パンセ(みたいなものを目指して)

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紙の供給

2024年06月29日 09時43分20秒 | あれこれ考えること

源氏物語と新聞
あまり関係のなさそうな両者だが、二つとも紙がないと役目を果たさない
源氏物語が今まで残っているのは作品自体の力によるものだが
その作品を紙に書き写した人たちと豊富な紙があったからだ

紫式部を扱った小説には、道長から優先的に紙の供給があったとする
ストーリーが少なくない
同様に「光る君へ」ではないが、肉体関係もあっと想像する扱いもある
すっかり忘れてしまったが、なにかの小説で紫式部が産んだのは男の子で
顕子が同時期に産んだのは女の子で、道長が二人を取り替えた、、
といったような、とんでもないストーリーのものもある

とにかく、紙は大事なもので先日の「光る君へ」の終わったあとの
短い関連情報トピックスは紙に関するものだった

話は変わって、以前、第二次世界大戦の時、新聞は何をしたのか?
と興味を持ったことがあった
その時知ったのが以下の事実だった
新聞社も営利企業で商業主義のためにあのような雰囲気を作ってしまったが
(それいけドンドン的な話を書けば売れたらしい)
もう一つ間接的に「新聞紙法」というものの存在も軍部の暴走に拍車をかけた
これは政府(軍部)に都合の悪い記事を書くようならば、その新聞社には
新聞紙を供給しないとするものだった
つまりは、批判的な記事は新聞を発行できないということで
今の時代なら民法テレビ局の放映権停止のようなものに値するだろう

各媒体がそれぞれの価値観・倫理観で編集したものが時の政府によって
コントロールされる
それは独裁というものだが、今はそんなことは起きていないと
言い切ることができないところが問題だ
(そしてそれを感じていない人の多いことも)

それにしても、紫式部に紙を提供し続けたのは何故なんだろうとも思う
描写された行事等の優雅さはその空気を味わうのに役立ったと思われるが
若菜の章とか、雨夜の品定めとか、年いった命婦の好きもの具合などは
ちょいっと危なっかしい内容で、あまり表に出したくない内容ではなかったのでは
と思ったりもする
もし、良いも悪いも含めて紫式部のやりたいようにさせていた、、
とするならば、あの時代の上の人間の懐の深さは大したものだったのかもしれない
と思ったりする




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