竹林の愚人  WAREHOUSE

Doblogで綴っていたものを納めています。

株主価値を超えて

2005-03-30 21:42:43 | NEWS
西岡 幸一 「会社とは何か」日本経済新聞 2005.03.30.

土地を信用の基盤にした日本的経営システムから、普遍的な市場主義経済へ会社という組織がふるいに掛けられている。
上場企業経営者に真っ向から刃を突きつけてきたライブドア。見かけのドライな行動ほどには経営では論理的ではないソニーに比べ、明確に資本の論理、株主の権限を行使する。堤王国が支配通貨を土地から生みだすに対して、株式市場からひねり出す。事業拡大の正攻法とともに人員の削減、コスト計上の先送り、研究開発の圧縮などあの手この手の収益押し上げ法を駆使して、株価を引き上げる。

視聴者のみなさまへ

2005-03-29 23:35:39 | NEWS
多メディア・多チャンネル時代を迎え、社会に情報があふれる中で、NHKは、これからも”よりどころ”となる正確で迅速なニュースや生活の役に立つ番組、心を豊かにする質の高い番組をみなさまにお届けしていきます。 これからも、NHKへのご理解とご支援を、なにとぞ、よろしくお願い申しあげます。 

おっしゃるように現在は多メディア・多チャンネル時代。もはやNHKさんだけに頑張って頂かなくとも足りています。世界が見向きもしないデジタルハイビジョンに多大な投資を行い、テレビの買い換えを率先して強要しないでください。新技術の導入イコール質の良い番組とならないことは今までさんざんNHKさんが証明してきたではないですか。

江戸人とユートピア

2005-03-27 17:09:31 | BOOKS
日野 龍夫 「江戸人とユートピア」 岩波現代文庫 2004.05.18.

荻生徂徠門下の漢詩人服部南郭(1683-1759)。近世中期以降、身分制度の固定化のもと。現実社会に志を得ないと不満をかこつ知識人の間に、詩文・南画・篆刻等々の趣味の世界に遊ぶ文人意識が一般的になる。南郭はそのような生き方を実践したもっとも早い一人。儒をもって門戸を張る能力に恵まれながら、あえて活動を詩文の分野に限定し続けた。
「神仙伝」に、壺の中に仙境が開けているという「壺中の天」という話がある。人は、ユートピアに遊ぶ空想を解放するため、小さな空間に自己をことさら密閉してしまいたいと考える。そこはほしいままの情緒の陶酔を許容することによって、被害者意識をいたわる世界。そこへ出てゆくものではなく、そこへ帰るものであるから、それはまさしく壺の中にある。壺とは母親の子宮であって、そこでは傷ついた心をいやしてくれる。
人は生きている限り虚妄から離れられない。

会社とは何か

2005-03-27 11:57:19 | NEWS
塩田 宏之 編集委員 「会社とは何か」 日本経済新聞 2005.03.25.

商法で社員は株主を指し、使用人である従業員とは厳然と区別されている。
賃貸対照表にも社員の価値は載っていない。損益計算書のコストとして認識できるだけ。自らを社員と云い、会社の一部と信じていたのは幻想だった。

これからは社員とは名乗らず、使用人と云うことにしよう。

眠るピアノ、目覚まし演奏2000台

2005-03-17 21:17:18 | NEWS
河野康弘 「眠るピアノ、目覚まし演奏」 2005.03.17. 

日本経済新聞1991年の湾岸戦争。汚れる海、燃える大地、苦しむ人々、生き物。
我が子と同じくらいの幼い子ども達が巻き込まれているのを見て、ジャズピアニストの自分に何かできることはないか。何かしたい。そんな折、新聞で「休眠ピアノ」の話しを知った。
日本には約600万台のピアノがあるが、450万台は使われていない。もったいない。
ピアノは森から木々を伐採して作る。だから、木で作ったピアノには100年以上の寿命がある。100年間美しい音色を享受しなければ、森にも申し訳ない。ピアノを生かす。それなら、私にも出来ると始めたのが「お目覚めコンサート」。募金を集め、眠っているピアノを国内外の学校や施設などに贈る活動もしてきた。

何年も眠ったままのピアノ、かわいがって100年の寿命をまっとうさせよう。

◆編集権「報道の自由」の徹底こそ

2005-03-08 21:33:23 | NEWS
花田 達朗 東京大学大学院情報学環教授(メディア社会学)朝日新聞 私の視点 
◆編集権「報道の自由」の徹底こそ 2005.03.08.

昨年9月衆議院総務委員会の海老沢前会長招致をNHKは「編集権」を盾に中継しなかった。
1月政治家に番組内容を事前説明するのは「当然」と関根前放送局長が発言。両者は根底でつながっている。
「編集権」は冷戦時代、GHQの指導で日本新聞協会が出した「編集権声明―新聞編集に必要な一切の管理を行なう権能」とされた自主規制。NHKは予算と決算が国会承認事項。政権与党に“政治的人質”を取られ、政治家への事前説明を「通常業務」と考える体質のなか、「メディアへの介入」意識が希薄となり、「圧力」はなかったことになる。「編集権」と「報道の自由」が混同され、ジャーナリストの仕事に枠がはめられている。これはメディアの健全な姿ではない。

自ら足枷をしながら報道の自由を語る愚かな報道機関をもうこれ以上継続させる道理がどこにあろうか。