急に金曜日からモンゴルへ行くことになり、バタバタと準備をした。
みんなに大きな迷惑をかけてしまった。
Hによると、フブスグル湖周辺は大きく変わっているという。
「ハタガル村には地元の人という概念はもうないです。
観光地になって、いろいろな都道府県からいろいろな人たちが集まって生活しています。
15年前のハタガルはもう消え、歴史の一ページとなりました。
誰も思い出せません。
ムレンからハタガルまで舗装された道路もできました。」
と伝えてきた。
昔、リチャードと川の調査をしたことが思い出される。
凍土が融けて、溶存有機物で変色した川の水を採取した。
こういった腐食性の有機物が、動物プランクトンの餌になるのは、ネス湖と同じだ。
温暖化が進めば、シベリアの多くの河川から有機物が流入し始める。
こうして一時的に生産が高まるのだろう。
一緒に食事の準備をした素朴な船員たちは、ほとんどいなくなってしまった。
モンゴルへ行くときは、野外ナイフが必携だった。
肉を切り、調理をしたり、細かくして自分で食べたり、重宝したものだ。
そんな時代は、日本の昭和20年代と同じで、モンゴルでは化石となりつつあるのかもしれない。
第一、モンゴル人にお金を出してもらって調査に出かけるなんて、数年前までは考えもしなかった。
全くの浦島太郎的感覚だ。
年を取るわけだ。
そう言えば、多くの優秀な日本の若者が、日本で職がなくて台湾の研究機関で働いている。
この国は、ますます空洞化していくのだろう。
どんな形であっても、平和でさえあればよい気がする。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます