鯖田 豊之 日本人の戦争観はなぜ「特異」なのか 主婦の友社 2005.08.20.
わたしたち日本人は、なにかむつかしいことにぶつかると、しばしば、「死んだつもり」でやりぬくといったりする。しかし、考えてみれば、ほんとうに「死んだつもり」になったりしたら、何でもできるはずはないと思う人種があっても不思議でない。それが欧米人である。かれらにとって、「死んだつもり」の人間など、魂のぬけた廃人にすぎない。
日本人が「死んだつもり」なら何でもできると信じるのは、死が決して嫌悪と憎悪の対象でなかったからである。ときには、死は執着と尊敬の対象になりかねない。そうした死をわざわざえらびとる自殺が、美しいもの、崇高なものとみ苦れるのも偶然でない。
わたしたち日本人は、なにかむつかしいことにぶつかると、しばしば、「死んだつもり」でやりぬくといったりする。しかし、考えてみれば、ほんとうに「死んだつもり」になったりしたら、何でもできるはずはないと思う人種があっても不思議でない。それが欧米人である。かれらにとって、「死んだつもり」の人間など、魂のぬけた廃人にすぎない。
日本人が「死んだつもり」なら何でもできると信じるのは、死が決して嫌悪と憎悪の対象でなかったからである。ときには、死は執着と尊敬の対象になりかねない。そうした死をわざわざえらびとる自殺が、美しいもの、崇高なものとみ苦れるのも偶然でない。