人の世の出会いの中に心して生きゆく姿今夕に知る
7月の稽古場は太玄師の七夕のお軸で始まりました
水指は見立てで地元平清水焼の納豆鉢にすだれの蓋
【平清水焼きについて】
山形市の東方にミニ富士山の形をした千歳山があります。その麓に
この山の土を使った平清水焼があります。かって42の窯場があっ
たと伝えられていますが、現在は4窯場となり土に含まれる鉄分を
生かした梨青磁を主に生産しています。焼き物体験ツアーが盛んに
行われています。平清水焼きの始まりは一般的に知られている説
は、1800年代初期に、小野藤治平という人が、平清水に移り住み
始まったと言われています。主に日用品の皿や壷などが中心に製造さ
れ、明治時代の中頃最盛期を誇りました。江戸時代後期には、伊藤藤
十郎や渡辺五兵衛らによって、それまで粗陶器が中心とされていまし
たが、磁器を焼くようになってきました。美しい磁器の生産に成功し
た平清水焼は、白地に青色の絵付けをした皿や茶器、酒器などの食器
類を多く作るようになって、一時は「焼き物と言えば有田か平清水」と
言われるほどの称賛を浴びていたそうです。(山裾に当時の焼き物の破
片が沢山捨てられていたのを見たことがあります)しかし、時代が明治
から大正に移るころ、陶器が中心となって、火鉢やかめ、徳利などが多
く焼かれるようになりました。器の色も、透明感にあふれた白地から、
鉄釉が主体となった茶色に変化していきました。陶土の問題と有田焼な
どから大量に生産された焼き物に叶わなかったと聞いています。骨董市
などで平清水焼の染付けの良品が出品されているのを度々見かけます。
myコレクションも少しあります。見立てで使われた納豆鉢は江戸後期の
日用品だったのではないでしょうか
7月の御稽古で使われた見立ての平水指、すだれの蓋と共にとても涼やかですね。
元は平清水焼の納豆鉢だったとは、驚きました。
平清水焼というと、梨青磁のものしか知らなかったので、歴史的な変遷がわかり、とても参考になりました。
平清水の水指に見立て。染付けの色も
清々しくよきものですね。
涼風の感じるお席です。
ことで急いで変えてしまいましたが、前の
ものも結構お気に入りだったのですよ。
季節ごとに変えて見ようかとも思って
います。
コレクションの平清水焼もルーツを調べて
いけば時代とか窯名がわかり面白いかもし
れませんね。
暑くてつらいですけれども、夏ならでは
の道具組で楽しみがあります。
目で涼を感じる、感じて貰うのはnageire様
と同じですね。
私も20数年前に初めて作ったお茶碗が・・・平清水焼きです。
思い出のお茶碗です。