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ガラパゴス通信リターンズ

3文社会学者の駄文サイト。故あってお引越しです。今後ともよろしく。

人、熊に出会う(これぞ最高傑作!・声に出して読みたい傑作選90)

2009-09-16 13:52:18 | Weblog
20年ほど前のことだ。テレビが、T県からの中継を放送していた。エサを求めて熊が里に下りてきているらしい。木の切り株に座布団のように落ち葉をしきつめて腰をかけ、むしゃむしゃと美味しそうに梨を食べていたという。「熊はどんな顔をしていましたか」というアナウンサーの問いに発見者の老婆は、「顔っちゃあなもんは覚えとりゃあしません。わが身一つがいっか(一荷)でござんすけえ」。逃げるだけで精一杯だったということらしい。

 「熊にあったら死んだふりをしろ」というのが定説である。しかし、最近の研究ではこの定説は否定されている。活動していた人間が突然横たわる。この急激な状態の変化が熊の側の「探求心」(!)を刺激する。その結果、横たわった人間を噛んだり引っかいたりするので、危険な結果を招く可能性が大きい。結局、立ったままじっとしているのが一番よいようだ。

 攻撃は最大の防御、という考え方もある。熊と格闘しろというのではない。アイヌ民族には、羆を論難する呪文が伝承されている。羆と遭遇した時、少しも慌てずこちらから近づいて、羆の怠惰と飽食を非難する呪文を唱えるのだ。すると羆は自らの行いを深く恥じて遠くに逃げさっていくのである。羆の戦闘能力に万物の霊長の道徳的権威で対抗する高等戦術だ。

  もう亡くなったが、ぼくには大学教授のオジがいた。浮世離れのした変人で、しかもひどい近眼だった。ある秋の一日、彼が趣味の山歩きをしていると向こうから人がやってきた。なんだかとても毛深い人だったらしい。すれ違いざまに会釈をすると、向こうも会釈を返してきた。オジは「ああ、毛深いが礼節を弁えた人だよなあ」と思わず詠嘆したのである。

 何か変だと思って振り返ってみると、彼がすれ違ったのは人ではなく熊だった。二足歩行(?)していた月の輪熊と彼はすれ違ったのである。近眼の彼は、それを人だと誤認したのだ。会釈という行為はもともと月の輪熊の文化のなかにあるのだろうか。その熊も彼と出会った時「毛はないが礼節を弁えた熊だよなあ」と詠嘆したのだろうか。知りたいものである。


19Q9

2009-09-13 11:47:23 | Weblog
10年前の9月13日。私は骨髄移植を受けるため、神奈川県下のある大学病院に入院しました。タクシーを呼び、荷物をトランクに積んで妻と二人で病院に向かいます。月曜日なので小学1年の骨子は学校。鹿児島から越してきて半年でまだ近所に親しい知人もいないので、太郎は近くの私設の保育所のようなところに預けました。月曜日は生ゴミの日。ゴミ捨ては私の仕事なので、タクシーが来るまでに団地のゴミステーションに急ぎます。

 病院につくと主治医が迎えてくれました。病棟での治療チームが紹介され、女性の先生から今後の日程の説明がありました。それがすむと妻は帰ります。中年男性の看護師さんがぼくの担当。エライ人なのかと思いきや、若い女の看護師さんに叱られています。企業をリストラされ、看護師としての再起をはかったのが30代なかばだとか。この年の3月に看護学校を卒業したばかりだといいます。

 最初にいれられた6人部屋は、中年の男性ばかり。NECの技術者という人が牢名主的な感じで場をしきっていました。3時ごろになると、リハビリやらなにやらで人がいなくなり、私とほぼ同年輩の男性の二人になりました。神奈川の高校球児だった人で、ハンサムな人でした。「骨髄不全症」というガン化していない白血球が異常に増える不思議な病気が再発して1週間前に入院したとのことです。入院する前の日は野球の試合に出たそうです。とても病人にはみえません。

 ぼくも高校野球は好きなので彼との話題は必然的にそちらにいきます。男性は、県立の工業高校の出身で、3年生の夏には県のベスト8に入ったとか。横浜高校が選抜ではじめて優勝した時代の人です。「横浜のピッチャーは誰でしたっけ」。「永川です。関東3羽ガラスの一人といわれていました」。「永川投手はその後…」。「若くして亡くなりました」。しまったと思いました。こういう病棟ではまずい話題でしょう。


鉄人

2009-09-10 15:18:29 | Weblog
 先日、大学病院に行ってきました。骨髄移植を受けると一生その後のフォローを受けなければなりません。とほほ。もう移植後5年をすぎていますし、薬も服用していないので半年に一度でいいのですが。やはり行くたびに緊張します。

 血液も内科的な数値も万全なのですが、唯一心配なことがあります。移植の前後に1万CC超の輸血を受けました。口から入れた鉄分はやがて排泄されるのですが、血管に入れたものはそのまま残ります。それが内臓に付着して様々な疾患の原因となるのです。それでも形あるものはいつかは滅びる。移植から10年もたてばほぼ輸血の影響がなくなるはずなのに私のばあいはほとんどその数値が減じていません。医者も頭を抱えています。

 これは非常に危険な状態です。医者にいわせれば対応は二つしかないようです。まず瀉血。瀉血といってもすぐにはイメージできない方が多いと思います。私もそうでした。瀉血とはを捨てるということ。そういえばミッシェル・フーコかなんかの本で読んだことがあるなあ。近代以前の医学というのは治療法などほとんどなくて瀉血が幅をきかせていたようです。悪いものを外に出すという発想。

 もう一つは最新の薬を飲むことですが、これは途方もなくお金がかかるようです。薬とを飲めばすぐに解消される問題のようですが、私自身の健康状態が良好なのに高額の薬を飲ませることに医者も躊躇があるようです。私が億万長者なら医者もその薬の服用を勧めたのでしょうが。それにしても「ミッシェル・フーコー」の次が「超高度(額?)医療」。その中間というものはないのでしょうか。

 私は骨髄移植を受けた人間のなかではもっともハッピーな予後の経過をたどった一人だと思います。移植を受けてからちょうど10年たちますが、いろいろなやっかいがついてまわるものです。みなさんも健康にはくれぐれもご留意ください。


「ぼくは忙しい」(日本海新聞コラム潮流・8月31日掲載分)

2009-09-06 07:22:18 | Weblog
故阿部謹也さんには「忙しいということばを発した瞬間に学者は堕落する」という名言があります。たくさんの本を書き一橋大学等の学長も務めた阿部さんが忙しくなかったはずがありません。しかし阿部さんは飲みに誘われて断ったことは一度もなかったという伝説の持ち主です。また阿部さんには、「学長室を一歩出れば大学のことはすべて忘れる」ということばもあります。忙しそうにしてみせるのは無能の証というダンディズムを感じます。そして阿部さんの冒頭のことばの背後には歴史家らしい洞察が込められているのです。

英語の「スカラーシップ(学問)」は、古代ギリシャ語の「スコーレ(閑暇)」に由来しています。学問をするためには暇が必要です。昔の貴族は、自分が労働する必要がない(すなわち暇な)身分に属していることを誇示するために学問にふけりました。いまの学者は、もちろん貴族ではありません。しかし学問をするためには膨大な時間が必要なことに、いまでも変わりはないのです。暇であることこそが学者の条件です。「忙しい」という学者は、勉強をしない言い訳をしている。阿部さんは、そう言いたかったのではないでしょうか。

いまの大学教員に夏休みはありません。前期の試験が終るのが8月の頭。お盆のころまで採点が続き、9月に入るとすぐにAO入試とやらが始まります。授業のある時はさらに大変です。多くの大学教員が、高校の先生並みの授業時数をこなしています。事務作業の負担は毎年増える一方。いつ終るとも知れぬ会議がほとんど毎日開かれています。この状況で「忙しい」と言わない人は、超人的な能力と意志力の持ち主に違いありません。阿部さんの基準に従えば、いまやほとんどすべての日本の大学教員は「堕落」しているのです。

学問が閑暇に由来するのに対して、ビジネスは繁忙(ビジー)に由来しています。本来大学とビジネスとは、水と油の関係のはずです。ところがいまの日本の私立大学は、「生き残り」のための学生集めに血道を上げるビジネスと化しています。そして独立法人化した旧国立大学も、企業や官庁から短期的に評価される業績を上げることが求められています。こちらもビジネスに近いものになってしまいました。日本の大学はビジネスの世界に飲み込まれてしまったのです。大学人が繁忙に苦しむのも理の当然といわなければなりません。

しかし大学人がビジネスの論理にすりよって仕事を増やしている傾向があることも否めません。いくつになっても勉強はつらいものです。学者にとって「忙しい」ということばを口にできる状況はとても魅力的です。勉強をしなくても許される免罪符が手に入るのですから。この文章を私は自戒の念をこめて書いています。10年前、骨髄移植を受けるために無菌室にいた私は、命が助かれば今度こそ怠けずに勉強をしようと心に誓いました。ところが最近の口癖は「ぼくは忙しい」。無菌室の決意は一体どこに消えたのでしょうか。

選良

2009-09-03 08:42:29 | Weblog
民主党の歴史的圧勝。そして自民党の歴史的惨敗。今回の総選挙はそういう形で落着した。S市の選挙区には、骨子の高校の先輩A氏が自民党から立候補していた。「元ボクサー」の触れ込みで、自転車に乗っての選挙活動を売り物にしていた。麻生の総理就任直後には、二人並んだポスターが市内にたくさん張られていたが、選挙の直前にはすべてはがされていた。

05年の選挙では民主党の超大物(「最高顧問」!)を破って当選した小泉チルドレンの一人である。骨子より25歳上。甲子園大会の予選の緒戦には必ず足を運んでいる。若い秘書を伴って。まめな人だ。校長先生の丁重な応接も印象に残っている。そんなこともあって骨子も親近感をもっている。「駅前でA先輩が演説をしていた」という。いつしか私も妻も彼のことを「A先輩」と呼ぶようになった。まめに選挙区を歩いて愛想をふりまくことは政治家にとって大事なことなのである。

選挙の結果は小選挙区では落選。比例でも救済されなかった。風に乗って代議士になった「A先輩」だが、今回は逆風で吹き飛ばされてしまった。当選したのは、やはり市内の別の高校を卒業したまだ30代の若手。「A先輩」と同様、自転車に乗っての選挙活動を続けていた。若さをアピールしたいのだ。

選挙の翌朝に「A先輩」は、S駅の駅頭でお礼のあいさつをしていたという。落選後の生活は大変だろう。収入は途絶するが政治活動は続けなければならない。お金は出ていく一方である。小さい子どもを抱えて大丈夫なのだろうか。ふと「A先輩」の秘書役をしていた若者のことを思い出した。彼も路頭に迷うに違いない。不況下で仕事があるのだろうか。こちらの方こそ心配だ。来年も「A先輩」は律儀に球場に足を運ぶだろう。「元衆議院議員」として。校長先生も律儀に丁重な応対を続けるはずだ。しかし、「A先輩」の傍らにあの若者の姿をみることはないだろう。


オリンピック柔道をめぐる省察(ついに金メダルゼロ!・声に出して読みたい傑作選89)

2009-08-31 15:14:58 | Weblog
読者のみなさま。この夏いかがお過ごしでしたでしょうか。私の夏は、北京オリンピックのテレビ中継を観ているうちに終わってしまいました。それにしても驚いたのは男子柔道の不振です。金メダル2つをとりましたが、その他の階級ではまったくメダルに手が届きません。4つの階級で初戦敗退を喫しています。史上最低のメダル数だということです。
 
 だがまてよ、とも思います。「日本柔道惨敗」。「史上最低の成績」。こうした報道をオリンピックのたびごとに目にしているようにも思います。ソウルでは金メダルがわずかに一個。アトランタでは、当時の世界チャンピオンが敗退を重ねていきました。しかし最終日に金メダルをとると、「本家の面目を保った」。今回も石井慧選手が100キロ超級で優勝したことによって、これまでと同じパターンに落ち着きました。

 発祥国でありながら外国人に負けてしまうことに、日本人は歯がゆさを感じ続けてきたのです。しかし、日本に絶対勝てないと分かっていれば、柔道に力を入れる国は出てこないでしょう。東京オリンピックで日本の神永昭夫がオランダのアントン・ヘーシンクに敗れた時、多くの日本人は嘆き悲しみましたが、もし結果が逆になっていれば、柔道がオリンピックの公式競技に定着することはなかったかもしれません。発祥国のプライドが踏みにじられることこそが、ある競技が世界的に普及していく条件なのです。

 オリンピックのJUDOは、本来の柔道とは似て非なるものだという批判が絶えません。たしかにJUDOはみていて面白いものではありません。しかし世界の多くの国に柔道とよく似た格闘技があります。それを土台として柔道を受容していくのですから、世界の舞台でのこの競技が異種格闘技戦の様相を呈するのは理の当然だといえます。柔道が日本料理だとすれば、JUDOは和風の器にもりつけられた多国籍料理だと割り切るべきでしょう。

 男子と対照的に女子は好成績を残しました。女子柔道は日本で始まった競技ではありません。ヨーロッパで生まれ日本に逆輸入されたものです。山口香さんのようなパイオニアたちは、ヨーロッパの選手を模範として学びました。本家意識が男子ほど強くない分、JUDOへの適応性が高いのではないでしょうか。また世界的に女性は従来、格闘技から遠ざけられてきました。そのため女子柔道の場合には各国固有の格闘技の影響が希薄で、どの国も比較的素直な柔道をしてきます。そのことも、日本に有利に働いているのかもしれません。

 柔道はグローバルな発展をとげましたが、国内で隆盛であるとはいえません。競技人口はフランスよりもはるかに少ない。まわりの子どもをみていても、武道で人気があるのは、空手・剣道・合気道。柔道を習う男の子は少数派。競技人口が先細りなのですから、今後とも男子柔道の苦戦は続くでしょう。次のロンドンも「史上最低の成績」が予想されます。


奥泉光×いとうせいこう『世界文学は面白い』集英社(「本のメルマガ」8月25日掲載分)

2009-08-28 09:44:48 | Weblog
先日、深夜に何気なくテレビをつけると桑田圭佑が『蟹工船』の一節に曲をつけて歌っていたのでびっくりしました。『蟹工船』だけではありません。『たけくらべ』、『一握の砂』、『坊っちゃん』…。桑田は、日本文学の傑作群を自らの音楽世界に巧みに引き込んでいきます。文豪たちは、草葉の陰で驚いておられたのではないでしょうか。しかし、桑田サウンドと文豪たちの書いた文章とは、実に相性がいい。私の祖父母の時代に書かれた文章が、いまでも古びてはいません。これらの傑作群が、世代を超えて読み継がれていく所以です。

 いま若者たちが日本近代文学に回帰しつつあります。昨年は時ならぬ『蟹工船』ブームが起こりました。そして今年は太宰治ブーム。『人間失格』など4作品が映画化されるようです。『蟹工船』を手にしたのは、非正規雇用に従事する若者たちでした。冷酷な資本によって使い捨てにされる彼らは多喜二の描く世界に強い共感を示したのです。太宰の文体には、若い人たちがブログに書く文章を彷彿とさせるものがあります。そして太宰が主題とした自己の不確実感は、いまの若者たちにはとりわけ理解しやすいものなのだと思います。

 若い人が古典に親しむのは本当によいことです。できれば日本近代文学だけではなく、世界の名作にも親しんでもらいたい。本書は、その際の絶好のガイド役を果してくれるはずです。カフカの『変身』から、魯迅の『阿Q世伝』までの9つの短編が取り上げられています。名作ガイドといっても、『ユリシーズ』や「戦争と平和」、それに『源氏物語』を紹介されたのでは、誰も読み通すことなどできないでしょう。あまりにも長すぎるからです。短い小説を網羅した本書は、実用性の高い、非常に親切なガイドブックだと言えます。

 世界の名作はどれも非常に面白く、そこに描かれている人間はみなどこか変です。毒虫になったザムザは家族思いの若者です。ところが家族は彼にとても冷淡。ザムザが死んだ直後に楽しそうにピクニックに出かけて行きます。ドストエフスキーの「地下生活者」は、いつも逆ギレしている中学生のようなキャラクター。『坊っちゃん』も取り上げられています。主人公は24歳なのに、この小説で一番官能的なのは乳母の清からの手紙を読む場面。そんな彼は童貞に違いないというのがお二人の推理です。ううむ。だから「坊ちゃん」か。

 チェコ(カフカ)、ロシア(ゴーゴリー)、フランス(カミュ・デュラス)、アメリカ(ポー)、日本(漱石)、コロンビア(マルケス)、中国(魯迅)。この本には、様々な国の作家たちが登場します。本書の副題は「文藝漫談で地球一周」。現実に地球を一周すればどれだけのお金と時間がかかることか。書物を通しての地球一周はその数十分の一、いや数百分の一のコストで済むのです。読書はとても安価な娯楽です。そして世界文学は、国と時代がどんなに違っても人間はみな変てこで愛おしい存在だということを教えてくれるのです。

ぷりぷり県

2009-08-25 10:59:11 | Weblog
テレビはスポーツ中継以外ほとんどみないが、唯一家族で熱心に見ている番組がある。木曜夜日本テレビの「秘密の県民ショー」である。47都道府県出身の有名人が壁に居並び、各都道府県特有の珍しい食べ物や風習を紹介する番組である。以前、大阪人は切られたり撃たれたりすると、ほぼ10人が10人律儀に「やられたー」と言って倒れるマネをするという衝撃映像(?)を流していた番組である。

 この番組の最後には、若いサラリーマン夫婦がほぼ二週間に一回(!)のペースでいろいろな道府県に転勤になるコントが流される。この前の木曜日はついにこの二人、鳥取にやってきた。今回のコントは、大変よくできていた。上司夫妻を演じていた俳優の鳥取弁が実に見事だった。鳥取出身者なのだろうか。次に感心したのは、鳥取と言っても鳥取市を中心とした東部(因幡)と米子市を中心とした西部(伯耆)とでは大きな違いがあることを指摘していた点である。上司の奥さんは米子の人という設定で絶対「豆腐ちくわ」には手をつけない。これは因幡の特産で伯耆にはないからである。

 スタジオには鳥取県人代表としてヤクルトと巨人でストッパーとして活躍した角盈男が出ていた。彼も「鳥取市は別の県みたいなもの。よほど島根に親近感を感じる」と言っていた。鹿児島人代表の榎木孝明が「鹿児島も薩摩と大隈があるが、仲がいい。不思議ですね」と言っていた。たしかに薩摩大隈と同じように藩政時代から因伯は一緒なのに、そのわりには溶け合っていない。角も言っていたように伯耆は出雲と、そして因幡は但馬(兵庫県北部)と昔からつながりが深い。

 しかし角がいうほど、因幡と伯耆の仲が悪いわけでもない。演出という部分もあるのだろう。しかし、角は米子工業高校の時代から豪腕投手としてその名を轟かせていたが、2年の夏も3年の夏も鳥取西高に甲子園への道を阻まれている。「鳥取市」と聞くと強い拒否反応が出てくるのではないか。

犯罪と刑罰

2009-08-22 10:58:20 | Weblog
お昼ごろ、BSにチャンネルを変えるとかの亀山郁夫先生がお話をしておられた。教育テレビでドストエフスキーの小説について語ったシリーズの再放送である。大ヒットになった『カラマーゾフの兄弟』の後、『罪と罰』も最近完結した。毀誉褒貶の激しい亀山訳だが、「超訳本」として読めばなかなか面白いと思う。

 ドストエフスキーは自らも死刑判決を受け、執行の直前に恩赦によって命拾いをするという数奇な経験をした人だ。犯罪や裁判に深い関心を抱いていた人でもある。彼は刑事裁判の傍聴を長年続けていた。 彼の晩年の傑作群はその成果であ。

 彼が次々と傑作を発表していた時代のロシアでは、司法改革が進められていた。ラスコリニコフが法学部の学生だったのもこのことと無関係ではない。弁護士は将来有望な職業だったのである。また『カラマーゾフの兄弟』にも描かれているように、この司法改革のなかで陪審員制度が取り入れられている。法科大学院がつくられ、裁判制度が始まったいまの日本と重なるではないか。

 ラスコリ二コフが怪しげな夢想を育んでいた時代のペテルブルグは、恐るべき犯罪都市であった。しかしロシアの刑法では、皇帝暗殺を企てるような国事犯以外に死刑が適用されることはなかった。いまの日本の治安の水準は、ラスコリ二コフのペテルブルグとは比較にならないほど良好なはずだ。このことをもってしても死刑制度の存続には疑問符がつく。

ドストエフスキーは、革命を嫌悪していた。政治的には保守的な人であった。しかし彼は厳罰が犯罪の抑止力になるという立場をとらなかった。犯罪は社会の矛盾の発露だと彼は考えていたのである。そうした認識は、やはり彼自身が法によって裁かれる立場に置かれた経験をもつことと無関係ではあるまい。裁判員たちはみな模範的な「よき市民」である。彼らは被告の側に身を置いて考えることができるのだろうか。

空の翼

2009-08-19 14:00:13 | Weblog
 この夏の甲子園に関西学院が70年ぶりの復活を果しました。得点をあげるたびにアルプススタンドからは、「♪若い緑の 朝風に♪」という応援歌が流れてきます。OBではありませんが懐かしい気持ちになりました。学生時代所属していたソフトテニスのサークルが関学と定期戦をやっていたからです。このサークルは、体育会から枝分かれした硬派の集団で、関学との定期戦も体育会をまねて始めたものです。東京開催の時には新幹線のホームに関学を迎え、校歌を歌います。1年生は夏合宿で、関学の校歌応援歌を覚えさせられるのです。

 関学の校歌応援歌の講習会は雨で練習ができない日に行われます。「ポプラは羽ばたく いざ響き われら」という一節が校歌のなかにはあります。当時はもちろんワープロなどなく、謄写版刷りのプリントが配られます。印刷の状態が悪かったのでしょう。ぼくには「ポプラ」が「ゼブラ」に読めたのです。「ゼブラは 羽ばたく」。

 なんでこんな変な歌詞を、と思いました。関学がミッションの大学だぐらいの知識は当時のぼくにもありました。何しろ有名な大学です。関学を創設した宣教師の前任地はサハラ以南のアフリカだったのではないか。異文化の宗教であるキリスト教を現地の人たちになじめるものにするために「キリストは羽の生えたゼブラの背中にのって天に昇った」だかの説教をして成功したのではないか。その勢いを駆って日本に着て関西学院を開いた。そうだそうだそうに違いないと若いぼくは妙な納得をしたのです。

 「みんな歌詞を覚えたか。よし加齢、お前歌ってみろ」。3年生の先輩から名指しされました。ぼくは張り切って歌いました。とりわけ「ゼブラは 羽ばたく」の部分は声を限りに歌ったのです。満場が唖然としてしまいました。何しろ体育会起源の「硬派」のサークルです。先輩の鉄拳が飛んできたことはいうまでもありません。