こうして近江の国の地図を見ていると、なるほどな、と思う。
天武天皇、西暦672年の頃、三関(さんかん)というのがあったらしい。
関ヶ原にあった不破関
鈴鹿にあった鈴鹿関
高島と福井の間にあった愛発(アラチ)関
その後、愛発関に代わって設けられた京都と大津の間の逢坂関
これらの関をすべて閉ざせば、近江の国は独立することができる。
水があり、山野があり、食料がある。
足りないのはエネルギーだけだ。
それもやる気になればびわ湖から取り出せる。
最近特に思うことだが、地方の脆弱化が甚しい。
これは中央集権がより強固になってきているからだ。
国家予算のおそらく70%は東京中心で決められているのだろう。
残りが地方にまわる。
実態がどうかは知らないが、どうもそのような感じがする。
問題は税制と法制のあり方だ。
仮に、滋賀県が独立を宣言したらどうなのだろうか。
自前で法律を作り、自前で税制を敷く。
そうすればこの滋賀国はもっと豊かになるはずだ。
グローバル化が進むということは、地方の特色を失うことだ。
大きな資本が勝ち、小さな資本が崩壊する。
やがて、全ての地域が画一化し、同じ文化を共有するようになってしまう。
多様性は失われ、効率のみが重視される。
そんな社会が本当によいのだろうか。
びわ湖における生物多様性を観察していると、人間社会の矛盾に気がつく。
私たちは、どういう社会を作ろうとしているのだろうか。
グローバルとローカル
昔、そんな本を出版したことがある。
論点は、淡水は商品かどうか、ということだった。
かつて、空気と同じく、水は無料の天然資源だった。
今や、水が商品として取り扱われ、大きな産業となっている。
それだけ私たちの生きる環境が劣化してきている証拠だ。
グローバル化すればやがて環境は劣化し社会は崩壊する、という命題は真なのかもしれない。
巨大なエネルギーが地球の各所に貯まり、やがて放出されるときを待っている。
適宜、ガス抜きをしてやるローカルなシステムをどうやって構築するかが鍵となる気がする。
グローバル対ローカル、大きな命題だ。
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