2008年8月13日
ウランバートルの空港を飛び立ったのは、日本を出発した日の翌日、8月13日午前10時50分だった。
航空運賃は一人589ドル、超過荷物は54kgで199800ツグルクだった。
乗り込んだのは、EZNISという小さな航空会社の小さな双発機だ。
37ある座席はほぼ満杯状態だったが、それでも7~8席は空席だった。
外国人と思われるのは我々だけで、他はモンゴルの人々である。
めったに観光客が行かないような地方に行くのだな、という実感がわく。
比較的穏やかに飛行機は西方へと飛び続けた。
空いていた最後尾の席に移動したブライアンと私は、誰に気兼ねするでもなく窓の外を眺めたり、本を読みふけったりしている。
今日は快晴といってもよいほどの天気で、眼下に広がるステップ状の草原は、いかにもモンゴルらしい景観を見せていた。
久しぶりのモンゴルである。
思えば1996年に初めて占部城太郎とフブスグル湖を訪れたのが、モンゴルの湖との最初のふれあいだった。
早いもので10年ほどの時間が流れ、その間に8回もこの地を踏むことができた。
湖沼の研究者であるということのほかに、若い時分に登山を志していたという経験が、心のどこかの血を騒がしているのかもしれない。
経由地であるムルンまであと少しのところで雲が出てきて、気流が乱れ始めた。
ウランバートルの空港を飛び立ったのは、日本を出発した日の翌日、8月13日午前10時50分だった。
航空運賃は一人589ドル、超過荷物は54kgで199800ツグルクだった。
乗り込んだのは、EZNISという小さな航空会社の小さな双発機だ。
37ある座席はほぼ満杯状態だったが、それでも7~8席は空席だった。
外国人と思われるのは我々だけで、他はモンゴルの人々である。
めったに観光客が行かないような地方に行くのだな、という実感がわく。
比較的穏やかに飛行機は西方へと飛び続けた。
空いていた最後尾の席に移動したブライアンと私は、誰に気兼ねするでもなく窓の外を眺めたり、本を読みふけったりしている。
今日は快晴といってもよいほどの天気で、眼下に広がるステップ状の草原は、いかにもモンゴルらしい景観を見せていた。
久しぶりのモンゴルである。
思えば1996年に初めて占部城太郎とフブスグル湖を訪れたのが、モンゴルの湖との最初のふれあいだった。
早いもので10年ほどの時間が流れ、その間に8回もこの地を踏むことができた。
湖沼の研究者であるということのほかに、若い時分に登山を志していたという経験が、心のどこかの血を騒がしているのかもしれない。
経由地であるムルンまであと少しのところで雲が出てきて、気流が乱れ始めた。
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