DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

道(48)

2016-03-14 17:11:01 | 物語


古い友人であるBrian Bundyが亡くなってから1年余りが過ぎた。

2015年2月24日だ。

荷物を整理していたら、懐かしい写真が出てきた。

日付は1999年8月7日だ。

左に奥さんのMagaret、真ん中に長男のMark、そして右端がBrianだ。

脳こうそくで不自由になった右手を添えて、左手を高く上げている。

撮った場所は良く分からないが、彼の家の近くなのだろう。

ひょっとしたら駅だったかもしれない。

ちょうど高校生だった長男と二人でサウサンプトンを訪ねた時のことだ。

このころはBrianもまだ元気だった。

そして翌年の2000年10月にMarkが結婚した。

今では私の長男も結婚して、孫もできた。

年を取るわけだ。

*****(Wikipediaより)

否認(denial)とは、不安や苦痛を生み出すようなある出来事から目をそらし、認めないこと。
「抑圧」はその出来事を無意識的に追い払うものだが、「否認」は出来事自体が存在しないかのような言動をとる。

*****

ダン・ブラウンのインフェルの中に次のような記述がある。

すぐれた知性を持つユーザーでさえ、否認を本能的に行う傾向があることだ。
大学生の大半は、北極の氷が減少しているとか、動植物が絶滅しているといった憂鬱な記事をクリックしても、短時間でそのページを閉じ、恐怖心を追い払ってくれるくだらない内容のページへ移ったという。
人気が高かったのは、スポーツ特集や、笑える猫の動画とか、有名人のゴシップだった。

古代の神話では、否認する主人公は過信と傲慢の象徴だ。
自分だけは世界の危機から免れると信じているのは、誰よりも傲慢だ。
ダンテも明らかに同意見で、傲慢を七つの大罪のなかでも最悪の罪だと弾劾している、
裏切りを犯す傲慢な者は、地獄の最下層で罰せられる人だ。

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さてこれからどうやって生きて行けばよいのだろうか。

否認したい気もするが、いずれにしても現実と正面から向かい合うことが大切な気がする。