DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

どうする(97)

2015-03-25 10:00:11 | ButsuButsu


こうして近江の国の地図を見ていると、なるほどな、と思う。

天武天皇、西暦672年の頃、三関(さんかん)というのがあったらしい。

関ヶ原にあった不破関

鈴鹿にあった鈴鹿関

高島と福井の間にあった愛発(アラチ)関

その後、愛発関に代わって設けられた京都と大津の間の逢坂関

これらの関をすべて閉ざせば、近江の国は独立することができる。

水があり、山野があり、食料がある。

足りないのはエネルギーだけだ。

それもやる気になればびわ湖から取り出せる。

最近特に思うことだが、地方の脆弱化が甚しい。

これは中央集権がより強固になってきているからだ。

国家予算のおそらく70%は東京中心で決められているのだろう。

残りが地方にまわる。

実態がどうかは知らないが、どうもそのような感じがする。

問題は税制と法制のあり方だ。

仮に、滋賀県が独立を宣言したらどうなのだろうか。

自前で法律を作り、自前で税制を敷く。

そうすればこの滋賀国はもっと豊かになるはずだ。

グローバル化が進むということは、地方の特色を失うことだ。

大きな資本が勝ち、小さな資本が崩壊する。

やがて、全ての地域が画一化し、同じ文化を共有するようになってしまう。

多様性は失われ、効率のみが重視される。

そんな社会が本当によいのだろうか。

びわ湖における生物多様性を観察していると、人間社会の矛盾に気がつく。

私たちは、どういう社会を作ろうとしているのだろうか。

グローバルとローカル

昔、そんな本を出版したことがある。



論点は、淡水は商品かどうか、ということだった。

かつて、空気と同じく、水は無料の天然資源だった。

今や、水が商品として取り扱われ、大きな産業となっている。

それだけ私たちの生きる環境が劣化してきている証拠だ。

グローバル化すればやがて環境は劣化し社会は崩壊する、という命題は真なのかもしれない。

巨大なエネルギーが地球の各所に貯まり、やがて放出されるときを待っている。

適宜、ガス抜きをしてやるローカルなシステムをどうやって構築するかが鍵となる気がする。

グローバル対ローカル、大きな命題だ。


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