パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ほっこりした

2018年11月12日 21時50分57秒 | 徒然なるままに

「動物で何が一番好き?」
「この人(同行の女性)は多分フクロウ、僕(少年)は?」
「僕はライオン。なんでかわかる?それはね、一番強いから」

「じゃあ、魚で一番好きなのは何?」
「魚って食べる方で?」
「私(同行の女性)はホッケ」
「僕(自分)はマンボウかな。僕(少年)は?」
「僕はホオジロザメ。なんでかわかる?」
「君のパターンだと、強いからだな、きっと」
「あたり、じゃあ、ホオジロザメってなんでホオジロザメていうか知ってる?」
「頬が白いから?」、、、

「そういえば鳥にメジロっていうのがあったね、あれが目が白いからだね」(自分)
「違うよ、目の周りが白いんだよ、目が白いと目が見えないよ」

昨日こんな会話が作手祭り会場へ向かうシャトルバスで乗り合わせた子ども(小学二年生)と交わされた
全然知り合いでもない
前の席に座った子が後ろを向いて急に屈託なく話しかけてきたのだ
隣に座ったお父さんは少し恥ずかしい様子だったが、子どもくんは平気な様子

でもシャトルバスの中のこの会話、楽しかったな
なんか「ほっこりした気分」

彼とは会場の休憩スペースで出くわしたけれど、お父さんの方は覚えていたが
彼は覚えていなかったみたい、、(子どもって、、、マイペース)

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復習の時間(ポール・マッカートニーの)

2018年11月10日 11時02分05秒 | ポール・マッカートニー

済んだ後の復習が定番になっているこの頃
ポール・マッカートニーの名古屋ドームライブのそれをおさらいしてみた
あのライブで印象に残ったのは「Letting Go」
ホーン・セクションの気持ち良い吹きっぷり
あれはどのアルバムからだったのか、、と引っ張り出したのが

「マッカートニー」と「ヴィーナス・アンド・マース」

「マッカートニー」の中の一曲ではないことはわかっていたが、そのこととは別に
あの日演奏された曲の中に入っていなかった「テディボーイ」が、
どういうわけか自分の頭の中には演奏されたことのように記憶に入っていたので
気になって「テディボーイ」の入った「マッカートニー」を引っ張り出した

久しぶりに通して聴く「マッカートニー」は全体として散漫な印象
アイデアはいろいろ見られるし、時に素晴らしい曲もあるが、ポールの中に迷いがある感じ
ライブ映えする「Maybe I'm Amazed」よりは個人的には「junk」が好きだな
The Lovely Linda」「 Teddy Boy」も久しぶりに聴いて面白かったが
更に面白かったのはインスツルメントの一曲「Momma Miss America
これから先の萌芽が見られる感じ

「ヴィーナス・アンド・マース」は先日のライブを思い起こす感じの音圧
「Letting Go」だけでなく、アルバム全体がライブっぽい感じでイケイケな感じ
ただ自分はこの中では「You Gave Me the Answer」の鼻歌みたいな曲とか
刻まれたリズムが印象的な「Call Me Back Again」みたいな曲が好み
でもライブ映えしないから、演奏されることは無いだろう

調子が出てきたので「スピード・オブ・サウンド」も引っ張り出してきた
おっと、「バンド・オン・ザ・ラン」も、聴かねば
特にB面のPicasso's Last Words (Drink To Me)  の「ホ・ヘホ」と突然回帰するところとか
(ライブでやった)「Nineteen Hundred And Eighty Five」が終わった後
「バンド・オン・ザ・ラン」と歌われているところは聴き逃すまい
(ライブの時は続けてバンド・オン・ザ・ランと歌えばよいのにと思ったりした)

ということで、土曜の午前はポールの復習の時間

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名古屋ドームのポール・マッカートニー

2018年11月09日 08時46分30秒 | ポール・マッカートニー

9月1日にポール・マッカートニーの名古屋ドーム公演のチケットを購入してから2つの心配事があった
一つは腰と股関節の具合がその日までに回復しているかどうか
地下鉄の駅からドームまで距離はあの時の体調では長く感じて、果たして無事に歩くことができるか
そしてもう一つは終電の時間に間に合うかどうか
新城市から名古屋ドームに行って、ライブを終えてその日のうちに帰るのは、結構スリリングなことと思っていた
ポールのライブはだいたい3時間で、6時半スタートとしても終わるのが9時半
帰りは出口が混雑するだろうからモタモタすると電車に間に合わなくなってしまわないかと、、
でも心配していても仕方ない、その時はその時、、と覚悟を決めて(大げさな)でかけた

ポール・マッカートニーのライブを見るのは3回目で前回は5年前の東京ドーム公演
その時は入場者の年齢は自分らと同じくらい、、つまり年配の人が多かった
ところが昨日の入場者の年齢は想像以上に若かった
入場待ちで自分の前の二人も一緒に並んだ彼も若かった
それで話しかけてみると、彼は20歳でポール・マッカートニーを良いと感じたのは
ロンドンオリンピックの開会式のヘイ・ジュードを偶然見た時からという
自分の時間感覚からすると、それはほんの最近のことに思えてくる
と同時に自分も年齢を重ねているんだ、、と改めて実感
彼は大学の授業をサボって来たという
その大学というのは北海道にある大学
ただ出身はこちらなので泊まるのは実家にして、交通費とチケット代を奮発したということだ
そこまでする行動力が羨ましいのと、ポール好きの自分としては若い人が興味を持ってくれたのは
他人事ながらどこか嬉しい

始まりは6時半だが、結局ワクワク感を抑えきれずに早めに入場した
会場は自分たちの演奏ではない録音されたものが流されていた
前回の東京ドームのときもそうだったが、流されている曲はまるでシャッフルされているかのように
いるんなアルバムから適度につまみ食いされている
ホワイトアルバムからのものもあればウイングス時代のものも、
ただ全体的な印象としてはその全てがハードロックぽい味付けのものばかりだった
前回の時はもう少しテクノ・ポップ的な要素の記憶があった
それとジョン・レノンの曲も割合多く選ばれていた
これは何かを暗示してるような思いを持ったが、、

やはりというか開演は少し遅れた
この会場に流れる音楽があのサージェント・ペパーズの最後の「ジャーン」という大音響に変わった時
そしてこれもやはり「the love you take is equal to the love you make」という文字がディスプレに現れた時
いよいよ始まるんだという期待感と、その音楽的な効果に少し泣きそうになった

セットリストは調べずにおいた
その場で次は何をするんだろうとワクワクしながらのほうが絶対楽しめるからだ
しかしフト「イエスタデイが演奏されなかった理由」などという記事が目に入ってしまった
当然それは読まないでおいたが、心にひっかかった

冒頭は「ア・ハード・デイズ・ナイト」ジョンとの共作だがジョンぽい曲
次に珍しい「ジュニアーズファーム」EP版で発売されたストレートロックの曲
それから「キャント・バイ・ミー・ラヴ」と続く
このあたりで今回のライブの傾向がわかってきた
選曲も音作りもハードロック系の感じが強くなっている
前回はもう少し音色がポップぽい感じなところがあったが、今回のポールは前のようにMCで時間を取ったり
楽器をあれこれ頻繁に取り替えて、時々ひょうきんなところを見せて笑いをとったりすることはなかった
(今回もあるにはあったが、前回ほどじゃないという印象)
それよりはロック音楽の演奏家ポール・マッカートニーというコンセプトで構成されているような印象をもった
「レッティング・ゴー」も重いロックの音色で進められる、ただ途中でこの曲がライブで取り上げられた理由がわかった
それは今回同行している金管楽器奏者の存在だ
曲の中間部分の繰り返しは金管で思いっきり吹かれると身体的な快感を感じるようだ
もしかしたら似たテイストでよく演奏される「レット・ミー・ロール・イット」は今回は無いかなとと勝手に想像した
(この曲はその後少ししたらやった)
次に新アルバム「エジプト・ステーション」から「フー・ケアーズ」
この曲は実演でやれば盛り上がるだろうなとCDを聞いたときから思っていたが、それは大当たり

このあたりで、今回これほどまでにハードロック系の構成にしているのは、
ポール自身の声の変化によるものではないかと思い浮かんだ
根っからの音楽バカ・ライブ好きのポールは喉を酷使し年齢も重ねたため以前のような優しそうな
そしてハモるのに効果的な音質の声は出なくなっている
それを自覚しているので現在できることの良い方法は太くたくましくなった声にふさわしい音楽を
選ぶこととしたに違いない、、きっと間違いない、、などと勝手に決めつけた
そしてジョンの影響を今になって感じているような、、
しかし、そうはいうもののポールの中には最初っからジョン的なものがあったのかも知れないとも考えたりする

音楽は聴いていて時に歌ったりするが、お得意の連想はあっちこっちに飛翔する
ビートルズ初期の「ラブ・ミー・ドゥ」「フロム・ミー・トゥ・ユー」は懐かしいが
やっぱりジョンの影響の強い曲を選んでいるのは、何故なんだろうとまた疑問が湧く

この日、3回ほど泣きそうになったが、1回目はライブのはじまりのとき
そして2回目は「エリナー・リグビー」をポールが歌い始めた時
突然理由もなく涙が出てきた
これまでとは違ってシンプルな編成で、声の掛け合いを中心にメロディを大切にした歌いっぷり
隣の隣の若者も大きな声で「Ah look at all the lonely people」と歌ってた
もちろん最初から最後まで、それにつられて自分も、、でも自分の声は大音量のせいで聞こえない

3回目は定番の「ヘイ・ジュード」の時
始まると、なんと美しい音楽なんだろう、、これまた理由もなくうるっと来た
会場も演奏者も一体となって例のコーラスを何回も繰り返す
会場の人は聴きに見に来ているのではなく、音楽に参加しに来ている
音楽に参加しているのは「ヘイ・ジュード」だけでなく「オブラディ・オブラダ」ときもそう
Obladi oblada life goes on brahhh Lala how the life goes on」と大声で参加する時の気持ちよさ

ところで、帰り時間を気にしてるのは自分だけではなく隣りに座った女性もそうで
「ヘイ・ジュード」みんなで歌うところが済むと席を立った
(きっと時間が気になったんだろう、でもあのアビーロードメドレーを聞かないなんてもったない)

全体の流れからするとポールの代表曲「イエスタデイ」も「ロング・アンド・ワインディング・ロード」も
「マイ・ラブ」も、この日のテイストには合わない感じがして、それらが演奏されなかったのはなんとなく理解ができた

「ヘイ・ジュード」で一旦終了
アンコールでヘビメタの「ヘルター・スケルター」のあと、とうとうアビーロードメドレーになる
「ゴールデンスランバー」「キャリー・ザット・ウェイト」「ジ・エンド」とつながる音楽は
本当に効果的で楽しくて美しい(ギタープレーの掛け合いも楽しい)

このライブ全体を通して、ほっこりやさしい気分になれそうなのは、ひょうきんな
(もしかしたらモーツアルトもこういう性格じゃなかったのかとも思ったりする)
ポール・マッカートニーの人柄によるもののように思える
彼は「また来るよ、、」と言ってたみたいだけど、、、
いつもチケットを取る時は「これが最後」と思ったりしている、、
果たして次はあるのか、、、

会場がとても曲に合わせてきれいだったのは「レット・イット・ビー」のときのこの光景

スマホの明かりをみんなんでかざして、夜空に浮かぶ星みたいできれいだった
※撮影はフラッシュを焚かなければいいことになっていた(動画・録音は禁止)

大勢の人の姿をどこかのテレビ局が撮影したいた

みんなが立ち止まって、それぞれが撮影しやすいように前を空けて気を使っていたのがこの場所

※結局電車はギリギリで間に合い、その日のうちに自宅に帰ることが出来た

名古屋ドームのセットリストは

A Hard Day’s Night
Junior’s Farm
Can’t Buy Me Love
Letting Go
Who Cares
Got to Get You into My Life
Come On to Me
Let Me Roll It
I’ve Got a Feeling
Let ‘Em In
My Valentine
1985
Maybe I’m Amazed
I’ve Just Seen A Face
In Spite of All the Danger
From Me to You
Love Me Do
Blackbird
Here Today
Queenie Eye
Lady Madonna
Eleanor Rigby
Fuh You
Being for the Benefit of Mr. Kite!
Something
Ob-La-Di, Ob-La-Da
Band on the Run
Back in the U.S.S.R.
Let It Be
Live and Let Die
Hey Jude

Encore:
Birthday
Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band (Reprise)
Helter Skelter
Golden Slumbers
Carry That Weight
The End



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またもや陰謀論(何故繰り返されるのだろう)

2018年11月07日 08時40分45秒 | あれこれ考えること

最近知ったばかりだがアメリカにはQAnonという言葉がある
検索するとすでに幾つかのページがあって

QAnonという呼称は、インターネット掲示板「8Chan」で、ある投稿者が「Q Anon(匿名のQ)」
と名乗ったことに由来する。匿名のQは政府高官を自称し、陰謀を暴露する暗号文を残していったとされる。

との説明がなされている
簡単に言ってしまえばある組織が世界をコントロールしているという「陰謀論」の類を
まことしやかに拡散する人たちのことだ
このQAnonの動向がアメリカの中間選挙に影響を与えているとのことだが
明日にでも結果がでる選挙がどうなのかわからないが、ふと感じたのは「歴史は繰り返される」ということだ

かつて「シオン賢者の議定書」というものがあった
ユダヤ人が世界征服を計画・目論んでいるとする文書で、一時期ヨーロッパに広がり
これがナチスのユダヤ人のホロコーストにつながった原因の一つとされている
現在はこれは全くの偽書であることがあきらかにされているが
同様な眉唾な話は日本でもM資金の噂が浮かんでは消えている

実際のところ、人は何故いつの時代も陰謀論を創造し、語り、それを好んで受け入れるのだろう
人には「作話能力」があって、それを肯定的な捉え方をしているのがベルクソン
しかし、善悪の両方を最初からもつ人という生き物は、ある時は加速度的に片方に傾く
それは難しい話よりも簡単な話のほうが受け入れやすい
つまりは仮想の敵(しかも固有名詞をもった)を作るほうが、想像上の危機感や悪を説く人々よりは
ずっとわかりやすく、気分的にもスッキリするからなのだろうか

最近の人はどこか物事を深く考えず、なんでも白黒、敵味方をつけたがる傾向にあるようで
これは自分の住む国や市でも度々見られる
そこで、思い出したのが国会前のデモで見かけたプラカードのことば「正気に戻れ!」

それにしても他国のことだから口出しは出来ないが、アメリカという国は、、、

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記憶の中の「オリエンタルダンス」

2018年11月06日 09時20分09秒 | 徒然なるままに

もしかしたらアップされているかも知れないとYoutubeで検索したのが「オリエンタルダンス」
いやはやすごい時代になってきたものだ
少しだがアップされていた
この曲は小学生時代に学芸会(今の学習発表会)で器楽演奏でやった曲の一つ
もう一つは「スケーターズワルツ」で、こちらの方は2年連続で演奏したが
「オリエンタルダンス」の方は一年こっきりだった(卒業してしまったから?)

自分は3人いるアコーディオンのメンバーの一人で、冒頭のリズムを木琴が奏でたあとにこのメロディを弾いた
異国風なメロディが奏でられたあと、ふわっと他の楽器が合わさると
急に熱を感じるようで、なんとも言えない良い気持ちがしたのを今でも覚えている

オリエンタルダンス ベルリン国立歌劇場管弦楽団

動画のようなテンポじゃなくてもう少し速かったような印象がある
しかし冒頭以外はすっかり忘れている

こんなふうに昔を思い出したのは、近くの小学校から学習発表会へのお誘いのDMが来ていたから
最近、月木の朝は地域のあいさつ運動の一環として近所の子どもたちと他愛もない話をしながら
小学校の校門まで歩いているが、この活動を考慮して小学校がわざわざ自宅にDMを送ってくれたようだ

というわけで、今月中旬はこれをお楽しみにしよう
しかし、子どもたちは、学習発表会のことをいつまで覚えているんだろう

子ども時代の学芸会で思い出したこと、覚えていることがまだあった
それは劇の「ぶんぶく茶釜」でお寺の小僧さん役での「へんちくりんだなあ」のセリフ
続く二人の小僧さんは「へんちくりんのへんだなあ」「へんちくりんのへんへんだなあ」

それにしても、古いことはしっかり覚えているが、
新しいことはやばいくらい頭に入っていかない
仕方ないか、、


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若い人が「ロメオとジュリエット」を見たら、どう感じるだろう?

2018年11月04日 09時15分15秒 | 徒然なるままに

自分の記憶が正しければ、昔、衛星放送が試された時
ビートルズの「愛こそはすべて」の録音風景が放送されたその前に
「ロメオとジュリエット」の映画撮影を報じるシーンがあった
なんでもすごく若い女性と男性によって演じられるとのことで
その若すぎる年齢にびっくりして記憶に残っている

その映画のテーマ曲がフィギアスケートでもよく使われるニーノ・ロータが作曲した「what is a youth?」
内容的に男が見に行くには少し恥ずかしい思いもあるけれど、ジュリエット役のオリビア・ハッセーが
とてもかわいくて、魅力的で、切なくて、きっと人生の一時期しか見られないような輝きに満ちていて
見るだけで胸をかきむしられるような思いにさせられて豊橋の映画館にでかけた

歌が歌われるシーンがYoutubeにあった

Romeo and Juliet (1968) - What Is A Youth (Music Video)

これを見ると、今でも心がざわつく
昔の多感な時代のことを思い出すからではなくて、映像と音楽自体がまるで今の生き方を
このままで良いのか、、と問われているようで
(馬鹿ないざこざは悲劇を生んでしまう、、と)

話は飛んで有名な映画「ローマの休日」
この映画を見たのは知り合いからビデオを借りた時が最初で、
なるほどこれは人気が出るはずだとの思いをもった
オードリ・ヘップバーンがショートカットヘアーにしたときの可愛らしさは
ほんと衝撃的で、みんなが真似したがる気持ちは、男でも納得できる

そこでフト考えた
今の若い人がこれらの映画を見たらどのような感情を持つだろうかと
「ローマの休日」はなんとなく想像できる
でもこの「ロメオとジュリエット」は少し思いつかない
可愛いだけで済まないというより、それ以外の何かが大きすぎて

歌のタイトル「what is a youth?」がすべてを表しているのかも知れない
おっさん的に言えば、今の子は、生きているうちで一瞬しか純粋になれない貴重な時間を
無駄に過ごしていないか、、、とおせっかいにも思ったりする
もっともそんなことは全然なくて、自分が全然見に行く気がしなかった「君の名は」で
切ない思いや焦燥感、濃密な時間は感じられているかも知れない

でも、やっぱりオリビア・ハッセーの「ロメオとジュリエット」を見たらどう思うか
聞いてみたい気がするな
(本当にオリビア・ハッセーはきれいだな、、布施明の奥さんになるなんてとても信じられなかった)


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セットリストは知らずにおこう(そのほうが楽しい)

2018年11月01日 16時06分27秒 | ポール・マッカートニー

ポール・マッカートニーのライブが昨日(10月30日)東京ドームで行われた
普通ならそれがテレビニュースになって放送されるのだろうが
(少しあったようだが自分は知らなかった)
報道されたのは渋谷のハロウィンの大騒ぎのこと

若い人たちが大騒ぎしたい気持ちもわからないではないが
テレビがこれほどまでに報道しなかったら、ここまで大事になっただろうか
まさに報道は発見ではなくて、作り出すもの?
まして商業的な要素が沢山ある場合には、この手の報道はブレーキのかけようがない

それでも、田舎のおっちゃんは、いい加減にしとけや、、と言いたい気分
分別くさく言えば、発散するところはもう少し別のところにありはしないか、、
と一言二言言いたくなる

ハロウィン騒ぎに埋没したポール・マッカートニーのライブ(のニュース)
どんな曲が今回演奏されるか楽しみで、そのセットリストは調べると分かるかも知れない
でも調べないでおこう
5年前の東京ドームは演奏されるも曲も曲順も全然知らずにでかけて
現場で次はどの曲を演るんだろうとドキドキしながら聞いた
それはアイポッドシャッフルが出たときの、機械が勝手曲順を決めているだけなのだが
いつのどおりの順番に聞くのと違って、とても新鮮に聞こえたときの感覚と似ていた

ということで、今回も何も知らない状況で行ったほうがより楽しめそうだが
それでも最後の締めは想像がつく
きっとゴールデンスランバーからのメドレーに違いない
でも、これは仕方ない
これ以上にふさわしいエンディングは思い浮かばない、

ところで、ポールは今回も水を一度も飲まずに演るんだろうか
今回は飲んでも、声が出なくても、仕方がないと許してしまうぞ、、、



 

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