パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

発信する方も受け取る方も、極論を楽しむのは良くない

2023年11月12日 09時22分56秒 | あれこれ考えること

「寛容は自らを守るために不寛容に対して寛容であるべきか?」
この問は一部の人にとっては有名な問らしい

表現の自由についてもこれと似た問題が時々見られる
ヘイトスピートをしてならない!という人に対して
「ヘイトスピーチをするのは表現の自由で守られている」
の反論がそれだ

このような「ああ言えば、こう言う!」が
単なる言葉の上の解釈で終わるならばその反論は成り立つが
人としての感情・常識を持つならば、それは受け入れがたい

実際にフランスでは法的に(?)「ヘイトスピートをする自由はない!」
とされているようだ
そして、そう言い切ることは、何もかもが曖昧な日本と比べると
そのようなことをを決めている事自体が面倒な国だなと思う反面
はっきりしている分スッキリする
どうやら自然法的な人ならば自然に持つであろう感情・倫理観による
判断が明文化されているようだ
この常識的な判断とか発言が、今の世の中は蔑ろにされていないだろうか

先日の大谷翔平さんが日本の小学校に野球グラブを1校当たり3個寄贈する
報道を受けて、何でも文句を言いたい人は
「3個じゃ足りない、他の6人はどうするのか、大谷はケチだ!」
とSNSで発信したらしい

理屈の上では彼らの発言は完全に間違いではない!と言えるかもしれない
だが、わざわざそれを言うか!という気持ちが湧いてくる
(そんなことは言わなくて済むことなのに、、、)
そして少し残念なのは、これらの発言を面白がっている人たちが
相当数いるという現実だ

ディベートの技術的な手段ではなく、人としての感情・倫理観に基づいて
安易に思いついたことを口にしない!
ということが最近の世の中はできていないような気がしてならない

ということで、本当に最近は余裕のない世界になっている
その余裕の無さは、分厚い中間層がいなくなった経済的な不安から来ているのか
それとも別の理由があるのか、、
きっと複合的な理由なのだろうが
「極端でない意見は注目されない」傾向のある今の社会は
少しばかりよろしくないと思えてしまう

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何十年ぶりの校歌

2023年11月11日 18時59分18秒 | ダイアリー

今日は土曜日だが、子どもたちはいつものように
先頭から一番後ろまでだいぶ離れて歩いている
その中のひとりに「今日は何時からスタート?」
と聞いてみると「分からない!」の答え
小学生ならこんなものなのだろうか、、と少し驚く

今日は小学校のスマイル・フェスタの日
昔は学芸会、ちょっと前は学習発表会という名前で
地元の人に親しまれてきた行事の日だ

「見に行くからね!」
と子どもたちに告げて、ルーティンの家事を済ませ
9時頃に小学校に出かけた
始まりは9時位で始まったばかりだった

スマイル・フェスタは運動会のスポーツ・フェスタ同様に
いろんな行事が同時進行している
1年から6年までクラスごと学年ごとに
自分たちが考えた(選んだ)出し物を親とか祖父母と
一緒に楽しむ様になっていた

じゃんけんをしたり、何かを作ったり、実験したり、、
どうしても気になるのは近所の子の様子
あちこちに貼られた行事予定を見て彼らを探す

3年生が広場で歌を歌ったり笛を吹く行事があった
まずはこれから!
と親御さんたちと並んでいるとAちゃんが見える
Aちゃんもこちらに気づいたようでお互いに手をふる

3年生になるととにかく大声を張り上げて歌う
ということはなくなっている
それでもまだ穢れを知らない感じは十分に感じられる
(数年前の一年生の歌は汚れがなくて涙が出てきた)

歌や演奏だけでなく、みんな一言だけ声を発するコーナーが有る
Aちゃんは大丈夫かな!と少し心配になるが
本人のほうがあっけらかんとしている

この行事の最後に校歌が歌われた
聞いたのは本当に久しぶりだった
校歌は小学校、中学校、高校と歌ってきたが小学校の校歌が一番好きだ
それは6年間という長い時間歌ってきたからではなくて、
メロディとか音楽性が一番高い気がしている
あるときこの校歌を他市の人に聞かせたところ「いい歌だね!」
と評価されたこともあった

「本当に久しぶりに校歌を聞いて懐かしかった」
月木の朝には校門で少し会話する校長先生に話しかける
「僕たちが小学生の時は1番は男子だけ、2番は女子だけ
 3番はみんなで歌ってたんですよ」
「へえ、そうなんですか、知らなかった」
「今は男と女の区別しない、こういう時代なんでしょうね」

ブラジルにルーツを持つ近所のLくんは、少しばかり心配したが
土曜日に登校するということが理解できていなかったようで
姿は見えなかった
彼は9月に来たばかりで日本語もまだまだだで
親御さんに行事予定のプリントを渡しても理解できないからだろう
でも、先日下校時に会った時は「おかえり」に
「ただいま」の返事ができていた

今日は、とりあえず近所の子は全員見つけスマホで写真を撮った
やはり見てもらえると嬉しいようで、どこにいるか気づかないでいると
「おーーい!」と声をかけてアピールする子もいた

それにしても、久しぶりに校歌を聞けたのは良かった

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大谷翔平さんと藤井聡太さん

2023年11月10日 09時46分11秒 | ダイアリー

大谷翔平さんが日本の小学生に自分の使っているグラブ同じものを
1校あたり3つ、合計で60,000個寄贈するというニュースが流れた
右利き用が2つ、左利き用が1つとのことだ
品のない話だが、すぐにこの費用はどのくらいかかるのか計算をした
60,000✕10,000円(くらいかな)で600,000,000円
ゼロが8つでこんな大きな数字は実生活にはお目にかかったことがない
いち、じゅう、ひゃく、せん、、、と数えていくと6億という数字になった

とんでもない数字だ
彼はグラブの写真と「野球をしようぜ!」とコメントの入ったSNSを投稿した
彼の収入からすると負担のない金額かどうかは知らないが
フト感じたのは、大谷翔平さんは野球が大好きなんだな!ということ
自分が大好きな野球を日本の子どもたちもやって欲しい
その単純な思いからの行動だと思われる

大谷さんと同様に自分の係るものが大好き!と実感するのは将棋の藤井聡太さん
彼は将棋が大好きオーラが滲み出ている
勝負事だから勝ちに結びつけたいと思っているだろうが
勝ち負けよりももっと別の何かを求めているようだ

8冠を獲得した時の中日新聞の号外には彼の言葉が掲載されていて、興味深かったのが
「(将棋の)神様がいるのなら1局、お手合わせをお願いしたい」の言葉
これは彼の本当の気持ちなんだろうな、、、と勝手に納得してしまった

大谷さんも藤井さんも自分の関わっているものが大好き
その大好きさ加減は群を抜いているようだ
そんなに好きなものに出会えて彼らは幸せなんだろうと思う

話は変わって「暇と退屈」がシニア層の問題点らしい
ただただ過ぎていく時間を惰性的に生きるより
生産的でないとしても、こうした好きで仕方ないものが
自分のなかにあるということは、きっと良いことだろう

ところで、自分は何が好きか?
うっすら感じているものはあるが、うーーん!





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オタクの入り口にいる、大好きなブルックナー交響曲8番

2023年11月09日 10時54分23秒 | 音楽

ドイツ・オーストリアの有名な作曲家を表す3Bという言葉がある
バッハ、ベートーヴェン、そして一般的にはブラームスが挙げられるが
個人的には最後のひとりはブラームスではなくてブルックナーだと思う

ブルックナーに触れたのは高校時代
レコード店でブルックナーの9番の交響曲とマーラーの一番(巨人)の
レコードのどちらかを購入しようと試聴したのが最初だった
お互い数分だけ聴いたのだが、すぐにブルックナーの響きに魅せられてしまった

このカラヤン指揮、ベルリン・フィルの9番の交響曲を
知人にもこんなにすごい曲があるのだと、、紹介したこともあった
(自分ほど感激しないのが大半だった)

世間で一番嫌いな作曲家のアンケートをすると、ブルックナーは何年も連続で
トップを独走しているそうだ
ブルックナー好きには信じられないことだが、なんとなくその気持もわかる
情緒的な表現があまりなくて、感情に訴えなかったり
何がしたいのか分からず途方にくれる気持ちになるのは想像できる

でも良いんだな、、ブルックナー
古今東西の交響曲で一番聴いているのがブルックナーの8番
これはオタクの世界の入り口くらいにいる

レコードとCDでは
フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィル交響楽団1949年録音
フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団1944年録音
カラヤン指揮 ベルリン・フィル交響楽団 1967年録音
カラヤン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1988年録音
クナッパーツブッシュ指揮 ミュンヘンフィル交響楽団
シューリヒト指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ジュリーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ヨッフム指揮 ドレスデン交響楽団
テンシュテット指揮 ロンドン交響楽団
バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団
クレンペラー指揮 ニューフィルハーモニア交響楽団
朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
チェルビダッケ指揮 ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団
ハイティンク指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団
シモーネ・ヤング指揮 ハンブルク交響楽団
エリアフ・インバル指揮 フランクフルト放送交響楽団
ブーレーズ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団
ギュンター・ヴァント指揮 北ドイツ放送交響楽団
ギュンター・ヴァント指揮 ベルリン・フィル交響楽団
ミヒャエル・ギーレン指揮 バーデンバーデンシンフォニーオーケストラ
思いついただけで20種類ほどある
この他にピアノ二重奏に編曲したものがあり
オルガンに編曲したものもある

実演では
ギュンター・ヴァント指揮 北ドイツ放送交響楽団
ズービン・メータ指揮 イスラエル交響楽団
朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
ティーレマン指揮 ウィーン・フィルハーモニー交響楽団
ズービン・メータ指揮 ベルリン・フィル交響楽団

この曲をなぜこんなに聴き比べているのかといえば
まずは聴き比べをしてしまう第3楽章のせいだ

この楽章は本当に大好きで、一楽章だけで25分くらいの曲
この音楽がなっている時の時間の経過は、早いんだか
長いんだか、、途中で時間感覚が変になってしまう
哲学的な思索とか、時の流れを一部切り取ったかのようであったり
草花が咲き乱れる自然を思い浮かべたり、寂寥感を覚えたり
楽章が終わるとフッと我に返るような気持ちになる

これらの多くの演奏を印象として全部を語ることはできない
でもお気に入りは
実演では圧倒的にヴァントの北ドイツ放送交響楽団のが良かった
いつも聴ける録音媒体では現時点では
フルトヴェングラー指揮の1949年 ベルリン・フィル管弦楽団
ギュンター・ヴァント指揮のベルリン・フィル管弦楽団が好き

それにしても、なんでこの曲がそんなに好きなのだろう?
(好きには理由が必要ないかもしれないが)










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「I miss you」の解釈(翻訳)は、、、

2023年11月08日 08時45分39秒 | 徒然なるままに

ビートルズの「ナウ・アンド・ゼン」を聴いたファースト・リアクションが
世界中のYoutuberからアップされている
日本でもさぞかし話題になっているだろうと思いきや
音楽関連の関心事はBTSの楽曲が上位を占めていているらしい
どうやらこれが現実のようだ

この曲はビートルズをリアルタイム応援していた人にとっては
思わず泣いてしまったという報告が多い
感情を揺さぶるのは音楽の為せる力の一つだろう
そしてその感情は人に優しくしたり、思いやる心を育む

悲しい曲というのはみんな感じている
この曲はなにかの但し書きに「to Paul」とあったそうだ
失恋の歌かと思ったらそうではなくて、仲違いをして離れてしまったことを
寂しく思って歌った曲ということらしい

歌に「I miss you」という言葉があり、これは重要な言葉だ
これを日本語翻訳サイトを利用して2.3調べてみると
「会いたい」とか「寂しい」とでてくる
そこで、どちらのほうがしっくり来るか想像してみた
個人的には「寂しい」の方だ
君がいなくて寂しい、、
理屈の上ではこうだが、「君がいなくて」は言わずもがなで
シンプルに「寂しい」としたほうが個人的にはしっくり来る

ということで高校時代に教えてもらった「I miss you」の意味(寂しい)を
振り返ってみた


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怪しいメール(闇バイトの誘いか?)

2023年11月07日 09時26分05秒 | ダイアリー

プロバイダーの迷惑メール対策を利用しているが
時々、好奇心からどんなものが来ているか確認したくなる

迷惑メールで隔離されるのはドメインに「.com」とか「.nz」とあるのもので
それらはウエブ上の迷惑メールフォルダからすぐに削除してしまうが
今朝、常識的な人間ならタイトルで怪しいと感じるものもあったので
ウエブメールで覗いてみた
(PCのメールとしては受け取っていない)

それがこれだ

いかにも怪しい
第一に、一日に7〜8万円稼げるというのが話がうますぎる
こういう場合は危なっかしい仕事に違いないと考えるのが
社会を経験してきた人間の知恵
ここに書かれたモールの商品売上のために仕事が本当か怪しいものだ

世間では闇バイトに応募して短期でお金を稼ごうとする人がいると
話には聞いてきたが、それを募集しているもの(メール)を見たのは初めてだ

これらのメールは適当に数多く送っておいて、
そのうちの一つでもひっかかれば良しと考えてしてるものだろう

それが自分のメールアドレスに来ているのは何故か分からないが
つくづく、世の中にはひっかけと言うか落とし穴はあるものだ

これらに騙されぬように正しい判断をするには
ベースに常識的な思考をすること(うまい話はない)が大事だと思われる

それにしても、嫌な世の中になっている

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やっと聴く気分になったユーラ・ギュラーの32番のソナタ

2023年11月06日 09時38分14秒 | 音楽

ビートルズの「ナウ・アンド・ゼン」を聴いた感想を
世界中の人がYoutubeにアップしている
そうせずにはいられない気持ちはわかる
コーラスはビコーズから取り出したものとか
エリナー・リグビーからもサンプリングした部分があるとか
語りたい人は幾つでもネタが出てくるようだ

音楽を聞くのは車の中では聞き流しだが
普段は真面目に音楽に集中する聴き方をしている
それでないともったいない気がしている

真面目に聴くと作曲者の意図とか演奏者の気持ちとかが
脳内に湧いてきて、それは間違いのないものと思えてくる
この感覚こそが聴いている充実感だ

先日手に入れたユーラ・ギュラーのベートーヴェンの32番のピアノソナタ
やっと襟を正して集中して聴ける気持ちになったので聴いてみた


最初の和音が力強い
録音レベルのせいもあるだろうが、女性の音とは思えないほどの力強さだ
この音だけでその先が期待できた
この演奏は弱音(ピアノ)がとても効果的で、今まで聴いてきた演奏より
多様な表情があった
力強い打弦はアルゲリッチもそうだが、ユーラ・ギュラーのほうが
作品に内蔵されている力を現している気がする
そして曲全体を大きく把握している感じがフルトヴェングラーの
把握の仕方と似ているような気がした
どちらとも巨大な何かを感じさせる
(二人の現役の時代はそういう傾向の多い時代だったのだろうか)
ベートヴェンは晩年になって枯れていくのではなく
もっと巨大な構成的なものを作っているのだと思える

一楽章は弱音で終わるが、第2楽章の始まりとのつなぎがすごく自然でいい
薄明かりの中からそっと始まるような音楽
頭の中はもう少し人生を振り返るようなイメージの音楽を予想していたが
真面目に聴いていると、そうではないことがわかる
あくまでも音楽自体の秩序の中で、いろんな作曲上の技術を用いて
完成度の高さを感じられるような演奏にしている

演奏は部分部分の印象が記憶されることが多いが
この演奏では最終的に記憶に残っているのは
打弦の力強さと、弱音のニュアンスの効果的だったことと
曲の把握が大きくなされていたことと、ベートヴェンは晩年だからといって
枯れたものを創造したのではなく、むしろ巨大なものを作ったのだといった
上記にあげた印象だ

だがこれらは全く個人的な印象に過ぎない
特に一般化する必要性もないので、ただそう思っただけで終わる世界だが
それでも豊かな経験をした実感は記憶されている

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「ナウ・アンド・ゼン」を聴いて(何か語りたい人々がいる)

2023年11月05日 08時27分36秒 | 音楽

音楽を聴く楽しみは、音に身を任せている時に訪れる情緒的な感情とか
不意に蘇ってくる記憶や、羽ばたく連想などを味わうこともあるが
聴いていた(体験していた)音楽を語ることもその一つだ

音楽の体験を自己完結せずに、他の誰かと語り合うことは
きっと精神的にも社会的にも良い影響を与えるだろう

ビートルズの新曲「ナウ・アンド・ゼン」が世界中で聴くことができるようになった
早速、ちょいと姿勢を正して聴いた
The Beatles - Now And Then (Official Audio)

ジョン・レノンの作りそうな、彼の声にピッタリの情緒的な曲で懐かしい!
そんな思いが第一感
この曲はジョン・レノンの他の曲のどのジャンルに入るのだろうかとか
ドラムがリンゴらしいなとか、コーラスグループとしてのビートルズを
再認識するとか、どこか透明感のある曲になっているな!とか
ナウ・アンド・ゼンと歌うところの転調がビートルズっぽいなとか
つまりは誰かに話しかけたい気持ちになっている自分がいた

Youtubeでもこの曲について語る(語りたい)動画がいくつか出ている

zappy chanel
ビートルズ最後のシングル曲 Now And Then が遂にリリース~ファンからの感謝メッセージ

みのチャンネル 
(ビートルズ最後の新曲「Now And Then」解説)

この曲はマニアが全く聴いたことのない曲ではなくて
アンソロジー(3)に収録されていた曲だそうだ
最新のAI技術を使って完成されたことは、耳にタコができるほど見聞きしているが
ジョン・レノンの歌っているデモテープの原曲とは少し違うところがある
それはデモテープにある中間の部分で、そこには冒頭のメロディとは違うニュアンスの音楽がある
ジョン・レノンとすればその対比が効果的と思ったのかもしれない
だが、あのままだと完成度は低くて、ビートルズの作品として表に出るのは
もう少し何かいじらないと駄目かな、、とも思ったりする

結局、多分ポールの判断でその部分はカットして、
冒頭のイメージで統一感を持つようにしたらしいと動画は伝えている(zappy chanel)

ポールにも大きなコントラストではなくて、冒頭のイメージをキープしている
情緒的な楽曲がある
それは「マイ・ヴァレンタイン」で、この曲とジョンの「ナウ・アンド・ゼン」は
2つの才能の個性の違いがわかる

マイヴァレンタインはこんな曲
Paul McCartney - My Valentine (Official Music Video)

それにしても、ジョンもポールも凄いな、、
と改めて思う

数年前公開された映画「イエスタデイ」では
エド・シーランがビートルズのポール役の人物と即興での楽曲作りを競った場面で
エド・シーランは「サリエリとモーツアルトとの違いがある」
と自らをサリエリに例えて負けを認めたシーンがあったが
不意にこのエピソードを思い出した
彼ら二人は、、いやもしかしたらメンバー4人が同時期に一緒に活動したのは
歴史の気まぐれのような気もする

 

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買いそびれたCDを中古で購入(32番のピアノソナタ)

2023年11月04日 11時42分56秒 | 音楽

アマゾンでいつでも買える!
と思い、ほしいものリストにあげていたが
いつの間にか購入できなくなっていたCDが
中古品として購入できるようになって急いで手に入れたのがこれ

ユーラ・ギュラーの演奏するベートーヴェンの31番と32番のピアノソナタ
特に32番のピアノソナタは大好きな曲でレコードではバックハウス
ミケランジェリ、ポリーニ、アラウ、グルダの演奏したものを所有している
CDではケンプ、ウゴルスキ、グレン・グールド、ゼルキン、リヒテルの演奏したもの
そして実演ではブレンデル、伊東恵、イェルク・デムスを聴いた

この曲の第2楽章は深い思索の音楽で、まるで人生を振り返っているような
そしてそこでたどり着いた境地みたいなものを感じさせる
変奏曲形式だがテーマは全ての無駄を削ぎ落としたような音楽だ
これを美しいと感じるのは聴く方にそれなりの人生経験が必要と思われる

実はユーラ・ギュラーの演奏は最初、寝床でタブレットでのYoutubeで聴いた
その良かったこと、、
飾りっ気のないメロディが心にしみてくる
既に知っているそれだが、音を通じて何かを語ってくる
結局、20分弱の音楽を一気に聴いた
早速アマゾンでCDを探して、お気に入りに入れた
その時は聴きたくなればYoutubeで聴けばいいと思っていた
ところがYoutubeでその動画はいつの間にか無くなって聴けなくなった
不安になってアマゾンを見てみると、あるはずのCDは品切れとなって
入荷不明と出ている

つまりは買いそびれてしまった
先日、久しぶりにほしいものリストを閲覧すると、中古品で購入可能となっていた
そこでミスは繰り返さないぞ!ということで購入することにした

ところでこの曲のお気に入りの演奏はこのユーラ・ギュラーの演奏もいいが
(アルゲリッチがユーラ・ギュラーにこの曲の録音を残すように勧めたらしい)
淡々としたバックハウスの演奏も良い
ゲレングールドはこんな解釈・演奏もあります、と言った感じだが
長年真正面からベートーヴェンと向かい合ったバックハウスは
彼の生き様を反映してるようで最後の鐘がなっているような部分はグッと来る
それはまるで別世界の出来事のように思えてしまう

ということで、連休真ん中は少しお気楽な話

ところでビートルズの「ナウ・アンド・ゼン」は動画で聴いたが
いかにもジョン・レノンが作りそうな曲だ
作曲はビートルズ解散以後でソロのアルバムにある曲をイメージさせる
ただコーラスの音色がビートルズのそれを連想させる
これは注文したレコードが来てから真面目に聴こう


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本当のことは口にしないに違いない

2023年11月03日 10時25分09秒 | 養鶏所騒動

ローカルの裁判絡みの面倒くさい話

手にした不動産鑑定の結果を記した書類(コピー)の最初のページには
「本件鑑定評価に当たっては、自己又は関係人の利害の有無その他いかなる理由に
かかわらず、公正妥当な態度を保持し、専門職業家としての良心に従い、誠実に不動
産の鑑定評価を行った」と記されている
残念ながら、これは全ての不動産鑑定の書類に書かれているものか
それともこの書類だけなのか素人はわからない

この言葉が気になったのは、新城市が買い上げた養鶏場の不動産鑑定は
この言葉通りに作業を行われたのか疑問を覚えているからだ

令和元年に買い上げられることになった養鶏所は、いくつかの違和感があった
●買上げの金額が地元の住民の肌感覚と比べて異様に高い
●養鶏所のすぐ隣の土地を国が買い上げることになったが
   その価格は、養鶏場の価格の8分の1だった
●不動産鑑定は取引事例をもとに算出されたが、4箇所のうち3箇所が市外の豊川市だった
●不動産鑑定業者は随意契約によるものだった
●不動産鑑定業務の委託料は「公共事業に係る不動産鑑定報酬基準」によって決定される
   としているが、不動産鑑定の作業が行われていない時点では随意契約の金額を
 決めようがないので、養鶏業者の希望買取価格を伝えてその額を報酬基準の表に
 当てはめて算出している
●その希望買取価格は不動産鑑定に影響を与えていないか
●不動産鑑定の地目は、登記されているものと異なるものだった
  (不動産鑑定は現況で行われるものとされる!がその根拠だが
     山林・農地が雑種地とされたのはある種の意図を感じる)

地方自治体が土地等を買い上げる場合は、税金を使うのでなるべく安くすることが求められるが
異様に安い場合は先方にも迷惑をかけることになるので、程々の数字で収まるようにするらしい
安すぎてもいけないし、高すぎてもいかない
その根拠となるものが有資格者の不動産鑑定士による数字だ

だが、不動産鑑定の数字は現実には不動産鑑定士によって大きく違ってくるようだ
一般的に不動産鑑定を行う場合は目的があって行われるが
それは時には安めの数字がほしいとか、高めの数字がほしい、、
といった生臭い話で、顧客と不動産鑑定士との打ち合わせでその辺りが十分に
検討され、その方法論(例えば地目の変更)が選べられるようだ

つまりは、職業としての不動産鑑定業者はクライアントの意向を読み
それを具体的な形にすることが求められる
(忖度と言うより洞察力が求められるのかもしれない)

新城市では、あるとき急に養鶏場の買い上げ希望の話が出てから
あれよあれよという間に進められていった

行政はその正しさを確保するためには手続きが守られていることが必要とされる
今回の場合は、高すぎない安すぎない正当な買上げ価格を求めるために
国家資格を有する不動産鑑定士に依頼したとしている

ところが、この不動産鑑定の実態が本当に冒頭のカッコで囲まれた宣言のように
 行われたのかは大いに疑問だ
話を聞けば大半の人が「なぜ豊川?」と違和感を声にする取引事例の場所は
業者は「取引事例が少なく、あの時点ではこれしかなかった」と答えている
だがこれが本当のことか、もっと適切な取引事例の場所があったのかはわからない
これしかなかった、、という業者の説明を信じるしか手はないのだろうか

そして、希望買取価格を知ってしまった不動産鑑定業者の心理的に
その数字からスタートしないで公正妥当なものを求められるのだろうか
行動経済学ではアンカリングという言葉で、最初に提示された数字が
その後の判断に影響を与えるとされている
それほど難しい話でなくても、不動産鑑定業者は鑑定した結果が高いほど
自らの取り分の委託料は高くなるので、それを無視しても安い数字を出すものだろうか

いくつかの例外が重なると怪しいことが多いのは世の中の常で
そう考えるのは人間として身につけた経験と知恵だが
(この話は本当に例外が多かった)
現実に当事者に聞けば、答えは間違いなく冒頭のカッコの中のように行った
と答えるに違いない

行政裁判の原告と被告は、嘘を言っても虚偽証言として罰せられないらしい
人間はこのような場合は嘘をつくことが多く
いちいちそれらの証言がホントか嘘かを調べていると時間ばかりかかってしまうので
「嘘を言うものだ」を前提に進めるらしい(知らんけど)

だが、自分が説明すると市民の多くが状況判断から怪しいとされることも
当事者はちゃんと行っていると答える場合
裁判官という人々はいったいどんな判断をするのだろう

裁判官は自分らが話した市民と同様な気持ちになるのだろうか?
あの時点では取引事例はそこしかなかった
希望買取価格は聞いていたが、それに影響されることはない
この2つの言い分を裁判官という人々は、どう解釈するんだろう

現在進行中の裁判は11月29日に結審をすることになっている
本当のことを言わない!と心に決めているとしたら
人はそれに対抗するにはどうしたら良いのだろう






 
 

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