ガラパゴス通信リターンズ

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仁義なき戦い

2006-07-07 08:01:02 | Weblog
 「オールウエイズ3丁目の夕日」という映画が評判を呼んだ。中高年の世代は、貧しいなかを人々が肩を寄せ合っていきていた「夕日」の世界に、強いノスタルジアを覚えたのではないか。しかし人間的だったあの時代に、少年の凶悪犯罪がいまより4倍も多かったと聞けば驚く向きも多いかもしれない。しかし、あの時代には日常的に若者の殴り合いを目にすることも多かった。荒々しい暴力性を発露するという意味でも人間的な時代だったのである。いまは暴力や攻撃性が内向している感じをもつ。自殺が多い道理である。自殺の変形のような殺人事件もよく起きる。

 いとこでとても勉強のできる女の子がいた。「女の子」というがぼくより一回り以上歳は上。いまでは孫が何人もいる。おばあちゃんだ。N高ではなく、自由な気風のH高に進学した。ずっと一番を通していた。だが好事魔多し。2年生の時に難しい病気に罹る。長期の療養のために医学部受験を断念せざるを得なかった。それでも一生懸命頑張って薬大に合格した。大したものだ。

 ぼくの両親もわがことのように彼女の合格を喜んでいた。「薬剤師だが。ようがんばったで」。しかし、ぼくにはこの「やくざいし」ということばが恐ろしかった。当時の鳥取の町では、神戸系のやくざと、広島系のやくざが血みどろの抗争を続けていたからである。往時の東映映画を地で行く現実があった。町のそこここでやくざが焚き火を囲んでいた。選挙事務所と間違えてやくざの本部で酒を飲ませてもらおうとした男もいた。その男がどうなったのかは、誰も知らない。

 こうして「やくざ」ということばが、幼いぼくの頭のなかにすりこまれていった。だから、いとこの合格も素直によろこべなかった。ぼくをかわいがってくれたやさしい彼女が、恐ろしい「やくざ医師」になると思ったのだ。それから数年後。腕のよかった祖母の主治医が野球賭博で捕まった。小学生になっていたぼくは、これこそ本物の「やくざ医師」かも知れないと秘かに思った。