竹林の愚人  WAREHOUSE

Doblogで綴っていたものを納めています。

コピー用紙の裏は使うな!

2007-07-31 05:38:04 | BOOKS
村井 哲之 「コピー用紙の裏は使うな!」 朝日新書 2007.03.30. 

「コスト削減」をヤフーで検索すると760万件ヒットする程、コストの問題はいまや非常に大きな関心事になっています。コストについて考えることは、単に「無駄を減らす」ことではなく、組織のありようについて考えることになります。売上増に100%の成功法則はありませんが、コスト削減には、正しく取り組めば必ず成果につながる100%の成功法則があります。ところが、世間の多くの経営者がこのことに気づいていません。 日本で一番利益を上げている自動車メーカー・トヨタでは前年比2,000億~3,000億円のコスト削減を実現しています。しかも、毎年やり続けています。トヨタは常に為替リスクを抱え、1円の円高で700億円の純利益が吹っ飛び、多国籍企業なのでカントリーリスクも抱えています。「世界のトヨタ自動車」といえども、大きなリスクと日々闘っているのです。だからこそコスト削減力を磨き続け、現場のすみずみまで浸透させて、現場にはプラン→ドゥ→チェック→アクションのサイクルがしっかりと根づいています。 コスト削減とは単なる「ケチケチ運動」ではなく、本来的には、「経営」と「現場」のすき間を継続して埋めていく作業であり、運動です。「何でも屋」的存在の総務にできる仕事でないことは明らかで、総務部長が前面に出てこられてうまく行ったためしはありません。本当にコストを削減したいなら、経営者の仕事、それも極めて優先順位が高い仕事と位置づけ、「現場」から生きのよい、既成概念にとらわれない人材を中心に集め、プロジェクトを組成して推し進めることです。 【通信業界】は自由化がスタートして21年。通信各社は固定電話も携帯もインターネットもデータ通信もすべて1社で提供できる会社を目指して激しい合従連衡を繰り返し、今では3社に集約され、この4つのサービスを組み合わせた新たなサービスがたくさん登場してきます。それぞれの分野ごとに、今受けている通信サービスの契約内容やプランを、過去の利用状況データに基づき常に最適化しておくことです。 【電力業界】では、電力の自由化を正しく理解している大手企業は、PPSから電力購入を行い、ノンリスクで2~3%の確実な削減を実現しています。 【コピー業界】はカウンター料金、保守・メンテナンス費で収益を上げている流れがありますので、カウンター料金単価の交渉だけでなく、契約そのものを、機材はリーシングをやめレンタル方式に切り替えるのです。 このように、契約先・仕入れ先の収益構造が見えるとコストが大きく下がります。そのために必要なものは、その業界の先を読む力、「先見性」です。電気・ガス・上下水道代は、取引量に応じた1年間の契約です。そこには契約条件の見直しの機会が常にあるのです。 契約あるところに交渉あり。あらゆる産業が自由化され、競争原理が導入される大きな流れの中で、経費が下がる可能性があります。積極的に情報を集め、すべての契約にもっともっとこだわりましょう。

風をつかんだ町

2007-07-30 00:08:25 | BOOKS
前田典秀 「風をつかんだ町」 風雲舎 2006.12.15. 

「再生可能エネルギー」とは風力発電や太陽光発電、バイオマス、水力発電など、自然の恵みで繰り返し再生されるエネルギーで、葛巻町ではこの「再生可能エネルギー」をいち早く「クリーンエネルギー」として捉え、町の再生を託すスローガンとしてきた。 袖山高原風力発電所は第3セクター「エコ・ワールドくずまき風力発電?」が事業主体となり、上外川高原の12基は、電源開発?が100%出資する「?グリーンパワーくずまき」が運営している。風力発電は合計で定格出力22,200kW、発電量5,600万kWhで、一般家庭16,600世帯分の電力を供給する能力がある。葛巻町の世帯数は3,000戸で、町の全世帯の消費電力をはるかに上回る電気を作り出している。 東北電力?と17年間の売電契約が結ばれており、袖山の3基は1kWhあたり売値平均11.5円で、年間2,300万円。上外川高原の12基は年間約5億円前後と推定される。 葛巻町には風力発電以上に重要ともいえるもう1つのクリーンエネルギーがある。生物に内在するエネルギーを活用するバイオマス技術である。12,000頭の牛がいる葛巻町では毎日約120トンの牛乳が生産される一方で約780トンの糞尿が排泄される(年間牛乳4万トン、糞尿28万トン)。牛の糞尿の成分は植物と水。バイオガスシステムはこうした有機物に富んだ牛の糞尿をエネルギーに変えようという取り組みである。 200頭の牛の糞尿から得られる電気は1時間あたり37kW。年間6,000時間稼働で20万kWhの電力が得られる。1kWh15円とすると300万円。これが現在、プラント建設費2億円とひきかえに生みだせる年間収入である。 人口が約535万人のデンマークでは、2005年8月未で5,325基、総設備容量約312万kWの風力発電機が運転されて、消費電力の約20%を風力発電でまかなっている。デンマーク政府は、風力発電機の生産、型式認証制度、補助金制度、系統連系システムなどの環境を整備するとともに、風力発電事業の主体者を明確に規定した。風力発電がたんなる投資対象にならないように、風力発電所を共同所有できる資格は、同市町村内に過去10年間に最低2年間居住した者とするなど、風力エネルギーは地元のエネルギー資源とみなす。その結果、風力発電所の8割近くが個人・共同所有の風力発電所となっている。 クリーンエネルギーで作った電力は電力会社がまっとうに買い上げる仕組みを法制化することが大前提だ。現在の売電価格は、太陽光発電の場合、1kWhあたり25円程度という状況である。日本国民は毎月、電源開発促進税を払っている。1kWhあたり40銭だが、これが国全体でおよそ4,000億円にもなっている。この資金をクリーンエネルギー開発にも回すべきだ。

ステルス戦闘機と軍用UAV

2007-07-29 00:40:28 | BOOKS
坪田敦史 「ステルス戦闘機と軍用UAV」 イカロス出版 2007.03.01. 

アメリカが極秘に開発した「ブラックプロジェクト」の草分け的存在が、U-2高高度偵察機だ。CIAの要求で、F-104戦闘機を大幅に改造して作り上げた偵察機である。1956年から就役し、ソ連上空で偵察飛行を繰り返すが、ソ連のレーダーに捕捉されていることが分かった。「U-2事件」として知られるように、1960年にソ連の地対空ミサイルによって偵察飛行中に撃墜される事件が起き、その反省を踏まえ、今度は高高度を超音速で飛行し、迎撃ミサイルを回避する戦略偵察機が必要となった。 レーダーに映らない飛行機を作れば、敵に不意打ちをくらわせることができる。しかし、飛行機はアルミ、チタン、ステンレス、鉄などの素材で出来ているため、電波は通さずに反射してしまう性質がある。敵はそれを検知して、「目標発見」と判断し、ミサイル誘導などに活用することになる。 敵のレーダー波を浴びてしまうことは、自分では防ぎようがない。しかし、そのレーダー波を敵に戻さなければ、敵のレーダーには映らず、「見えない飛行機」を作ることができる。そうであるなら、機体の外面でレーダー波を吸収してしまえばいいというアイデアで開発されたのが、電波吸収素材(RAM)である もう一つは、敵のレーダー波を浴びたら、その電波を敵に戻さず、別の方向へ飛ばしてしまえばいいというもので、F-117Aでは、機体の外面をすべて複数の平面(多面体)で構成している。「レーダー波を別の方向に返してしまう」方法は、もっとも効果的なステルスだが、胴体は流線形でも、翼が出っ張っていて、水平尾翼と垂直尾翼は弾き返す電波の量も多い。そこで、水平尾翼と垂直尾翼は無くしてしまおうという発想が生まれる。B12Aでは、無尾翼機(全翼機)という方式が採用された。F1117Aの場合は水平尾翼をなくし、「?」字型の垂直尾翼を採用することで、ステルス性を高めた。 RAMによってレーダー波をかなり吸収し、機体の形によってレーダー波を散乱させることができても、敵のレーダーに返っていく電波を0%とすることは難しい。レーダーは連続的に電波を出しているので、ステルス機といえども、当たりどころが悪ければ少しくらいは見えてしまう。しかし、一瞬だけレーダーに映っても、すぐに消えてしまえば、敵がロックオンすることができないため、脅威は激減する。ステルス機のコンセプトはそこにあるわけだ。 F-22Aは完全なステルス機ではない。F-117Aのような完全なステルス戦関機を設計するには制限が多すぎて、対戦闘機戦闘の任務をも担うマルチロールファイターには向かない。そのため、ステルス性を考慮しながらも、上昇、加速、旋回などの基本的な機動性に加え、兵器運用能力、生存性などが重要視され、最終的にF・15C/Dの後継機として最大の能力を発揮できるバランスが求められた。 アメリカ空軍はF-22Aラブターを当初750機程度導入する計画だったが、国防予算削減で、現在の装備予定機数は7個飛行隊分、179機となっている。大幅に減少したため、機体単価が高騰する結果となり、今後は輸出にも力が入れられると推測されるが、ステルス性能や搭載電子機器は、アメリカの同盟国であっても譲れない部分が多い。 F-22Aは1機およそ200億円と、F l15イーグルよりも高価な戦闘機となっている。アメリカ以外でF-15を導入したのは、これまでに日本、イスラエル、サウジアラビア、韓国だけで、輸出が解禁になったとしても、経済的な面でF-22Aを導入できる国はそう多くはなく、F-22Aの弟分として開発が進められているF-35のほうが安価で万能な機種として期待されている。日本の次期戦闘機計画(F-X)のようにF-22Aに関心を寄せて、導入に向けて本格的な動きを見せている国はまだない。


ウクレレ コンサート

2007-07-28 17:22:37 | NEWS


知人に教えられ、箕面市西南図書館へウクレレコンサートに出かけました。
ジミー・ミランダと岩田晶(bass)のお二人で約2時間、ハワイアンメロディーに浸り、またまた私のハワイ病が始まりました。もう2年程行っていないな。 
Jimmy Mirandaさんはハワイ島出身で、今は大阪の興国高校で料理を通して英語を学ぶというクッキング教室を持ってられます。辻調理師学校に通い、正式に日本の調理師免許を取得されたいる本格派です。頑張ってハワイアン料理を、いやウクレレをマスターしようかな。

東京 千住・深川物語

2007-07-28 06:21:57 | BOOKS
田中啓介 「東京 千住・深川物語」 現代書房 2006.05.01. 

スーパーマーケットといえば、過に何回か出かけてまとめ買いするのが普通だが、イトーヨーカ堂千住店では毎日、店を冷蔵庫代わりに足を運ぶ客が珍しくない。ここの場合、売上高の60パーセントが食品で、実用品が売り場の中央を占める。 ここはイトーヨーカ堂の1号店で、伊藤雅俊の叔父が1920年、浅草に開いた羊華堂洋品店が前身だ。戦災に遭って千住に移転し、蕎麦屋の店先のバラックを母ゆきさんが借りた。三菱鉱業に勤めていた伊藤が復員後、サラリーマン生活に見切りをつけて家業に加わった。 伊藤が株式会社ヨー力堂を設立した1958年にこの店がオープンした。北千住駅西口の駅前広場から国道4号日光街道に抜ける目抜き通りに面し、西口美観商店街の中ほどに立つ。大型店と商店街の利害はたいてい相容れないものだが、千住店の場合は事情が異なる。店長には、地域の商店主たちから酒席のお呼びがかかる。商店街の理事会に出席し、理事らの旅行にも同行する。商店街がワゴンセールを企画すれば、ワゴンを無償で貸し出し、景品抽選会の会場に店頭を提供する。地域の祭りや運動会にも店長はこまめに顔を出す。 千住店の店舗面積はイトーヨーカ蛍の全店舗約180店のうち下から10位以内だが、地域の商店街や町会とのつき合いに伴う諸負担金は2番目に多い。スーパー業界でこれほど地域に根ざした店はない。


吉本興業、カネの成る木の作り方

2007-07-27 09:19:34 | BOOKS
大下英治 「吉本興業、カネの成る木の作り方」 講談社 2007.01.29. 

「笑いの王国」の原形をつくったのは、吉本せいと林正之助、林弘高兄弟である。 林正之助にとって、はじめのうち、テレビでただで仁鶴の芸を見られては商売にならない、という杷憂があった。が、仁鶴の人気はそれを吹き飛ばした。仁鶴見たさに、劇場に客があふれたのである。仁鶴の人気は、昭和45年にひらかれた大阪万博ブームに乗り、爆発した。1,000人が限度の「なんば花月」に、なんと、1日8,000人もの客を呼びこんだ。 仁鶴が、正之助会長に認められたと感じたのは、吉本に入って15年経ってからだという。 落語家仁鶴に対し、漫才部門で、吉本興業をひっぱり、吉本の芸人として全国区になったのが、横山やすし・西川きよしコンビだ。当時、テレビに出ている漫才師は、かしまし娘、中田ダイマルエフケットをはじめすべて松竹芸能の芸人で、やすし・きよしは、たまに声がかかる程度であった。林正之助が八田竹男取締役を呼びつけて、「昨月の夕方、家で飯を食べながらテレビを見とったら、やすし・きよしとかいう活きのいい新人が出とった。どこの会社かしらんが、金積んでもええから、引き抜いてこい」「あれはうちの芸人ですよ」「そうか。そら知らんかった。あのコンビ、いけるかもしれんなあ。応援してやれ」正之助の後押しもあり、やすし・きよしの仕事は飛躍的に増えた。 平成17年度には「NSC大阪」と「NSC東京」を合わせると、1,200人の新入生が入った。吉本興業としては芸人育成のための機関であるため、ここで利益を出すつもりはない。ひと組でも売れっ子芸人が出れば、1年分の人件費をはじめとした諸費用分はペイできる。 30年前は、箱根の山を越えると、大阪の芸は、だれからも相手にはしてもらえない。真面目にそう言われていた。映画やドラマではかならずといっていいほど、脇役のひとりに大阪弁や関西弁を使った三枚目がいる。しかし、それが主役となると、拒まれる。そのような風潮があった。 それが、明石家さんま、島田紳助がMANZAIブームに乗って、東京に進出したことで変わってきた。大阪のお笑い文化が東京に浸透した。 いっぼう大阪では、吉本と松竹芸能にはっきりとした色合いのちがいがあった。ひと言でいえば、松竹芸能は、藤山寛美を象徴とする人情喜劇的な色合いが強く、段取りをきっちりと踏んで笑わせる。吉本はといえば、もう少し乾いた、笑わせて笑わせ倒す、ハチヤメチヤがあった。 東京所属の吉本興業の若手も、吉本興業の創業地である大阪の雰囲気をどこかで受け継いではいるが、東京と大阪が混じると同時に、テレビ業界でも人が入り混じる。日本はいま、それまで各地で独自に存在していた笑いの文化がかき混ぜられ、タレントの特色は薄まっている。 吉本興業の平成18年の連結決算は、売上高が462億円、本業の儲けを示す営業利益が、63億円となった。今後も、経営資源をタレントマネジメントやコンテンツ制作など中核事業に集中する方針だ。

放射能がクラゲとやってくる

2007-07-26 01:04:46 | BOOKS
水口憲哉 「放射能がクラゲとやってくる」 七つ森書館 2006.05.01. 

原子力資料情報室の資料では、再処理工場は基本的には大気中や海へ放射能を放出するとあります。放射能をどれだけ放出するかという管理目標値を青森県六ヶ所村の再処理工場を運転する日本原燃株式会社は政府に出しています。 実にすごい量を捨てます。原発は全国に55基あり、1ヵ所でも大変だと言っているのに、その原発1基が1年間に捨てる放射能を、たった1日で捨てるのです。 日本原燃は、廃液は大量の海水で希釈され、大量放出により施設周辺で受ける放射線量は約800分の1で、非常に少なく、岩手県沿岸では、さらに薄まると言っています。 1997年、グリーンピースが、フランスのラアーグの核再処理工場の放流管の放出口のところに潜水して採水しました。検査機関で分析したら、通常の海水の1700万倍の放射能が含まれていました。この採集した海水をヨーロッパ各国に配って検討してもらった結果、ヨーロッパの21ヵ国のうち10カ国が、再処理工場を運営しているフランスとイギリスに対して、再処理工場を止めるよう要請しています。フランスはラアーグ、イギリスはセラフィールドの2ヵ所の再処理工場から出る放射能で、ヨーロッパの北海のまわりは汚染が広がっているのですが、フランスとイギリスが強行して再処理工場を動かしているのが実情です。 岩手の人たちが心配しているのは、海に捨てたものがそのまま岩手の沿岸での汚染になることです。青森県で放出された放射性廃液は、薄まりますが消えることなく、そのまま岩手県の海へ流れていきます。いま問題になっているセシウム137というのは、半減期が30年で、プルトニウムの仲間には半減期が何万年というのがあり、放射能の効力はずっと続いています。消すことができないから、手に余って捨てているということです。 また、「海藻や魚に付着し、取り込まれ濃縮する」という問題があります。これは昔から言われている事実です。たとえばサケの場合、濃縮が100倍になります。薄めて1にしても、その海水中でサケが生活していれば、サケの体の中で100に濃縮され、そのサケを食べれば、体の中でもっと濃くなる。だから、薄めて流せばいいということではありません。 放流管の出口で、1万枚の合成紙の葉書を放流しました。葉書が行く場所には、放射能が行くということを知ろうとしてやった調査ですから、考えたらきついことです。この放流実験で房総半島まで流れて行くことが明らかになりました。 長近、イギリスでは、新しい放射能の制限値は甲殻類の漁業を滅ぼす可能性があると報じられています。もう漁業が危機です。そして、国が食べる量を減らしましょうと、食規制を始めています。また、セラフィールドの再処理工場の敷地にはカモメなどの海鳥が舞い降り、汚染が広がるから来た鳥を全部射殺して、地下の倉庫に溜めてあるが、その処理に困るということが書いてありました。


夢を食いつづけた男

2007-07-25 00:02:46 | BOOKS
植木 等 「夢を食いつづけた男」 朝日文庫 2007.04.13.

昭和34年、フジテレビの「おとなの漫画」という番組がスタートした。クレイジー・キャッツの一員として、日曜から土曜までの昼、この番組に出ていた。 そうこうしているうちに、36年、突然、「スーダラ節」という歌を歌えといわれた。作詞は青島幸男である。歌詞を見ると、コミック詞だ。「こんな馬鹿な歌が歌えるか」と断り続けたがねじ伏せられて、その年の夏、半袖シャツ、ステテコ、腹巻き、ゴム草履といういでたちで録音した。 この歌の反響は大きく、あの男を主役にして映画を撮ろうと東宝が出演依頼に来た。「おやじ。えらいことになったよ。俺、『日本無責任時代』って映画で主役を演ることになった」ところが、おやじは渋い顔で言ったものだ。「そんな映画、誰が見るものか」 しかし、おやじの予言に反して歌も映画もヒットした。こうなると、おやじは、しろっとして「だいいち『日本無責任時代』というタイトルが面白いからなあ。それに『スーダラ節』の文句は真理を突いているぞ。青島君は良いところに気がついた。あの歌詞には、親鸞の教えに通じるものがある」「へえー、どこが親鸞に通じているんだい」そう聞くと、おやじは言った。「わかっちゃいるけど、やめられない。ここのところが人間の弱さを言い当てている。親鸞の生き方を見てみろ。葷酒山門に入るを許さずとか、肉食妻帯を許さずとか、そういうことをいろいろな人が言ったけれど、親鸞は自分の生き方を貫いた。おそらく親鸞は、そんな生き方を選ぶたびに、わかっちゃいるけどやめられない、と思ったことだろう。うん、青島君は、なかなかの詞を作った」 柳の下に5尾、10尾の泥鰌を求めるのが映画界。「日本無責任時代」の「日本」と「無責任」を別々にして「日本一」と「無責任」とを題名に折り込んだ2種類のシリーズの映画を次々、製作した「日本一の色男」「花のお江戸の無責任」「無責任清水港」「くたばれ無責任」など、合計何十本も振りまくったのである。

筆跡鑑定ハンドブック

2007-07-24 06:21:25 | BOOKS
魚住和晃 「筆跡鑑定ハンドブック」 三省堂 2007.07.15. 

世界のすべての国が、サインをもって自己を証明する手段としている中で、日本だけが印鑑を、自己を証明するための最重要事に位置づけている。銀行で預金をおろすための書類では、サインは同一でなくても印鑑が一致すれば有効となり、別人であっても通帳と印鑑さえあれば、預金を引き出せるしくみになっている。 では、この印鑑の真贋を銀行はいかに鑑定しているのであろうか。実は、銀行員が銀行の原簿に控えられた届け印と同一であるかどうか照合しているだけで、きわどい真贋の見分けなどは、全く意中になく、印鑑鑑定士も存在しない。 最近、ある裁判に提出された筆跡鑑定書に付された鑑定者の経歴書を見て驚いた。その鑑定者は昭和37年4月に大阪府警察本部科学捜査研究所に配属され、昭和61年に退職するまで事件に関する文書鑑定の業務に専従。その24年間に4,000件以上の筆跡、印影、印刷、不明文字検出などの文書鑑定に携わったという。1年平均166件強、2日に1件以上のペースだ。 科捜研を退職後、民事事件の文書鑑定を専門とする民間業者となり、平成14年7月までの16年間に約1,400件の鑑定に携わったという。1年平均87件、1件を4日で処理していたことになる。 そもそも筆跡鑑定士に国家試験などの資格制度はなく、鑑定の仕方にもなんら制度的な規準は定められていない。つまり法廷における筆跡をめぐる裁判は、国家資格に拠らない筆跡鑑定士が、国家規準に拠らない各自の方法で作成した鑑定書によって争われているのが日本の実情だ。 たとえばDNA検査であれば、一部の不一致を見るだけで、これを異なると判定し、声紋にしても一部の差異が認められれば、そこに疑念が注がれるに違いない。実際、四文字による署名があったとして、その中で一文字でも筆跡原則の異なる字が混じっていれば、本人筆跡とは断じがたい。しかし、裁判官は四文字中の二文字が合えば五分五分と見るのである。こんな馬鹿なことがあっていいのか。人間の個々の筆跡には必ず個々に不一致があるわけだが、本末転倒の判決が下される可能性を、現行の裁判は少なからず残している。 今日の法廷では、証拠資料はことごとく裁判所に提出されて、コピーでの鑑定では筆圧とその変化、線質など多様な要素が劣化してしまう。筆跡にかかわる裁判においては、裁判所が筆跡をデジタル化した資料を、原告、被告両者に提供するなど制度を緊急に改善すべきだ。そして、鑑定が同じ方法と条件によってなされることが必要であって、鑑定士の力関係によって軍配が上がるようなことはあってはならない。



(コメント)今マスコミで話題になっている京都の老舗、一澤帆布のお家騒動は、故人となった先代一澤信夫翁が生前に弁護士に託した遺言書と、その2年余り後に長子が先代から託されたという遺言書の内容が著しく異なることから、次子が長子所有の遺言書を偽造として訴えた事件である。 この2つの遺言書は、いずれも先代が脳梗塞を発した後、次第にその症状が深まる経過の中で書かれたもので、脳梗塞による身体的障害がいかに筆跡に影響を与えていくかが鍵を握る筆跡裁判である。 S氏が鑑定対象とした筆跡は、一澤信夫翁が満81歳(平成9年)から84歳(平成12年)にかけて書かれたもので、しかも信夫翁は平成8年2月に軽い脳梗塞を起こし、平成10年6月にS状結腸癌の手術を受けてから体調が低下して、平成13年3月15日に他界している。平成12年の筆跡とは3月9日付で書かれた一澤信太郎氏提出の遺言書である。これを「40歳、50歳を過ぎた年輩者では、ほとんど筆跡特徴は変わらない」との理由で、平成9年12月12日付の遺言書と同筆であると見なしている。信夫翁は同年8月25日と10月23日に記した筆跡を最後として信夫翁は筆を絶つ。信夫翁は長期間にわたって日記を書き続けており、また達筆で知られていた。運筆が蛇行し震えわななくようになっていることから見て、この10月23日以降の筆跡が全くないということは、筆跡を書する能力がこの時点を境に失われたと見なすことができよう。 ところがS氏はこれらを「従って、記載時期の違いによって運筆特徴が変わっているのではないかという危惧は全く不要である」と断言している。S氏は平成12年3月9日付の筆跡と8月25日付および10月23日付筆跡との明白な相違をどう説明するのであろうか。事実、京都府科捜研のT氏は鑑定書において、これをさえ類似筆跡と見なしている。 科捜研では、日夜このような常識で鑑定を行なっているのであろうか。ふつう40~50歳といえば働きざかりだが、80歳ともなればぐっと体力が落ちる。しかも、この書者は脳梗塞をはじめ、S状結腸癌の手術をし、平成11年2月には歩行障害が発し、5月には嚥下障害、7月には陳旧性多発性脳梗塞を発症している。つまり、最晩年に見られた運筆の震えやわななきは、大脳運動野の変異を表しており、まさしく筆跡の内在性の変異以外の何ものでもなく、科捜研の筆跡鑑定に疑問をもたざるをえない。


北朝鮮・驚愕の教科書

2007-07-23 03:36:16 | BOOKS
宮塚利雄・宮塚寿美子 「北朝鮮・驚愕の教科書」 文春新書 2007.02.20. 

北朝鮮は全社会の文化技術水準を高めるために「全般的無償義務教育制」を実施している。「朝鮮民主主義人民共和国教育法」第2章第16条に、「教育機関は学生または彼らの父母や保護者から入学、授業、実習、見学、踏査と関連した料金をとることはできない」と定めている。しかし、実情は教科書や学用品は個人が負担で、完全なる「教育の無償制度」ではない。 北朝鮮の小学校の教育期間は4年間、同じ教師が担任にあたる。2006年2月に入手した「成績証(通信簿)」によると、授業科目は「敬愛する首領金日成大元帥様の幼児期」「偉大な領導者金正日将軍様の幼児期」「抗日の女性英雄金正淑お母様の幼児期」「国語」「数学」「自然」「衛生」「音楽」「体育」「図画・工作」のほかに「社会主義道徳品性」などがある。 小学校1年生から4年生までの国語の単元(項目)数は、総数で248。このうち「金日成大元帥様」と「金正日元帥様」の個人崇拝や神聖化に関する単元数は148、これに金正淑や金日成の父母や叔父などを扱った単元が20近くあり、金一族の記述だけで約7割ちかくになる。このほかに社会主義農村や朝鮮労働党、地主を扱った単元が15、悲惨な南の地を扱った単元も5あった。 小学校の授業は月曜日から土曜日までで、土曜日は「生活総和」の時間がある。これは1週間の生活の反省と、来週の生活に対する決意と覚悟を述べる時間で、自分以外の学友の生活態度も批判しなければならない。 北朝鮮は「教育と労働」の義務を定めている。小学校で2~4週間、中学校は4~10週間、大学生は12週間。とくに中学生や大学生たちの勤労支援活動は、北朝鮮経済の中で重要な部分を占めている。 小学生はくず鉄拾いや、古紙回収などが主であるが、食糧不足が深刻になってきてからは、学校での「ウサギの飼育」が重要な義務労働の1つになって、小学生や中学生を動物観賞の名のもとに、「草を肉に代える」食糧増産運動に駆り立てている。1年のうちで3ヵ月は動員にかけられる。 また、「南の地(韓国)」では、子供たちが学校にも行けない、悲惨な生活を強いられているのに、北朝鮮の子供たちは何不自由なく、幸せな学校生活を過ごしているといった単元もある。当然、韓国から北朝鮮へ教科書の用紙が寄贈されていることは、知らされていない。