリカは助けに行きたいがそれができない。そういうようなことが、日本人の特性としてあり、これは今後もう少し考えていかないといけないところだと思っています。困ったもんです。 その時、救助犬というのがやってきました。ここに人がいるというのをワンワンと鳴いて知らせる犬です。うちの近所で、あの救助犬と同じ種類の犬が救助を待っていました。訓練をしない犬というのは役に立たないわけです。せっかく救助犬がきてくれたんですから、すぐに入ったらいいんですが、予防注射をしていないとか等の理由で、救助犬が、関西国際空港に早く着いているのにもかかわらず、現場へ到着できないというような現状があったりしました。 実は、私も被災しまして、ずいぶん大変だったんですが、もうその3日のちに、劇場に出ないかんということになったんです。なんばグランド花月に。電車もなにも通ってないのに。 それで私は、50∝のバイクに乗りまして、ヘルメットかぶって、神戸から大阪までプルルルッと寒い冬の道をハナミズたらしながら通ってたんです。街は崩壊し、たくさんの亡くなった方が近所にいらっしゃるわけですから、毎日、目の当たりにするものが悲惨でした。少しはずかしいですが、ナミダでメガネが何度も曇りました。 私の家族はたまたま誰もけがをしなかったですが、家は壊れて、いわゆる半壊という状態です。そういうことで心が荒廃している自分が、笑いという作業でお客様を癒すことがはたしてできるのかなあと、ものすごく思いまして、こっちが癒してもらいたいのに癒す側にまわらないかん、困ったな。こんなとき芸人は不偶やなあと最初思ってました。 ところが、やっていくうちに、自分はそれを生きがいとして、仕事として、嬉しくて楽しくてやっているわけですから、お客さんがわーっとお喜びになると、自分の芸でお客様が笑われたということでもって、私が癒される。癒す行為で癒されるということが、初めてわかりまして、自分はこの仕事でしか生きてゆくことが出来ないだろう、自分の体の中にも、笑いを通しての自己実現というか、効用というか、そういうものがあるんだということを実感しました。


本能はどこまで本能か

2006-12-22 23:32:20 | BOOKS
マーク・S・プランバーグ 「本能はどこまで本能か」 早川書店 2006.11.30.

私たちの現在の姿には、進化による変化と、それぞれの個体の発達という、2つの要素が反映されている。発達心理学で近年とみに活気を帯びている「生まれか育ちか」論争は、この2分法的な発達の捉え方を示している。 歴史的に、本能という概念は、生物と環境とのみごとな合致をどう説明したらいいかという問題を解決するための方策として使われてきた。パトリック・ベイトソンは本能の科学的意味が少なくとも9つあるとしている。生得的なもの、学習されないもの、いったん発達したら変わらないもの、種の全員に共有されるもの、個別の神経モジュールに制御されるもの、遺伝子によって決定されるもの、進化のあいだに適応するもの、などである。行動について学べば学ぶほど、それを本能と称する正当性はますます説得力を失ってくる。カモメの子が母親のくちばしをつつくのは、微妙な知覚傾向から生じるものであり、カモの子が子としての好みを発達させるには、胚のときに自分の声を聞いていなくてはならない。これらの事実を知れば、本能の本当に意味するところは何なのかという迷いは溶解する。同様に、胎児が学習することに気がつけば、何が生得的かという強迫観念のような疑問も消散する。ネズミが水を飲むために水に近づくという基本的なことさえ学習しなければならないことや、へラジカが攻撃してくる捕食者がいなくなるとオオカミに対する恐怖をなくしてしまうことを考えれば、進化心理学者の内蔵された神経モジュールへの執拗なこだわりは、あまりにも単純すぎる。そしてコウウチョウやクマネズミに見られる効率的で無駄のない文化的情報の伝達を考えれば、遺伝子によらない遺伝はいくつもあるとわかるのだ。 あらゆる複雑な行動は下位行動からなっていて、その下位行動はそれぞれ発達の各段階で、しばしば見えにくいかたちで引き起こされる。つまり、DNA、細胞、行動、そして私たちの身体的、社会的、文化的環境が、絶え間なく、能動的に、リアルタイムで相互作用して、多くの人の目には神や遺伝子のデザインの産物と映るような行動を生みだすのである。もちろん進化は複雑な行動の出現に重要な役割を果たしているが、それは遺伝子に働きかけることによってではなく、発達の多様体まるごとを選択することによって影響を及ぼしている。どういう過程で最終結果につながろうと、それは自然選択の関知するところではない。 遺伝についての考え方の再検討は、反論の余地もない単純な事実の確認から始まる。受精卵はそっくりそのまま両親から受け継がれている。そのなかにはDNAを含んだ核がおさめられているが、そのはかにも遺伝子とは異なる細胞質因子が一通り含まれてレアも細胞質因子は母親から受け渡され、局所的で機械的な相互作用を通じて遺伝子の発現を調整する決定的な役割を果たす。この拡大的な遺伝の捉え方のなかには、発達をもっと現実的に、能動的に、状況に即して見る視点がある。細胞質因子は、連綿と続いていく遺伝性の環境要因と経験要因の最初のものにすぎず、これらの要因が着々と発達を形成しながら、世代から世代へと受け渡していく。そして複雑な行動-本能-はつねにこの過程から出てくるのだ。 遺伝の考え方を捉えなおし、発達の見方を広げれば、出てきたばかりの本能は、せいぜい環境のなかの目立つものに対して向けられるつつきや凝視や身構えのような-単純な反応程度のものでしかない。この反応が、種に特有の経験や個々の経験を通じて発達の過程で磨かれていく。さらに明らかに訓練と見なせるものも、同じ種の仲間からされるにせよ、別の種からされるにせよ、やはり経験の一部に含まれるだろう。しかしながら長い時間が経つうちに、行動の起源は過去に埋もれて、いまそこにあるものが最初からそうつくられた、合理的な、デザインされた最終製品のように見えてしまう。私たちはそれを見て、やっと寝転がってうたた寝できる快適な場所が見つかったと錯覚してしまうのである。

麦わら帽とノートパソコン

2006-12-20 22:20:57 | BOOKS
宮内勝典 「麦わら帽とノートパソコン」 講談社 2006.09.22. 

日本では1年間の自殺者が3万人を超えてしまった。先進国では、第1位の自殺率である。厚生省のレポートを読むと、中高年の自殺が多いそうだ。 
その統計の裾野には、あいまいで見えにくい現象、浅くて深い、ぶきみな闇が隠れている。若い世代のうつ痛、リストカット、薬物の過剰摂取がひろがっている。
若い人たちは明確に死のうとするわけではなく、もう死にたい、死んでもいいや、でも生きたい、生きていることを実感したい、といったふうにあいまいな状態のまま、カミソリで手首を切る。薬を飲む。だから未遂が多く、かれらが抱えている心の闇は、まだ統計には浮上してこない。 
世界がうつろで現実感がない。なにもかも空虚なのに、真夜中のコンビこのように無機的に明るいばかりである。世界はすりガラスに映る影絵のようにリアリティーがない。自分が生きているという実感もない。生きる目的もない。こうした離人症めいた感覚がひろがっている。 
湾岸戦争のとき、バグダッドに降りそそぐ火の雨が、花火のようにきれいに見えたという。9・11のとき、火を吹きながら青空からくずれ落ちていく世界貿易センタービルを眺めながら、映画を見ているようだったと口をそろえる。現実がリアルに迫ってこない。だから社会的なこと、外部のことに関心が薄い。怒らない。静かである。醒めきっている。それぞれ的確な自己批評性をそなえている。デリカシーもある。世界が空っぽなのに、ただ意識だけがひりひり醒めながら闇を抱えている。 
陸眠薬、精神安定剤、あるいは逆に高揚感をもたらす薬などを常用している者もかなりいる。そして、ふっとしたきっかけで、まるで事故死のように死んでしまう。 
自殺した3万人の多くは中高年者である。リストラされたり、老後の不安が主な原因だというが、その気持ちは痛いほどわかる。この国で老いていくことはつらい。まったくの空虚のなかで、喜び、悲しみ、さまざまの経験を積んできたことも一顧だにされず、成熟という実りさえなく、もう価値のない者と見なされ、やんわりと見捨てられたまま、孤独に老いていくしかない。老人たちもこの国の、おそろしい空虚さに向きあっているのだ。そして若者たちは手首を切る。
「日本は平和な因である」というのは、真っ赤な嘘だ。これほど空っぽで、これほど病んだ国は、めったにない。バラバラ殺人事件はひっきりなしに起こっている。今日もだれかが、だれかの首や手足を切断している。自殺率は、堂々の第1位である。毎年、3万人を超える人たちが自殺していく。ここは戦場なのだ。のっぺりと明るい戦場なのだ。


ことばの波止場

2006-12-17 08:12:01 | BOOKS
和田 誠 「ことばの波止場」 白水Uブックス 2006.11.30. 

アルファベットで、ABCのほかにXEQなんていう順番があったら、外国人は混乱すると思いますが、日本のぼくたちの場合は、「いろは」「アイウエオ」、両方憶えさせられました。 「アイウエオ」のほうが新しくて、合理的に並んでいます。
大正時代に北原白秋が「五十音」という詩を書いています。
水馬(アメンボ)赤いな、ア、ィ、ウ、エ、オ。 浮薄に小蝦もおよいでる。
柿の木、粟の木、カ、キ、ク、ケ、コ。 啄木鳥(キツツキ)こつこつ、枯けやき。
大角豆(ササゲ)に酸(ス)をかけ、サ、シ、ス、セ、ソ。 その魚浅瀬で刺しました。
立ちましょ、喇叭(ラッパ)で、タ、チ、ツ、テ、ト。 トテトテタッタと飛び立った。
蛞蝓(ナメクジ)のろのろ、ナ、こ、ヌ、ネ、ノ。 納戸にぬめって、なにねぼる。
鳩ぽっぽ、ほろほろ、ハ、ヒ、フ、へ、ホ。 日向のお部屋にゃ笛を吹く。
蝸牛(マイマイ)、螺旋巻(ネジマキ)、マ、ミ、ム、メ、モ。 梅の実落ちても見もしまい。
焼栗、ゆで栗、ヤ、ィ、ユ、エ、ヨ。 山田に灯のつく宵の家。
雷鳥は寒かろ、ラ、リ、ル、レ、ロ。 蓮花が咲いたら瑠璃の鳥。
わい、わい、わっしょい。ワ、ヰ、ウ、ヱ、ヲ。 植木屋、井戸換え、お祭だ。

「いろは」は「色は匂へど散りぬるをわが世誰ぞ常ならむ有為の奥山今日越えて浅き夢見し酔ひもせず」という歌です。これは、「ん」とか濁点を抜かした四十七文字を全部使って、しかも二度ダブらないで歌を作るということで考えられた歌です。そういう条件をクリアしながらちゃんと意味が通じるというのはたいへんむずかしいことば遊びです。 
明治時代に、黒岩涙香という翻訳家がいました。黒岩涙香は、『モンテクリスト伯』を『巌窟王』、『レ・ミゼラブル』を『噫無情』と訳した、言語感覚のちょっとおもしろい人で、「萬朝報」という新聞を出していました。この黒岩涙香が、四十七文字に「ん」を足した四十八文字を全部折り込んだ、「いろは」にかわる新しい歌を作ろうと、自分の新聞で一般公募をしたんです。
烏啼く声す夢覚ませ (とりなくこゑすゆめさませ)
見よ明け渡る東を (みよあけわたるひんがしを)
空色栄えて沖つ辺に (そらいろはえておきつべに)
帆船群れゐぬ靄の中 (ほぶねむれゐぬもやのうち) 
というんですね。
「色は旬へど」はちょっと観念的で、「鳥啼く声す」は具体的な情景が浮かんで、なかなかよくできたものだと思います。「萬朝報」では、なるべく「とりな順」を使いましょうなんていう運動をしたらしいんですが、そうはなりませんでした。なんといっても「いろは」が圧倒的にポピュラーですから。