パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

優雅な交流を可能とする能力は、実生活に役立つかも

2024年02月17日 09時25分16秒 | あれこれ考えること

京都人は言ってることと心のなかで思っていることは違うと言われている
例えば、ゆっくりしていっては、いつ帰る?の意味で
言葉をそのまま鵜呑みにしてはいけない例として紹介される

心の内を言葉にしないのは、政治の中心であった京都では
権力の変遷が珍しくなく、不用意に言葉を発すると
たちまちどちら側の人間かと想像されてしまうので
それを避けるために身に着けたテクニックという説もある

それ以外にもストレートに思いを口にしないのは
そのほうが知的で品が良いと思えるからではないかとも思う

大河ドラマ「光る君へ」は昨年の「どうする家康」と打って変わって
ドタバタしない進行で、恋愛部分の占める割合が多いと思われるものの
物語(演出)は多層的な捉え方ができるように進んでいる

前回の漢詩を披露する回では、Youtubeではそこで使われた漢詩
そして後に藤原道長がまひろに送った和歌の意図と意味を
解説しているものがある

それらを見聞きすると、いろんなことを知っている人と
(白楽天の詩とか本歌取りとか)
知らない人では、この回の理解度(楽しみ方)は全く違ってしまう

心の交流を、言葉から想像されるものに依存して
二人だけの会話が成り立っているというのは
優雅だなと思ったり、品の良いことだとも思える

一見、のんびりして実生活上に役立たないように見える和歌は
現実世界ではそれが上手くないと男女の関係にすら至らないようだ
男は顔も見せない女性に歌を送って振り向かせる
女性は自分あるいは仕えている女性に返事の歌を書かせる
そうした面倒なことを何回か?したうえでご対面

つまりは、そこそこの歌の知識とか技術がないと交流自体が成立しない

この歌の能力(頭の良さ)は、実生活(政治)にも反映されるかもしれない
と考える人がいても不思議ではないと思う
その証拠に、百人一首では身分の上の政治に関わっていた人は
それなりのレベルの歌を詠んでいて
それらは彼らの知性とかポテンシャルを感じさせるものだ

つまりは歌がうまい人々というのは、教養試験という一次試験を
パスした人たちのようと考えることは出来ないだろうか

ここでつい考えてしまうのは、今の政治家にこのような
深い教養と全人格的な人生観を持った人がいるのだろうか?
ということ

今だけ、自分だけ、お金だけ
これらの言葉が使われるようになって久しいが
それがますますリアリティを持つようになっている

人は代議士を選ぶ時には人間性も想像して選んだほうが良いだろう
しかしその人間性を想像する具体的な方法は、どんなのがあるだろう
なにかいい方法はないものか!



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