自分が60を超えて、人生の終焉についてより身近に考えるようになったきた。
いつかはたどる道のりである。
それなりに覚悟はいるのだろう。
日ごろから心と体の準備は整えておこうと思うのだが、どうしても日常の仕事に追われてしまう。
思い立ったときにやってしまうことが大切な気がする。
7年前に母親がなくなった。
何回かアメリカに連れていったりしてそれなりに親孝行はしたつもりだったが、本当の意味での孝行はできていなかったことに今頃気がついている。
自分が年をとって初めて分かることがある。
もっと同じ目線で付き合ってあげればよかった。
若いときは、どうしても老人と同じ目線になることが出来ない。
それは、自由度が違うからだろう。
体の不自由な人をかわいそうだと思うことは、同じ目線とは言わない。
その人が何をして欲しいのかを悟って、そのように振舞ってあげることが大切なのだ。
煩わしそうにしているときは構わないほうが良くて、寂しそうなときには思いっきり構ってあげることだ。
そうしたくても、私の両親は共にいない。
皮肉なものである。
彼岸の日の法要に出かけるたびに、母親を思いだす。
今はただ、感謝の一言である。
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